Original Story 「桜」〜VOICE〜(3)

 

 

1)(2)(3)(4)(5

************************************

 

「………旅行……ですか?」
「そう、旅行だ。二人だけで」
「……でも」
「俺だって突然決まったから…びっくりしてる」


 
 ——新婚旅行なんて、思ってもみなかった。
 
 ただ懸命に、彼女を自分の手で保護していたい、そのことだけで精一杯だったこの1年間……普通の夫婦のような生き方はできないと、当たり前の自由を欲することすら諦めていたのだから。
 島は、真田とのやり取りの一部始終をテレサに話して聞かせた。
<俺も、テレサには何か報いたいと、ずっと考えていたんだ。俺たちは、彼女に充分すぎるほど助けられていながら……何も恩返ししていないものな> 真田はそう言って、満足げに頷いた。彼もえらく乗り気なのだ。

「そうですか…真田さん。あの方が…」
 ガルマン・ガミラスからの帰途、真田が寝る間も惜しんで自分のためにPKを遮断する隔壁を作ってくれていたことをテレサは思い出した。
 一見無愛想だが、親しい者だけに見せるその笑顔は人なつこく、包容力に溢れている。夫が彼をまるで兄のように慕っているわけも、すぐに理解できた。そして、此の度のような重要な決定に関しても、彼が一枚噛んでいるからこそ大介も即決するに至ったのだろう。
 

 

「……ふうん」
 リビングのテーブルの向かいで、それを聞いた次郎が頬杖を付きながらつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「良かったわねえ!!新婚旅行なんて、ずっと諦めていたんですもの…ねえ!?テレサ?」母小枝子は上機嫌である。帰宅した大介は例によって、母屋のリビングで夕飯のテーブルを囲みながら、この話をしていたのだった。
「でも…大丈夫なのか?この家の敷地から出ない、っていう制約は…」
 垂直離着陸機を出せ、などと言っていたわりに、康祐はやはりそれを気にしている。
「…防衛軍総司令の許可が降りたのでアラートの件は心配ありません。ここから宇宙港まで軍の車で護送、みたいな形にはなっちゃいますが、僕と真田長官が一緒ですから」

「……俺たちはついてっちゃ駄目なのね?」
 NO.5の植物再生コロニーだろ?俺、学校の研究授業で行ったから、勝手知ってるぜ?と次郎が口を挟んだ。それを聞いて、テレサが何か言いたそうに口を開いたが、同時に大介に遮られる…「なんでお前がついて来るんだよ。新婚旅行だって言ってんだろ」
「でも島さん、みんなで」
「だめなの!!分かってよ、テレサ…!」
 大介の言種に、父も母も大笑いした…次郎まで、吹き出した。
「はいはい、わかりましたよ……いってらっしゃい。今なら、…桜が満開だ」
「それを狙って行くんだよ」
 当初は、それだけが目的だった。新婚旅行、は後付けだ。
「ちぇ、満開の桜、500本あるんだぜ。兄貴たちで貸し切りかよ…」
「あら、それは残念だわね……ねえ、お父さん」
「ん…?ああ…そうだな」
「駄目だってば!!!」

                 *

 そんなやり取りの後。
 持って行く荷物を揃えるのよ、と小枝子に言われ。テレサは貸してもらった旅行バッグに詰めるものを、ベッドに出して並べていた。
 しかし、思ったより彼女の荷物は多くない……下着が何組かと、空色のワンピースが数枚。それだけを畳んでベッドの上に出し、はい、おしまい、と言うようにテレサはベッドに腰かけた。

「…ねえ、そういえば、…君の着るものは…その他にはないの?」
「いいえ?ありますけど…」
 着ていないんです。
 寝室のウォークイン・クローゼットの中には、小枝子が買い与えた“この年頃の女性らしい”衣服が数十着ある。カジュアルからフォーマルまで、一通り揃っていた。
「…もったいなくて」それに、こういう服の方が…私、落ち着くんですもの…

 そう言って、彼女が選んで着ているのは…小枝子が与えた中でも最もシンプルな、木綿のスムースで出来た質素な長めのワンピースだった。考えてみれば、テレサはいつも……この手のゆったりしたワンピースに、飾り気のないエプロンをしている。
「……もったいないって…」気付かなかった俺も俺だが。こんなに持ってるのなら、もっと色んな服を着ればいいのに…

 テレサはぽっと頬を赤らめ、俯く。
「だって、私…ほとんど家の中にいるでしょう?」それに。
 島さんが帰って来る時は、…その、…服なんて……あまり意味がなくなるじゃありませんか……
 そう言われ。大介も思わず赤くなる。
「…まあ、それはそうと」
 旅行なんだから、たまには違うもの着たらどうなんだ。
 そう誤摩化しながら、荷造りを進めた。
(……いかんな……確かに帰省の度に…っていうのはある…。だって、普段会えないんだから…仕方ないじゃないか…)
 言い訳だ。赤くなって黙々と手だけ動かしているのが堪らなくなり、自分に言い聞かせる……今回は。性急にここでテレサを抱くのは…やめておこう。そのかわり、話をしよう……
 そう自分に頷くと、大介もテレサの隣に腰かけた。


「ずっと俺の我がままに付き合わせて、…ごめんな」
「……?」
 隣できょとんとするテレサに、苦笑する。
「地球で…一緒に生きよう、って約束してたのに、いつも家にいなくて…。悪かった」
「…島さん」
 ふるふる、と彼女は首を振る。「悪かった、だなんて…なぜ?…私たち、いつもこんなに近くにいられるじゃない。同じ星の上に…それに、こんなに平和なのよ……?」

 誰も死なない。
 誰も…傷つかない。
 誰も、一瞬で光と熱に飲み込まれたりしない……
 ——こんなに幸せなこと、ないじゃない……?

「テレサ」
 いたたまれなくなる。
 死なない、傷つかない…それだけで、平和だと。
 それだけで幸せだと………
「そんな風に思わせたままで…。本当に、ごめん」
 信じ難い修羅の世界から、彼女がこの星へ来て1年。まだまだ、その心の中には宇宙より厳酷な世界観が根付いたままだ。本当の意味で俺は、まだ…君を幸せにはできていない。
 腕の中に抱き込み、過酷な時を生き抜いて来た華奢な背中を、肩をさする。

「……島さん…?」どうしたの?
 不思議そうに問いかけたが、ああ、と何かを合点して、テレサは人差し指を立てた。
「……ベッドの上のもの、片付けますから…待って」
「ん?」
 テレサはにこっと微笑んで、島の腕の中から離れ。まとめた衣類をサイドテーブルの上へ移動させた。
「はい。いいですよ」
 そう言って、もう一度島の腕の中にもぐり込む——。


  ……いいですよ、って。


 あのねえ…、と島は苦笑した。そりゃ…帰宅するたびに、確かに…“してる”けど。
 テレサは恥ずかしそうに首を傾げて、視線をそらす。
 ……抱いてください。私も……嬉しいの……

 黙って俯く彼女の仕草に、そんな声が聞こえるような気がする。


「いや、…今日は…。話をしようよ」
「……じゃあ、話しながら」
「……そんなの、…無理だ」
 そんな高度なテクニックは。まだ…当分開発中だ。
 至近距離でねだるようなその瞳と唇に、……負けてしまった。
 休暇自体も一度に4日以上取ったことがなく、その上俺たちは家族と同居してるようなものだ。だから、この新居(いえ)にいる時は大体いつも、なんだか…こういうことになっちまう。
 ……いかんな、桜プラントへ行って、毎日こんなことばっかりしてるつもりか?


 しかし、自分をそう諌めつつも、テレサの瞳に視線が吸い付けられてしまい……口付けから、愛撫へと。
 …あ…ああん……
 気がつけば、ベッドの上で彼女は一糸まとわぬ姿となり…。



 いつも思うのだが、どうして彼女の身体は…こんなに滑らかな真珠のようなのだろう? もう2度と、地球人とは愛し合えないのではないかと思うほどだ。体質の変化があってから、その身体の色は以前より血色が良くなったが、それでも…肌のどの部分もまるで薄紅色の柔らかなパールのようだった。
 異星人ではあるが、彼女の身体は基本的に地球人類とそれほど変わらない。内臓機能の一部が細胞レベルで異なることを除けば、何ら違和感は無い。島は我知らず、“地球人との比較”をしてしまう自分に気付いて、急に罪悪感を覚えた。

 テレサはどうなんだろう…?

 彼女の過去から推し量って、自分以外に比較対象があるとは考えにくかったが、そうとでも思わなければ嫉妬してしまいそうだ。
 自分は何も教えなかったが、彼女はこちらがどうして欲しいのか、察することが出来るようだった。そのせいなのだろう、自分以外の比較対象、について幼稚な嫉妬心を感じるのは。だがそれは、もしかしたら彼女の持っていた能力の、名残だったのかもしれない。
 彼女の反応は、最初は戸惑いばかりだった。1年経った今、毎月判で押したように愛し合っているうちに、次第にそれも変わって来た。自分が思いつく限り大事に、いたわりながら愛してきたからなのか、テレサは決して抱かれるのを拒まない。むしろその逆かもしれない……。

 目を開けば、彼女の潤んだ瞳が、必死に自分へと訴えかける……
 いっしょにいて……離れないで……私を愛して……と。
 たとえ死んでも、と。大介は誓うのだった。
 君を離さない。君を離れない……声には出さず、唇も動かさないが、その声はテレサの脳裏に響き、同時に彼女は昇りつめる。
 そのあとも、繰り返し…愛し合う。彼女にとっては精神的な充足が大きいのか、会うこともままならない一月の期間が、瞬く間に満たされるようだ。
 大抵、幾度か彼女の方が先に充足を得、その身体が火照りとともに力尽きそうになる…そうなってから、大介は今まで脳裏にだけ描いていた言葉を口に出すのだ——
「…もう2度と…離さないよ…愛してる。テレサ…愛してる。ずっと…一緒だ」
「……大介…大介……、大介…」
 その縋るような甘く切ない声を聞きながら。そうして幾度目かの頂点に達する彼女と、大介も感覚をともにするのだった。

 もっと若かった頃は、ただ自分の野性的欲求を満たすためにしたこともあった。相手の存在が、自分のそれと同じく宇宙で最も尊く稀有なものだということなど、考えたことは無かった。ある時は、寂しさを紛らわすため、ある時は…本物の恋だと自分に言い聞かせ。
 しかし、テレサとのそれは違った。
 脳裏に間断なく煌めく光はそのうち視界を占領する……まるで、彼女の身体が自分の身体に融合してしまう心地良い幻を見ているようだ。



                *



(…島さんは話をしようって、言っていたのに…。私、おかしいのかしら)


 彼は終ったあとも随分長いこと、ベッドの中で寄り添い、髪を撫でてくれたり額にキスしてくれたりした…だが、もう彼はこの身体の中にはいないはずなのに、全身が小刻みに硬直してしまって止まらない。震えと共に、むせ返るような幸福感も溢れて止まらなかった。
 どうしてこんなに、彼と抱き合いたいと思うのだろう……今さらこんなことを思うなんてどうかしているが、抱いて欲しいと無言で要求してしまうような自分が、とてつもなく恥ずかしい。
「…大丈夫?テレサ…」
 はい、と答えたいけれど、そうできない。無言で頷き何度目かの深呼吸をして、火照りを鎮めようと彼の胸に顔を押し付けた。

(すごいな)
 大介はそんな彼女の様子を見て、頬に笑みを浮かべる。 
 抱き合う度、テレサはステップを上がるかのようだ…戸惑い、受け身ばかりだったものが、懸命に応えようとし、今ではこちらが時折リードされていると感じることもある。そうして時に、彼女はこんな具合に恍惚としてしまい、感覚のあちら側に行ったまま…動けなくなるのだった。
(出合ったばかりの頃の俺だったら、こうは対応できなかったな…)
 今までの女性経験が、最愛の彼女をどう扱えばいいのかを的確に教えてくれた。若造の自分なら理解の範疇を越えるだろう彼女の反応に、辛抱強く応えてやれるのは嬉しいことだった。

 彼女を失ったと思っていた期間にも、意味があったわけだ、と大介はふと思い、苦笑いする。



「——旅行に行ったら、たくさん、話をしような…」
 桜を見ながら、朝から晩まで、話をしよう。



 彼女が、声にならない言葉で小さく「はい」と答えた。ついで、ようやく肩の力を抜くような長い息を吐いたのが分かったので、大介はゆっくりと上半身をベッドの上に起こし。
「よし、シャワー浴びに行こう」
 えっ、と驚くテレサを抱き上げ、そのまま浴室へ向かう。
「し…島さん、あの…自分で歩けるから」
「……膝、ガクガクじゃないか」
(浴室で第2ラウンド?…いやいや、だから、そんなことばかりはしていられないんだって)
 テレサはまたもや顔を赤らめている。心ならず自分も耳まで熱くなったのを感じるが、今度こそは流されないぞと改めて心に決めた。


 ——いい加減、明日の出発の準備を終らせなきゃ。

 

******************************************

 

 

 (4)へ