奇跡の欠片 <5> 

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<5.  英雄>

 

 強運の持ち主。

 遺体安置所からさえ奇跡の生還を果たした、と報道された島大介の身辺は、ことさらに騒がしかった。

 医師団は、なぜ一度死亡診断を下された彼が息を吹返したのか、まるで証明できずにいる。しかし公の報道は、それきり打ち切られたような形になった。
 ともかく、彼が生きているのは確かなのだ。
 石蕗粧子にとっても『彼がなぜ甦ったのか』よりも「生きていてくれた」ことの方が重要だった。

 島大介については、数年前——そう、丁度白色彗星戦役の時だ……水面下で不思議な噂が流れたことがある。彼は戦闘中に行方不明になったが異星人に救助された上、異星人からの輸血を受け、その結果尋常ならぬ生命力を得た……というのである。
 だが、医師たちのほとんどはそれを真に受けていなかったし、しばらく後にはそんな噂について語るものもいなくなった。

 今回も、一度確かに心拍と脳波の停止を確認したにもかかわらずそれが誤認だったと分かったものだから、再びまことしやかに例の噂が流れたが、すぐにそれは掻き消された。脳死確認を担当した医師自身が、「データの見間違いだったかもしれない」と証言したからである。証言をした医師がヤマトに乗り組んでいた佐渡酒造だったという事実も、その件に関する信憑性の裏付けとなった。

 そして……
 ヤマトが帰還して一月ほど経った頃。

 ICUから出られるようになったクルー達がぼちぼち一般病棟へ移されて来た時、担当の病室の一つに島大介の名前を見つけ、粧子は心からそれを嬉しく思った。

 だが、今回の彼は、他のクルー達と明らかに扱いが違っている。粧子も他のヘルパーも、与えられた指示に戸惑った。



「島さんには、失語症が認められています。本人の意思確認がまったく出来ません。なので、入室の際は特に気をつけて」

 負傷そのものも大きかったが、それは人工臓器の移植などでカバーされ、現在は小康状態を保っているという。視覚、聴覚、触覚など五感にも異常はない。ただ、精神的ダメージが深く、見舞いに来る家族や仲間のクルー達にもまったく反応しないというのである。
 そういえば、彼には年の離れた弟がいた。
 粧子はそれを思い出して、胸が痛んだ。あの子がさぞ悲しんでいるだろうな…と思うといたたまれない。

 あの快活な人が。
 また、……闇の淵に沈んでしまったような顔をしているのだろうか。

 だが、自分には与えられた仕事をこなすこと以外に、彼にしてあげられることは何もない…

 


          *          *         *

 


 一日のほぼ大半をまだ眠って過ごしている島大介の個室へ、石蕗粧子が向かったのは、例によって暖かなある午後のことであった。

 モップを片手に、カーテンの下がる壁の辺りを、小さくノックする。
 一体どんな顔をしているのだろう、と少々びくついていた粧子は、島がベッドの上に身体を起こして座っていたのでちょっと驚いた。
<失礼します、お部屋の掃除に参りました>
だが、自分の用事はそれだけなので、軽く頭を下げて作業に移る。

(嬉しい。…失語症だとしたって、生きて還って来てくれたのだから)

 そう思ったからか、自然と粧子は笑顔になる。
 どんなに酷い怪我をしていても、どんなに心が傷ついていても。
 この人が生きて還って来てくれた。
 それだけでいい。こんなに嬉しいことはなかった。



 島は、しばらくの間そこに粧子がいることなど気がついていないかのようだった。
 だが、彼女が一通り床にモップをかけ、ワゴンに屑篭の中身を移し終えたところで島の背中にある枕を指差したので、彼の視線が動いた。

<枕カバーの交換をしたいのですが>

 開かないままの唇の代わりに、胸元のスクリプト・バーにそう文字が表示されている。島はそれを眺め、ああ、といったように身体を前に屈めた。
 清掃用の手袋を外した粧子は彼の背中から枕を外し、新しいカバーをかけ、元の通りにそれを戻す。
<ありがとうございます>
 粧子は微笑んだ。
(なんだ。……意志の疎通が出来ない、って……そんなことはないじゃないの)健常者の皆からすると、一時的な失語症に対しては意志の疎通が難しいと感じるようだが、私なんかいつだって失語症だ。意思確認の方法なんていくらでもあるじゃないか…

 にこっと会釈して、粧子が退室しようとした時だった。島が手振りで彼女を引き止めたのである。
「………」
 だが、何か言いかけて溜め息を吐き、額を押えた。粧子は合点して、ポケットから小さなメモ帳を取り出した。万一の筆談用にと持ち歩いているノートである。
<これを、どうぞ>

 島は一瞬躊躇ったが、粧子からペンを受け取ると、ぎこちなく一行、書いた。
<前に、会いましたね>
 はい、と粧子はうなずいた。嬉しくなった…あなたは覚えていないかもしれませんけれど、私は…いつも、あなたを見ていましたから。

 島の右手が、また一行言葉を綴る…
<出航前に、四葉のクローバーをくれましたよね>

(……ええっ)
 粧子は驚いた。勢い、満面の笑顔になる。
 覚えていてくれたんだろうか、そんな些細なことを?!

 スクリプト・バーに連動している脳波計が、それを正直に言葉として液晶文字へ変換してしまうのが本当はすごく恥ずかしかったが、構わない…と思った。
<覚えていてくださったんですね!とても嬉しい。私、ずっとあなたのファンでしたから。生きて還って来て下さって、本当に嬉しいです。あんなものでも、一応ホントにお守りになったんですね、良かった!>

 ファン、と言うのもどうかな、と思った。ミーハーこの上ない。この人はアイドルでも、芸能人でもないのにな。


「……、……、、」
 俯いて照れていると、島が何か言おうとした。文字ではなく、話そうと努力している。咳払いか、呻き声のような音を喉から漏らして、惨めな顔でまた額を押えた。とっさに粧子は申し訳なく思い……

<ごめんなさい。どうか無理をしないでください>
 島の肩を軽く叩くと、手振りでそう返した。
<今のあなたの状態は、とても正しいのです。あなたの心が休みたいと願っている、だから言葉が出て来ない。でもそれでいいと思います>

 島がスクリプトバーから視線を上げ、粧子の目を見た。
 やつれて頬がこけていたが、黒目がちの、優しい顔立ち。粧子はどぎまぎしてしまう……
 だが、自分を指差して、笑顔で続けた。
<私も、そうなんです。ガミラスの遊星爆弾で、怪我をして。それきり言葉が、出ません。耳も聞こえない。でも今はもう、それでいい、と思っています>
 
 島は、しばらくの間粧子の胸元のバーに出た文字を見ていた。
 そして、溜め息を吐くと……おもむろにもう一度ペンを取った。

<僕は>
 そこで一度、彼の手が止まった。…やはり書くのは、やめようか…そう思っているようにも取れた。


 だが次に意を決したようにその右手が生み出した言葉に、粧子は息を飲む。
<本当はあのまま、死にたかった>


 
 本当はあのまま、死にたかった。
 そう思うこと、それも……正しい、とあなたは言ってくれますか?
 僕はなぜ、まだ生きているんでしょうか。
 死んで、…すべて終わりにしたかったのに——



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