Original Story 「DISTANCE」(1)

「しまじろうの  おねえさんといっしょ」


 
実は、もとはこのSS、マジでホントにこのタイトルだった(笑)。
 
 それから、ユキちゃんと古代クンは、結婚してますけども夫婦別姓です。別姓が当たり前の時代かも。
 「NOCTURN」の続き、っちゃあ続きです。

 

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「はい、今回はこれで終わりよ」

 森雪がにっこり微笑んだ。彼女の傍らには、コンパクトな医療用の機器が幾つか並んでいる。「来月からは、月に1回でいいだろうって佐渡先生も言ってらっしゃるわ」
「じゃあ、雪さんも月に一度しか…いらっしゃらないの?」
「え?ああ、ううん、そんなことないけど……そうね…」
 困ったような顔の雪に会釈して。テレサはまくり上げていた左袖を下ろしながら、いいんです、気にしないでください、と淋しそうに付け足した。



 島大介の実家の、ここは一階の和室。
 大介の母小枝子が、雪をテレサの診察のために通すのは、決まってこの和室である。定期検診をかねて、毎回採血が行われる……テレサの身体は、常識では考えられない体質変化を経ているからだった。健康管理だけではなく研究のためもあり、採血量は通常の献血よりもかなり多い。畳の上に敷いた一組の布団の上で、テレサはしばらく横になっているよう、雪に言われていた。

 森雪は、ガルマン・ガミラスへの旅から帰還した後、一人息子の守を出産し、再び防衛軍中央病院勤務に復帰していた。さすがに司令長官秘書のポジションは産休明けの身体にはきつかった。だが、佐渡のサポートをしつつ、テレサの担当看護師という、長官特命の極秘任務に就いている分には、それほど体力的に厳しくはない。ことに、この家へ担当患者の訪問看護に訪れる場合は、息子を連れていてもかまわないということもあり、雪はちょくちょく島家を訪れる。
 診察の間、1歳になるかならないかの守を、小枝子がリビングであやしていた。しょっちゅう会う小枝子に守もよくなつき、雪の姿が見えなくても終始ご機嫌である。守ちゃん、守ちゃん…と島の母が連呼するのを聞いて、雪は時々複雑な思いに駆られる……


 「守」。夫、進の兄。


 もう8年以上も前に殉職した地球防衛軍司令本部参謀総長。そして自分の上司でもあった人の名だ。
 子どもの名前を、男の子だったら「守」にしたい、と言ったのは雪である。反対に、女の子だったら「澪」にするぞ、というのが進の要望だった。はたして、生まれて来たのは男の子。
 自分で「守」と呼び掛ける分には違和感はないが、他人からちゃん付けで呼ばれる事を想定していなかった。だから、「守ちゃん」と呼び掛けられているのが古代守参謀のような気がして、つい雪は笑いそうになってしまうのだ。



「おばさま、どうもありがとうございました…!」
 和室の襖をすらりと開けて、雪が顔を出すと、広いリビングの向こうからキャッキャッと笑う声がして、ぱたぱたと守がこちらへ来るのが見えた……なんとまあ、速いハイハイなのだろう!
「あら、ママお仕事終りましたか〜〜?」
 小枝子が守を追いかけて、同じように四つん這いでこちらへ来ようとしたので、雪は思わず苦笑した。
「あいたたた、腰が痛くなっちゃうわ…」
 と、笑いながら立ち上がる。小枝子は2人の男の子を育てた母親だけあって、雪の母とは守への接し方がまるで違う。

「んまあ、やっぱり男の子は固いわね…!」
 雪の母親は、産まれたばかりの守を初めて抱くや否や、そう言って目を丸くした…女の子は抱くとふんわり柔らかいのだそうだが、男の子は骨張っていてずっしり重い、というのだ。
 だが雪は、あいにく男の子しか知らない。固いとか、重い、と言われるのはなんだか気分が悪かった。そして、赤ん坊とは言え、男の子と女の子とでは動作も泣き声もまったく違うらしい。守が這い始めた頃には、雪の母はついに音を上げてこう言った……「なんて暴れんぼさんなんでしょ!!」


 母のその感想は、悪気があって言っているわけではないし、文句…というほどのものでもないのだろう、それは理解できる。母は、はじめて体験する異性の赤ん坊に、純粋に驚嘆しているにすぎなかった。だが、産後疲れもあるのか、その一言一句が気に障る。あの様子では、何かあってもママに守を預けて出掛ける事なんて絶対無理だわ、と雪は思うのだった。



 そこへいくと、島の母に守を預ける…というのは、もしかしたらよほど現実的なのかもしれない。
 そこら中のものを拾っては口に入れる、拾ったものを投げる、振り回す、千切って捨てる…などなど、雪の母であればお手上げになるに違いない守の行動も、小枝子はニコニコしながら嬉しそうに見守り、感嘆の声で受けとめる…男の子というのは、じっと座って遊んだりしない。それを島の母はよく知っているからだ。
 たった今も、守はなにやらごみの袋のようなもので遊んでいる……よく見れば中にはボックスティッシュがいっぱい詰まっており。小さな暴君はそれを、放り投げたり抱きしめたりしている。

「こ…これ、守、ティッシュを全部箱から出しちゃったんですか…!?」 ぎょっとして謝る雪に小枝子は、かまわないのよ!と首を振り、あろうことかこんな風に言った…
「一枚一枚、ていねーいに出してたわよ。戻すのも面倒だから、ボールにしちゃったの。守ちゃんは探究心が旺盛なのよね!」

 ああ、もったいない…なんてことを。島の母の対応にも呆れるが、同時に一瞬、自宅でこれが許されると思われては敵わない、という思いが雪の頭をよぎる……
 ハっと気付いて思わず、慌ててリビング中を見回す。
 守が無駄にしたものは、ボックスティッシュ1箱と…他になんだろう?!
 小枝子は守のために、赤ちゃん用のオモチャを幾つか用意してくれていたし、雪も守お気に入りのオモチャを毎度持参する…しかし、彼は決まって、この家のリビングや廊下や玄関にある実用品を欲しがるのである。
(……いやーん……)
 リビングの隅に、廊下から運ばれたのであろうスリッパの山。似たような山が、少し離れたソファの上にも出来ていた。
「守ちゃんは、やっぱり射撃の名手なのかしらねー」
 と、小枝子は声を立てて笑った。
 守は、スリッパを一つずつソファ目がけて放り。それも一ヶ所を狙って乗せていた……のだそうだ。
 お父さん譲りねー、さすがねー…と目尻を下げる島の母に、雪は力なく笑った。
「…ホントにすみません…」
 足に履くものを投げるなんて…それもソファの上に…。

 叱るより褒める。それが子どもの能力を伸ばす、それは分かっているが、叱るべきときは叱らないと。

 だがそれが“おばあちゃん”の役目ではなく“母親”の役目だということが、実の母親との関係の中であればこれほどはっきりとは理解できなかったに違いない。相手が島の母だからこそ、「甘やかし褒めそやす」のは“おばあちゃん”であって、自分が母親として要所をきっちり締めればいいのだ、と割り切れた。
 こら、守だめよ!ものを投げちゃいけませんって言ったでしょう!
 怖い顔をしてめっ!と睨む。
「あらあらそうね。おばちゃんも同罪だわ…! でもね、昔に戻ったみたいで私も楽しいの。こっちこそお礼を言わなくちゃ」
 小枝子はくすくす笑いながらそう言った。「…やっぱり大介とは違うわね…守ちゃんて、遊び方がダイナミックなの。どっちかと言うと、次郎がこんなだったわ」
「そうなんですか?」

 島くんがこんなに小さかった時の事なんて……。
 おばさまからそれを聞き出したら、きっとあの人、怒るわね。——雪はそう思いつつも、聞いてみたい誘惑に駆られる。想像しただけで吹き出しそうだった。外面は冷静沈着、クールで穏やか、と評判の高い島大介だが、雪は彼の意外な一面を良く知っているからだ。
「うふふふ…」
「あはは…」
 二人は顔を見合わせて笑い合う。

 



 いつからそこにいたのだろうか…その様子を、和室の入口からテレサが見つめていた。
「あら、大丈夫?テレサ…?」
 小枝子がそれに気づき、心配するように歩み寄った。「毎回かなりの量を採血するんでしょう…?まだ寝ていた方が」
「…いいえ」
 微笑んでテレサは首を振った。


 テレサは、ふすまを少し開けて和室側の柱に座ったままよりかかり、目を細めて小さな守を眺めていた。守の一挙一動を見守る彼女の表情は優しく、頬には笑みが浮かんでいる。だが、テレサは守に手を差し伸べようとはしない。何となれば、以前、小枝子が守をテレサに抱かせようとしたところ、火がついたように泣き出した事があるからだった。
 脳の成長の過程でかならず通過する「人見知り」という現象なのだ、と雪も小枝子も慌てて説明したが、テレサは「拒絶された」と思ってしまったらしい。それ以降、彼女は守がやってきても、遠巻きに見ているだけで近寄ろうとはしなくなってしまった。

 雪はこのテレサの様子にも引っかかるものをずっと感じていた。小枝子がまるで守を孫のように思っている事も、テレサの身になって考えると良いことなのかどうか、判断に迷う。

 小枝子は、しばらく前に雪にそっと訊ねた事がある。



「……うちには孫は…できるかしら…?どう思う…?雪さん」


 
 雪はその問いには答えられなかった。

 テレサは異星人である。外見は地球人類と何ら変わらないが、身体構造のいくつか、内臓機能のいくらかが、やはり異なっているのだった。ことに、生殖機能についてはいまだ未知の部分が多すぎる。今の所、判明しているのは血液とその循環機能の8割程度にすぎなかった。
 小枝子が、大介とテレサに子どもが出来るよう願っている事は理解できる。それが、ごく当たり前の母親の願いだ。
 しかし、雪にはなんとも応えられなかった。異星人間ベイビーの実績としては、過去に古代守とイスカンダルのスターシアの間に、確かに子どもがいた……だが、スターシアとテレサとは、互いにまた異なる恒星系の異星人である。スターシアに可能であったからといって、テレサにも可能であるとは限らない。

 雪の連れて来る小さな守を、小枝子が可愛がる様を見て、テレサはどう思っているのだろう。
(…自分に赤ちゃんが出来ない事を、引け目に感じていなければいいのだけれど…)
 雪の懸念はその一点に尽きた。生殖機能が分からないまま妊娠するような危険は避けるよう、大介もテレサも佐渡から厳重に言い渡されているはずだ。小枝子はそれを知ってか知らずか、二人に向かって「子どもはまだか」というような迂闊な催促はしない。しかし、守を見ていると、否が応でも「孫」に憧れを抱いてしまうものらしい…。
 とりあえず、次に来るときは守を置いて来よう、と雪は決心した。小枝子には悪いが、やはりテレサの精神衛生を優先に考えなくては。


(小枝子おばさまには、ご自分の好きな時に守に会いに来て頂けるけど…、でもテレサは…。このお家の敷地からは、絶対出られないのだから)

 

 

 

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