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太田健二郎がこんな場所にいた理由は、偶然ではない。本当に純粋に、上官を思ってのことだった。
白色彗星帝国との死闘を終えたのち、あり得ない帰還の仕方をした上官・島大介。
月の近くでヤマトの上部甲板から被弾し消息不明となった島が、まさかヤマトで古代たちと帰還したとは、……太田にとっても奇跡だった。その理由を彼自身の口から聞かされ、太田はさらに仰天した。
島はテレサに救助され、介抱されていたというのだ。
その上、彼女はヤマトに島を帰らせ、自分が犠牲となって彗星帝国を滅ぼした——
なんという気高い愛情。
太田にとって、そこまで島がテレサに愛された理由は何なのかは、まったく見当もつかなかった。だが、彼女が島をそこまで愛した、という事実は彼の心をひどく動かしたのだ。
そんなにまであの女神のような異星のひとに愛された上官が、恨めしいほど羨ましかった。航海長を、そこまで愛したあの女神に、太田は息が苦しくなるほど感動してしまったのだ。
ところが……
地球に帰還し意識を回復した後の航海長は、自分たちに泣き言を言うでもなく、テレサの為に泣くでもなく、まるで何事もなかったかのような態度だった。
もちろん任務に就いている時は私情は出さないのが当然だ。どんな辛い体験をしてきたとしても、軍務にそれを持ち込めば仕事にならない。そればかりか命取りでさえある。幸い…先だっての航海では、航海長の仕事は以前と同様パーフェクトで、テレサの件が任務に支障をきたしている、という懸念は微塵も感じられなかった。
だが、それにしたってプライベートな時間には、この自分だって過去の戦闘について悔やんだり、失った仲間達について悼んだりするのだ。だから、航海長も俺たちに解らない所で一人、涙を堪えているに違いない。ただ、いつまでも死んだ女のためにめそめそしているわけには行かない、島さんはきっとそう自分に鞭打って、強がっているだけなんだ。
太田はそう固く信じて彼を案じ、その動向をさり気なく見守っていたのだった。
それなのに!!
山田さんと林が、航海長を誘ってまたもや繁華街に繰り出したと、無人艦隊コントロールセンターの徳川から聞き込み、すわ駆けつけてみればこの有様。
ケバケバしい化粧の商売女を連れて、遠目に見てもふらついた足どりで、航海長が出て来たのはあろうことか、ブティックホテルだとは………
「よう、太田…」
「島さん」
目が合って「しまった」という顔をした島に、太田は怖い顔でつかつかと歩み寄り、その腕を掴んだ。
「……島さん、帰りましょう」
太田は自分を抑えようと鼻から息を吐き出し、低い声で静かにそう言った。怒鳴るまい。航海長は、苦しんでるんだ。だから…こんな自棄になって。
「帰りましょう。こんなとこにいちゃ、駄目です」
「なによぉあんた」
反対側の腕にぶら下がっている女が、太田をじろりと睨み上げる。「誰ぇ?このポッチャリ君?」
島が彼女ににこやかに答えた……
「ああ、俺の友達だよ…おおたクン、ていうんだ。彼もヤマトの第一艦橋だったんだぜ」
とりあえず、それはどこでも殺し文句。ヤマトクルーだった、というのはただでさえ強力な口説き文句であるが、第一艦橋勤務となればさらに無敵だったから。島としては、太田を持ち上げたつもりだった。 期待通り、女の態度が途端にころりと変わる。
「うっそ!!きゃ〜〜〜〜そうなの?ごめんなさいねえ、ヤダあ、そんな怖い顔してるんだもの何かと思っちゃったぁ」
「こら太田ぁ、レディを怖がらしちゃぁダメじゃないか。…どうだ、お前も一緒に飲みに行くか?」
女が、やあだ、まだ飲むつもり〜?と呆れた。
——だが、太田の表情はそれを聞いて一層強張った。
「…島さんがこんな人だとは思わなかった…」
太田は腹に据えかねていた……
怒鳴らずにはいられなかった。
「これだけは言うまいと思っていましたけど……忘れちゃったんですか、航海長?…テレサが、あんたをどんな気持ちで助けたと思ってるんだ!」
島の顔が、その名を聞いて急にふっと和んだ…ような気がした。
だが、それは一瞬だった。
島はさも可笑しくてたまらない、というように答えたのだ。
「何を言い出すのかと思ったら…。おい太田。お前が俺をどんな人だと思っていたかは知らないが。お前の勝手な理想、押し付けて来んな。俺は俺だ。お前のアイドルじゃねぇんだからさ」
太田は瞬間、ひどく傷ついたような顔をしたが、引き下がらなかった。
「……僕の理想なんか関係ない。…島さん、あの人に恥ずかしいと思わないんですか。……大恋愛じゃなかったんですか!!」
あらあらまあまあ、という顔になった女をちらりとみて、島は酔った顔をさらに赤くした……こんな、事情も知らない女の前で、何を言い出すんだ、バカ……
「あ…あんなの、恋愛じゃないだろう」
「島さん!」
「たかが何時間か一緒に居ただけだ。そんなの、恋人、なんて言わないだろ!」
「そーねー、カラダの関係なかったら〜、恋人、って言わないわよねえ」
「黙れっ」
島に抱きついて茶々を入れた女を思わず怒鳴りつける。(身体だけの関係だって、恋人なんかじゃない)太田はそう反論しようとして、酔った女の赤い顔にそんな正論を叩き付けても無駄だ…と思い直した。
まったくしょうがねえなあ、という顔で、島は黙りこんだ太田の肩を叩いた。
「…わかったわかった、俺が悪かった。まあ、残念だがな…、テレサは……死んだだろ。いないんだよ、もう」
第一、テレサがどんな気持ちって……そんなの、
俺が知るわけないじゃないか。
——滅多に逆上しない自分が、あろうことか上官を殴ってしまうなんて。
仰天して叫びながら逃げてしまった女を一瞥し、太田は肩で息をしていた。島は、頭を振り振り、両目を瞬いている……。
「……何しやがる」
ベロベロに酔っていても、お前なんかに負けるか……!
尻餅をついてはいたが、島の顔には不思議な笑みが浮かんでいた。太田目がけて、下から右拳が飛び出して来た……たった半年ほど前にあれほどの怪我を負った後とも思えない、強靭な身体のバネだ。島さんは古代さんと喧嘩して互角なんだ、僕が敵わなくても無理はない…
「目を覚まして下さいっ」
けど。そう思ったのも束の間。飛び退いてから一発繰り出したパンチが航海長の顔面にクリーンヒットして、驚いたのは太田の方だった。
……一体どれだけ飲んだのやら。
この俺でさえ、のしてしまえるなんて…。
太田の拳骨をまたもや喰らい、島は後頭部が路面にぶつかるのを感じた。
「…いってえぇなあぁ……」
口ん中、血の味。……久しぶりだ〜、この味……
「島さん、大丈夫ですかっ!?」
大丈夫ですか、と叫ぶ太田に、何だよお前……、俺をぶん殴っといて、大丈夫ですか、もねぇもんだよ……と文句を言いながら。
島はそのまま意識を失った。
*
目覚めたのは、車の中だった。
「島さん…!」
心配そうな太田の顔が、覗き込んでいる。「気がつきましたか?!」
「いてぇ…」
ひでえなあ、思いっきり殴りやがって…。酔いが醒めてないからまだいいが、後頭部に思いっきりタンコブ出来てるぞ。
頭を降り振り起き上がり、外を見る……どうやら、ここはメガロポリス軍港の埠頭らしい。車の周囲は開けていて、フロントガラスからほど近い場所に、オレンジ色の常夜灯に照らされた、戦艦用の大きなボラード(繋留杭)が見えた。すぐそこに海があるのだろう、かすかに波の音が聞こえる。
ちぇ、どう見たって男2人で居たい場所じゃない……。
チラと見やったデジタル表示は、午前5時27分。逆上した太田に殴られて、伸びた…んだよなあ…俺…?
「すいませんでした、島さん。…俺…つい」
太田が差し出したハンカチで口元を拭い、それが洗い立てでないことに気付いてちょっと後悔しながら、島は苦笑した…
「……お前にのされるとは思わなかったな…」
「へへ、俺も島さんをノックダウンできるなんて思わなかったですよ。あとで相原に自慢してやります」
「………おい」
いてて、ともう一度後頭部を撫でた。
太田にぶん殴られて切れた口の中より、路面にぶつけた頭が疼く。
「あの女は、どうした…?」
「逃げちゃいました。……気になります?」
「いや」
…なら、いい。名前も知らない人だったから。
名前も知らない女と……。
——島さん。
太田はまたしても深い溜め息を吐いた。
「……やけくそにしたって、そんな事しちゃ……駄目ですよ。名前も知らない女の人となんて」
「なんだ…説教か?」
「……まったく」
「第一、やけくそってなんだ。そんな風に見えるか?」
「……見えますよ」
「…………」
太田は、蓋を開けたスポーツドリンクのボトルを、島に差し出した。こんな投げやりな航海長を見ているのは耐えられなかった。
「……俺、悔しくて…悔しくてしょうがないです」
さんきゅ、とそのボトルを受け取り、ぐびっと一口流し込み。切れた口内にしみるので、また顔をしかめながら……島は俯いた太田の横顔を見た。埠頭に点々と立てられているライトの明かりに照らされた太田の顔は、悲しそうに歪んでいる。
「……何が悔しいんだ」
「説明しなきゃ、解りませんか」
それはこっちの台詞だ……と、島は思った。この、お節介野郎。
俺がめそめそして、引きこもってでもいれば、お前は満足するのか?
彼女の名を呼んで、泣いてみせれば満足するのかよ…?
「なあ、太田」
お前は、ロマンチストだな。
「は?」
「ロマンチストだ、って言ったんだよ」
「どういう意味ですか?…僕は、島さんがこんな有様じゃあ…あのひと、…テレサが可哀想だと思っただけです」
「……だから彼女に操を立てろ、とでも言うのか?」
「そこまでしろとは言いませんけど……まあ、そんなニュアンスですね…」
「それがロマンチストだって言うんだ」
ふふ、わっかんねえかなあ……
「あのさ」
はい?と及び腰になる太田に、島はゆっくり言って聞かせる……
「俺と、あの人…テレサとは…、本当にそういう関係じゃぁなかったんだ」
恋人、とか。
恋愛、とか。
……そういうんじゃないんだ。
「……だって……」
太田は面食らう……彼は、当時第一艦橋で、テレサの切ない通信の音声をまともに聞いてしまった者の一人だったからだ。
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