<(22)
一体彼女は……
呼吸が速くなるのを無理矢理抑えつつ、島は彼女に近づいた。
——すると。
突然、”彼女”が両手を頭の上にあげて思い切り良く伸びをしたのだ。
「えっ……」
見ていると、そのまま彼女は腕を身体の回りでぐるぐる回し始め、凝り固まった身体をほぐすかのような動作をし始めた。そして、首を左右にコキコキと倒し、肩を回し、もう一度豪快に伸びをして…「ふあ〜〜〜〜〜〜ァ」と大きな声で欠伸をしたのだ……
唐突に、その女性が誰だか分かった。
——そんな、まさか。
まあ……確かに……でも。
「…艦長!」
上体を後ろにひねるストレッチをはじめた彼女は、突然視界に入って来た島と次郎を目にし、びっくりした顔でこちらに向き直った。慌てて最敬礼する。しかしブルーのドレスで正装している彼女が、背筋をしゃんと伸ばして慌てて軍隊式の最敬礼をする様はどうにもチグハグで、それを見た島はとたんに緊張が解けた。幻が現実の世界に抜け出して来たような錯覚に捕われた後だけに、緊張した自分が堪らなく可笑しくなってくる。
「そうか……司だったか」
次郎は何がなんだか分からず、呆気にとられている。
「兄ちゃん、……この人、知ってるの?」
「艦長、……この方は、…弟さんですか?」
“テレサ”が怪訝そうに、こちらに近よって来た。
「ああ。弟の次郎だ」
……弟…さん。
司は声に出さず、そう呟く。
そうか…そういえば島艦長って、今まで家族の誰も亡くしていないんだって雑誌で読んだわ。メガロポリスの高級住宅地にお家があって…パールのネックレスを普段から着けているようなお母さんがいて。
……基本的に、いいトコのボン、なんだっけ。
養護施設育ちの自分との、その境遇の差に、司は瞬時妬みにも似た感情を抱く。だが、こちらを丸い目で見ている次郎には罪はない。無愛想にするわけにはいかなかった。
「初めまして……ではないですね。昨日、弟さんにはお会いしてます」
「この人は司中尉。おれの直属の部下なんだよ、次郎」
「えーーーーー!!」
なんだ、知ってたのか……。ただ、次郎にはなぜ兄がクツクツと笑いを漏らしているのかわからない。なんだかキツネにつままれたような気分だ。兄の方は笑いを抑えきれないでいる。
これが本当の馬子にも衣装、というやつだ。
「しかし見違えたよ。…艦内服姿の君しか見たことがないからな」
「あ、はあ…それはどうも」
褒められても別に嬉しくない。しかもなんでこんなに笑われなくちゃならないのよ。…島艦長って、笑い上戸なの?それとも、バカにしてるわけ?……と司は鼻白む。「あの…何がそんなにおかしいんです?」
司がムッとしているのに気がつき、島は素直に謝った。
「いやあ、すまんすまん。あんまり普段と違うんでな…」
「は、はあ……。それで、テレサ、と…?」
司は次郎をちらっと横目で見て、そう言った。次郎と島は、ちょっとどきっとしてお互いに顔を見あわせる。
「ああ…いや。びっくりさせて済まなかった」
「いーえ」普段と違う、それがどうしてそんなにおかしいわけ?私の質問に答えてないわ、艦長ってば…失礼しちゃう。
そう思ったが、司も仕方なく愛想笑いをした。
「どうだ、ゆっくりできたか?」
すっかり緊張感の消し飛んだ島は、デッキ風の手すりに寄り掛かりながら司にそう聞いた。「…家族も来ているんだろう?こんなところに一人でいていいのか?」
「あの……私、…家族は」
島は口籠る部下の様子を見て、すぐに悟った。
来られるような家族は、——いないのか。
それは昨今珍しいことではなかったから、それほどショックは受けなかったが、素直に謝る。
「…そうか、すまない。まあ、今晩はゆっくりして、明日の出航式に備えてくれ。……出航の指揮はお前に任せるつもりだからよろしく頼むぞ」
「え…艦長……、それは」
「テスト航海の時にそう言っただろ?なに、アルテミスとそう変わらないさ」
「出航式ですよ?普通の艦長ならともかく、島艦長は代表航海士じゃないですか」
「航海長はお前だろ」
「いや、だから、そういう問題じゃないですってば…」
「そういう問題なんだよ」
「……艦長!!」
「あはははは…」
「笑いごとじゃないですよ…!防衛軍もマスコミも、期待してるのは艦長が出航の指揮を執ってる姿で、あたしなんかじゃないんですから」
島は慌てる司に、楽しそうに更に畳み掛ける。
「そんなのかまうもんか、無視しとけ」
「無視ってそんな……。んもう……」
次郎はといえば。
彼は楽しそうに二人の様子を見守っていた。兄ちゃんが部下をこんな風にからかうなんて、珍しいこともあるもんだ。
(なんだか、今回の航海(たび)は、兄ちゃんにとっていいことがありそうだぞ)——時折見せる司花倫の笑顔は、兄から奪った「テレサ」の写真の笑顔にやはりどことなく似ていた。
兄が、どうやってテレサと知り合い、どうして彼女が兄を好きになったか……なんてことは今となってはもう、どうでもいいことなのかもしれない……
笑いあう兄と部下の司を見て、次郎は胸のつかえが取れたように感じたのだった。
その昔、アメリカ合衆国の中枢だったマンハッタン島南部には現在、巨大なドーム型の特殊ドック——マンハッタン・スーパードックが建造されていた。ここがポセイドンの船籍のある母港となり、メンテナンスや荷物の搬入が行われることになっている。出航はこのドックから行われる予定だった。傍らを流れるイーストリバーの川幅は、ガミラス侵攻以前の3倍近くに広がっており、まるで大きな湾のようだ。
マンハッタン島の地下約1700メートルには、ガミラス戦役で使われた地下都市とその交通網が張り巡らされており、一月前からそれを経由して各地から高レベル放射性核廃棄物の特殊コンテナがフルオートマティックで続々と搬入されている。
出航前日にはポセイドン本艦の右舷サイドにドッキングされる1番艦のシグマ、左舷の2番艦ラムダともに全積載量の70%まで高レベル放射性核廃棄物の搬入が済んでいた。そして乗員が集中する本艦には、中間基地建設のための資材が積まれている。
「……フル・ペイロードだな」
搬入状況をチェックしながら、大越が唸った。
現在時刻は1050(ヒトマルゴーマル)午前10時50分。出航は午後15時の予定である。
「過積載にならないでしょうね……わかってんのかしら…搬入組」司が反対側の2番サブから同意した。「予定外のものも積んでるしね」
大越がそれを聞いて苦笑する。
「……まあ、仕方ないですよ。ホントのこと言うと、俺も丸腰で出掛けるの、ちょっと不安だったんです。主砲がついてほっとしましたよ」
第一艦橋には当初なかった砲術担当者が乗り組んでいた。ヤマトの南部康雄砲術班長の元部下、新字(にいな)隼人である。ポセイドンの主砲もパルスレーザー砲も、アンドロメダタイプのフルオートメーションシステムなので、砲術班員は10名とそれほど多くない。しかし、やはり4基の46ミリショックカノン砲となると重さも半端ではなく、輸送艦としての可積載量の30%を持って行かれる形となってしまった。
「ま、行きは重いけど帰りは軽いのが運び屋だからね…なんとかなるでしょ」
「そうなの?防衛軍本部の話では、どっか途中に中継基地を作るらしいわよ。ガミラスからも色々輸入するって…」
「げ。じゃ、行きも帰りもフル・ペイロード…常に満載状態ですかね?俺、自信無いなあ……」
その大越の口ぶりは、まるで自分が行きも帰りもずっと運転を任された新米長距離トラックの運転手のようだ。
「ふう。ぐたぐた言ってないで、そろそろ最終チェックに入りましょ」
司はもう一度、担当の2番サブのチェックを始めた。
(……まさか艦長、あたしに出航の指揮をとらせるって話……本気じゃないわよね……)
事ここに至っても島は冗談を言っているとしか、司は思っていなかった。
——だから、正午のブリーフィングで、改めて出航の指揮を執れ、操舵は任せる…と言われた時の彼女の固まり方は半端ではなかったのだ……
*
「往生際が悪いですよ、班長」
にやにやしながら、大越が言った。
テスト航海の時、確かに島は「司にやってもらうから」と言っていたではないか。司にしても大越にしても、担当艦だけではなく本艦の操舵も完璧にこなせるよう、シミュレーションを重ねて来ているはずだった。
他のクルーから見ても、島がそれほど理不尽な要求をしているとは思えなかったので、気の毒だなとは感じても取り立てて反対する者はいない。
「……うう、艦長の意地悪…」
「大丈夫だよ、航海長。艦長はできないことをやれとは言わんだろう。あんたの腕はなかなかのものだ。私は良くわかってるから。安心して任せられると思っとるぞ」
機関長の渋谷に慰められつつ、メイン操舵席にすごすご戻って来た司を他の仲間が励ました。
「司、艦長は艦長席にふんぞりかえってないとさ、やっぱり格好つかないじゃん?だから、頑張れよ、航海長」通信班長の鳥出がいつものよく通る大きな声で笑う。
「何ビビってんですか、あんた航海長でしょう」呆れた、という顔でそう言ったのはレーダー席にいる片品だ。傍らには補佐の赤石が居て、微笑みながらこっちに目配せしていた。
「テスト航海と違ってかなり重いですもんね。司さん、艦長に腕試されてるんじゃないですか?」屈託のない笑みを浮かべ、無邪気に司の一番気にしていることを言い放ったのは護衛班長の神崎である。
空気読めよ〜、という顔で神崎を一瞥し、苦笑しながら新字がフォローに回った。
「そんなの、計算上もうわかってることでしょ。余計なプレッシャーかけないであげたらどうです?」
「はは、フォローになってねーよ、新字氏…」鳥出がお手上げ、といった顔で天を仰ぐ。
「あああ、みんな意地悪だああ」
司はチェックリストと計器とを交互に睨みつけながら嘆いた。……まったくここの男どもは一体、私をなんだと思ってるのよ…。心配してるのか…それとも面白がってるのか。
実のところは、司はこんな風にグダグダ言いつつも、いつも作業をほぼ完璧にこなすので、第一艦橋クルーとしては彼女に不安を持つどころか、今では厚い信頼を寄せるようになっている。
なんだかんだ言いながら、あれほど完璧に仕事ができるのなら「ギャアア」だの「やだあああ」だのという女子高生じみた悲鳴を上げなくてもいいのに、…と片品だけは呆れ顔だったが、そのきゃあきゃあ言う声が今では第一艦橋全体を和ませているとは、当の司本人もまるで気づいていないのだった。
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