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「は?何かおっしゃいましたか?」
つい、声に出してしまったらしい。吉崎が呼び掛けられたのだと勘違いし、振り返ってそう訊ねた。
「いや、独り言だ。声がでかくてすまん」
「…何か、ご家族のことで気にかかることでも?」
島は苦笑して再び頭を振った。吉崎は、「ご家族」の所でにやりと笑った。弟さん、とは言わない所が小憎らしい…彼は賢く、非常に気のつく男だが、感が良すぎる。いくら洞察力が鋭くてもプライベートの詮索まではしないでよろしい…いや。俺が…鈍感なだけなんだろうか。
(…あいつももう、18だったな…)
次郎の歳には、自分は人類存亡計画の一端を担い、火星で特殊訓練に明け暮れ……そしてヤマトに乗り組んだ。あのイスカンダルへの航海では、人間として否応なく急激な成長を求められた…まだ18だから、という年齢ゆえの甘えなど、まったく許されなかった。だから、この平和な時代に当たり前の18歳、という精神世界を享受している弟を見ると羨ましい一方、自分たちがいかに無理矢理大人になってしまったか…を痛感する。しかも。戦闘に次ぐ戦闘、という異常な世界で成人し…20歳でテレサに運命的な恋をした挙げ句、彼女を夢の中で喪い。——そのまま自分の時間は止まってしまったも同然だった。
精神的には、なんと偏った成長を遂げたんだろう、と思う。
当たり前の平和の中で、愛だとか家族だとか、それを最も大事なことだと感じている次郎の方が余程…正常だ。
(しかしな。だからといって、今の俺にこれ以上何が出来る…?)
上官の手がまたしても止まっているのを、副官は見逃さなかった。思案顔でコンソールパネルの縁に手を置いたまま溜め息を吐いた島の手元では、月軌道上で待機する<昇竜>の自律航法システム<アルゴノーツ>が管制官の返答を要請し、しかし何も得られないために待機状態を余儀なくされ、エラーを示す赤ランプを点灯させていた。
「…副司令。休まれた方がいいようですね」
「…えっ」
吉崎に肩を押され、島は我に返った。視線を手元に落すと、あろうことか操作の基本的ミスを見逃したまま、ぼうっとしていたようだ。
「休息が必要な状態では、稼働を許可できません。後は私にお任せください」
「……吉崎」
参ったな。
吉崎の口調は、普段自分が下士官たちに休息の必要を説くときの、それと同じだった。親切心ではない。任務に支障をきたすことを懸念し、それがために休息を促す。穏やかに微笑みながらも吉崎の目がそう言っているのを感じ、島は笑い出した。
「…了解。申し訳ないが、それじゃあ後はよろしく頼む。…ありがとう」
「Not at all」
短くそう言うと、吉崎はくわえ煙草の口の端で、にやっと笑い返した。
* * *
日本自治州のシティ・トーキョーは、ガミラスの遊星爆弾攻撃による損害が最も少なかった大都市の一つであった。そのため、2200年以来この都市が、地球連邦の首都、および地球防衛軍総司令本部の拠点となっている。
アメリカ自治州、ユーロ自治州、アジア自治州、ロシア自治州など、その他の往年の列強諸国の首都も、人口の分布や商業に関して言えば巨大な地方都市ではあったが、いまや日本自治州のシティ・トーキョーに世界の中枢が結集する形となっている。大統領官邸をはじめ、世界の経済を動かす巨大コンピュータ<ウォール・ストリート>もこの都市に置かれていた。
メガロポリス・セントラル・ステーション。シティ・トーキョーの南部にある、チューブ・トレインの駅。小さな日本の、地上交通網の拠点である。島の実家も、この駅からほど近い高級住宅地にあった。
そこは大昔には都心のただ中にあった、大きな公園だったという場所で、今でも優先的に緑化計画実施の筆頭に上げられる地区である。暮れ泥む街のベルトウェイ。住宅街に向かって歩いているサラリーマンたちに混じって、次郎も俯き気味に歩を進めていた。
休暇をもっととれ、だなんて。自分が兄に言ったことは、最初から無茶だと分かっていたことだった。あの基地に足を踏み入れて、改めてそれがわかった……だが、言わずにはいられなかったのだ。
淋しい……
傍にいて……
その切ないまでの義姉の思いは、放っておいても兄には届かない。かといって、こんな方法で自分が兄にぶちまけても、彼女はきっと…喜びはしないだろう。
(ちぇっ……)
立ち止まっても、ゆっくりと動くベルトウェイが身体を前へ進めてくれる。人口が少ない街は、夕方のラッシュといっても人と人とがぶつかり合うほどではなかった。立ち止まった自分の後ろから、舌打ちして追い抜いて行くサラリーマンを珍し気に見送って、次郎はそのまま立ち止まり続けた……これから、どうしよう?
ひどく気が滅入っていた。兄と仲違いしたから、ではない……
これほどまでに。
これほどまでに、テレサを好きだと感じてしまう自分に、滅入っていたのだ。
(俺……兄貴に嫉妬してるんだろうか)
頭を思い切り振った。何がなんだかわからなかった。こんな幼稚な感情のまま、義姉に会うのはいたたまれない……しかしその反面、彼女の笑顔が見たくて、たまらなくなる。
「……う…がああああー!!」
いきなり意味不明の雄叫びをあげて、次郎は駆け出した。
畜生!!
前を歩いていたサラリーマンやOLたちが、ぎょっとして頭のおかしい学生のために道を明けた。等間隔に街を照らし出す青色の街灯と、その先の丘に降る星明かりの下を、次郎は叫びながら疾走した。
*
「お茶の葉が…無くなってしまったみたいです」
気がつかなくてすみません、と謝るテレサに、小枝子は笑いながら言った。「いいのよ、あたしが買うの忘れたの…じゃあ、今晩は久しぶりに大介のコーヒーでも頂いちゃいましょうか」
「島さんの…」
島家の中で、コーヒーを日常的に飲むのは大介一人だった。父康祐は日本茶党だったし、小枝子や次郎は、飲むとしてもインスタントで充分だと思っているが、大介だけは豆から挽いた好みのブレンドでなければ口をつけない。
「まーったく、オリジナルブレンドでなきゃ飲まないなんて、……贅沢よねえ」
ヤマトの中では一体どうしていたのかしら、あの子。コーヒー豆なんか積んでいなかったでしょうに。それとも、ヤマトにはなんでもあったのかしら、ねえ?
テレサは、ガルマン・ガミラスからの帰途、何度か島が自分にもコーヒーをいれてくれたことを思い出す。
「……ポセイドンでは、美味しいコーヒーをごちそうしてくださいましたわ」
「まあ、そうなの…あれは大きな輸送艦だったからねえ」出発前から贅沢に造られていたもの…。小枝子はさもありなん、というように頷く。
キッチンに向かい、大介専用のコーヒーサーバーをセットしながら、テレサは懐かしいその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。——途端に、どういうわけか目頭が熱くなる。
(いやだ……また)
こんなに幸せな毎日なのに、なぜ? 私……どうかしてるわ。
天井をさっと振り仰ぎ、まさかの落涙を寸での所で押しとどめた。
(あれ……)次郎は鼻をひくつかせ、はてなと思った。
玄関のオートドアを開けた瞬間、ふわりと香るコーヒーの匂い。兄が帰宅した時くらいにしかしない香りが、玄関にまで漂って来る…
「あら、お帰り、次郎」
リビングのソファでカップを片手に小枝子が一人、くつろいだ様子で次郎を出迎えた。ホログラムテレヴィジョンが、バラエティ番組を賑やかに放映している。くるりとリビングを見回したが、母は独りのようだった。
「…テレサなら、あっちへ帰ってるわよ?それより、今日はどうしたの、こんなに遅くなるなんて」
「あ、ほんとだ…」
リビングの時計を見て、改めて驚く。房総の友達の家まで行ってたからさ。——行き先は近いが友達に会いに行ったのではない。半分ウソをつきながら、次郎は笑った。
「なんでコーヒーなんか飲んでんのさ」
兄ちゃんのだろ、勝手に使うと怒られるぜ。
「だって、お茶っぱが切れてしまったんだもの」母は苦笑した。「テレサとこれを開けて、飲んでたら……なんだか淋しそうにして、もう寝るって…あっちへ戻っちゃったの。……最近、あの子、元気ないのよ。具合が悪いわけじゃなくて精神的なものなんだろうけど。気晴らしにどこかに連れて行ってあげたいけど、そうも行かないしねえ…」
この家にずうっと閉じ込められているんだもの…。精神的に苦しくなっても無理ないわね、きっと。
そう言って、小枝子はふうと溜め息を吐いた。
「……もう1年になるものね。テレサが家に来てから」
その間ずっと、テレサはこの家の敷地から外へ出たことがないのだ。それは仕方のないこととはいえ。
うん、そうだね……と次郎は曖昧な返事をし、母を残して二階の自室へ向かう。
お夕飯は?
外で食べた…
……それもウソだった。
こんな香りをテレサに嗅がせてさ。母さんも…空気読めよな…。
自室の窓から見える、兄とテレサの新居。その窓のどれからも、見える限り灯りは漏れていなかった。本当にもう寝てしまったんだろうか。
そんなことを考えながら、次郎は自室の壁を見上げた——壁には、贔屓のポップス歌手のポスターに混じって、この家の歴史の象徴、ともいうべき写真の数々が貼られていた。
家族の写真を壁に貼るのは珍しいことではない。外宇宙からの侵略が続いた5年戦争の間、人々は家族の写真を皆肌身離さず持って生活していたのだ。それはもちろん、宇宙からの攻撃に焼かれ散り散りになった家族が再び出会うためである。立体ホログラム映像の入ったデータのメモリチップを携帯していても、焼け野原ではそれを再生できるデバイスもない。行方不明になった家族の安否を収容所や病院へ問い合わせるための資料として、アナログな紙焼きの顔写真は必要不可欠だった。
当時幼かった次郎も万一に備え、家族の一人一人の写真と、皆が集合して撮った記念写真を市民IDと一緒に携行していた。平時の今は、それはこの部屋の壁にあの“5年戦争”を生き延びた記念として、貼り付けてあったのだ。
壁に微笑む父も母も、そして兄の大介も、今よりずっと若い。ことに兄は、輝くような瞳をしていた。縁が折れ曲がり、いい加減くたびれた写真に写っているのは、29万6千光年の旅に出掛ける直前の兄と、その旅から帰還した直後の兄。
自信に満ちたこの兄の笑顔を、幼い次郎は憧れの眼差しで見つめたものだった。イスカンダルへの出発の日、自分たちに向かって敬礼するその姿はカッコイイのひと言に尽きたし、兄がヤマトをその手で駆り、栄光に満ちた勝利へと幾度も地球を導いたことが、次郎にとってはこの上ない誇りだった……。
(ちぇっ……やっぱり、兄貴は格好いいよな)
今日見た兄も、多忙な任務に少々疲れを見せてはいたが、その峻厳な姿は色褪せてはいなかった。
…軍隊なんて、所詮は人殺しの勉強をする所じゃないか。
成長してそんな風に否定的に感じることも多くなった次郎だが、兄はやはり兄だった……この写真の中で、自信に満ちた目をしている、稀代の戦艦パイロット・島大介。
「よし…」
画鋲を手早くはずし、兄の写真だけを集める。中には雑誌の切り抜きもあった。古代さんや雪さんと一緒に写っているのも。輝くような、自信に満ちあふれた眼差しは今でも健在だ。集めた写真を持って、次郎は階下に降りた。
リビングでは、母がテレビのバラエティを見て笑っていた。父は出張で居ない。なんだか悪いことをしようとしているみたいで、つい抜き足差し足になる……次郎はこっそり、テレサのいるはずの離れに向かった。