奇跡  恋情(25)




 次元断層から瞬く間に漆黒の通常宇宙空間へ投げ出された機体。……しばし司は茫然自失した。
 明滅するコンソールパネルの蛍光色表示に、はっと我に返る……点滅しているのは、神崎の身体状況を表示する医療用のパーソナルバイタルサインだった。数秒と経たぬうちに蛍光オレンジは点滅を止め、安定した印のグリーンが点灯する。
 混乱して視線を泳がせるその先に、密集した敵艦隊が映った。その矛先には、こちらに艦尾を向けているポセイドンが、そしてヤマトがいた。



 心臓の激しい拍動に、呼吸が詰まりそうだ。自分は確かに、元艦載機乗りで…訓練成績だけは抜群、と言われて来た……とはいえ、未知の敵との殺し合いはこれが初めてだった。過去の侵略戦争中には司の世代はまだ実戦配備されておらず、その後も彼女は月面基地で新型戦闘機開発のため、人体実験さながらに拘束されていたのだ。
航法科に舞い戻った後に乗り組んだ太陽系外周警備の任に就く戦艦アルテミスでも、敵と交戦した経験はなかった。

(落ち着け……落ち着け、あたし)
 どうすればいい…、どこからどう、叩く…?!

 密集した敵艦隊の中央に位置する一隻から、無数のモールス様の明滅信号が他の艦に送られている。

 …あれは、司令船…?
 一番近くにいる敵ミサイル艦らしき船の天蓋部分から、このコスモタイガーの機体とほぼ同じほどの大型ミサイルの弾頭が迫り上がり、地球艦隊へと照準を定めるのが目に入った。
 交信機からは、雑音が聞こえるだけだ。…もう通じていないのかもしれない。だが司はメットのマイクに向って躊躇いなく叫んだ。
「島艦長っ、こちら司!真後ろに敵艦!5隻います、大型です!!これより敵艦へ攻撃を開始します、援護を…お願いします……!!」

 このコスモタイガー2は哨戒が目的だったから、充分な爆装はしていない。ミサイルが左右で計8発、あとは機首のガトリングレーザーガンだけだ。だとしても…取るべき行動はただ一つ。
 敵の大型弾頭すべてが、ガントリーから離れてエンジンを噴射し、ゆっくりと加速を開始した。司はそのひとつに狙いを定め、機首のレーザー砲を発射する。
 大型ミサイルは2発が誘爆し、艦隊を揺るがせた。爆発の衝撃を避けて反転離脱していた司は反射的に空域全体、そして敵艦の船体にくまなく目を走らせる。……ここで艦載機戦になれば、一巻の終わりだ。たった一機ではまるで勝ち目はない……
 だが、幸いにも敵艦には艦載機がないのか、迎撃しに出て来る小型機の気配はない。司は、密集している5隻の敵艦の中央、最も大きな一隻を凝視した。

(ミサイル狙いは…弾が無駄だ。指揮系統を…崩さなきゃ)

 機体を90度傾けたまま急降下し、司令船と思しき艦に接近する……その艦橋付近を次の標的に定めた。目標がガンレンジに入る。
(……照準セット…発射Fire)
 ミサイルの発射ボタンに指をかけ、次々と8発全弾を見舞う。艦橋付近の装甲板に上がる爆煙。機銃掃射に切替え、なおも攻撃を加える……司令船から周囲に向って放たれるモールス様の点滅信号が途絶えた。
(…さすがにそろそろ、拙いかな)
 敵艦の側面にずらりと並ぶ無数の銃眼がこちらを狙い、レーザーの照射を始めた。周囲に展開しているミサイル艦隊の短距離砲も、艦隊の間をぬって飛ぶタイガーを狙い始めていた。

 ……と。ようやく後方レーダーに無数の機影が映る。
 鈍く光る数十の機体が、こちらへ向って接近して来る。友軍、コスモファルコン隊だ。彼らを目視して初めて、じっとりと冷や汗をかいているのに気づいた……どっと安堵の溜め息が漏れる。


(…よし、撤退…!)
 ———と、その刹那。

 ……カリン……カ…リン…   

「えっ」司は思わず声を上げた。
(何…?今の)
 誰かが、私の名前を呼んだ。空耳…にしてははっきりと。司は思わず辺りを見回す……敵司令艦の中腹に目を走らせる。修理されていないのか、それとも先刻の爆撃で与えたダメージなのか。艦腹から艦尾にかけて大きく穿たれた黒い穴……声は、そこから流れ出して来たとでも言うのだろうか。茫然とする……

 その一瞬を突かれた。敵艦のレーザー砲が、タイガーの2つの垂直尾翼のうち1つを貫く。
(ばっ、バカ!!)
 閃光に眼が眩んだ一瞬後、衝撃を感じて振り返る…数十センチ着弾がずれていれば自分も上半身を吹っ飛ばされている所だ。キャノピー背後のデルタ型垂直尾翼の右側が半分、消し飛んでいた。機体が尾翼の打ち抜かれた方向、右に急回転し始める…
 瞬間的なすさまじいマイナスG。

 いけない、神崎くんは頭に怪我を…!!

 とっさに自分が無傷であるか否かを確かめる。自動制御装置が働き、機体の横回転に逆噴射制動をかけ始めた。激しい振動と目眩。

 どこまで自動修復対応できる!?
 …発光オレンジのデジタル表示が出る。自動修復後、通常飛行に戻れる可能性は…12%!? だめだ、脱出しかないじゃん!!
 しかしそれはできなかった。意識のない神崎を置いて、自分だけドロップアウトはできない。…今までに遭遇したどのピンチより酷かった。


 …どうする?!

 

                     *

 
 飛んで来るミサイルを回避しつつ、ポセイドンは下方へ後退してヤマトの防衛線内へ入った。先ほどからボラー星系言語で交信を試みていたが、相手からの返信はなく、ますます攻撃は激しくなる一方だ。

 島は気が気ではなかった。
 なぜ司のタイガーが敵艦隊の後方にいたのか、神崎の怪我の状態は…!?
 司からの通信は途切れたままだが、二人の発信器のバイタルサインは彼らがまだ無事でいることを伝えている。ということは、ヤマト艦載機に混じって空中戦をしているのか。


(あのバカ、なんですぐ戻って来ないんだ!!)


「ミサイル接近、速度50宇宙ノット、距離300!方位右35度から55度に展開、第4波接近!方位右15度から25度に展開、上下角23度、距離500!敵艦載機の発進、依然認めず!」
 ヤマトとその艦載機が撃ち漏らした大型ミサイルを、さらに迎撃するか回避する……次々に接近するミサイルの全ての位置を口頭で送るのは困難を極めるが、赤石はごく冷静にそれを繰り返し、同時に操舵席・主砲席コンソールへデジタル信号を送り続ける。新字がそれを受けて、次々に砲塔への発射命令を下して行った。
 大越は必死の形相で操縦桿を握り、降下しつつ赤石の読み上げに従って右に左にミサイルを交わす。主砲発射に伴う姿勢制御も同時に行わなくてはならない。ヤマトとは違い、回避行動も姿勢制御も、ある程度までは自動調整されるポセイドンだが、大越にとってはこれが精一杯だった。読み上げのスピードに付いて行けず、時折「糞っ」と小さく呻く。完全に輸送艦隊勤務出身の彼にとって、この初の実戦操舵はかなり厳しい状況だった。島はその様子を横目で見ながら拳を握りしめる。…交代してやることは出来ない。もう少しの辛抱だ、大越…!

 ポセイドンの艦体が、完全にヤマトの張る弾幕と艦載機隊の防衛ライン内側に入った。
「新字、主砲攻撃止め!大越、艦首上げろ、2番艦・3番艦、セパレーション用意! 衛生班、司と神崎のバイタルチェックを続行、鳥出、非常回線258に切り替えて司を捕捉しろ!!」
「大越、シグマとラムダの管制に入ります。艦長、メインドライブ交代願います!」
 間髪を入れず、右から大越が叫ぶ。艦を停止させ、2番艦・3番艦は無人管制により大越のコントロール下に入った。
「よし」
 衛生班のグレイスからは、島のイヤホンに報告が分単位で入ってくる。
<カンザキT.P.R、ツカサT.P.Rとも正常。カンザキ、意識レベル100>
 身体埋め込み式の発信器により彼らの現在位置が分かる他、バイタルサイン(心拍、血圧、体温などの基礎身体状況)が逐時報告されるこのシステムは、この一戦で初めて機能したことになる。ただ、位置に関しては空中戦を行う艦載機の中にいるという条件なので、それほど正確ではなかった。だとしても、これまで出撃した艦載機の連中が戻るか戻らないかは神のみぞ知る…、という有様だったことを思えば、数段の進歩だ。

 ——だが、今、島は神崎とともに司をタイガーで出したことを、激しく後悔していた。
(いくらあいつが古代や坂本に匹敵する腕前だったとしても——。万が一、というのは誰にでも、いつでもつきまとう…)
 ちっ、と舌打ちする。自分がこれほど動揺するとは思ってもいなかった。万が一…彼女を失うようなことにでもなったらと思った途端、居ても立ってもいられないことに気付いたのだ。

 そうこうしているうちに、古代が艦載機隊に後退を命じているのが耳に入った。
「…ヤマトが主砲攻撃に移るぞ。新字、志村にも撤退命令を出せ!鳥出、司から返答は」
 ヤマトのコスモファルコン隊が、次々に反転し離脱して行く。コスモタイガー2の機影は、…依然、捕捉できない。鳥出が、さっきからずっとやってるんですよ…!という顔で振り返り首を振った。その間にもインカムに向って叫び続ける。
 バイタルサインは正常だが、神崎は少なくとも失神しているのだろう。ということは、操縦しているのは後席の司だということだ。無謀な行動に腹を立てつつ、はらわたを引きちぎられるように思い、それほどに司を心配している自分に再三戸惑う…。

<ツカサT.P.R上昇!!…心拍142、体温上昇…血圧異常!>
 追い討ちをかけるように、グレイスの逼迫した声が耳に飛び込んで来た。
「衛生班、神崎機がどうかしたか!」
<……事故、もしくは被弾したと思われます!>
「何!!意識レベルは」
<正常値です。致命的ダメージは受けていないと思われますが、…T.P.R値だけでは判断しかねます!>
 島はグレイスの一言に、拳を握りしめた。
「鳥出、司に撤退命令を出し続けろ。格納庫、ビーコン発信用意、誘導準備、医療班、消火班出動準備」
<はいっ>医務室、および艦底からも緊迫した声が返って来る…

 被弾していても、負傷していても、どうにか飛べるなら司は機を捨てないだろう。意識のない神崎を乗せているのだから、あいつは絶対そうする。
 何の根拠もなかったが、島はそう信じた。——今は、祈るしかない。

 ヤマトが敵艦に対して威嚇砲撃を開始する……眩い閃光の中に、戻って来るコスモタイガーの機影が見えはしないかと、島は目を凝らした。

 

                 *


 
  どうにか横転しない程度に機体の平衡を保ちながら、右旋回しかできない翼を操り、司は煙を吐くタイガーを大きく旋回させていた。キリモミ状態から脱することが出来たのは奇跡に近かった。敵艦隊と距離を取って戦域を迂回し始めたが、かなり距離が出てしまった……このまま操縦不能に陥れば、艦隊からはぐれてしまう…だが、回避行動を取るしか、他に方法はない。


 身を伏せて、前席の神崎を気遣いながら、司はどんどん重くなる操縦桿に体重をかけて必死に旋回を続けた。
 視界の隅に、ヤマトが砲撃を始めたのか、眩しい光の束が幾筋も横切るのが映る。無線は尾翼をやられた時に完全に死んでいた。神崎のバイタルサインが後席に表示されていることから、もしかしたら自分たちのバイタルだけは、まだ本艦に届いているのかもしれなかった。
(…そんなら、私たちがまだ死んでないって、分かるのかな……ていうか、つまりこれ……死んだ瞬間も、…わかるってことだよね……ヤだな…)
 少なくとも、死ぬ瞬間は自分ではわからないだろうが、このシステムを管制している衛生班には、万一自分が死んだらそれもデータとして伝わる訳だ。そう考えると、彼らに気の毒なような気がして来た。嫌な任務だろうな……誰よ、こんな悪趣味なシステム考えたの?

 操縦桿に体重をかけて、体中を突っ張って右に傾ける……機体が悲鳴を上げて歪み、ピシピシ…という細かい揺れが伝わって来る…
「……!!」
 バキッ……
 ヒビの入った右翼の先が、嫌な振動を残して砕けた。
(まずいな……まずい…)
 燃料を捨てた方がいいのだろうが、そうするともう…戻ることはできないだろう。引火するのが早いか、分解するのが早いか…。
(………島艦長……)

『生きて、還れ』
 ——それがミッションだ、と言った島の顔が、ぼんやりと頭に浮かんだ。

『断層内の情報を、ガミラス側に開示してくれるよう要請してみよう』
 そうも言ってくれた。
 まったく…そんな無茶なこと…。
 あたしのためだけに。
 ……やっぱり、変だよ……。艦長って。いい人、過ぎる。
 司は情けない顔で笑った。


 だから。
 ——あたしは…島大介のファンなんかじゃないんだってば。


 …でも。
 不覚にも、懐かしく思い出す。——そのからかうような仕草、心配して怒る顔。そして…自分を慰めてくれた、肩を抱いてくれた…大きな手。
 満身の力を込めて操縦桿にしがみついているせいで感覚の麻痺してきた右手を見おろす。この手を握ってくれた………艦長の力強い手……

(すいません、島艦長。……ミッション、遂行できませんでした…。神崎くんも、ごめん……許してね…)

 突然、司は思い至った。
 自分はずっと、気がつかなかっただけだ。あの人を…、

 島艦長を心の奥では尊敬し。そして、全力で追って行きたい…と思っていたことに。


(艦長…私)
 多分、恋とか憧れでもない。存在の本質で、島の傍に居たいと願う自分がいた。
(死にたくないよ……!あたし…艦長の傍で生きたい。艦長から教えてもらいたいことがまだ…たくさん)
 ……でも。今頃気付いても、もう……遅い……


 涙で手元が霞んで来た。しかし拭うことはできない。操縦桿は強情に、司の腕や手を引き千切ろうとしているみたいだった。この手を離せばまた激しいロールが始まってしまう…
 前席のキャノピーにできた亀裂の修理が充分でなかったのか、酸素が漏れていると赤ランプが伝えている。それでも、もう何も出来なかった。…意識が混濁し、目の前が暗くなって来る。
 朦朧とした司の目に、意外なものが見えて来た。
(なんだろ……?緑色の……かべが……)

 あはは、もう、だめだ。幻覚が見えてる……
 緑色の、高い壁がボウッ……と目の前にそびえ立つような感じで現れた、と思った。


 ——島艦長、アタシ、ホントは、艦長のこと…大好きでした…

 そう思ったのが最後だった。司は意識を完全に失った。

 

 

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