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<8. 四葉>
長いこと病室でぼけっとしていたわりには歩調の早い島に、粧子は懸命について歩いていた。
さすがは防衛軍第一級の戦士。基礎体力が一般人とは違うのだろう。
だがそれでも、シティセントラルから軍港までは歩いて行けば数時間はかかるに違いなかった。
<あの>
斜め後ろから、島の肘に触れる。「?」と振り向いた島が、スクリプトバーを読んだ。
<私の通勤用のパスがあります。チューブを使いませんか>
軍港へはここからまだ駅にして15もありますよ…?
島はしばらく考えていたが、息を切らした粧子の顔を眺め、思わず、といったように笑った。…そうだね、と頷く。
<電車代は、後で返します>
<いいですよ>
<そんなわけにはいかない>
小さなノートに、文字が往復した。
<わかりました。ともかく、急ぎましょう>
律儀に交通費を心配する島に、粧子は少し安堵する…… 交通費のことなんか気にするなんて、この人は。例え酷く思い詰めたとしても、この性格ならこれ以上精神を病むことなど、きっとないのだろうな…となんとなく思えたからだ。
だが、ヤマトがどこにあるのか…は、軍港に着いても判らなかった。
軍服を着ていない島はゲートを通ることは出来ない。衛兵にうっかり質問なんかして、脱走してきたことを病院に報告されても困る。ペーペーの衛兵と言えど、島の顔を知らない軍人なんかいない……
<…またどっかに隠して修理してるのかな。……じゃ、ここはいいや。…やめましょう。もうひとつ、行こうと思ってた場所があるんです>
ようやく帰れる、とホッとした粧子に、島はそう言った。
あっさりとヤマトを見ることを諦めた彼だが、一体今度はどこへ行こうと言うんだろう……?
そして島は、粧子が自分についてくるのをすでに疑問に思ってもいないようだった。
(……島さんは、あたしをなんだと思ってるんだろう……)
いつも入院する外科病棟のヘルパー。
……それはそうだ。きっと、それだけなんだ。でも、こんな…2人きりで、まるでデートみたいに自然に並んで街を、歩いてるだなんて。
それはきっとただ、自分が「もう帰りましょう」と彼に言わないせいだ、とは判っていた。私は彼が抜け出すことも咎めなかった。そんなことをしては駄目です、帰りましょう。本当はそう言わなくてはならない立場なのに。
彼の願いを叶えたい、笑って欲しい。
ただその思いだけで、私はここに居る。
「死にたかった」とメモに書いた彼。あの時に比べたら、今目の前にいるこの人はすごく回復しているような気がする。それだけでも、抜け出した意味はあったんじゃないだろうか…。
羽織ったカーディガンの下で、胸のスクリプトバーには目まぐるしくそんな思いが流れていたのに違いなかったが、粧子は襟元に手をやってそれを隠すようにした。
* * *
<ここ…ですか…?>
来たかった場所って。
「ああ」と頷いた島を振り返り、粧子は周囲を見渡した——
メガロポリスを眼下に望む、海浜公園。すぐ近くにはあの「英雄の丘」があった。アクエリアスが地球へ最接近した日、メガロポリスは海に沈んだが、高台のこの辺り一帯は水没を免れた。緑も、そのまま残っている。だが、島が足を向けたのは英雄の丘から少し離れた、公園管理棟の裏手に当たる広場だった。何もない原っぱだ。例えば草野球や、サッカーでもするのならうってつけの広場だが…。
(なんでこんなところに…?)
足元には、所々こんもりとした緑の下生えがある。島はしゃがむと、その雑草を手で掻き分けるようにし出した。
(何を…してるんだろう)
何かを、探しているの…?
呆気にとられて見ている粧子にかまわず、島はそのまま膝をついてさらに下草を掻き分け続ける。
まさか。
…でも、わかった……!
島の描き分けている手元に生えているのは、シロツメクサだった。
四葉のクローバーを探しているのだ。合点した粧子は、笑いながら自分も島のそばにしゃがんで、四葉を探し始めた。
暖かな日射し。無心に四葉を探す2人の姿は、まるで小さな子どものようだ。だが、しばらく探してもそうそう四葉なぞ見つかるものではなかった。
案外、ないもんだな。
這いつくばるのに疲れた島がそう言わんばかりに息を吐き、草の上にどさりと座り込んだ。膝が土で汚れている。それを右手で払おうとした…と思ったら、彼はその手で粧子の右手を掴んだ——
(…!!)
<見つからないもんですね!四葉って>
……ヤマトで、無くしちゃったんですよ。ほら、もらったやつ。
声が、聞こえるような気がした。
島は、自分に向かって晴々とした顔で語りかけて来る。音声が喉から出ていなくても、震動する息が言葉になっているのが判る。
<僕は縁起かつぐ方じゃないんですけど、あの四葉のクローバーは嬉しかったな。確か、生き残ったやつらはみんな、あれを持ってたような気がする。…ありがとう>
<そうですか。あれは自宅のプランターで見つけたものです… そもそも突然変異ですから、あんなにたくさん生えたのは…何かに汚染されていたからなのかもしれません…>
島さんが、話そうとしている。
その事実に感動しつつ、胸のスクリプトバーにはそんな文字が出た。
心で思っていることと、脳波計に出た言葉がこれほど食い違ったのは、初めてだったかもしれない……
目の前の島は、清々しい笑顔で話を続けている。
声は、出ているんだろうか。それとも、まだ音にならない息で、話しているのだろうか……?
もしも今、彼が話せるようになっていたら。
粧子は、音の無い世界にいることをふいに恨めしく思った。その奇跡に立ち会いながら、自分は憧れだった彼の声を一言も……聞けないのだ。
<島さん。もしかして、声が出ていますか?私は、あなたの声を、一度もこの耳で聞いたことがありません。それだけが哀しい>
胸のスクリプトバーが思わずそう言ってしまう。島は、粧子の顔をじっと見ていたが、しばらくして…首を横に振った。
<声は、…まだダメみたいだ。変な息だけ、出てる>
残念だけど。
そして、笑いながらふいにぱたんと大の字に寝転がる。
寝転がって、空を見上げながら……島は考えた。
話してしまおうか。
この人……石蕗さんに。
おそらく、自分から言葉を奪っている原因なのじゃないか…、と何となく思う、あの……不思議な夢のことを。
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