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<7. 蒼天>
数日後。
春の陽気は次第に明るさを増し、初夏の日射しが窓辺を心地良く照らすようになった。
すっかり身体の回復した艦長古代、副長の真田らが彼を見舞ったが、島の様子は変わらない。両親や弟の見舞いにも、微笑みはしても言葉を発することはしないという。
一度、粧子は島の病室から飛び出して来た古代進にぶつかった。あのヤマト艦長が、泣き腫らした目をしていた…… 見てはいけないものを見てしまったと思ったが、どうしようもなかった。
粧子は日に一度、彼の病室を掃除しに行く。
島は黙っていた。
粧子も、黙ったままだ。
時折、看護師たちの唇に乗る会話が気になった。
(……島さん、引退かしらね)
(そんな)
(だって、…あれじゃあ、もう)
その中には、島に恋をしているに違いないと見てとれる者もいた。オペ室担当の看護師のうち一人が、あまりのことに体調を崩し、休職しているとまで聞いた。
そんな噂が耳に入っているのかいないのか……粧子には、島が無理矢理すべての音を黙殺しようとしているように見えた。
入れ替わり立ち替わり、生き残った旧友たちが訪れて、彼を励ましたり、叱咤したりしていく。古代のように、来るたび泣いて帰る者もいた。……あの小さな弟が、気丈に笑いながら兄に話しかけている姿も見た。だが、島自身、自分の言葉が出ないことに次第に苛立ちを募らせているようにも見える。頑張ってくれと、そう言われることは彼にとって苦痛ではないだろうか……
そうこうするうち、また幾日かが過ぎた。
そしてそれは、珍しく見舞客のいない、ある昼下がりのことだった。
いつものように、午後のけだるい時間帯に掃除に訪れた粧子は、彼が病室に作り付けのクローゼットの中に首を突っ込んで、何か探しているのを見て固まった。
<……なにか、お探しですか?>
後ろから肩をぽんと叩かれて、島は振り向いた。
<お手伝いしましょうか>
島は困ったように首を振った。が、ふと彼の足元を見ると、クローゼットの前の床に靴、靴下…そして木綿の白いシャツが出してある……
<……着替えですか?>
なぜ外出着を…?だって……まだ、あなたは。
戸惑っていると、島はばつが悪そうに小さく咳払いをした。すい、と手を差し出す。話がある、そう言いたげだった。粧子は慌てて、島が指差した自分のポケットから、筆談用の小さなノートとペンを取り出した……
ズボンを、借りたいんですが
渡されたノートにそれだけ書くと、島は困ったような顔で粧子を見下ろした。
(外出用のズボンは…持っていない、ということ?…でも、だって)
どうしてこの人は外出しようとしているのか。そもそも外出許可など出るはずはない……それに、どうして私なんかにそんな頼み事をするんだろう……???
混乱したまま、だが粧子は訊き返していた……
<歩けるんですか?身体は?>
もちろん、というように島が頷いた。
男物のズボンなんて、私が持っているわけがない…が、ふと思い出した。院内にある患者の忘れ物保管室に、幾つもスラックスがぶら下がっていたことを。
<……ちょっと待っててください。取ってきます>
島さんの身長は178だから、それに見合うやつを拾ってくればいい。この病院では、戦死者の形見を探す遺族たちのために、落とし主の見つからない衣類でさえしつこく何年も取っておくのだ。
島が、部屋を飛び出そうとした粧子の肩を、腕を伸ばしてぽん、と叩いた。済まなさそうに、両手を併せる。……内緒にしてくださいというジェスチャー。
<はい>
どうしてこんなことになったんだろう…?
だが粧子は次第に焦り始めていた。
島は、外へ出たかったのだという。だが、そんなこと、まだ主治医の先生が許すはずがない。まして失語症を患っている身だ。
ところが今、その彼が病棟を抜け出すための手引きを、この自分がしている。なぜ?とか、それはまずいんじゃないでしょうか?などと自分が聞かなかった理由も、なんだかよくわからない………
だが、ここで立ち止まって込み入った話をしている余裕はなかった。見舞客を装って歩く島の先に立って、廊下の向こうに知った顔がいないかどうか見に走る。ナースの姿はなし。先生もいない。顔見知りのヘルパーもいない…第一、午後のこの時間には患者は担当者と共にトレーニングセンターへ行って何がしかのリハビリを受けたりしているのだった。
だがその一方で、誰かに見つかって引き止められることを願わないでもなかった……いいのかな、こんなことして。
それでも(大丈夫ですよ)と彼を手招きする。
島が、足早に寄って来た。ぎこちないが、随分体力は戻っているようだ。軽く息を切らしているが、彼は粧子と目が合うとニッコリ笑った。
(……!!) 笑ってくれた…
なんだか、とてつもないプレゼントをもらったような心持ちになって、粧子は狼狽える。彼の、「こうしたい」という願いを叶えてあげたい。
そうか、私は彼に、ただこんな風に笑って欲しかったのだ。
<外に出て、どうするんですか?>
脱走の片棒を担いだ手前、そのくらいは訊いておかねば…と思う。だが、島の答えを聞いて粧子はさらに狼狽えた。
——とりあえず、歩いて行きます。…ヤマトを、見に
(ヤマト?)
ヤマトって、防衛軍の港か地下ドックにあるんじゃないだろうか?
<……歩いて行ける距離なんですか?>
——わかりませんけど。
夕飯まで、17時までには極力戻ります。迷惑かけて、すみません。僕の勝手でやったことです。もしも訊かれて騒ぎになっても、あなたは「知らない」で通してください。
いえ、あの。
ここまで来て、急に「やっぱりなんとか引き止めなくちゃ駄目なんでは」と粧子が思ったその時には、2人は中央病院のエントランスを出ていた。
ありがとう。
軽く手を挙げ、まったく自然に……島は背を向けて歩き出す。
<あの>
あの。
雑踏に遠ざかる島の背中を、呆然と見つめた。
——駄目だ。
独りでなんか、行かせられない…!
訳の分からない使命感が、突如粧子の胸に湧き上がった。彼女は、前のめりに島を追って、雑踏の中へと駆け出していた。
* * *
その頃、案の定病室では大騒ぎになっていた……
毎日欠かさず島を見舞う古代進が、彼がどこにもいないことを発見し、青くなってナースセンターに駆け込んだのである。
古代の婚約者の森雪、科学局からは真田が、そして島の家族も慌ててやって来た。
古代が取り返しのつかないことをした、と言わんばかりに呻いた。
「……僕が来た時には、ベッドはもう冷たくて…」
律儀に畳まれたパジャマ。整えられた掛け布団。昼食の時には何の変化もなく、その後午睡している姿を看護師のひとりが見ている。
「……兄ちゃんのシャツがない」
狼狽える大人たちをよそに、だが次郎がクローゼットを開けてそう言った。「シャツは、退院する時着るようにってお母さんが置いて行ったものなの」そうだよね?と母親を振り返る。
「靴もない」島の父親が次郎の後ろからクローゼットを覗いて言った。
「大介は外へ出て行ったの?!」母親がさらに青くなる。「でも、あの子のズボンは置いてないのよ?そんな変な恰好で外へ出るかしら…いくらなんでも」
あの子ですもの、いくら…何かを思い詰めていたって…
その母親の一言で、病院内の捜索が決まる。
「僕がもっと早く来ていたら…!!」
そう頭を抱えて嘆いた古代に、雪が目を伏せて寄り添った。
お前のせいじゃない、というように、真田が古代の反対側の肩を叩く。
次郎が、そんな古代を見ていて口をへの字に曲げた。
「兄ちゃんは大丈夫だよ…!」
大人たちが皆、その声に驚いて顔を上げる。
「兄ちゃんは…帰って来るよ、すぐ帰って来る!」
小さな拳を握りしめ。次郎は繰り返した……
「兄ちゃんは、ぜったい約束やぶらない。僕に、帰って来るって言ったんだ。出航する前に、兄ちゃんは必ず帰って来るって…言ったんだ!!」
「次郎……」
今にも泣きそうな顔でそう繰り返す次郎に、母も父も古代たちも言うべき言葉が見つからなかった。
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