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<9. 奇跡>
<石蕗さん、昔…>
奇跡は本当に起きることがある、って僕に言いましたよね。
えっ、と驚いた粧子にかまわず、島は話し出した。
大の字に転がったまま、右手は粧子の意志伝達デバイスを握っている。
返事をしなくちゃ。そう思って粧子は、胸のスクリプトバーが仰向けに転がった島から見えるようにと上体を傾けた。
<よく覚えていますね>
<変なこと言う人だなあ、と思ったんですよ、あの時は>
でも、あなたの言ったことは、本当だった。
奇跡って、本当に起きることがあるんですね…。
僕はね、兵隊のくせに、戦闘員でもなんでもない恋人に守られて生き延びたんです。…誰かに聞きました?
その人は、僕に…限界量以上の輸血をしてくれた。その身体で、僕の盾になって死んでくれたんです——。
それはある程度、森雪から聞いていたことだった。だが、まさかそれを彼自身の口から聞こうとは思わなかった……気の毒でしたね、そう言えば良いのか。だが脳波計にも戸惑いが出るのだろうか、胸のバーには何も文字は出ない。
……実はね… その彼女って、地球人じゃないんですよ。
だが、次のそのひと言に、粧子は飛び上がる。地球人じゃないって、まさか、噂通り?!やっぱり……ガミラス人ですか?!
島はその様子を見て、はは、と笑った。
<違います。…まあ、それは…あんまり詳しくは言えないんだけど>
同じ人から大量に輸血を受けるのって、ほとんど臓器移植みたいなもんじゃないですか。だからかな、みんなは…彼女は死んでも、俺の身体に生きているんだ、なんて言ったもんです。
でも、…血液なんかに彼女の記憶が宿っているはずがない。そんな気休め、聞きたくない…って、僕は否定してたんですよ、ずっと。
だが粧子は、無意識に首を振っていた。いいえ、そんなことないです。
<あの、失礼ですけど私だって…… 亡くなった父と母から、臓器提供を受けて助かったんです。その後、食べ物の好みとか、ものの考え方とかが、自分では意図してないのに激変しました>
絶対に食べられなかったものが、大好きになった。それは、よく考えたら父の好物でした。まるで苦手で駄目だった暗算が、突然得意になった。…母が、会計士だった…
それは、父母からもらったもののせい、だとしか思えません。
お父さんも、お母さんも、この身体の中に生きている。私はずっとそう信じてきたんです。
粧子の胸のスクリプトバーに流れる文字を見ながら、島は真顔になる。
……僕は、ずっと否定していた。
この身体の中にあの人がいるなんて、そんなことは…夢物語だ、って。
ゆっくり起き上がる。
一面の… 野原。
その真ん中に座り込み…難しい顔で2人、見つめ合う。
そよ、と風が吹いた。
降り注ぐ日射しが、少しだけ傾き始める……
恥ずかしい話だけど。
戦場で、弾を受けた時。すぐ手当てに行けば良かったのに…くだらない意地を張りました。僕が抜けたって、ヤマトは…立派に戦える。それが分かっていたのに、僕は……ただあの席から離れたくなかったんだ。
だから、撃たれた傷を隠して、放置した……
仲間が気づいて手当てしてくれたときは、なんだかもう…訳が分からなくなってた。
粧子が驚いて、責めるような目つきをしたのは分かった。だが、島は敢えて目を逸らした。
——あの時、を思い返す。
どうして負傷を隠しながら操縦席にとどまったのか。それは、白色彗星戦役での悪夢が脳裏をよぎったからだった。
自分の知らない所で、多くの犠牲が出て。帰るべき奴らが戻れず、愛した人までがこの役立たずの自分を生かすために散って行き。
そして今回も同じことが起きれば、自分はまた蚊帳の外に置かれる、それはもう二度とごめんだった。ここでまた脱落すれば今度こそ、自分はヤマトには必要ないと証明されてしまうも同然だったからだ。
だが結果的に、俺は戦況半ばで脱落した。
ざまあないですよ。
カッコ良く死んでれば良かった、今でも半分…そう思ってます。
自分を非難するような、険しい目つきの粧子にちょっとだけ視線を戻し、島は笑った。
<でも、…意識を失って、ああ、死んだんだなあ…、ちぇ、ろくな人生じゃなかった、って思ったあとにね… 奇跡が起きたんですよ…>
彼女が、初めて…
夢に、出てきてくれたんです。
ずっと否定してたからかな——
あの人はそれまで一度も、夢にすら出てきてくれたことがなかった……
<ところがね。彼女、今のあなたみたいな目をして。ここへ来ては駄目、帰って下さいって。厳しい顔で……僕を、拒絶したんです>
ショックだったですよ。
ここへ来てまで、彼女にまで……否定されるのか、って。
僕は、あの人のいる所に行きたかった。それまでは、自分の身体の中に彼女がいるなんて、まったく思えなかった。それが… やっと会えたと思ったあの時、あんなに手厳しく追い払われるなんてね……。
来ては駄目、帰って下さい。
なんでなんだ、ってどんなに叫んでも…あの人は振り向いてくれなかった。嫌われたような気がしました。それでも無理矢理追いかけて行こうと思ったら、目が覚めたんです。……あの病院でね。
それでなのかなあ。
もういやだ、誰とも話をしたくないって思ったからか…なんだか、言葉が…出なくなっちゃって。
まるで他人事のように話しながら、島はまた…空を仰いだ。
<僕が生きていたのは、だから…彼女のおかげなんでしょうね…>
帰れ、って拒絶してくれたから。だから、助かった。
あの人の愛情は、いつもああだった……
僕と…抱き合うより、僕に黙って身代わりになるとか、そんな方法でしか…愛してはくれなかった。
僕は——もろともに死んでも、彼女と一緒にいたかったのに……
粧子は島を見た。
島さんは、その「彼女」を恨んでるのじゃない。
その人の拒絶も、自分への愛情ゆえにしたことだと、島さん自身が理解している。それが分かっているからこそ、尚さら哀しいのだ……
思いが千々に乱れ、胸のスクリプトバーにも言葉は出ない。やっとの思いで、一言だけ…訊いた。
<……その人の名前は、なんて言うんですか>
弔おうとか、そんなおこがましいことは考えていなかった。同情でもなかった。ただ、この人と一緒に、その彼女のために泣いてあげられたら、と思ったのだ。
一瞬、躊躇したが島は、唇を開いた。
その名前は愛しくて、彼女を失って以来、口に出したことはほとんど無かった。呼べば…かならず、涙が溢れてしまうから。
…でも… 目を閉じて、呼んでみる。
彼女の名前は……テレサ。
<テレサ…>
そう。あの人の名前は、テレサ。
粧子の右手を握る島の手が、震えた。
宇宙でたった一人…俺のために生まれてきてくれたはずの人。俺のために、死んでくれた人。愛しい…、俺の……
「「……テレサ」」
えっ……!?
突然、2人同時に顔を上げた。
音が。
島の口から、…そして、粧子の唇からも音が、声が、彼女の名が…聴こえたのだ。
テレサ。テ…テレサ。
喉に手をやって、自分の声帯がその名で振動していることを確かめる。粧子は、驚愕の面持ちでこちらを見つめる島の様子に、自分が言葉を音声で話していることを確信した。
「…石蕗さん、声が。…声が出てる」
僕も。僕の、声も……!
ああ……!!
島と右手を繋いでいたからか、テレサの奇跡は粧子の声も……取り戻した。
「島…さん、これ……」
あなたが愛した人の、あなたへの…
テレサは…ここにいて、あなたの、中にいて。
あなたに奇跡を……!
粧子は途切れ途切れにそう言った。
おかしなことだ。脳波計に出る言葉は、デバイスのおかげで無駄なく校正され調整され、間違った文法で表示されることは無い。だが、どうだ……口から出る言葉は涙に溺れてメチャクチャだ。けれど、これでもかというくらい、心が入っていた——。
「……兄ちゃん!!」
大介兄ちゃん!
原っぱの向こうから、息せき切って駆けて来る弟の叫び声が聞こえる。
「…じろう…!」
立ち上がり叫び返した兄に、次郎は目を見開いた。驚きのあまり、寸での所で前のめりに転ぶところだった。
「兄ちゃんっ!!」
「次郎!!」
泣きながら駆けて来る弟の背後、管理棟の建物の向こうから、古代進の姿が現れた。古代の顔も、何だかいつにもまして、くちゃくちゃだった。ああ、しまった。粧子は急に我に返る。古代の後ろから、島の家族や友人と思しき人々が、続々とやって来る…… 彼と私なんかが、ここにこうしている理由をどうやって説明しよう?変な誤解、されないかな…… ううん、この際、誤解されても……
(でも)
——思い直した。
私の声を、取り戻してくれた島さんの愛する人に、それは申し訳ないから。…少なくとも、しばらくの間は。
「あ…あー…」
もう一度、喉元に手を当てて、震動で声が出ているのを確かめる。心無しか、耳にも音が甦っているような気がした。
弟を出迎えに走って行った島が、照れたような顔でこちらを振り返った。
——これは、奇跡。
島さんの愛した人、テレサがくれた…奇跡の欠片なんだ。
* * *
その後、体調の回復した島は1週間足らずのうちに退院して行った。
彼に想いを寄せる看護師たちが何人か、猛烈なアタックを開始したと言うが、その戦況はナースセンターにはようとして伝わって来ない。
脱走した島と一緒にいた、という理由で、粧子は何人かの看護師に嫌がらせを受けたが(笑)自分は本当に純粋に、彼を引き止めようとしていただけだ。結果的に、昼頃から数時間に渡って彼と歩き回ったのは事実だが、アレはデートだとか、そんなんじゃないもの。
また会いましょう、と退院間際に彼は言ってくれたが、粧子はかぶりを振った……
いいえ。極力、怪我したり病気になったりしないでください。こんなとこへ、もう来ちゃあ駄目ですよ。
その言い草が、何かを思い出させたのか…
島は目を丸くして、ついで笑った…声を立てて。
「…その代わり、これを、差し上げます」
粧子は掠れた声でそう言うと、小脇に抱えたバインダーから小さな封筒を取り出した。
——四葉のクローバーである。
「うちのベランダの、ですけど」
「…やったね」
ありがとう。今度は、なくさないよ。
——忘れない。
「石蕗さん、君が証人だ。……彼女はここに居る。…そうだよね」自分の胸を指差して、島は笑った。
「…はい」
忘れないであげてください。私たちに、この奇跡をくれた人を。
私も、絶対に忘れません……
粧子は彼女の名を口には出さなかったが、まだ胸に付けているスクリプトバーが、その名を文字にした。
<テレサ>
——彼女がくれた、奇跡の欠片を…。
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<言い訳>