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「…島くんの探索艇だわ!!」
雪がコスモレーダーに映る、島の探索艇の機影を捉えた。
出航時間は大幅に遅れている。つい30秒ほど前、仕方なく古代が補助エンジン動力をメインに接続するよう、徳川に命じた所だった。
古代はずっと張りつめていた気持ちを、溜め息とともに解放した……「ほら見ろ!絶対あいつは戻って来るって言っただろ!」
格納庫に島を出迎えに行った古代は、探索艇のタラップを降りて来る蒼と金の美しい姿に目を奪われた。だが、島の傍らに佇むその姿に息を飲んでいたのは古代だけではない。島を出迎えて慰めようと思っていた者たち、野次ろうと待ち構えていた者たちまでが全員、唖然としてテレサの姿に見とれていた。
「…そ…そうだったのか、良かったなあ、島!!」ようやくのことで、古代がそう言った。
半ば照れくさそうに、半ば得意げに。
島が古代の差し出した手をがしっと握る。
「ヤマト艦内で結婚式第一号ってのも悪くないぜ」
「ばか」
古代の胸をゲンコツで度突く振りをして、島は笑った。(そんなの、雪に聞かれたらお前、ことだぞ…)そう思ったことは伏せておく。
「さあ、みんなお前を待ってたんだ。第一艦橋へ行って、出航の指揮を執ってくれ!」
島は古代に頷いて、ついで…テレサを振り返る。
——テレサはにっこり微笑んだ。…島の笑顔に応えるように。
満面の笑みを浮かべ、踵を返して格納庫から走り出て行った島の後ろ姿を、…テレサは笑顔で見守った。
うひょ〜〜、とどよめきが起きる。野次馬たちが、二人のアイコンタクトを見て嫉妬と羨望に雄叫びを上げているのだ。
「こらあっ!!何をしてるんだ!全員早く部署に戻れっ!!」
鼻の下を伸ばした集団を、古代が一喝する。野次馬たちは、蜘蛛の子を散らすように退散した。
テレサは改めて周囲を見回した。
……ヤマトの下部、…おそらくここは、格納庫。見上げれば段状に連なるハンガーに頭上高く天井までびっしりと、同じ色の塗装の戦闘機が並んでいる。島が操縦して来た上陸用探索艇は、整備員と思しき男たちの手で移動させられていった。ある者は戦闘機の傍へ梯子を伝って登り、ある者は管制室へ引っ込んだが、そのすべての意識が未だ自分に集中しているのをテレサは無視することが出来なかった。
“すっげえ…イスカンダルのスターシアみてえだ…”
“あーあ、航海長にはもったいねえなあ”
“女〜〜女〜〜〜”
剥き出しの好奇心と無遠慮な欲望。…それは、まあ…しかたない。耳を塞いでしまえば済むことだ。しかし同時に、聞こえて来る男たちの思念の中に、強い期待が込められているのが感じられる…。
“ここへ来た、ってことは、やっぱり味方になってくれたんだな。うまくやってくれたぜ、航海長!”
“…勝てるよ、俺たち!勝利の女神様だもん”
“一体…どんなパワーを見せてくれるんだ…!?”
両手を胸元でぐっと握りしめる。
(島さん…あなたが“戦わなくてもいい”と言ってくださっても。…やはり、そうは……いかないのよ……)
この船に、自分の居場所はない。
——テレサは悲し気に笑みを浮かべた。
「いやあ、すみません。むさ苦しいところで…。さあ、上にご案内しましょう」
格納庫の外へ他の乗組員を追っ払い、古代が傍へ戻って来た。「…荷物は…ないんですか?」
テレサは頷いた。持って出たのは、……決意だけだったから。
——貴賓室を用意させたので、そちらにいてもらう形になります。この船は男ばっかりなんですが、幸い一人だけ女性がいましてね。あなたのお世話は彼女に任せられると思っています、安心してくださいね。
喋っていないと間が持たないと思うのか、古代は盛んに話しかけて来るのだった。
艦内の通路はゆっくりと動いている。床がベルト状の走路になっているのだ。格納庫から、船体中央のエレベーターを昇ると、…艦橋。貴賓室はその下層に位置する居住区画にあるようだ…
一通り説明を終えた古代が、改めてこちらに向き直った。
「テレサ、…本当にありがとう。実はあのまま、…島は帰って来ないんじゃないかと思っていました。…それほどあいつは…」
古代は、心底ほっとしているようだった。
古代さん。…艦長代理。…今のヤマトを指揮する立場の人。その古代さんが、島さんを…これほど必要としている。島を連れて帰ってくれて、本当に助かった。古代が心からそう思っているのが強く伝わって来る。
——立ち止まっていても進むベルトウェイ。ここで決断しなければ、自分の心もまた…流されて望まぬ方向へ行ってしまう。機を逸すれば、それだけ深く苦しむことになるばかりだ。
「……これで、私のして差し上げられることは…終りました」
「えっ?」
耳を疑うように問いかける古代の目を、テレサはまっすぐに見据えた。
「やはり私は、テレザートに…残ります」
「し…しかし…、あと3日で白色彗星はここへ」
「…大丈夫です。私にはもう…怖いものはありません」
6メートルおきに設置されている小さな舷窓から、緑色の星が垣間見えた。ベルトウェイはゆっくりと舷窓をまたひとつ、通り過ぎる——
「…それに、ここにはまだ……しなければならないことが残されています。それはきっと…宇宙全体にとっても必要なことなのです」
古代は動揺している。半分は本当にテレサの身を案じ。そして半分は、島を思って混乱しているようだった。
ベルトウェイが、小さなホールで途切れる。ホールの左側には外部へ通ずる非常用エアロックが、そして反対側にはエレベーターホールに通ずるオートドアがあった。
「テレサ、…じゃあ…あなたは最初からこのために…!?」
古代は、テレサの悲し気な視線を受けて口籠った。
島を…ここへ連れて戻るために…あなたは悲しい嘘を吐いた……?
でもテレサ…、戻ってどうするんです?そうだ、あなたは一体何をするつもりなんですか……!?
古代の脳裏に、矢継ぎ早に色々な疑問が浮かんでは消えるのが感じられる……。まるで小さな花火のようだ。
——古代さん…あなたはやはり…島さんと似ているわね…。優しくて…情け深い…稀有な人。
「心配しないで。島さんがあんなに温かな胸で私を勇気づけてくれたのですもの……誰にも負けはしません」
古代が目を見はった。
口元が開き、何かを問いかけようとする。
その時、島の声が不意に響いた……艦内放送だった。
<全艦、発進3分前>
その声のトーンは朗らかで、今この瞬間に愛する人が船から出て行こうとしていることなど、予想だにしていない。
(それじゃあんまり島が)
そう思ったのか、古代はテレサを引き止めようとした…「テレサ、島にもう一度だけ」
「いいえ…帰ります。きっと…島さんも分かってくださいます」
哀願する古代から目を逸らし、テレサはホールの端へ歩いて行った。 舷側に設えられたエアロックを、ついと見上げる。
「……私が外へ出たら、ハッチを閉めて下さい」
「ちょ…ちょっと待ってください、テレサ!」
この人は超能力者で、宇宙人だ。成層圏から身一つで飛び降りる…?それも可能なのだろう。宇宙服は?生命維持装置は?いや、そんなもの…要らないのだろう、だが、そんなことより…島が!
古代はどうにかしてテレサを引き止めなくては、と焦っている…その焦燥と動揺が痛々しかった。
(…古代さん…あなたは…とても優しい人ですね。あなたにも出会えて…私は幸せです。そう…そして、雪さんにも。どうか…よろしく)
古代の想い人であろう優しい女性のことを連想し、テレサは微笑んだ。
「…愛し合うと言うことは…一緒にいると言うことばかりではないはずです。…航海、ご無事で…」
くるりと背を向けたテレサに、古代が縋るように声をかける。
「ヤマトが使命を果たしたら、…必ず島を連れて戻ります!」
「……ありがとう…」
振り向いて、テレサは微笑みを浮かべた。
——ヤマトの使命。それは、この私が…課したもの。彗星の脅威に立ち向かい、自らの故郷を守るよう、…地球人類へテレザートのテレサが課した…大きな…闘い。
——島さんは、そのためにここに居なくてはならない人……
外壁と船内を隔てるエアロックの向こうに消えるテレサを、古代は唇を噛み締めて見守った。ロックが閉じたのを確認し、隔壁の向こうにある非常用ハッチを開ける…小さなコンソールパネルに、外部のハッチが開いたことを示すランプが灯る。
「……テレサ…どうか、お元気で」
古代はうなだれた。島に、なんて言えばいい。
——数秒待って、…ハッチを…閉鎖した。
テレザート上空、高度1万メートルに位置するヤマトの舷側から、サイコキネシスによって身体の周りに光るベールを纏い…テレサはゆっくりと舞い降りて行った。
父が自分に遺した、あの言葉。象徴的な、しかし…愛しい、あの…言葉を、思い浮かべつつ…。
“愛しあうということは、一緒に居るということばかりではないのだよ…”
ええ、お父様。その通りです…
愛するがために、永遠に離れなくてはならないことも…あるのですね…
過去、自分を守るため身を呈した父母の想い。テレサは今やっとそれに思い至った。だが…それはなんと辛い選択なのだろう…
真珠の首飾りを繋ぐ糸が、ぷつりと切れたかのように。
舞い降りるテレサの周囲に、涙が光の粒となって散った。
数分後、荒涼としたテレザートの地表に彼女は降り立った。涙で視界が曇って、ヤマトが見えない……涙を拭い、上空を見上げる。ヤマトはまだ、そのままの位置に停まっていた。
島さん…。
どうか、…許して。そして、分かってください…
どんな大義名分があろうと…私はあなたに嘘を…つきました。
…でも…
——愛しているの…あなたを。
生きて欲しいのです、…たとえ…憎まれても……
再び視界が滲む。
しばらくのち……祈る様な思いで見上げ続けていたヤマトの艦底が、にわかに揺らいだ。
メインエンジンが、眩い光とともに噴射を始めたのだ——
「……島さん」
——分かってくれたのですね…。
艦はゆっくりと前進を始めた。数秒遅れて耳に届く轟音…
涙がこぼれ落ちる。ヤマトはテレサのいる地表のポイントを見送るように反転した…
「……!」
眩い光芒が数条、上部甲板主砲から迸った。エネルギーを絞った9門の主砲が、交互に3回…撃ち放たれる。…礼砲だ。
(さようなら…ヤマト)
涙が三たびテレサの頬を伝う。
生命の育たない灰緑色の地表に、テレサは立ち尽くした。
その空に、愛する人の遠離る姿を見つめ続け…エンジンの光点が藍色の宇宙に溶けてなくなってもなお。流れる涙も、そのままに……
さようなら……島さん…
紺碧の宇宙にその痕跡が消えた時……テレサは初めて片手を上げ、そっと振った。
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