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惨状は、テレサの住んでいたバラス・キャルヴ地方だけに止まらなかった。
気を取り直し、急いで世界を見るために宮殿を飛翔させる。だがバラスを攻撃していた対立国家の首都、フリーヴズ・キャルヴの上空に到達したテレザリアムから、眼下を眺望したテレサは絶望した……敵の国土も同じように、一面灰と化していたのだ。
都市と呼ばれる場所だけでなく、ウィンゴルム、グライズヘイムなどの自然保護区に点在する山村や集落などもくまなく回ったが、見つかるのは白く焼けこげた灰、そして崩れた建物の残骸だけ…。
……この世界のどこにも、生命反応は無かった。
自分は…何をしてしまったのだろう。
闘いを終わらせて……と、何に祈ってしまったのだろう…?
眠ることも食べることもせず、数十日間彼女は内核星地表を彷徨った……どこかに、誰かが…生きてはいないか。時折、疲労に瞼が塞がる……しかし、こめかみから忍び込む冷たい悪魔の指が脳から心臓を探り出し、容赦なくそれを鷲掴みにする。その度彼女は、叫びとともに浅い眠りから目覚めるのだった。
——赤黒い空の下に広がる、テレザートの都市。
その悪夢の中で自分が立っているのは,無数の建物の煌めく灯りを遥かに一望できる丘の中腹だ。裸足で、冷たく荒れた岩肌を一歩ずつ踏みしめ,テレサはその丘を登っている…。
お願い、もう……やめて……
弾道弾ロケットの光の帯が幾百もの狐火となって赤黒い空に弧を描く。黒い機体の無数の爆撃機が魑魅魍魎のように飛び交う。着弾したその先に巻き起こる、阿鼻叫喚と何千もの慟哭。
戦いを、止めて
素足に血がにじむのもかまわず斜面を駆け上り、戦いをやめてと幾度も叫ぶ。その願いは,悪意の塊のような兵器に向けたつもりだった。
しかし……丘を登りきったテレサが見たのは,すべての「消滅」……
私はそんなことを望んでいたのじゃない、消えて欲しいと願ったのは人々ではないの、戦なのに……戦なのに!!
……声が、喉に張り付いて叫ぶことができない。
こめかみを押さえて踞るその後ろから……巨大な洞を吹き抜ける疾風のような轟が、テレサを襲う……それは、幾重にも折り重なった死体から発せられる、呪詛のようにも聞こえた……
お ま え が、星 を……滅 ぼ し た……!
風が,うなりを上げて彼女を翻弄し……容赦なく呪いの言葉を吐きかける……
破 壊 神 は お ま え だ
「ちがう…!!わた…しは……!あ……いやあああ!!」
繰り返し見るその夢から現実に引き戻され、視界に入るのは……決まってテレザリアムの碧い床だった。目覚めればいつも、嫌な汗をぐっしょりかいていた。口の中も唇もからからだ…どれだけ叫んでも、その叫びは誰にも届かない。テレザート星には一体、どれほどの人が暮らしていたのだろう。10億……いや、30億……? 一瞬にしてそのすべての人々が消えた。
……いや、殺したのだ。この私が。
目を開けて、息をしていることさえも。
動く足で、テレザリアムの床を踏みしめていることすら。
…自分にそれを許せるとは、到底思えなかった。
(お父様……私、消えてしまいたい…)
倒れ伏している宮殿の床は、不思議と温かかった。このまま、何も食べず…ゆっくりと乾いて死んでしまえばいい。いや、いっそ武器があれば、ひと思いに。
そう考え、上体を起こしたテレサの目に、不思議なものが映った。
メインコンピュータの内蔵されている碧い壁の上部に、見覚えの無い光点が浮かびあがり、点滅し始めたのである——
光点は、明滅とともにパルスを発しているようだった。それは、次第にテレサの耳に言葉となって聞こえてきた。
<……テレサ…愛しい…テレサ…>
「…!!お父様!?」
<…反物質を…呼び出してしまったのだね。…辛い現実が…お前の目の前にあるのだろう…。しかし、生きる勇気を持ちなさい。お前は…この宇宙に選ばれた者なのだよ……>
「お父様……」
テレサはふらつく足で立ち上がり、周囲を見回す。その声は、メインコンピュータのデコーダからではなく、明らかに光点から流れて来る。
それは紛うかたなき父の声だった。しかし一体、なぜ…?死後の意識を脳移植によって保つ研究は、未だ開発途上であり…実現には至っていなかったはずだ。
<生きる勇気を持ちなさい…。どんな相手に対しても、2度と…その力を使わないと、この父に誓っておくれ。…それが真実の強さ、そして真実の愛…アガペーなのだと…悟っておくれ…>
父の声は、次第にか細くすすり泣くように消えて行った。
(消えてしまう…)
「待って……お父様、行かないで……!!」
<…愛しいテレサ……離れていても…この身は朽ちても…お前とともに在る……>
「待って……!!」
父の声が途切れる瞬間、テレサの脳裏にはおそらくそれが父ハールの死に備えて発動するようセットされていた、ある種のヘルププログラムなのだろう、という考えが浮かんだ。
メインコンピュータを振り返る。
クロノメーターの下部に点滅するカウンタは、「00.00.00.06」になっている。それが…05…04….03….02…00を表示した。日にち、時間、分、秒…の表示だったのだろう。父ハールが外部からテレサに連絡を取れなくなってから、そう言えば…今日で40日間。…それがハールの「死」を意味すると、そのカウンタは伝えていた。
(…お父様……)
父は、テレサがおよそこのタイミングで自死を思いつくのではないかと予想していたのだろうか。そしてそのために……「声」を、プログラミングした。生きろと、伝えるために…。
枯れたはずの涙が、頬を伝って滴り落ちた。お父様は、亡くなっても……私を、愛してくださっている………
——愛し合うと言うことは、一緒にいるということばかりではない。この身は朽ちても、お前とともに…。そして、生きる勇気を持ちなさい——
それは、ある意味途方もなく残酷だということも、ハールは判っていたのだろう。幾億もの人命を屠った罪は決して消えることはなく、到底購い切れるものではない。娘が反物質の力を解放すれば、最悪の場合、母なるテレザートの惑星としての機能すら奪ってしまうことを、父は予想していた。その力を持って尚、宇宙に生きること……それが、テレサに残された贖罪の方法…。
「…お父様…」
温かい涙を、テレサはとめどなく流した。父の愛情を、初めてこの碧い宮殿いっぱいに感じた……6つの時に幽閉されて以来、呪わしく感じ厭うてきた牢獄。幾度となく彼女の脱出を阻んだ冷徹な要塞。しかし、この場所は父ハール、そして母フリッカの愛で満ち満ちていたのだ。
座り込んだまま、テレサは碧い床を手で撫でた。涙がその床に、はたはたと落ちる。掌に伝わって来るのは、まるで母の胸に抱かれているような…温もり。壁も、柱も、気がつけば椅子やテーブルといった什器すら、柔らかく優しく包むような温度に保たれていた。天上に煌めく丸い粒のような照明も、陽の光を浴びることの出来ない娘のために常に柔らかく、心地良い太陽光を注いでいた。自暴自棄になって、食べずに捨て置いた食物も、いつの間にか清潔に処理され、新しい食事が時間ごとに用意されてきたのではなかったか。一見、手触りの固そうな寝床も、彼女の身体を優しく温かく包み、癒してくれていたのではなかったか…。
透き通る青色の床と一体構造になっているメインコンピュータを仰ぎ見る。
無駄の省かれたコンソールパネルからは、そのCPUが盛んに彼女のバイタルチェックを繰り返し、万一に備えてフィジカルにもメンタルにも万全を尽くそうとする様子が見てとれた。たった今まで、自分はそんなことすら…見過ごしていた。
(……死んでしまおうなんて……思ったからかしら)
どこかから心地よい香りと、鈴の音を思わせる波長の高い音色が流れて来る。
<——どうか、死ぬなんてそんなことは仰らないで。私があなたをサポートします。お忘れですか……? あなたを守るために……私は生まれたのですよ……——>
テレザリアムのどこかから、柔らかな別の声が聞こえて来た。
この時、ハールの意志はこの精緻なコンピュータに引き継がれたのだった。人工知能(AI)が目覚めた宮殿は、テレサを守るための新たなプログラムを発動したのである。
テレサはおもむろに立ち上がった。
……私は、闘わなくてはならない。
この体内の厖大な<力>を組み伏せ、従わせ……どんな事情があろうと争いに加担しないという究極の「闘い」に、…私は打ち勝たねばならない。
それが……「テレザートのテレサ」の使命なのだ。
テレザートが、突然の内部崩壊を迎えて数年——
その噂は、近海を航行中の船舶によってあらゆる宇宙国家に伝えられていた。そして、その惑星に「反物質を操る魔女」が棲むことも……。
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漆黒の宇宙の闇を切り裂き、強烈な自我意識が、テレザート空間に接近していた。