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<小型レーザーで焼き切って蓋をこじ開けますか?!>
 だが数秒後に聞こえた島の声に、真田は待ったをかけた。

「駄目だ。その状態の爆雷に火気は厳禁だ。火花や震動はまずい…!」
 真田の額、背中に嫌な汗が流れる。詳細が分からん…! 
 だが現場の島の恐怖は、俺の比ではなかろう。

 なんてことだ…… 今、この平和な世の中になって…!


<他に手は>
 しかし島の声は冷静だった。いつかヤマトで聞いたものと同じその声のトーンに、真田も我に返る。
「待て。…そうだ…、…携帯用糧食の減菌剤の中に、僅かだが消毒用の二酸化塩素の液体が入ってるだろう」
<……はい、今…確認します>

 そうか……!という島の呟きを耳にして、真田もこの困難に立ち向かっている相手が島だったことに感謝する。そうだ、溶けて薄くなっている蓋の接合部を…塩素で腐食させて溶かすんだ。
 ありました、金属腐食を試してみます!との島の声に、くれぐれも焦って蓋を叩くなよ…、と言い添える。

 島なら俺と同じように判断できるはずだ。極限の恐怖の中で、共に闘ったヤマトの戦士だからな……!


 だが、それは気の遠くなるような作業だった。塩素の容器は小さく、液体は外に出た瞬間球状に浮かんでしまう。宇宙服の、ごついグローブでは思ったように作業ははかどらない。爆雷の側面の、蓋と本体との間の溝に上手く付着させるまでに、息を詰めて十数分……。やっとのことで液体を上手くこすりつける。それが腐食反応を示すまで、じっと見守ることさらに数分。 

 ようやく小さな泡が浮かび出て、表面がゆっくりと線状に溶けて行くのが確認された。

 島の手元をライトで照らす竜士の声に、焦りが滲み出ている。
<まだですか…!>
<……接合部に隙間が見えて来た。もうちょいだ>

 腐食で出来た僅かな隙間に、工具を突っ込んでバリバリと引き剥がしたい衝動に駆られるが、震動を与えると思うと恐ろしくて出来ない。爆雷の周りに押し固められた他の瓦礫を取り除けば、もっと広い作業空間が得られるが、ただでさえ斜めに引っかかっているだけの状態である。間違って爆雷を床に転がしてしまったら、そこでおしまいだ……自分のこめかみに脈打つ動悸が、嫌に大きな音で聞こえていた。
 島の手元をサーチライトで照らす時田の額も、手袋の中の手も、じっとりと汗ばんで来る……。

<…こちらファー・イースト、徳川!>
 唐突にメットのインカムからその声が飛び出し、島はあやうく持っていた工具を取り落としそうになった。
<島だ。どうした太助>
<落ち着いて聞いてください、島さん。…<日向>のいる座標付近に、高速で接近している特大デブリがいくつか…観測されています…!>

 えっ。
 それがどういうことなのか、時田には一瞬分からなかった。だが、爆雷の側面に張り付いて作業をしていた島が、くそ…っ、と小さく唸るのを聞きつける……


<まだ遠いです。でも、…今から15分程度で<日向>の至近距離を通過します>
<………衝突の可能性は>
<…あります。速度と角度が拙い感じです。なので、こちらで出来るだけ回避行動を取りますが… ぎりぎりまで待ちます、発進の震動もヤバそうですから>

 徳川の声が、震えていた。あいつが接近中のデブリの速度と衝突角を濁して言っている、それは新人を怖がらせないための配慮なのだろうが… 逆に正確に言ってくれた方が覚悟が決まるのに、と島自身は思う。

 つまり今、大きな宇宙ゴミが急角度で<日向>に衝突したら。
 その衝撃で、この波動カートリッジ弾は…爆発するかもしれない。しかも、それを避けるために<日向>のエンジンを始動する、それすらもひょっとしたら危険……ということなのである。

<……あと15分以内に、コイツをこじ開けて…安全装置をロックしなけりゃ、俺たちも<日向>も宗方たちも… お陀仏、ってことだな>
 冷や汗が目の上を流れ、玉になって浮いた。
 だが、面白いじゃないか、とでも言うようにそう返す。

 …太助、時田が怖がってる。空気読め——。

<ま、簡単に言や、そういうことですね>
 戯けたような返事が返って来た。
 阿吽の呼吸にニヤリとする、よーしさすがあの機関長の倅だ…

 その徳川の無線に、横からガラガラ声が混じった。
<副司令!真田長官の無線もこっちに入って来ています。大丈夫です、間に合いますよ。落ち着いて作業してください>
<吉崎…>

 よし、続けるぞ…!

 だが竜士はと言えば、徳川の報告を聞いた途端、頭がまっ白になってしまっていた。

 いつ爆発するか分からない波動カートリッジ弾に張り付いていること自体、叫び出したくなるほどの恐怖なのに、その上……特大デブリがあと15分でこの船に衝突するかもしれない、だって…?
 安全装置の蓋は溶けてくっ付いた接合部を塩素で溶かして、カッターの刃とヤスリでそっとこじ開けて行くしかなく、手元はサーチライトの照明に頼るしかない…

 目の前に屈みこみ、黙々と作業を続ける島の背中を見た。呼び掛けようとするのに、声が出ない。
<ふ……ふくしれ……>
<なんだ?>
 まるで皿でも洗っているかのような、落ち着いた声。

 この人、おかしいんじゃないか。もしかしたら俺たち、あと15分で死ぬんだぞ……?!
 それ以上返事もしない竜士に、島が気付いて振り返る。
<……時田……>

 竜士の顔は、メットのバイザー越しでもはっきり「青ざめている」と分かった。


 恐怖を恐怖と感じる、コイツのこの反応が、正常なんだろうな……
 肚を決めれば麻痺して来る、俺の感覚の方がどうかしてるんだ。

 


 インカムの真田に、作業を続けながら呼び掛けた。
<真田さん。……お願いがあります>
<どうした島>
<一般回線にこの通信をつなげられませんか。音声だけで構いません。…… 一緒にいる新人の自宅へ… >
<………わかった>

 島も感じる。
 ここで、自分たちの一挙一動を見守ってくれているのが真田で良かった、と。
<科学局で呼び出そう。そいつの連邦市民IDは>

 竜士は島と科学局長官の会話にまたしても着いて行けなかった。だが、メットの回線を指定された民間通話に繋げと言われた瞬間、理解する。副司令は…俺の家へ、通話を回してくれているんだ。

 

<——もしもし?時田でございますが>
 軍の非常回線を通して繋がった通話口に出たのは、母親の声だった。
<もしもし?……竜士?>
<か……>

 生唾を涙と一緒にごくりと飲み込んだ。さよなら、なんて言うもんか。

<…かあさん>
<どうしたの、今任務中でしょう>
<あ、うん。…今度の休暇に、なんか…み…土産買って帰ろうと思って>
<いやあねえ。海の底の基地にお土産なんか売ってないでしょう>
<……そ…そんなことないよ、…何か見繕って買って行くよ、何が良い……?>
<そう?変な子ね。そんなことはいいから、良い仕事をなさい>
<…………うん。…父さんは>
<会社よ。まだ真っ昼間じゃないの……あ、そうか。海の底だものね…よくわからないのね>
 あはは、と朗らかに笑う母親に、竜士もつられて笑った。
<……電話くれてありがとう。頑張ってね、竜士>
<……うん…>

 じゃあ。

 通話を切る手が震えた。これで、お別れかもしれない。

 

 歯を食いしばり…嗚咽を堪える。……くそ……。
<済んだか?…じゃ、……ライト、もう少しこっちへ向けてくれ>
 自分と母との会話中の通信を聞かないよう、島がメットの回線を切っていたことに気付く。
(……島…副司令)
 メットの中で涙を流すと、拭くことは出来ない…涙が水の膜になって張り付き、呼吸用のレギュレイターを誤動作させる原因になってしまう…。必死で涙を堪えた。

<島……>
 真田から、また無線が入る。
<お前の家へは、繋がなくていいのか>

 手元の蓋が、ほぼすべてその接合部を現わした。もう少し……もう少しで蓋を開けられる。真田の声に答える前に、クロノメーターに目を落した。
 衝突まで、あと、6分。
<……あと…もう少しですから>



   テレサ。
     君の笑顔。 
       一生懸命作ったヘタクソなクッキー …… 

   今度のお休みには、もっと上手なのを作れるようになりますから…
     うん、期待してるよ
      ……僕が作ったのより、美味しいのをね…
   

    んもう。 意地悪ね ……



 …工具の尻についているヤスリの先を隙間にねじ込み、ゆっくりと動かした……自分の震える呼吸音だけが、やけにうるさくメットの中を行き来する……腐食した金属板が、ボロリボロリと落ちて、次第に隙間が開いていく。 ……あと、4分…

 徳川からの無線が入る。
<島さん、デブリの衝突に備えて<日向>のエンジンを始動させます!>
<待て、徳川……! もう少しなんだ>


 テレサ…
   ヘタクソでも…… 僕にとっては…… 


 
 ボロリ、と大きく剥がれる…
<……時田、この隙間の中を照らせ!>
<はいっ>
<島さん、デブリが衝突します…、<日向>を動かします!>
<待てっ……!!>
 切羽詰まった徳川を、喉から絞り出した声で押し止めた。

 手が入るほどの隙間の出来た蓋を、さらに中から慎重に指で折り広げる…… ガコ…、と蓋全体が外れた。

<真田さん、蓋が開きました!!>
<中のロックを2つ同時にOFFにしろ!緑色のスイッチだ!>
 金切り声のような真田の叫びに、内部に鎮座している緑色のスイッチを、2つとも反対方向へ倒した。波動カートリッジ弾の筒の内部で、何かがガシャリと音を立てる——
<……っ……!!>
 竜士はぎゅっと瞼をつぶった……

 その直後。
 <日向>の船体に、何かがゴウン……とぶつかる気配がし。
 ついで、足元をすくわれるような衝撃が襲った。

<…副司令っ!!>
 今まで圧縮機に斜めに支えられていた波動カートリッジ弾が、衝撃で揺らぎ……
 その袂に屈んでいる島に覆い被さるようにして倒れかかった——

 



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