Original Tales「碧」第二部(1)

 

 

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 蒼い床の上を滑る衣擦れの音。右へ…左へ、右へ…左へ、とめどなく……。
 テレザリアムの床は、一見して冷たく無機質でガラスのようだが、触ってみるとそうではないことが分かる。いまだかつて、客人がこの宮殿を訪れたことはないが、もしも誰かがこの城の床を裸足で歩いたらさぞかし驚くことだろう。その感触は、まるで温かな地熱を帯びた、大地の肥沃な土のようだからだ——
 しかし、テレサは今、その柔らかな床の弾力を感じて心和む余裕を持ち合わせていなかった。
(……予め伝えていたのに……)
 じっとしていられなくて、意味もなく部屋の中を歩き回る。
 
 宇宙の難所が3つある、と伝えていたにもかかわらず、ヤマトはその罠のうちすでに2つに落込んでしまい。
 テレサはいつになく苛立ちを抑えられない。
 今この瞬間にも再び彼らは、最後の難関であるバキューム鉱石が流れ飛ぶ、大流星帯に接近しているはずである。
 あの流星帯を横断すれば、どんな剛健な艦船でもエネルギーを消耗し、とても戦闘など出来ない状態になってしまう。彗星帝国の艦隊もそこを狙ってくるに違いないのだ。焦らず、隘路を迂回する途を採ってくれたら…。だが迂回するとすればどんな航路があるのだろうか、自分にもその提案は出来かねた。過去、テレザートを訪れる船は皆、別の航路をやって来た…しかし、その場所は今、彗星帝国の艦隊によって塞がれた回廊となっているのだ。
 流星帯の内部に働く不利な条件を、彼らに教えた方が良いのだろうか?それとも、彼らのことだからそんなことはとうに観測によって把握しているのかもしれない…
(私が一から十まで手引きしなくても、彼らにだって自らの活路を切り拓く力はあるはずだわ)

 心配し過ぎなのよ……。
 テレサは大きく溜め息を吐く。
 
 そもそも、あの船には、どんな人たちが乗っているのだろう?
 通常なら、大型の戦艦といえば、いかめしい武人の長がいて…その人が号令を下して船を進めているはずだ。だが、ヤマトはその土壇場での強さとは対照的に進路については何故かあやふやで、速度を上げたり落したり、進んだり迂回したりを繰り返しているのである。内部で分裂でもしているのかと危ぶむ程だ。この場所へ来ようとするのに、通信に出るのが航海長の島だけ、というのもおかしな話ではあった。一体、あの船の船長は誰なのだろう?不安の原因は、そうしたことにもあった。
 テレサは再び、溜め息をついた。
(船長が誰であれ…。無事に来てくれさえすれば)
 そう考え、はっとする。
 私が来て欲しいのは、ヤマト?それとも……
(…いやだわ…)
 先の通信からこっち、どうにも落ち着かない自分にすら、苛立っていた。一体どうしたというの、テレサ?

“テレサ、君は幾つなんだ?声から察すると、多分美しい人なんだろうなあ?”

 島の声が耳について離れない。

 ……私の年齢より、あなたの年齢が知りたい。私が美しいかどうかより、あなたの顔を…姿を見たい……
「…ああ、もう」思わず顔を手で覆い、首を振る。……頬が熱い。

 彼はその後、私の身体がどうとかと言っていたような気もする……。

 “身体はほっそりしていて…”

 ほっそりしているとどうだというのかしら…
 テレサはふたたび、頭を振った。私のことを知りたい、だなんて。
 変な人。それがどうして、こんなに…気になるの……?

 目的もなく歩き回るのを止めてみる。
 通信回路はずっとオープンにしたままだ。例によって、妨害電波のおかげで受信も送信も不可能だった。最後にヤマトの機影を捕捉したのは流星帯の向こう側だったが、彼らは本当に大丈夫だろうか。
 そう思った瞬間、AIが電子音で語りかけて来た——
<流星帯のこちら側で、大きなエネルギーの塊を観測……タキオンエネルギーと推測されます…>
「タキオンエネルギー?」
<……ヤマトが、波動砲を使用したようです……彗星帝国の艦隊が…ほぼ全滅した模様>
「まあ…!」
 またもや彼らは切り抜けたようだ。あの流星帯を突っ切ってきて尚、艦首の波動砲を撃てるだけの余力を残していたとは、流石である…
(……島さん。無事で…よかった)
 ヤマト、ではなく。
 …島の無事を安堵する自分がいた。

 もちろん…彗星帝国が悪で、地球が善だと単純に考えるのは愚かなことではある。テレサにとっては、そのどちらであれ…生命が傷ついたり喪われたりすること自体が悲しむべきことだった。あの残虐なゴーランドでさえ、犠牲になって然るべき命だとは彼女は思わない。
 だが誰か特定の人間の命が喪われなかったことに、これほどまでに安堵するとは。今まで感じたことのなかった感情に、テレサは狼狽えた……たった一人の男性のために、自分がこれほど心を乱され、その無事に一喜一憂するとは。

(…島さん。あなたと、本当に会えるのかしら…)

 それが、恋の始まりだったとは、彼女自身……思いもよらぬことだった——。

 

 

 



 テレザート空域に展開していたゴーランド・デスラー連合艦隊は、ゴーランドの敗北によりその半数が失われた。残るはデスラーの旗艦を中心とするガミラス空母艦隊のみである。テレザートの地表には彗星帝国ザバイバル将軍のヘルサーバー(大戦車機甲師団)が控えているとは言え、デスラーはヤマトをザバイバルの手に委ねるつもりなどまったくなかった。

「いささか、消極的すぎる作戦ではございませぬか、総統」
 タランが懸念を表明する。
 蛍だ。ゴーランド亡き後、戦闘空母を率いて前衛に躍り出たデスラー麾下のバンデベル将軍が展開した、宇宙バクテリアによる静かな浸蝕作戦である。だが、これはこれで見物だ。地球というふるさとを恋い慕う甘ちゃんどもに、一時の夢を見せてやるのも悪くない。
「ふっふっふ…私は情緒的な作戦だと思うがね、タラン」
 いずれにせよ、ヤマトに短時間でくたばってもらうわけにはいかないのだ。じわじわと締め上げ、嬲り、ゆっくりと息の根を止めてやらなくてはならない…優雅にその瞬間(とき)を待つには相応しい幕開けとも言えよう。 
 ガミラス総統は、口の端に薄く笑みを浮かべ、漆黒の闇に乱れ翔ぶ宇宙バクテリアの仄かな無数の光をじっと眺めた。
 



「……あれは…浸蝕性のバクテリア…?」
 テレザリアムでも、AIの測定器が宇宙バクテリアの人為的な発生を捉えていた。こんなものが取り付いたら、ヤマトはそうと気づかぬうちに浸蝕されてしまうのではないか…?
 胸騒ぎがする。
 ゴーランドが発していた妨害電波は彼の艦隊の滅亡以来途絶えてなくなった。現在はいつでも、ヤマトと交信が可能なのだ。ただ、テレサはなぜかヤマトに連絡を入れることを躊躇していた。
(……バクテリアの発生程度なら。彼らはものともしないでしょう…)
 正直に言ってしまえば、島と話をするのがほんの少し、恥ずかしかったのだ。だが、奇妙な宇宙バクテリアの存在が彼女を不安にさせた。少しでも早く、彼らを導いた方がいい…
「……私はテレサ。…テレザートのテレサ…。ヤマト、応答してください」
 通信機の前で、浅く両手を組み、祈りを翔ばす…
 ややあって、あの声が答えた。
<…こちら島!…こちら、島です>
 お願い。…余計なことは、言わないで。……胸が苦しくなりそうだから……。
<ああ、今日は聞き易いなあ!テレサ、言いたいことを存分に伝えてください>
 島が嬉しそうに言う。


 言いたいことって言われても。


 テレサは頬がかっと熱くなるのを感じた。
「…航路の指定をします。テレザート星はそこから18万8千宇宙キロ、2時の方向…上下角プラスマイナス2度。…航路障害物、小惑星1…」
<いやあ、どうもありがとう!ヤマト、全速でそちらへ向います!>
 ええ、全速で。早くいらしてください…
 そんな風に答えようと考え、言い淀み。しかし何も言えぬままテレサは思わず通信回線をシャットダウンしてしまった。


(………何してるの…私ったら…)


 事務的な連絡だけをしてさっさと通信を切ってしまった自分が、ヤマトで「ちぇ、意外にせっかちだなあ彼女は…」と笑われているなどとは、思いもしないテレサだった。

 

 

 



 しかし、自分が伝えた航路障害物、つまり大きな竹輪のような空洞惑星内部に、バクテリアによる浸蝕部分の修理のため入ったヤマトが、間一髪デスラー砲の餌食から逃れたのをキャッチするに至って。
 テレサは少しだけ反省したのだった。


 恥ずかしがっている場合ではないわ。

 ヤマトを狙っているのは、彗星帝国の後ろ盾を得た、稀代の武将と名高いガミラス総統デスラーの艦隊だ。バクテリアや空洞惑星の包囲など、かの傑物にとってはきっとほんの小手調べにすぎない…彼らはこれから猛攻撃を仕掛けて来るに違いない。


 ところが、奇跡が起きた。


 船体をバクテリアに浸蝕された状態で波動砲を逆噴射させたため、どう見ても満身創痍、形勢不利なヤマトを放り出したまま……
 デスラー艦隊が撤退を始めたのだ。
 反転する数十のガミラス戦艦をディスプレイに捉え、テレサはただ驚くばかりだった。一体、どういうことだろう…?
 デスラーの身に何が起きたのかは、知る術はない。しかし、ヤマトが難を逃れたのは事実だった。


 この星へ、ヤマトを導く必然性はもはやすでにないといっていい。敵艦隊によるジャミングは消え、彼らを付け狙う者は立ち去った。一刻も早く、通信で彗星についての全てを伝え、それに立ち向かい備えるよう導く方が理にかなっている…。
 頭でそう理解してはいても、もはやテレサの頭には「彼らと会わずにおく」という選択肢は浮かばなかった。


(会いたい。…島さん、私……あなたに、会いたい)



ヤマトは、ついにテレザート星が目視できる距離にまで到達した。
               

 


                 

                (宇宙戦艦ヤマト2 10話〜12話)

 

 

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