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<3. 粧子>
ヤマトが、ミッションを終えて還って来る。
その報せを聞く度、誰もが未来を与えられたような心持ちになり、世界は歓喜に包まれる。
戦い終えた戦士たちを迎え入れる病院内でも、もちろんそれは同じだった。たった今、生死の境にいる戦士も中にはいるに違いないが、地球が生き存えたのならそれら命懸けで戦った戦士達の未来もまた、約束されているようなものだからだ。
石蕗粧子にとっても、ヤマト生還の報せはいつも、例えようもない喜びであった。
機密を漏らさない人形のような世話係の役目を果たす代わりに、再び彼らに…会える。そう思えば、自分の自由にならない体も苦にならなかった。
自分は、人間としては屑のような身分だ。にもかかわらず「あのヤマトの乗組員達」と身近に接することが出来るのは、皮肉にも自分から言葉と音を奪った遊星爆弾のおかげだった。今となってはあの時の負傷に感謝すらしている粧子である…。
ヤマトクルー達の周囲には、常にハイクラスの女性達がいた。ことに、第一艦橋勤務のメインクルーともなればさらに別格だ。見舞いに来る女性のほとんどが、キリッとした制服を着て、あるいは白衣を羽織って、あるいは知的な看護師として病室を出入りする。テレビなどのメディア越しであれば、一体どれだけの女性達を虜にしているのかすら、定かではない。
片や自分は看護師でもなく、医師でも、まして軍人でもない。学歴は無いに等しいし、身寄りもなかった。日々の糧を得るのが精一杯の暮らしでは、身なりに必要以上に手間をかけることも出来ない。生え抜きのエリートであるヤマトの戦士達から見れば、人としても女としても、自分なんか取るに足りない存在だと言うことは十分承知している。
それでも、ヘルパーとしてリネンの交換や部屋の掃除、屑篭の取り替え、排泄の介助……そんなことであれ、粧子は彼らのそばに…いや、彼のそばに行けることが嬉しくて仕方がなかった。
彼。
見る度、忘れられない笑顔を見せてくれたあの人。
ヤマト副長のあの人。……島さん。
かつて一度だけ、島大介とは個人的な話を交わしたことがあった。彼は覚えていないかもしれないが、粧子にとってそれは、彼との距離が急に縮んだ印象的な出来事だった。
それは2202年の春、ヤマトが白色彗星帝国を撃ち破って帰還した、その後のことである……
特別室に隔離された島大介が、一般病棟に移されてきたのは、ヤマトが帰還してかなり経ってからだった。
それは、いつものように粧子が部屋を巡回し、掃除やら使用済みリネンの回収やらに勤しんでいたある昼下がりのことである。
ベッドで眠っているとばかり思っていた島大介が、目を開いていた。
カーテンをのけてすぐ、それに気付いた粧子は反射的に頭を下げた。
<失礼します。お部屋の掃除にまいりました>
胸のスクリプト・バーにはそう出ているはずだから、片手でそれを指差し、もう一度礼をする。
相部屋の患者(こちらもヤマトのトップクルー、通信士の相原である)は部屋から消えていた……彼の方が回復が早いため、抜け出してまたどこかへ油を売りに行っているのだろう。
島は、粧子の手振りに反応しなかった。ちらりとこちらを見たように思ったが、そのうつろな目はまた天井に視線を戻してしまったようだった。
(……あの快活な人が。今回は余程ひどいダメージを負ったのに違いないわ)
宇宙帰還兵のうち、半数以上が実はこんな風に長時間呆然自失する……それは病院関係者なら誰もが承知している当たり前の現象である。
ただ、前回ヤマトがイスカンダルから帰還したときには(その時の旅の方が数倍困難と言われていたにもかかわらず)島大介はこれほど憔悴してはいなかった。失われた人命は多かったが、彼について言えば比較的常に笑顔でいた…、と記憶していた。
(負傷が原因?)
そうとも考えられる。この度の戦いでは100人以上が乗り組んでいたにもかかわらず帰還したのはたったの19名だったから。
大勢の仲間の無惨な死に様を見てきた兵士は、多かれ少なかれ精神に異常を来す。加えて自分自身が負傷していれば、その心的外傷は容易に癒されるものではない……。
そっとしておこう、と思った。
本当は、何か一言でも励ましの言葉をかけてやりたかった。
だが、自分はセラピストでもカウンセラーでもない。今の彼に、何が励ましとなるのかさえ、分からないのだから。
すぐにその判断が正しいと分かった。
直後に誰か、親しい友人なのか親族なのか…彼の病室に短時間の見舞いがあった。見舞客は面会謝絶の札を無視してやってきて、善かれと思ったのか…島の枕元に真っ青な空の写真の入ったフォトフレームと、小さなクリスタルケースに入ったエアプラントの鉢を置いて行った。
しばらくして、粧子がコールボタンに呼ばれて彼の病室に入ると、どういうわけか美しい青空の写真、そしてエアプラントは枕元から押しやられ、床に置いてあったのだ。
島は、天井を眺めたまま粧子に何か言った。
「すみません…それ、片付けてもらってもいいですか」空気の振動が、そう聴こえた。
鉢とフレームは、枕元から落ちたものだとわかった。
頂き物に罪はないんですけどね。見ていたくなくて。
島は続けてそう呟いた……そこにいるのが、聾唖者の粧子だとは気付いていないようだった。
しゃがんで拾ったフレームや鉢には、落された時についたものなのか、傷が付いている。きっとこの青空や緑が、彼には何か辛いものを意味するのかもしれないな、と粧子は感じた。
<分かりました>
しかし、そう答えたのは胸のスクリプト・バーである。
粧子が無言なので、島は改めてこちらを見た……そして、自嘲するように笑いを漏らした。…そうか、あなたは…
粧子自身、この類の苦笑には何度も出会っている。
自分の境遇を嘆く患者は、ヘルパーの彼女が聾唖者であるのを見て、大体二通りに分かれた反応をするのだ……
(彼女のような人が頑張っているのだから、自分も頑張らなくては)
(彼女のような人を来させて、自分にこれ以上何を頑張れというのか)
前向きに自分を叱咤激励するか、憤るか。…である。
だが、どう思われようが、粧子は構わなかった。
自分よりも惨めな人間がいる——結局、「自分はまだマシだ」と思うことで、再出発できる人間は正直、とても多い。であれば、この私にも存在意義があるのだと、粧子はそう思っていたからである。
だが島は彼女から目を逸らし、突然口走った。
「……君は…強いね。…君みたいに、強く生きる方法を…教えて欲しいよ…」
「…?」
島がなんと言ったのか、粧子には分からなかった。そこで彼女は胸のバーを指差しながら答えた。
<おっしゃりたいことはあなたの身体に触らないと理解が出来ませんが、構いませんか>
そうしながら、右手の中指にセットされたデバイスを見せる。島は装置と彼女の顔とを見比べつつ、粧子の右手を躊躇いがちにそっと握った。
「あなたのように強く生きる方法を…僕は知りたい」
……失礼なこと言ってすみません。島は続けてそう呟いたが、粧子はそれよりも「強く生きる方法を知りたい」と言った島に驚いていた。
ヤマトのトップクルーであるはずの、それもつい先だって、あれほど強大な敵に勝利して帰還したこの人から、そんな言葉が出て来るとは。
だが、瞬時に思い直した。
戦いには勝って帰って来たが、失ったものも多過ぎたのだろう、と。
<……方法は、一つしかありません>
冷たい返事かもしれない。だが、粧子にはそれしか思い浮かばなかった。
どんな?と目を見開いて問い掛けた島に対し、彼女は床にあったフレームと鉢とを、持ち上げてみせた。
<…今あなたの置かれている状況を、受け容れること、だと思います>
島の表情が、わずかに歪んだ。
<それと>
粧子は慌てて付け加える。
<……忘れないこと、です>
……最初は、悲しくて仕方がないかもしれませんが。
<涙は、そのためにあるんですから>
スクリプトバーの、その言葉を目にした途端。島が大きく表情を変えた。
粧子は、慌てて背を向ける。しまった、と思った。
おそらくそれまで、彼は泣くことすら出来なかったのだろう。空気の振動で、背後の島が嗚咽を漏らしているのが分かった。
言葉と音を失ったという事実は、粧子にとって容易には受け容れられない出来事だった。同時に家も両親も失った彼女だが、結局はそれを受け容れることでしか、前には進めなかった。そして、その出来事に関わるすべてを忘れずにいることが、前進し続ける原動力となった。
…人間の目に宿る涙は、精神の耐え得る限界をさらに引き延ばし、それでも自分は大丈夫だと確認するために用意された『癒しの奇跡』なのだ…と粧子は思っている。
その出来事の後、彼女は島が、戦いで最愛の人を亡くしたのだと噂に聞いた。ただ亡くしたのではなく、戦士であるはずの彼自身が、恋人の命と引き換えに生き延びたのだという。
戦士として守るべきものを守れず、そればかりか…守られて、生き延びた。
その彼に、あんな事を言って…良かったのだろうか……?
受け容れること。
そして、忘れないこと。
そのために涙があるのだから。
あの状態の彼に対して、酷だったかなと反省もした。だが、自分の言ったことは…おそらく、間違いではない。だから、付け足したのだ。
彼が退院するあの日に。
<……生きてさえいれば、奇跡は本当に…起きることがありますよ>
……と。
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