cookie (10)

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(…あ痛っ)
 んもう…… 

 テレサはアイスボックスクッキーに挑戦しているところだった。プレーンとチョコで、市松模様のクッキーを作ろうと、細長い棒状の生地を切り出している最中に、またしてもうっかり包丁で指を傷つける。
(もう……私って、どうしてこんなにぶきっちょなのかしら)

 指を切り落とさなくて良かったよ。
 そう言っておかしそうに笑う大介の顔が、頭に浮かんだ。
 ネコの手だよ、指は仕舞って。一度にざっくりたくさん切ろうとしないようにね?

 島さんに、そういつも言われているのに、なぜか私ったら忘れてムキになっちゃうのよね……。


 左手の人差し指の先を口にくわえ、作業を中断して、ダイニングテーブルのところで一休み。
(……絆創膏、どこだったかしら)


 ——と、珍しくリビングのビジュアルホンが着信音を立てた。心に思っていたからかしら…!?モニタに投影された愛しい夫の顔に、テレサは目を見張る。


「………島さん!!」
<やあ、テレサ…>

 こんな時間に、それも急に……どうして?!
 でも、理由はどうあれ、大介が連絡をくれたことが無性に嬉しい。
「今、勤務中ではないのですか?」
<ああ…、急に君の顔が見たくなってさ>
「…?」

 いやだわ… 嬉しいけど、恥ずかしい…
 テレサはほんのり頬を染める。だって、どう見ても大介の背後には基地か、いずれにしろ仕事中だとはっきり分かる場所が写り込んでいたからだ。その上、彼の背後で、見たことのない青年が笑っているのが見えた。

<…でね、ちょっと怪我しちゃったから、早目に休暇をもらおうと思ってさ>
「えっ」
 怪我…?!
「まあ、大丈夫ですか?!…どこを?どうなさったの?」
<あはは、心配ないよ。肩と背中をぶつけちゃって、足も挫いたんだ。大ドジ踏んだよ。俺の顔、見ればわかるだろ、そんなに大した怪我じゃないんだ>

 ホッとする…… んもう、心配させて…。
 大介の笑い顔に、仕返ししちゃおうかしら、と思いついた。
「あのね、じゃ私も。……包丁で切っちゃった」

 ほら。

 まだ血のにじむ人差し指を、モニタに近づけた。
<…テッ…テレサ> それ、たった今やったのか?!
 手当てはどうした、と慌てる大介に、うふふっ、と笑い。
「大丈夫ですよ、このくらい。…クッキーを、また作っていたんです」
 あ、と思い出し、小声で訊ねた。 
(…あの、私のクッキー、食べてみてくださいました?)
<ああ。…美味しかったよ。まだ残ってるから、後でまた食べる>
「…あの、新しいのをまた作っていますから。もっと上手になってると思うんです、だから…」
<いいんだ。あれが食べたい。…あのクッキーを…食べたいんだ…>


 そう言って笑う大介が、なぜか泣きそうに目を潤ませているような気がして、テレサはちょっとびっくりした……どうなさったの?島さん…?


<……明日の朝には、……帰る。たった1日だけど…予定より早く>
「…はい!お待ちしています」
 通話はそれで終わると思ったが、ほんの少しの間の後。

 大介が、小さな声で言った、小さいがはっきりと……
<テレサ……愛してる>
 後ろに、お友達か…部下の方がいらっしゃるのに、島さんたら…。
 でも、苦笑して、答えた。
「私もよ。愛しています、あなた……」

 これ以上はない、というくらい嬉しそうに微笑んだ夫の顔が、頷いてモニタから消えた——。



「ただいまぁ…」 
 大介からの電話の直後、玄関に次郎の声がした。まあ、今日はみんな、予定外のスケジュールなのかしら?
「お帰りなさい!次郎さん… 随分早かったんですね」
「なんかさあ、真田長官、急用が出来た、って宇宙へ出てっちゃったんだよ」
 だから、俺も帰って来ちゃった。
 白いスニーカーを無造作に脱ぎ捨て、次郎は洗面所へ向かう。
「あら、そうだったんですか…」

 島さんもね、明日の朝お帰りになるんですって。急に怪我をしたとかで……
 ありゃま、怪我? ドンくせえな〜兄貴。
 じゃ、急いでクッキー、作らなきゃ、じゃん? 洗面所から笑い声がする。


「あれ?またやった?包丁?」
 リビングにやってきて、テレサが指をくわえているのを見て…次郎が目を丸くした。「たかがクッキーで、どうして指切るんだよ……テレサったら」
「いーだ」
 鼻の頭に皺を寄せ、次郎のからかい文句に反撃する。

 ねえ、クッキー型は? 買って来てくださった……?


          *          *         *


「そっか。…副司令、怪我したんか」
「一言、お礼言いたかったんだけどな…」

 ——極東基地のCDC。
 通常任務に戻った宗方と亀川がちょっとシュンとした顔をしていた。
「いいんじゃね?休み明けに言えば」
 すぐに治って出て来るさ。
 与えられた次の任務の予定をデータボード上で確認しながら、竜士は肩をすくめる。


 不発の波動カートリッジ弾を収容した<日向>は、ラグランジェドックへ入港し、今そこで科学局長官が不発弾の臨検に入っている、ということだった。島はといえば、カートリッジ弾の下敷きになった際にちょっとした怪我をし、地球に帰還するなり休暇を早めに取って帰宅してしまったらしい…



「おーい、新人ども!」
 いつも島がいるはずのコマンダー・ブースには、徳川太助がいた。その横でニヤニヤしている吉崎大悟は相変わらず、不発のくわえ煙草である。その横を徳川がどすどすどす、とブースから降りて来て、3人の目の前で胸を張った。
「今日からオレが管制のイロハを教える。あっちのシミュレーションルームへ来い!ぐずぐずすんな!」 
「はいっ」

 ヤマトの戦士、にしては“ほのぼの系”の徳川に、ウーム、この人も副司令と同じ頃、ヤマトに乗ってた人なんだよな、と首を傾げる3人である。島副司令と同じ戦いを幾つもくぐり抜けて来た猛者、なんだって?

(いや、あれで案外分かんねえぜ? 徳川さんって、副司令がここで一番信頼置いてる人なんだろ? ただのぽっちゃりクンじゃないんだよ、実はすごい人なんだよ。能ある鷹は爪隠す、ってな…)
 とか言っている間に、太助が目の前のスロープで「うわっとと」とコケそうになったので、3人は思わず吹き出した…
(ぶっ…)

 ヤマトの戦士、ヤマトの戦士。能ある鷹は爪隠す!
 呪文でも唱えていないと、徳川に関してはそれを忘れそうである。

(島副司令のことも、俺……最初は見くびってたからな)
 竜士も宗方たちと笑いを堪えながらそう考えた。いざ、って時は、この徳川さんだって偉大な戦士になる、そう思っていいんだ。



 恐怖のあまり何もできなかった自分に較べ。その極限の恐怖をねじ伏せ、目の前で最後まで冷静に闘った上官を思い、竜士はまた仄かに胸を熱くした。

 生き残ったことは、恥でもなんでもない……的確な判断力と、強靭な精神力、そして、強運の女神の寵愛を受けなければ出来ないことだった、と今なら分かる。特攻がカッコいい、などと平気で口にしていた自分が、ひどく愚かで幼稚に思えた……


 強運の女神か。
(——副司令の奥さん、まるで女神みたいな美人だったな……)

 <日向>で無事ラグランジェドックへ戻った時に、島が通信で恥ずかしげもなく「愛している」と言っていた、モニタの中の相手を思い出した。
 島副司令。…あの奥さんを残して、死ぬわけにはいかなかったんだろうな… そう思った。その上、パニクった俺に自宅への通話を許し、一瞬で正気に返らせてくれた…… あの奥さんに、自分こそ話をしたかっただろうに。

 いや。そうじゃないのかも。

 竜士はふと、思った。
 島さんは、…必ず還る、って…自分を信じてたんじゃないのか。だから…サヨナラは言うまいと。だから、あの奥さんに連絡をしなかったんだ。


「チェ」
 すげえ人の下に、来ちゃったぜ。
 ………俺はずっと、トップだったのに。あの人を…越えることは、当分できそうもないや。

 微笑みながら。
 時田竜士はそう口の中でボヤいていた。



                                 <fin.>

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あとがき