RESOLUTION 第9章(6)

*******************************************



 見ていた夢に驚いたかのように——
 突然、みゆきが泣き始めた。

「……どうした?怖い夢でも見たか?」
 赤ん坊だからな。それでなくても、ずっとこんな喧噪の中にいるんだ、眠りが浅くても仕方がない……そう言った大介の声に、テレサは首を振る。ここは、地球連邦宇宙科学局内部、移民対策本部だった。

 第一次移民船団会敵の報を受けてから、科学局内部は絶え間なく飛び交う叫び声に満ちていた。皆、不安に何か怒鳴らずにはいられなかった…交信状況は混迷し、太陽系交通管理局からも問い合わせが殺到している。どこへ何を問い合わせても、誰も答えを得られないからだ。防衛軍、宇宙科学局の誇るスーパーコンピューターも、リレー衛星を経ても観測不可能な遠距離で起きている戦闘に関しては、何も詳細を語らない……。

「いいえ…そうじゃないわ」
「え…」
 側に置いたベビーサークルからみゆきを抱き上げたテレサが、表情を曇らせて呟いた。
「夢じゃない。……みゆきが、…怖い、って……」
 こわい、って言っているの。
 さっきから、ずっと………


 真田が指示を飛ばすために陣取っている、作戦本部のコマンダー・ブースの後部には、本部長の島次郎が担当していたコンソールパネルがある。 
 連邦宇宙科学局の頭脳、メインコンピューターが地球から1万1千光年までの観測結果を集積し、オプティカル・エンコードするためのモニタが5つ。ここから、作戦本部下段の広いスペースに並ぶ端末群へ、各情報の解析コマンドが送られる。だが、戦域はその限界コンタクトラインの遥か先、さらに9千光年の彼方なのだ……

 今、地球側のメインコンピューターを管理操作しているのは防衛軍に復帰した島大介だった。
 そして、彼の横には小さな娘と妻がいる。テレサの抱いているみゆきの側頭部にイヤーマフよろしく被せてあるのが、小さな彼女の脳波を受信してモニタに投影する装置であった。ただ、そのままではモニタに表れるのは意味不明な数値とスクリプトの羅列である。それを解析し並べ替え、地球の言語に置換するのがテレサの任された仕事だった。

 テレサが問いかけ、みゆきがそれに応える……

 雪さんは、どこ?
 どうしているのか分かる…?

 みゆきの脳波は雪のいると思しき場所を特定し、ESPによって電波としてそれを母に伝えるのである。

 この科学局へ来て小一時間ほどで、テレサはこの装置の操作を覚えた。
 以前、カスケード・ブラックホールの位置を特定した計算法を元に、真田が作り上げた解析装置である……もとより、地球人類の使用する宇宙航法やその解析システムの原理はテレサにとって勝手知ったるものだった。
 彼女は今、娘の脳波から得られる情報をすべて視覚化し、地球式モニタに投影するために尽力していた。

「銀河座標が…出ました」
 テレサがドローパッド上で示した数値を、大介がコスモコンパスへ投影する。
「………これは…」
 酷い……!

「真田さん」
 後ろから大介に呼ばれ、真田は振り向いた。

「……みゆきのテレパスによる会敵宙域の観測結果が……出ました」
 それきり絶句した大介の顔を、真田は凝視した。
 大介から手渡されたボードから、正面のマルチスクリーンに銀河座標と現在の移民船団の状況が投影される。下段にいる科学局スタッフらから、感嘆の声が上がる。だが、それはすぐに絶望の呻きに変わった。
 点灯している残存護衛艦のシグナルは、わずか20あまり。旗艦の<ブルーノア2220>からは艦体反応がなく、贔屓目に見ても撃沈の様相だった。

「こんなことが……」 
 こんなことが、あっていいのか。
 
 みゆきがか細い声で泣き続けていた。
 テレサはいたたまれぬ思いでみゆきを抱き上げ、大丈夫よ、と宥めた。

 ……こわい

 テレサの頭の中に響き続けている娘の声は、そのひと言だ。それを裏付けるように、コマンダー・ブースの下部に位置するリレー衛星の観測官たちから声が返って来た。
「……サイラム恒星系末端宙域に、大規模な爆発の形跡を確認…。磁力線、放射線の霍乱を観測。……艦隊戦の痕跡と思われます」
「…くそっ…」
 大介が小さく叫んだのを、テレサは聞き逃さなかった。身体に震えが来る。

 では…
 雪さんは?
 司さんは………?

「<サラトガ>の反応も無いのか」
「……はい」
 真田の問いに答えながら、大介は叫び出しそうになる自分を抑えるので精一杯だった。雪は。…司は……志村は。
 随伴し出発して行った緊急医療艇は<ホワイトガード>他7隻だった。
 小林艇長、友納先生が乗り組んでいた。パイロットは雷電だ……

「畜生…!」

 本当は、俺が<ホワイトガード>で出るはずだった……!!

 拳で床を殴りたい衝動に駆られる……こめかみが脈打って破裂しそうだった。だが、目を閉じてそれを抑え、おもむろに振り向いてテレサを、そして妻の腕の中で心細そうに泣きじゃくる娘を見下ろす。
「………島さん…」
 テレサが呟いた……
 蒼白な彼女の顔を見つめているうちに、だが大介は次第に冷静になって来る。

(俺は行かない、そう約束したんだ)

 呼吸を落ち着け、頷いてみせた——
 テレサも、応えるように頷いた。泣いている娘をベビーサークルに座らせ、モニタに向き直る。

「……相手の船が出現した座標を、すべて記録しました」
 数秒後、静かにそう言ったテレサに、大介は思わず顔を上げた。自分が悲嘆にくれ呆然としている間にも、テレサはモニタに向かって、黙ったままずっと作業を続けていたのか。
「…少し、休んではどうですか」
 真田が気付いてそう言ったが、彼女は微笑んで首を振った。
「…ワープアウト反応も調べています。出来るだけ早く彼等がどこから来たのか…突き止めなくては」
「……テレサ……」
「生き残っているのがどの船か、特定する事も可能だと思うんです……、今、やってみます」
「無理しないでいい」
 だが、真田も大介も唐突に気付いた。

 彼女の傍らのベビーサークルには、みゆきがまだ泣いていた。母であるテレサが、泣いている幼い娘に手も触れず、電子機器に向かいパネルを操作しているその姿の異様さ。よく見れば、テレサの腕が、指先が……小刻みに震えていた。
 テレサは泣きながら、……友達を探していた。
「……雪さん…」

 雪さん。
 司さん。
 ……友納先生、雷電さん。

 彼女の指先が、ひとつ、またひとつ、と辛うじて識別信号を出している地球の船の位置を、パネル上にチェックしていく。
 テレサの頬には、涙が幾筋も流れていた。
「……テレサ」
 大介は思わず、テレサの肩を抱いた。
 真田も2人の後ろから、テレサの向かっているモニタの画面に目を注ぐ。

「………<サラトガ>は……」


 古代雪が乗務する<サラトガ>の艦体反応は、その宙域のどこにもなかった。爆発四散した<ブルーノア2220>と同様、その識別信号は完全に消えていた。



  
          *           *          *

 


 その頃、次郎は佐渡フィールドパークへ古代を迎えに急行していた。

 古代を乗せ、そのまま大気圏を離脱できる連絡艇である……古代とはなぜか連絡がつかないままだ。古代進ともあろう男が、モバイルをどこかに置いて来ているのか…

(こんな時に…!)
 古代は、子どもたちを連れてアクエリアスへ行くつもりだったはずだ。だが、事態は一変した……ヤマトはおそらく、第二次移民船団の護衛ではなく、未知の敵との戦いへ赴く事になる。そんな戦いに、子どもたちを連れて行くわけにはいかないだろう。

 眼下に佐渡フィールド・パークのヘリポートを確認し、次郎は連絡艇を降下させた。


                    *



「美雪……」
 フィールド・パークの中庭では、古代と佐渡がふたり、途方に暮れていた。
 子ライオンのライヤを抱いたまま、美雪が灌木のうろに入り込み、一向に出て来てくれないからである——
 

 

 お父さんと一緒に、ヤマトの待つアクエリアスへ行こう。
 古代が、そう子どもたちを説得して連れて行こうとすると、美雪は真っ青な顔をして首を振ったのだ。
「……いや。美雪はここにいる」
「なんで」
 お父さんと、ヤマトに乗ろう?お母さんは先にアマールへ行っているんだ、それを追いかけるんだよ?
「お母さんに会いたくないのかい?」
「……会いたい」


 じゃあどうして…?
 

「……動物たちを、みんな連れて行けないなら…自分も行きたくない、と言うんじゃよ」
 美雪は佐渡がそう父に説明するのを聞いて、うなだれた。抱いている金色のライヤの頭に、涙がぽろぽろ零れ落ちる。
「…だって。美雪が先に行ったら、パパは…みんなを置いて行っちゃうでしょ。…助けてくれないでしょ…」

 だから…!
 救える命には、限りがあるんだよ、分かってくれ!美雪…

 そう言いかけて、古代は思いとどまる。
 ……これが。動物ではなく、人間相手だったなら…。
 自分は同じように言い切る事が出来るのか。

 艦長として、相手が同じ戦士なら。
 大を殺して小を生かす。全体が生きるためには、ある程度の犠牲はやむを得ない。眉ひとつ動かさず、自分はそう言えるだろう。……いや、そのために負う自分の心の傷がどれほど大きかろうが、それが戦いにおいて人の上に立つ、指揮官の宿命なのだ……
 だが、今はそれとは状況が違う。

 地球に生きる同じ<命>として、何を救い何を切り捨てるか。それは…人間が勝手に決めていい事ではないはずだ。
(それは俺だって……良くわかる。お父さんだって、わかっているんだ、美雪……)
 けれど。

 佐渡酒造も、同じ思いだった。
 聞き分けなさい、と美雪を叱るのは容易い。だが、美雪の苦悩は、この惑星に生きる同じ命として、人間がようやく取り戻した倫理、自然に対する情愛の表れではないのか…。そう思うと、小さな彼女の思いを否定する事が出来なかった。
 だが、一両日中に古代はアクエリアスへ赴き、第二次移民船団の護衛艦隊旗艦ヤマトの艦長として出発の準備に入らなくてはならない。長い間、親子は離れ離れだったのだ。直接父親の自分が世話をする事は出来なくても、古代はもはや、守と美雪を地球に残して旅立つつもりはなかった。
 時間が、ない。

 ごめんな、美雪……

 古代は心の中で詫びながら、美雪の腕を捕まえた。力づくで連れて行こうとしたのだ。
「…パパっ」
 美雪の腕から、ライヤがぽとり、と地面に逃げた。驚いた子ライオンは、中庭の林に一目散に逃げ込む。
 ところが、小さな体は同じように古代の腕をすり抜け、くるりと彼の足元に逃げた……「パパ…、ひどい」

「美雪!!」

 美雪はライヤを追って、林の中のひと際大きな木のそばへ駆けて行った。木には、小さなウロがある……
 その中へ、美雪はするりと入り込み。膝を抱えて踞った。
 いつの間にか美雪の背中側にライヤがいて、鼻を擦り寄せて来た。


「来ないで。…パパなんか、きらい…!」


*******************************************

第10章(1)へ>


言い訳コーナーへ