******************************
幼いテレサが両親によってここへ幽閉されたのは、一体なぜだったのか……?
別名「宇宙のオアシス」と呼ばれたこの星テレザートは、アンドロメダ、マゼラン恒星系間にあって非常に利便性の高い位置にある交易惑星であった。テレザートにはバラス・キャルヴ、そしてフリーヴズ・キャルヴという二つの超大国が存在し、それぞれが独自の防衛軍及び宇宙警備軍を組織、宇宙国家としても完全独立体制を敷いていた。
その年…バラス・キャルヴ科学局周辺に、「何か恐ろしい力」が作用している、と最初に気付き、通報したのは一介の科学局職員だった。
科学局長官である父とともに幾度か局を訪れた幼いテレサは、父に固く止められていたにも関らず、超能力を発揮して局の科学者たちを驚かせていた。それが次期に、彼女の身を危険に晒す原因になろうとは、父もテレサ本人も、そして通報した職員自身も予想だにしていなかった。
実は当時、出所の分からない超能力の発現によって科学局近辺の山林や建築物の一部が突如消失するという謎の事件が頻発していたのである。消失の様相は、まるで対消滅……物質世界が反物質に触れて消し飛ぶといった表現が妥当なほど凄まじいものだったが、規模が小さいことから公には何らかの自然現象による爆発事故と発表され、穏当に処理された。しかしもちろん、現場の詳細を臨検すれば爆発事故などではないことは一目でわかる。軍嘱託の科学者集団がそれらの事件と科学局との因果関係を調査し、一部の者がその消失事件を引き起こしていたのが長官ハールの娘だという事実に辿り着いた。
驚くべきことに、ハールの娘は桁外れの「超」超能力者であった。念動力サイコキネシス、接触感応サイコメトリー、精神感応テレパシー、予知能力プレコグニションに加え、彼女は驚くほど長距離をテレポーテーションによって移動することすら出来たのだ。……そして、それらの能力の一環としてさらに、「反物質による対消滅」をその体内で引き起こし、自らの身体を傷つけることなくそのエネルギーを放出することが出来る、と判明したのである。その爆発エネルギーは、いまだかつてテレザートの科学者ですら目にしたことのない規模のものだった。測定された反物質の量は前代未聞…、テレザートの科学の粋を集めても、人工加速器によって造り出せる反粒子の数を遥かに超える。対消滅動力炉なども一部で実用化されていたバラス・キャルヴの文明ではあるが、テレサの発するエネルギーはそれらを遥かに凌駕する恐るべき規模の力だったのだ。
正直なところバラスの軍上層部は、国家間紛争を抑止するための絶対的な切札となり得る「超能力」、そして外宇宙からの侵略を阻止する力としての「反物質」を欲した。しかし、これほど厖大な規模の「反物質」の制御に関しては、テレザート史上…いや、どの宇宙国家にせよ、いまだ成功した前例はない。軍部の穏健派は「反物質の封じ込め」を、そしてタカ派は「兵器としての開発」を要求し、両派は真っ向から対立した。
緊迫した事態を懸念し、高名な幾人かの科学者たちは科学局長官ハールに対し秘密裏に進言する。まだ幼い娘の能力を、種火のうちに自ら封じ込めるか、それとも手放して軍の極秘兵器開発部に引き渡すか…いずれかを早急に選択せよと。
科学者としてであれば、偶然にしても手に入れた超・超能力「反物質」である……その完全制御をなし得るとすれば、それ以上の名誉はない。ハールは迷った。だが、娘はどうなる?愛娘テレサが、どうして反物質の力をその小さな身体に秘めることになったのか、ハールは未だ解明出来ずにいた。軍部に協力するとしたら、娘のみならず、妻も、自分も…調査研究の対象となることは必須である。調査・研究と称して行われる人体実験の数々は、科学者であるからこそハール自身充分心得ていた……愛する者たちをあのような非道い目に遭わせることは決してできない。だが、そうして手をこまぬいている時間はなかった。
軍部に連れ去られれば、テレサはどうなるかわからない。…ハールは持てる技術の粋を尽くして急ぎ万能要塞<テレザリアム>を建設し、極秘裏に娘を隔離したのである。それが、幼いテレサがあの宮殿に幽閉された、事の顛末であった。
「反物質エネルギー」を秘めていると噂された科学者ハールの娘は世間から完全に隠された。ハールとフリッカは科学者、および心理学者としての社会的地位を捨て、軍への協力を徹底的に拒んだ。……そしておよそ10年ののち、軍部もテレサの存在の追求をついに諦めたのである。
そしてそれは、彼女が17になったある年のことだった。
それまで不定期ながらもずっと極秘にコンタクトを取ってくれていた父からの通信が、突然数日間途絶えた。地上は、バラスとフリーヴズの国家間戦争に巻き込まれ、地獄と化していたのだ。
父が次に連絡を取って来た時、テレサは都市の惨状に目を奪われた。そこは、文字通り阿鼻叫喚の地獄絵図だった……争いに大地は傷つき、都市は血塗られていった。母が空襲によって亡くなったと、自らも傷を負った父がモニタの前で涙を流すのを、テレサは震えて見守るしかなかった。
<……愚かなことだ…実に、愚かしいことだ。…だが、人々を恨んではいけないよ、テレサ。哀しくても堪えるのだ…>
父は母の亡骸を抱いて、哀しげに微笑んだ。小さなモニタの中で、見覚えのある自宅の居間が、大破した窓から吹き込む硝煙の嵐に薄黒くけぶっているのが判る。
父は、すでにすっかり血の気の失せた母の上半身をしっかりと膝に抱いていた。美しかった母の顔は、粉塵に汚れ黒い血にまみれていた。こと切れてから間もないのか、その瞳はまだうっすらと見開かれている……輝きを失った翡翠の瞳が汚れた褐色に染まっていた。その母の耳から、黒い血がまた新たにどろりとこぼれ落ち、踞る父の膝を濡らす…。
<……力による勝利は、真の勝利ではない。恨みによる復讐は、次の恨みを産み出すだけだ。誰も幸せにはなれない。…私は赦すよ。…だから、お前も……この星の人々を赦しておくれ。この宇宙に息づく、すべての人々を愛しておくれ。……憎むべきは人ではなく……憎悪という魔物だ>
「……お父様…!!」テレサはモニタの前で懇願した。「…どうか、早くそこから離れて、ここへきてください。私と一緒にいれば、私が…あの力でお父様を守ります。お母様の命もかならず、甦らせてみせます」
<いけないよ…テレサ>
父は弱々しく頭を振った。踞る父の両膝から下が、あらぬ方向へ折れ曲がっていることにテレサはその時初めて気付いた。
<いずれ遠からず、ここも再び爆撃される…。私はこの通り、傷ついているのだ。もう動けない……。母さんと一緒に、ここに…いるよ>
「お父様!!では、テレザリアムでそちらに向かいます!どうしたらあのゲートを破れるのか、教えてください!」
必死で叫ぶテレサに、父ハールは微笑んだ。それは幼い日、森でPKを練習したときの、優しい笑顔そのままだった。
<…愛しいテレサ。お前が優しい娘に育ってくれて、私は嬉しい……。しかし、私はお前を…守らなければならない。その場所から、動いてはいけないよ……>
「でもお父様!!…今なら、出来るのではないでしょうか、…私……」
今の自分なら…<力>を制御して用い、両親を救うことが出来るのではないだろうか。今なら<力>に翻弄されることなく…、戦いを止めさせることが出来るのではないだろうか…!?
テレサの言いたいことが、父には即座に判ったのだろう。ハールは厳しい目でテレサを見つめた。
<………お前の力は、戦うためにあるのではない。反物質は、戦いに用いれば最悪の兵器となってしまう。例え、…私たちを守るためでも、それを…呼び出してはならない…。ここでお前がその力を現せば、戦いは止むどころかますます激しくなるだけだ。堪えなさい。…わかるね>
「……でも…!!」
父の言うことはもっともだった。反物質エネルギーを行使するテレサがこの国に現れれば、戦局はその力を巡って更に激化するだろう…。
父の声が、轟く爆音に掻き消される。無数の爆撃機が近づいているのだ……
自分は、何も出来ないのか。
これだけの力を持っていながら、愛する父一人を救うことも出来ず、ただ泣き叫ぶしかないのか……!?
「…お父様、お父様!!そこから逃げて!!早く!!」
<……愛しているよ、テレサ。…共にいることはできなくても…私たちはお前を永遠に愛している…>
「お父様ぁっ…!!」
テレサはモニタに泣きすがった。
……微笑む父の優しい顔が、モニタの走査線上に切れ切れの光彩となって飛び、小さな雑音とともに…——消えた。
泣きながら、テレサはモニタを操作し通信の回復を試みたが、無駄だった……彼女はしばし、床に踞るような格好で顔を覆って涙に暮れた。
(……ああ、どうか…お父様が無事でありますように……!)
一体、誰に祈っているのか、自分でも分からなかった。
テレザートには無数の宗教があったが、世間と隔絶されて生きて来た彼女には無縁のものである。それでも、この宇宙のすべてが人間の知識によって凌駕できるものではないことを彼女は知っていた。
どこかに、全知全能の救い主がいるはずだと、そう信じて…
テレサはひたすら、祈り続けた。
(争いを、止めて…!)
——戦いを…終らせて……!!
一体、どのくらいの時が経ったのだろうか。
かすかな地鳴りを感じて、テレサは面を上げた。地震だろうか……?
ふと自分の両手に視線を落したテレサは驚愕した。握りあわせていた両の手から、金色の光の粒が無数に流れ出ていたのだ。…と同時に感じた、恐ろしい戦慄…叫び、呪いと断末魔の声・声・声………
「……!!」
声にならない叫びを上げ、テレサは周囲を見回した。身体中に悪寒が走り、目眩がする…部屋全体が、ぐるぐる回る光で満ちていた。
……なんということだろう…、自分は反物質エネルギーを解き放ってしまったのだ。それは、今までにない力の増幅だった。テレザリアム自体がびりびりと振動し、彼女の力を外部へ放出している……
「…やめて……駄目よ!!」思わず叫ぶ。
従順な獣のように、宮殿はにわかに振動を停止した。……しかし、低い地鳴りは真上の岩盤から響き続けている……
(外に…出なくては…)
驚いたことに、そう念じた途端……、11年の間びくともしなかったテレザリアムの出口が、いとも簡単に開いたではないか。
テレサは急いで宮殿中央のリフトに乗り、地底湖へ降りた。
今は湖面を裂いている場合ではなかった……彼女は宙を飛ぶことができたのだ。そして、テレザリアムから出てしまえばテレポーテーションが使えた。目を閉じて、一瞬だけ念じる……地上へ、お父様のもとへ。
だが、自然保護区の岩山の上へ出た彼女が俯瞰したものは…、恐るべき光景だった。吹き付ける爆風に不意をつかれ、テレサは思わず顔を覆った。
たった今まで、見渡す限りに広がるバラスの都市は、戦火に包まれていた……はずだった。しかし、今テレサが目にしているのは、それよりもはるかに異様な光景だったのだ。
今の今まで空洞惑星の中空に群れをなして飛び交っていたはずの重爆撃機は、その姿形も無い。都市の外れには高射砲が無数に設置され、飛来する航空機を迎撃していたはずだった。逃げ惑う人々の姿もそこここに残っていた……だが、人だと思ったのは、焼き尽くされ、僅かな黒い油が残るだけの「人の影」…。高射砲の音どころか、航空機の音、銃撃の音すらも聞こえない。高温に燃え上がる焔のはぜる音だけが、不気味に響く…奇妙な静寂。
——そこに広がるのは、死滅させられた星の骸だった。
テレサはさらに都市に近づいた。足元は、PKで浮くようにして移動しなければとても歩くことなどできなかった。何か高温の熱線で焼き尽くされ、未だ地表は高熱を放っていたからだ。しばらく驚愕して都市の残骸を見つめていた彼女の視界に、見覚えのある高い塔が映った……それは、父の天文台だった。
「……ああっ!」
天文台の根本は今にも崩れそうになっていた。高熱を帯びた建物の鉄骨が一部を残してぐにゃりと曲がるのを、テレサは見た。…天文台は、無惨にも地上へ崩れ落ちた。真っ赤に熱した鉄骨がまるでスローモーションのように崩れながら直撃した建物の低階層部分には、……父が、…母が、いたはずだった。
もとより、生存者の姿など、どこにも見当たらない。都市は一瞬で廃墟に変わった。まだ炎を出している瓦礫、音を立てて崩れる建物……人か、と思えばそれはすべて、焼け焦げて白い炭となった人の柱なのだった。
——私が……やった……?
それは、戦争の痕などではなかった。
世界は尋常ならざる力で組み伏せられ、敵も味方もすべて、跡形もなく滅びに至っていた。爆撃を生きのびていたかもしれない非戦闘員……年寄りや子どもまで、その力は屠ってしまった。……父も、…そして母も。その遺体すら、跡形も残らなかったのだ。