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「…反重力スタビライザー作動。エンジン推力カット」
「島さん、港湾本部から、3番ドックへ着水指示が出ています」
「了解」
大気圏内航行用の可変翼を両サイドに出すと、<ホワイトガード>はまるで白い天馬のようだ、と言ったのは機関士の村上だったか通信士の蜷川だったか。降下、着水とほぼ同時に可変翼を収納し、さざ波数本だけを残して3番ドックに滑り込んだ純白の機体を見て、埠頭に居た港湾本部のスタッフがヒュウ、と口笛を吹いた。
「…着水完了。エンジン停止」
操縦桿を放すとブルーグレーのサングラスをひょい、と上げ、島大介は艇長の小林を振り返った。
「うん、見事だ。…港湾本部、移民局医療連絡艇<ホワイトガード>帰港しました。はい、艇長の小林です」
島に頷いてみせながら、小林はインカムに向かって報告する。雷電がニコニコ顔でぐっと親指を突き出してみせた…「流石です、島さん」
「止めてくれ。いちいちそんな褒められたって」
ヤマトでどんな名機動をやってのけても、誰も褒めたりしなかったぜ。…つまりは、褒められればそれだけ…第一線から退いた、ってことが身に滲みるじゃないか…。
島は苦笑して、フライトレコーダーのデータボードをデバイスから引き出した。
「さあて、じゃあこれを整理して港湾本部へ提出…、ですね」
「あ、それなんだが」
着陸後の点検作業に入ろうとした島に、小林がかぶりを振った。「移民局の弟さんから、至急連絡するようにと伝言があったそうだ。港湾本部へ先に戻っててくれ」
「でも」
航海士として、船を飛ばしっぱなし…というのは落ち着かない。ところが、島の肩に手をかけ、雷電がにっこり笑って首を振った。
「後始末は自分がやりましょう。島さんはどうぞ先にお戻りください」
「雷電」
「さあ」
元ヤマト航海班の相撲チャンピオン、大関の異名を取った雷電五郎である。野球のミットのような掌で促されると、逆らえそうもない。
そう…、それじゃあ。
と操縦席を立つ。
「…悪いですね、艇長。では…お先に」
「ああはいはい」
ついうっかり、背筋を伸ばして最敬礼しそうになるのを堪え、島は小林に軽く敬礼し、艦橋を出た。
(調子狂うなあ)
軍隊じゃないから、固いのは抜きにしよう。小林艇長はそう言ったが、こっちはもと軍人だ。固い、と言われても身に付いた所作だから、今さらそれを有耶無耶にする方が難しい。
ただ、この先。テレサがこの船に乗るようになったとしたら、自分のこのポジションはとても有り難い、という事に島は気付いた。当直にしろ、自分が抜けても雷電がいる。小林艇長も運行部出身のパイロットだ。艇長と雷電とで、一通りの航行は充分可能だった。常に第一艦橋に詰めていなくてはならなかった輸送艦<ポセイドン>での航海より、もっとずっと、…彼女のそばにいてやれる。
ふふっ、と我知らず微笑んだ。
昨日は家に帰れなかったから、今日は早く帰ってやろう。
次郎が連絡をくれるよう言っていた事を思い出し、島は港湾本部の建物へ向い、足早に埠頭を歩いて行った。
「よっ」
港湾本部長に言われて、次郎が待っているという地下の駐車場へ向かうと、降車場に弟が立っていて、手を振っていた。
次郎の後ろに停めてあるのは、赤いスポーツタイプの真新しい車である。
「……なんだ、それお前のか?」
買ったのか?
「ああ。親父に半分出してもらったけどな。…家まで送るぜ」
次郎は助手席のドアを兄のために開ける。
「…お前の運転かぁ。どうしようっかな…」
「ちっ」じゃあ置いてくぞ、と言って運転席に滑り込んだ次郎に苦笑して、大介は助手席に大人しく座った。
「テスト航海はどうだった?」
車を地下駐車場から出しながら、次郎は大介にそう聞いた。
「小さいが取り回しのいい船だ。正直に言って、…久々に楽しかったよ、ありがとう」
「そう、良かった」
車は移民局の敷地を横切りながら、一般エリアとの境界にあるゲートへ向かう。窓の外に、滑らかな水面と、吃水線より上を見せて浮かぶ何隻かの戦艦、そして純白の<ホワイトガード>が見えた。芝生の敷き詰められた路面から、警備兵のいるゲートを出ると一般のチューブロードへ入る。
次郎の運転で家に帰るなんて、なんだか不思議な気分だ、と思いながら。大介は運転している次郎の横顔を見た。
「…点検作業もレポートも放ったらかして来い、っていう指示だったから何か急ぎの用があるんだと思ったよ」
「急ぎの用事だよ。…というか、大事な用事だ」
「なんだい?」
「……兄貴に、どうしても頼みたいことがある」
頼みたいこと…?
急に大人びた弟に、戸惑っていないと言ったら嘘になる。次郎の着ている移民局管理スタッフの制服も、カッチリしていて印象としては軍服みたいなものだ。方や自分のなりは、と言えば。カジュアルなジャケットにスラックス、サングラス…とまるまる民間人である。車の運転も、いつの間にこんなに上手になったんだろう。
次郎は前方の車を見据えながら、何から切り出そうかと思案しているように見えた。「…なんだい、折り入って俺に頼みたい事って」
左手にセントラル・コースト、右折してジャンクションをシティ・セントラルに入れば高層ビル街…というところで、次郎は車を停めた。昼間の湾岸ブールヴァード・パーキングには、湾内の波を待ち構えるサーファーが何人か、同じように車を停めていた。
「…いいな、制服なんか脱いで遊びてーな」
ハンドルに凭れて、サーファーたちを眺める次郎に、大介は笑う。
「お前まだ学生だろ。何を急いでるんだ…?」
その言葉に、次郎はゆっくりと顔を上げた。
「……まだ?…兄貴。俺は…21だ。兄貴が初めてテレサに逢った時より、もう上だぜ」
「なんだよ、怖い顔するなよ…」
大介は鼻から軽く溜め息を吐いた……そうか、大事な用ってのは、その事か。
先日、テレサから大体の事は聞いた。そうでなくても、次郎が何を思い、何を最優先に動いているのか…はもう察しがついている。それについて、自分が怒ったり嫉妬したりする筋合いはない…大介自身はもう、そんな風に自分の中で折り合いを付けていたのだった。…むしろ。
「……ありがとうな、次郎」
「えっ……」
「俺だけじゃ、テレサを…幸せには出来なかった。お前のおかげだよ」
俯いたままそう言った兄を、今度は次郎が凝視する番だった。
——ちぇっ。
「…ばっかやろう」
カッコつけやがって。
言うべき言葉を見失い、次郎は再びハンドルを両腕で囲むようにして凭れ掛かった。くそぅ、調子狂うじゃないか……
「礼なんかいらない。かわりに、約束して欲しいんだ」
大介は黙って次郎の次の言葉を待った。
湾の海面に向かって停めている車のフロントガラス越しに、コスモパルサーの機影が見える……さっきよりずっと高度を取って、右から左へと青空を横切って行った。遠い轟音が、少し遅れてついて行く。
「……どんなことがあっても、…テレサを、一人にしないでやって欲しいんだよ」
相当苦労して、絞り出すような口調だった。
大介はふっと緊張を解いた、なんだ……そんなことか。「…お前に言われなくても」
「嘘を吐け!」
突然、すごい剣幕で次郎がこちらを振り向き、怒鳴った——
「もしまた宇宙から侵略者が攻めて来たら?!ヤマトを動かせるのが兄貴しかいなかったら!?それでもテレサを一人にしないと誓えるか!?」
テレサか地球か、どちらか一つを選べ、と言われたら…?!そうしたら兄貴、軍に戻らないと言えるのか?!
怒鳴ってしまった途端にいたたまれなくなったのか、いきなりドアを開けて次郎は外に出た。致し方なく大介も助手席のドアを開け、片足を降ろす。
昼下がりの湾岸ブールヴァードは、蒸し暑いくらいだった。通り沿いに等間隔で立ち並ぶ、背丈の高いシュロの葉が時折吹く風にざわざわと音を立てる。まだ海水浴の季節には少々早いが、防波堤の下に砕ける小さな白波は魅力的に思えた。一陣の熱い風が、足元からふたりの間を吹き抜ける……波が来るのだろう、サーファーたちが歓声を上げて眼下の砂浜から波間へと駆け込んで行った。
「……俺は、彼女に約束したんだ」
大介は、息を吸い込んだまま肩を怒らせている次郎の背中に、言葉を投げた。
「万一、地球がまた危機に見舞われて、彼女や…俺たちの子どもの命が危なくなったとしても。…俺は、戦いには出て行かないってな」
例え君や、俺たちの子どもを守るためでも。
俺は二度と、戦いには行かない。君のそばを離れない……
——俺はテレサに、そう約束したんだ。
次郎が、ゆっくりとこちらを振り向く。
「……兄ちゃん」
大介はにっこり笑って、頷いた。
車のボンネットを乗り越えるようにして、次郎がこちらへ数歩よろりと近寄る。右拳を、ドンとストレートに大介の胸元へと叩き付け……。
「……約束、破ったら承知しないからな」
「ああ」
——任せておけ。
大介はそう言おうとして次郎の表情に瞬時目を奪われた。
「…その代わり、俺が…兄貴とテレサを護るから……!」
「……!」
次郎、お前…いつの間に。
いつの間に、こんな表情(かお)をするようになったんだ…?
小さかった弟が、いつの間にか追いついて来て…、気付いた時には追い越され。
そして、護る、と。
……兄の自分と、愛する人を護る、と……。
それは、嬉しいとか悔しいとか焦燥を感じるとか、そう言った陳腐な言葉では到底表せない、何か不思議な感動だった。
兄弟の口元に、互いに我知らずニヤリと笑みが浮かぶ。
「…ああ。任せたぜ」
大介は胸元に突き付けられた次郎の拳をそっと掴み、その手を握った。
まるで…戦友に対するように。
任せたぜ、次郎——!
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