<(23)
艦長室には、藤堂平九郎と古代進が来ていた。
艦隊司令と護衛艦艦長、…二人の肩に手をかけ、藤堂は静かに頷く。
「島、古代、……頼んだぞ」
「はっ」
最敬礼する二人を見て、藤堂は満足げに微笑む。
平和のための航海とは言え、宇宙ではすべてが未知数である。だが、立ち向かうべき敵は目下おらず、航海を妨害するものは見当たらない。こんな平和な旅の始まりは、かつてなかったといっていい。
「第一次特殊輸送艦隊旗艦ポセイドン、ならびに護衛艦ヤマト、本日15時を持って地球を発進します」
古代と島は短く最敬礼した。
「うむ」
艦長室から眼下に見下ろせる巨大な甲板、そして左右に位置する無人の艦。今、その内部には恐るべき人類の負の遺産が積み込まれ、地上を後にしようとしていた。数百年間、この地球内部に潜み続けた負の遺産、高レベル放射性核廃棄物はついに完全に浄化される。
そのポセイドンの先に目をやれば、そこには護衛として随伴するヤマトが係留されていた。
再び、ヤマトの勇士たちが地球を救う……
古代と島、そして多くの乗組員たちの手で、またもや我々は救われるのだ。
——旅立つ沖田の息子たちに、藤堂は微笑みつつ答礼した。
* * *
指先のない、華奢なバックスキンの革手袋を尻ポケットから出し、両手にきゅっとはめる。手袋(これ)だけは譲れなかった。支給品では落ち着かない。
もう一度、後ろにまとめて結い上げた髪を、指先で注意深く撫で付ける。
防衛軍本部の中継モニタにいつ映ってもいいように、艦内服の胸元のファスナーをぐいっと締め上げ、襟を正す……
それからゆっくり、メイン操舵席の操縦桿に両手をかけ、深呼吸。
(あたしならできる、大丈夫)
司はそう自分に言い聞かせた。
「総員発進準備にかかれ」
副長のカーネルが艦長席の前に立ち、島が頷くのを受けてから艦内放送のマイクを片手に全艦に指令を出した。「発進5分前……先に護衛艦ヤマトが懸架台より着水し、発進する。それを確認後、メインエンジンをスタートさせる」
司は復唱した。
「了解、発進5分前。第1から第3まで補助エンジン動力接続」
「補助エンジン、動力接続」続けて渋谷が復唱する。
「自動操縦解除。手動に切り替えます」
フルオートマティック・ナビシステム搭載のポセイドンだ。自動操縦を解除しない限り、発進もすべてシステムが済ませてしまう。だが、その完全機械制御による自動発進は、このマンハッタンでは少々都合が悪いと言うことが事前に判明していた。外海近くにあるロングアイランド島の高級リゾート地から、上昇ルートとして上空を横切ることを拒否されているという。つまり、ロングアイランドを横切らないよう、上昇中に右旋回し進路を微調整する必要があるのだ。
島は艦長席から降りて来て、何事かカーネルに囁きメイン操舵席に向かった。
司は、唐突に島がすぐそばから自分を見下ろしているのに気がついた。
「手動スタンバイで発進するが、…大丈夫か」
「……!艦長…」
(——「大丈夫」って答えるしか、ないじゃない…)
司は脇の下に嫌な汗をかいていたが、まさかこの場でオヤジ臭く脇の下をタオルで拭く、なんてことは(したくても)できないので、一言だけ返す。「…はい」
「そうか」島はそれだけいうと艦橋の外を一渡り見回した。「……空が混んできたな。鳥出、報道が上昇ルートを侵害しないよう本部に再度要請しろ。ロングアイランドは北北東へ迂回する」
「了解」鳥出がインカムに向う。
(……シミュレーションと同じ、同じ、同じ……)
島の声もそっちのけで、花倫はそう心の中で呪文を唱えた。
足元から、ポセイドンの拍動が昇って来た。テスト航海の時と何ら変わりはないはずだが、積載量はMAXの上、発進操作は手動だ。しかもこの艦の周囲には各国報道陣の飛行艇が大挙して押し寄せており、上空はさらに民間報道機で混雑しているという有様だった。定刻通りに出航するため、先ほどから軍と警察の警備艇までが出動し上昇ルートの確保に努めているほどだ。よもや自分がこの大観衆の見守る中、記念すべき出航式の発進の指揮を執ることになろうとは…。
「第1から第3まで、補助エンジン定速回転各1600に到達」機関長の渋谷が重々しく告げた。
「サスペンションエリア後退…、ヤマト、海面に向けて降下…」片品が、艦橋に沿ってパノラマ状に展開するビデオパネルの下段にずらりと並ぶモニタを一斉に切り替える。民間放送のテレビ画面や艦首カメラ、船体のあちこちに設置された艦載カメラの映像が24のモニタに投影され……モニタのうち中央の3つほどに、先発のヤマトをとらえた映像が出る。その手前に3Dホログラムのヤマト画像が回りながら浮かび上がり、船体に受ける大気や波、風の強さを流れるようなデジタル発光表示で告げ始めた。
「北北西の風、風速20。イレギュラーに突風が発生しています、航海長、操舵に注意してください。波の高さは平均0.75メートル…」
「了解」赤石が海上の様子を報告するのに、司も昂然と返答する。
マンハッタン・スーパードックの懸架台が左右に割れ、先に発進するヤマトがゆっくり降下して海面に着水した。そのまま、大きな軌跡を残して自由の女神の左を進んで行く。次いでかすかな振動とともに、スーパードックの懸架台がポセイドンを載せてゆっくりと降下して行くのが感じられた。
「よし、……本艦も着水用意」
「着水用意、両舷推力バランス正常………着水します」司が言うのと同時に、機関長が補助エンジンの出力を上げる。「……各補助エンジン、回転上昇2500」
「レーザージャイロ作動…低速3.2……」片品がレーダーコンパスの作動を確認する。
ふと気がつくと、島はまだ自分の横に立っている。
(……艦長席に、戻らないのかな……)
「艦長、戻らなくていいんですか」余計なことかもしれないと思いつつ、計器と前方から目は離せなかったが、司は島にそう言った。
「……いいのか?」
——そばにいなくても?
顔は見えなかったが、島がにやっと笑ったような気がした。
(い、…いいのか?って……)
司はちょっとむくれたが、島がまだそばにいてくれることが正直嬉しかった。だがその問いには答えず、後方からの渋谷の声を聞き、読み上げを続ける。
「速度、30ノット」
「速度、30ノット」
「……波動エンジン内圧力上昇……シリンダーへの閉鎖点オープン」
海面を高速で移動する巨体は、滑らかにうねりを乗り越え、かすかに船本来の揺れを呈した。後方では海に滑り出した2隻の艦を送り出すため、見送る会場から盛大に花火が上がっている。あの大観衆の見守る中、全世界にテレビ中継される中、安全に、上手にここから飛び立たねばならない……
テスト航海の時にも周囲を取りまいていた飛行艇の群れが、防衛軍の警備艇に牽制され、上昇ルートから離れた空域にホバリングしているのが見える。テスト航海の時より、その数はまた一段と多いようだった。片品の操作するテレビ各局のチャンネルも、メインパネルの下方にずらっと並ぶモニタから見ることができた。そのうちの半数以上が、おそらくその飛行艇群からの映像だろう。
……急に、胸の動悸が激しくなって来た。
(——かっこいい、なんて……思う余裕…ない…!!)
「第1から第3までメインエンジン出力上昇…エネルギー充填90%」渋谷の声が、頭の中で妙にハウリングして聞こえる。
「補助エンジン、出力最大…。メインエンジン、…始動、1分前」
反射的にそう言ったが、息が切れているのに自分でも気がつく。
(…落ち着け…あたし…)
ふうう、と長めに息を吐く……大丈夫、出来る。
エンジン出力に押され、艦首が自然に上を向き始めた。反重力装置が働き、巨体を次第に波間からリフトアップして行く。凄まじい波頭が津波のように後方のマンハッタンに向って逆巻いて行った。マンハッタン島の下部に設置された防波ユニットが、荒ぶる海水を島の底部へと送り、海面を宥める。
「エネルギー充填、120%」
「反重力バランサー、出力正常。……フライホイール、始動、……波動エンジン点火……10秒前」
ヤマトはすでに海面から飛翔立ち、上方40度くらいの中空にいる。
「……6…5…4…3…2……フライホイール、接続、点火!」
「あっ!!」
赤石と島とが同時に声を上げた。
間髪を入れず、状況に気付いた片品がメインパネルにモニタの一つを切り替え、小さく叫んだ……「馬鹿野郎!」
上昇ルート脇に待機していた報道陣の飛行艇が2機、突風の煽りをくらい、接触したのだ。白く煙をたなびかせて墜落する2つの機体から、赤いスーツの人影が4つ、脱出した。即座にパラシュートが彼らをふわりと中空につなぎ止める。
「冗談じゃない…!右舷パルスレーザー砲、スタンバイ!」新字がそう怒鳴り、島の指示を振り仰ぐ。パルスレーザー砲ならすぐに使用可能だ。接触した飛行艇の機体は一機が真下へ、一機が回転しながら横様にこちらへ向って墜ちて来る……「艦長、撃ちますかっ」
「待てっ」
下は海だが、平和目的で出航するこの式典で、爆破は拙い。…それは、最後の手段だ。
(俺なら避けるか)島はとっさに思考を巡らせ…
——司に、それを、要求できるか…?!…いや、無理か…
やむを得ん爆破しろ、と新字に応答しようとしたその刹那、目の前の司が叫んだ。
「…回避します!!左旋回35度!」
「なに…!?」
まさに今発進のために、右手は点火レバーを引いていたのだ。ここで出力を最大に上げ、ロングアイランドとヘリの間を抜ければ済む……
「機関長、メインエンジン出力最大!!総員、何かに掴まってください!」
島はそう叫ぶ司の横顔を呆気にとられて見つめた。
大きく艦が加速上昇し、巨体が左に傾く。
左水平可変翼の切っ先が海面を再び切り裂き、高層ビルにも匹敵する高さの水柱を上げる……イーストリバーの河岸に向い、津波のような波頭が襲いかかった。
もとよりクルーは全員シートベルトを装着しているが、傾斜に負けじとさらに両肘を突っ張りながら、赤石が素早く両岸の防波ユニットの作動を確認する。「両岸、都市部への波の影響はありません!」
「よし、補助エンジン、フルパワー噴射続行!」島が叫ぶのに、機関長も負けじと応える……「補助エンジンフルパワー、メインエンジン、出力上げます!」
「上昇角、45!!」
反重力装置による垂直の浮力と後部エンジンの噴射によって、ポセイドンは巨体を傾けつつ、旋回上昇した。
天空から降り下ろされた斧のように、墜落する飛行艇の機体がポセイドンの右腹をかすめ、海中に没して爆煙と火柱を上げる……
「…やった…」大越が姿勢制御を補助しつつ、眼下の水柱を確認して声を上げた。
「く…あっ……」艦内は未だ凄まじい横Gがかかっている状態だ。司は操縦桿の反動に、思わず呻く…、パワーコントロールが利いていて、この反動!
「……!!」
はっと顔を上げる。
踏ん張れ!の声とともに、操縦桿がふっと軽くなった。
「艦長!!」
今までメイン操舵席の背に手をかけて身体を支えていた島が、操縦桿を握る自分の両手にその手を重ね、渾身の力で引いてくれていた。
「このままロングアイランドをフライパスする!」
「はいっ」
「大越!大気圏内航行用補助翼、展開用意!」
「了解!」
「補助翼、第1から第6まで展開っ」
補助翼の展開とともに、艦は途端に安定を取り戻した。と同時に操縦桿もこころなしか軽くなる……島は司の手と操縦桿を離し、身体を起こした。
「…よくやった」彼女にしか聞こえないよう、耳元で島がそう言ったのに気付き。…司は船が窮地を脱したことを悟った。
旋回上昇する巨大な艦体。
前方をやはり旋回上昇するヤマトの姿が、次第に紺碧の空に溶け込んで見えなくなって行く。眼下には細長い高級リゾート地だけでなく、たった今飛び立って来た小さなマンハッタン、そしてアメリカ大陸が全貌を現し、それらすべてがまるで地球に吸い込まれるかのように小さくなって行った。
大気圏はあと数分で離脱する。艦橋から見える周囲の大気が次第に透明になり、船体は太陽の光を一瞬反射して、それを今度は急激に吸収し始めた。艦が大気圏外へ完全に出たのだ。司は読み上げを続けた。
「……大気圏離脱。補助翼……収納」
「補助翼、収納します」
「重力圏離脱、波動エンジン、大気圏外出力へ!」
司と大越の声を受け、渋谷が嬉しそうに復唱した。「波動エンジン、大気圏外出力に切り替えます」
上昇に伴うGがすっとなくなり、地球の重力圏外へ出たのが分かった。代わりに、自動的に人工重力が働き始める。
「艦を水平に戻せ」島の指示を司が復唱し、ポセイドンは人工重力に従って水平に戻された。
「総員、地球に向けて敬礼!」カーネルが艦長席の横から叫ぶ。
司以外のクルーが全員、自席を立ってビデオパネルに映る後方の地球に、最敬礼する。
操縦桿を握ったまま、司もビデオパネルを見上げて安堵の溜め息をついた——。
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