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<2. 石蕗>
(…地球を、どうか再び守ってください)
あなたがたヤマトの皆さんが幾度も守ったこの緑を、…再び必ず。
あのヘルパーさんはそう言う意味でこれをくれたんだろう。実際、四葉のクローバーを野外で見つけるのは、現在ではほぼ不可能に近い。
珍しいね、どうやって手に入れたの?と訊くと、自宅のベランダで野草を栽培しているという。なんとその中に、たくさん見つけたのだ、と答えてくれた。
放射能で突然変異したんじゃないの?と笑った奴もいる… だが、やっぱり珍しいからか、みんな意外と喜んでもらっていたよな。
ヘルパーの名前は、石蕗さん、といった。下の名前は覚えていない。相原が、「君のその名前なんて読むの」と彼女に訊いたから、俺が答えてやったのだ、「つわぶき、だよ」と。……花の名前だ。
年の頃は、俺たちより少し下、十九、二十歳。彼女は、ガミラス戦役の際の負傷が元で、言葉と聴覚に障害を持っていた。
彼女は、雪たちのように優秀で見目美しい高嶺の看護師、ではなかった。最先端の医療を誇るあの病院の中で、黙々とただリネンの交換や排泄物の処理などのアナログ作業をこなす雑役婦。ヘルパーの仕事をロボットに肩代わりさせる病院も多いが、正直戦士を労るための病棟では、人の温もりが有り難かった。
そういえば、過去イスカンダルから帰還した折り、また白色彗星戦役で半死半生で帰還した時も、彼女はいつも同じ病棟にいたような気がした。ヘルパーだから、専門的な作業は何一つしない…だが、彼女は俺たち入院患者の不自由さをよく観察してくれて、ナース達にあれやこれや伝えてくれたものだった。
……どうして急に彼女のことなど思い出したのだろう。
四葉の華奢な茎を人差し指と親指でつまむと、島はその乾燥した葉をくるり、と回してみた。
ふわ……と野原の匂いがした。
初めて石蕗と出会ったのは、イスカンダルからヤマトが帰還したときだった。
クルー達は皆、29万6000光年の旅の疲れを取るため、一定期間の検査入院を義務づけられていた。そのクルーたちを、眩しそうに歓声を上げて迎えた病院関係者の中で、彼女だけが黙ってただ微笑んでいたのが、逆に印象的だった。
石蕗が実は聾唖者で、機密を漏らす恐れがないという理由で「ヤマトのメインクルー」専属ヘルパーに任命されていた、ということはずっと後になって知った。この時代の医学力であれば彼女の聾唖は治療可能なものだが、彼女の体がいつまでも不自由なのには理由があった…… ごく単純な理由である。軍属でも軍人でもない彼女には、治療を受けるだけの経済力がなかったのだ。
その代わり、石蕗の制服の胸には、彼女の脳波と連動して言葉を表示する液晶表示のスクリプト・バーがついていた。ネームプレートのもっと長いようなやつで、<Handicapped(身体障害者)>のうち社会活動を日常的にこなす者に政府が貸与している、一般的な意思表示デバイスである。彼女の右手の中指には小さな電極がついていて、接触によってこちらの話している言葉が震動として伝わる。一種の職業的サイボーグ措置。聾唖者が健常者に混じって仕事をするには、素早い意志の疎通が不可欠だからである。数十年前まで言語としても普及していた「手話」は、この時代には廃れていてもう使われていない。石蕗との会話は、こうした機械的な媒体を通して行われたが、必要のない時は彼女も喋らないし、こちらも何も言う必要がない。
黙々と地味な作業をこなすだけの彼女は、こちらが元気な時には他のヘルパー達の影でしかなかった。しかし、同じ空間に居ても敢えてコミュニケーションを取る必要がない、というのは、体や心の弱った入院患者にとってある意味とても気楽なことである。
現に、島にとってテレサとの件があった後の入院生活では、そんな彼女の存在を「有り難い」と思ったことが幾度となくあった。
何も言わなくていい。何も訊く必要がない。訊かれることもない…
「話したければ、聞きますよ」と言うジェスチャーはしてくれる。だから島は、ある時「辛い」という気持ちを、彼女のいる前でこぼしたことがあった。
どうせ、聴こえていないから。
その気楽さもあって、島は思わず彼女の前で泣いたことがあったのだ。
あの時の自分はどうかしていた、と我ながら照れくさく思い返す。
さほど親しくない間柄だったから出来たこと、とも言える。
ただ、醜態を晒したとしても、彼女なら訳知り顔で励ますようなことはしない、と何となく分かった。
その時の石蕗は、号泣する島を見まいと慌てて背を向けてくれた。泣きながら、島は彼女のその優しさに、救われたような思いがしたのだ……
そして、退院する時には一言だけ、彼女の胸のスクリプトがこう言った。
<……生きてさえいれば、奇跡は本当に…起きることがありますよ>
え?と訊き返しそうになった。
病室の外で、相原が呼んでいる。「島さん、古代さんたちが迎えに来る時間ですよ」
「おう、今行く」
石蕗を振り返り、手を挙げた。
「そうだね。…ありがとう、お世話になりました」
石蕗は島と相原の使っていたベッドをさっさと片付け始めていたが、島の気配に振り向き…ニッコリ笑ってうなずき返したのだった。
彼女の姿は常に病院内にあった。
例えば走るチューブトレインの窓から垣間見える、いつもの景色。あるいはいつも行くコンビニエンスストアの店員、行きつけの喫茶店のウエィトレス。そんな程度の存在だと思っていたが、今回のように旅路に苛立ちを覚えるようになるとなぜか急にその姿を見たいと思う……
なんとなれば。
石蕗の姿が目の前にある時と言うのはいつも、「戦いが終わって旅から無事帰って来た時」だからなのである。
(…いい傾向じゃないな、そんなことを考えるなんて)
疲れてるんだ。
四葉のクローバーを鼻に近づけて、すうと息を吸った。
本物の緑の匂い。エアダクトから定期的に流れるヒーリングフレーバーより、ずっと気分が楽になる。
この緑を、あの碧い空を、俺たちは再び必ず、守る……
守らなくては、ならないのだ。
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