RESOLUTION 第2章(1)

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 西暦2213年12月。

 メガロポリス・シティ・セントラル。防衛軍中央病院のあるセクションから帰宅する人々の雑踏が、最寄りのチューブステーションへと流れる。夕刻の街は、予想外に明るい。
 日本自治州の12月と言えば、師走…というよりクリスマス、である。街中が師走に入った途端に、クリスマス商戦に向けてしのぎを削り始めるのだ。それはもう、2000年代が始まる以前からの慣例であった。
 きらびやかなイルミネーション、著名な歌手の謳うクリスマスソング。そこここに設置された、ツリーだのトナカイの引くサンタのソリだの…といったクリスマスオブジェ。足元の歩道に施されたラメコーティングとそれを不定期に煌めかせるライトアップイルミネーションが、銀河を裸足で歩いているような錯覚に陥らせる。

 季節の行事を思い出すのも、平和な街並があるからだ。今日の雪の足取りは普段にもまして、軽かった。気の重い患者を見なくてはならない日々は辛いが、今日やっと、夫が地球へ帰還したのだから。



「進さん…!!」

 前方の建物の、ロココ調の大きな柱の向こうに子ども連れの男性が見えた……アッシュグレイのツィードコートに白いカシミアのマフラー。父親とお揃いのコートを着た男の子の手を右手でしっかり握り、もう一人を左腕に抱いている……

「おっ、ママだぞ!」
 その声に、右手にぶら下がるようにしていた長男がぱっとその手を離し…
「ママ!おかえりなさあい!」
「こら、守!」
 急に駆け出したら人にぶつかるでしょう!そう言いながら、雪は飛び込んで来たその小さな身体を抱き上げ、自分の腕に抱いた。
「待たせちゃって、ごめんなさいね!」
「いや、大丈夫。さっきまで3人でアイスクリーム食べてたんだ」
「アイスクリーム?!」

 こーんなおっきいの、ねーーーっ!!

 守に目配せしながら、進はにやっと笑う。「ママがいたら、この寒いのにアイスなんて駄目です、って言われちゃうもんなー」
「なー!」
 守と、腕に抱かれている娘の美雪までが、にやあっと笑ってそう言った。
「……古代くん」
「でたーー、ママがコダイクン、って言った〜〜〜〜」
 守がケタケタと笑った。パパを怒る時、ママはコダイクン、って言うんだよねーーっ。
「シッ」
 進はちょっと慌てて周囲を見回した。……雑踏の中で、自分たちに注目する人間は……よし、今のところ、なし。
「ほら、場所変えよう……車をこの裏手に停めてあるんだよ」
「そうね…」




「航海、お疲れ様でした、あなた!ごめんなさいね、保育所のお迎え頼んじゃって…」

  進の車に皆で乗り込んで、ほっと一息つき。雪は改めてそう言った。
「いいや、先生たちにもしばらくぶりに挨拶できたんで良かったよ。しかし、守も美雪も、ちょっと見ない間に大きくなったなあ!ビックリしたよ…」
「ねえパパ、ヤマト、また勝った?」
 雪のとなりで後部座席のチャイルドシートに収まっている守が、首を伸ばして運転席の父親にそう聞いた。「ねえ勝った?ヤマト勝った?」
「あはは、ヤマトは護衛任務に就いていたんだ。戦いに行ったんじゃないんだよ、守」
「ごえいにんむう?」
「うーんとね、遠い星から荷物を運んでくる船があるんだ。それを、隕石や宇宙気流から守る仕事さ」
「まもるだけ〜?」
「うん、そう。守るだけだよ」

 ふーんつっまんなーいなーっ。ヤマトは強いんだよ、戦いしていつも勝つんだよ。何で戦って来ないの?

 不服そうに頬を膨らます守に、進はハンドルを切りながら苦笑した。
「雪、こういう教育、止めた方が良いと思うぜ…?」
「やあね守、ママ、それはもう言っちゃ駄目よって言ってるじゃない…」
 ふう。…苦笑とため息。


 仕方ないわよ、少し前までテレビでも絵本でもヤマトは強い、カッコいい、みたいなのが流行ってたんだもの……。
(保育所のお友達の間でも、いいなあ、守のパパ古代進だろーー、って言われ続けてきたんだものね…)



 ところが、この数週間だろうか。
 スーパーウエブ上の非公式情報ではあるが…
 連邦政府と軍司令部、そして古代進が旧月面艦隊の乗組員遺族から責任追及訴訟を起こされた、と言う情報が広まった途端。
「ヤマト強い、カッコいい」は保育所でも禁句となったのだった。
 しかし、まだ3歳の守に、ヤマトがカッコいい、と言ってはいけない理由を納得させる事は出来ないままだった。


「…島には、訴訟の件は伝わってないんだろうな?」
「ええ、それは…大丈夫。真田さんが一生懸命シャットアウトしてくれてるから」
「…それもすごいな」
 さすが真田さんだ……島のことだから、電子ニューズウィークはもちろん、ウェッブ上のニュースの類も大体欠かさずチェックしてるだろう?よくバレなかったな。
「……彼の出発までに、もうあと3日しかないもの。一ヶ月間くらいなら、あの家のスーパーウエッブ端末をサーバーごといじって、ニュースの内容から何から改ざんできる、って。次郎くんも内部で協力してくれてるから、万全よ」
「そうなのか…。こう言っちゃあ悪いけど、真田さんと次郎くん、なんだかいい悪戯コンビみたいだな」…それも、地球を股にかけたスケールのな!と進は肩をすくめて笑い出した。
 
「でも、それなら…出発する前に、あいつ…テレサとふたりでクリスマスの街でデート出来るわけだ」
「ええ」

 たった48時間だが、真田の尽力によりテレサはアラートから解放され、自由の身になる事が出来るのだ。ただし、49時間目には地球上からいなくなっていなければならないのだったが…。
「あたしも嬉しいわ。ずっと彼女には我慢ばかりさせてきたような気がして…」
「島が一番そう思っているだろ」
 進も満足そうだった。



 たった数時間前に地球に帰還した古代進は、5日後には被告当事者として裁判の法廷に立つ事になっている。だが彼は、3日後に地球を出発する島大介とテレサには、その事を何が何でも知らせまい、としていたのだった。


「さあて、じゃあ…明日の予定はどうなってる?最初にどこへ行くってあいつ言ってた?」
「ええとねえ、…午前中がイーストショアのプレジャーランド」
「遊園地か!」
 あっははは…、と進は思わず笑った。「で?」
 雪も微笑みつつ、司令本部のスケジュール帳の隅にメモってある、島とテレサの行動予定を読み上げる。
「で…。午後は時間未定だけど、佐渡フィールドパーク、ね」
「遊園地の次は動物園、かよ」
 くくく、と進はまたしてもこみ上げる笑いをかみ殺す…あいつのデートコースにしちゃあ信じられないほど初歩的だな、映画館やら美術館が入ってないのが奇跡的だ。


「じゃあ、ママと守たちは明日になったら先に佐渡先生のところへ行っててもらおうな。明日は動物園だぞ!」
「うん!」と守が身を乗り出す。
「……気を付けてね、進さん」
「おう。加藤も呼んであるんだ。あいつが真田さんから何かいい小道具を借りてくるって言ってた。きっと大統領のSPより役に立つぜ」
「うふふ…ふたりとも、くれぐれも島くんにバレないようにね…」
「はは、当然」



 今までテレサを保護してきた、異星人監視用生体認識コードが出発前の48時間、解除される。もちろん、その事実が不届きな輩に伝わる可能性は低いが、万一を考えてと真田が古代に提案したのだ。島とテレサがふたりで街を散策する間、護衛のスペシャリストが二人を陰から守るように…と。
 もちろん、島にはそんな事は知らせていない。二人にとっては初めてのデートみたいなものだ、親友たちが護衛とは言えコソコソ尾行しているだなんて、居心地悪い事この上ないだろう。
 帰還を楽しみにしていた子どもたちには悪いが、明日は半日、島とテレサのシークレットサービスを努め、その後佐渡先生のところで合流した事にしておこう、と事前に雪とは話し合ってあったのだった。

 あのふたりが、ほんの短時間でも、ささやかな幸せを噛み締めて旅立ってくれるのなら。俺たち家族の時間を、割いてやってもいいよな。



「ふふん、島のやつ……どんな顔してるか、早く拝みたいよ」
「んもう……進さんったら!」

 でも、今晩はお家で、進さんの帰還パーティよ。うちのパパとママも来ているの…きっともう、お料理を用意して待ってくれているはずよ。
「よおし。そうだ、家の方に、守と美雪用のお土産を送ってあったんだ。…もう届いてるかな?」


 クリスマスプレゼントも兼ねてるんだ。お義母さんたちがいるなら、受け取ってくれてるかな〜?


「わーい!!」
 チャイルドシートの守が手足をぽんと放り出して万歳した。雪の膝に抱かれている美雪も、それを真似してばんじゃーい、と両手を伸ばす……
「さあ〜、何が来てるかな〜〜〜?守、美雪は何がいい?」
「ええっとねえ、ええっとお…」

 必要以上に朗らかに振る舞う進に、子どもたちは大喜びである…だが、雪はやはり、心から笑うことができない自分に気がついていた。

 



 車が武蔵野丘陵を抜ける長いトンネルをくぐり、ガーデン・トラストと呼ばれる緑地保存地区に構えた邸に着く頃には、二人の子どもたちはすっかり寝入ってしまった。
 ここは緑化の進むメガロポリス郊外。武蔵野の丘陵に造られた人工湖のほとりに、古代進の邸がある。トンネルを一つ抜ければすぐに都心部へ抜けられる利便性と、山一つ隔てたところに広がっているとは思えないほど気持ちのいい自然…その両方を兼ね備えた高級住宅地。人工とは言えきわめて美しい湖を眺めながら、広いバルコニーで食事が出来る。
それをひどく気に入って、二人で選んだ家だった。

 車をガレージにバックで入れ、進はエンジンを停めた。
 おもむろに運転席から振り向く。
「……雪。君にも、プレゼントがあるんだ」
「えっ」

 ツィードのコートの内ポケットから、細長い箱が出てきた。
「仕事でも使うだろ?」
「…?」

 それは進のお気に入りブランドの腕時計、だった。
「どう、俺とお揃い。コイツのいいところは、指定宇宙域と地球時間との時差を確認できる機能がついてるとこさ」
「まあ!ありがとう」

 お揃い、だなんて珍しい!

 一頃は「お揃い」というのを極端に嫌がっていた照れ屋の進だ。
「一体どういう風の吹き回し?」
「…それとさ、もう一個あるんだ」
 からかうような口調の雪の問いには答えず、古代はもう一つ、小さな箱を内ポケットから探り出す。
「はい」
 こっちはなあに?


 
 包みを開けて、雪は絶句する……
 入っていたのは、リングが二つ。
 小さなダイアモンドのあしらわれた、プラチナゴールドの華奢なリング。そしてもう一つは何の飾りもないプラチナの男性用リングだった。
「ずっと、買えなかっただろ」

 買えなかった、ではなくて、着ける気がなかった、でしょ…?
 そう言おうとしたが、言葉が出て来ない。


「……俺も、島みたいに……退役した方がいいかい?」
 運転席から後ろを振り返った姿勢で、進がそう小さく囁いた。「…ずっと、君の…君たちのそばで、普通のお父さんのように…」
 
 古代くん……。
 なんて優しい声——……

 

 一度護衛任務に出ると、大抵半年は会えない二人だった。そんなの、もう一体、何年前からのこと?私たち、結婚前からそんな付き合いじゃない。とっくに慣れっこよ、と雪は言おうとする。結婚指輪だって、婚約指輪だって、ナシ、だったじゃない、あたしたち、それで…良かったじゃない。
 だが、上手く声が出なかった。
(民間人になれば、…当たり前の生活が手に入る。進さんは宇宙、私は病院、子どもたちは保育所…そんなバラバラの生活を続けなくてもいいのかもしれない……)



 しかし、雪は首を振った。
「…ありがとう、進さん。いいのよ、…あたし」
「雪」
 ぐっすり眠っている美雪を膝に抱いたまま、雪も思わず身を乗り出した。不自然な姿勢でふたりは唇を合わせる……

「古代くん…」
「雪……」



 サイズが合うかどうか、指輪、はめてごらんよ。
 ううん、後で。今はもう少しこうしていたいの……
 お母さんたちが待ってるよ……
 いいの…
 もう少し……ここで…ふたりだけで。



 ガレージに入ったまま、車から誰も降りて来ないのを不思議に思った雪の母が、玄関から降りてくるまでの……束の間の、狂おしい時間だった。
 数日後に進が対峙しなくてはならない問題は酷く苦しく、辛いものである……けれど、二人でいれば。きっと乗り越えられる。



 そうよね……?
 古代くん…
 
 
 
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