奇跡  基点(22)

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 翌朝、まんじりともせずに夜を明かした次郎は、コネクトルームの扉の向こうで両親が騒がしく外出の準備をする物音に、はっと身を起こした。
(ああ、そっか……今日は兄ちゃんとニューヨーク観光に行くんだっけ…)
 夕べの出来事は、次郎の心に大きなわだかまりを残した。雪さんに会わなくちゃ。会って、話を聞かなくちゃ……。だが、そんな時間は果たしてあるだろうか。

 おそるおそる顔を出したルームサービスの朝食の席には、昨晩のことなどまるで覚えていない、といった顔の兄がいた。
「おはよう、次郎」
「……おはよう」
「昨日はごめんな」
「え…」
 兄が、苦笑いして謝った。次郎は面食らったが、自分の方こそ兄の秘密を暴き立ててしまったような気がしていたから、首を振ってボソリと答える。
「…俺が悪かったんだよ」
 あんなこと、もう気にしないで旅に出てくれたらいいんだけど…。

 


「どれどれ、豪勢だな!!」
 何も知らない父が、席についてホクホク顔になっていた。「なんだか申し訳ない気分だよ、大介…」
 艦隊司令の島の待遇は、おそらく他のどのクルーよりもいいのに違いなかった。だが、島自身も他のクルーとそれを比較した訳ではないから、本当のところはよく判らない。
「お父さん、大介はそれだけお国のために働いているのよ。いい息子を持って、あたしたち、感謝しなくちゃね……」
 母はいつでも、本当にいい子に育ってくれた、という思いを言葉だけでなく体中で表してくれるので、母に会うととてもくすぐったく感じる。逆を言うと、母と会う時には「その期待を裏切っていないかどうか」が最も気にかかるのだ。お前はいい子だ、自慢の息子だと言われるのは、正直荷が重い…だが今のところ、結婚以外には母の期待を一度も裏切っていないという、妙な自信や安心感があった。この母を裏切るとしたら……おそらくそれは、遺体となって還ること、なのだろう。だが宇宙へ出る時にはいつも、その可能性がゼロではないことを覚悟して旅立つ大介だった。此度も、それは変わらない。
「母さん、今日は目一杯、どこへでも行きたい場所へお供しますよ」
 せめて一緒にいられる時間だけは。この母の笑顔と自分への期待を、裏切るまいと大介は心に決めるのだった。

 一家はその日、艦長直々の案内でポセイドンを一周することから始め、親子4人水入らずで主にニューヨークの観光スポットを回った。
 母が楽しみにしていたティファニー本店でのティータイムや、次郎が絶対に登ると言って聞かなかった自由の女神の展望台のほか、考えつく限りの効率的なルートでこの巨大な都市を巡ったが、たった一日ではさほど満足の行く観光は出来なかった。

 一行がへとへとになってホテルへ辿り着いた頃には、すっかり日が落ちていた。
「……あ、花火」
 次郎が指差したその先に、大輪の華が咲く。
 都市全体が、ヤマトとポセイドンクルーを迎えて浮き足立っていた。昨晩に引き続き、エリス島から打ち上げられる花火は豪勢に夜空を彩り、それがディナータイムの合図となった。今夜の晩餐会も各宿泊所の大宴会場で賑やかに行われるのだろう。



                *



「……なーんか、うんざり」
 早く明日にならないかなあ……。

 司花倫は自室の窓から見える大きな花火を見ながら、ベッドの上にごろりと横になった。まったく連日この街のお祭り騒ぎときたら…ちょっと浮かれすぎじゃあないの?

(寝そべりながら花火鑑賞カア…これはこれで、かなりの贅沢には違いないけど)

 自腹を切って、だったら絶対にこんなところへは泊まらない(泊まれない)し、花火もこんな特等席で見たことなど一度も無かった。唯一、記憶に残る花火大会はもっとずっと小さい頃のこと。兄と養護施設を抜け出して観に行った夏の川辺の思い出。対岸に上がる花火を見るために、人ごみをかき分けながら進む兄を花倫は見失い、取り残された恐怖で泣き叫んだ。兄は泣き声を聞きつけてすぐに戻って来てくれたが、音だけがドオン…ドオン…と頭上で響き、ちっとも楽しくなかったのを覚えている。

(お兄ちゃん……)
 花倫の兄和也は、ガミラスとの戦いで戦死した、とされていた。

 18歳で養護施設を出た兄は、生活のため迷わず地球防衛軍の志願兵となり、持ち前の才能を活かして航海士への道を駆け上った。だから、妹の自分も施設を出たら兄と同様、軍艦の運転手になるのだと、幼い花倫も当然のように感じていたのだ。だが、帰還する度兄は首を横に振った。

 だめだ、花倫。宇宙は女の行くところじゃない。
 なんで?どうしてよ…、お兄ちゃん?あたし、お兄ちゃんと同じ船に乗りたい。

 どうしても、といって聞かなかった花倫を思いとどまらせたのは、ある時兄に連れて行かれた防衛軍の航空ショーでの出来事だった。
 戦闘機のアクロバット飛行。
 空に轟音の軌跡を描きながら飛ぶ、美しいパープルの翼、紫電。
 当時の主力戦闘機はあくまでも地上戦対応のもので、大気圏外に出ることを想定されてはいなかった。

「奇麗だろう?この大きな空を飛んでみるのはどうだ?花倫」
 そう兄に勧められるまでもなく、花倫は戦闘機の虜になっていた。施設を出た彼女が、一目散に飛行科を目指したのには、そんな理由があったのだ。
 兄の和也には、地球のあちこちに落ち始めた謎の隕石のニュースから、大気圏外での戦闘が現実のものになる時代が目前に来ていると解っていた。だが、艦載機を積んで出撃できる宇宙戦艦の開発はまだ遠い将来の事だ……花倫が防衛軍へ入りたいと言うのは致し方ないとしても。和也は、妹が宇宙へ戦いに出ることなど望んでいなかったのだ。
 そして、西暦2190年代末頃。
 外宇宙からの侵略者、謎の艦隊との接触。航続距離の限られた宇宙戦艦しか持たない地球防衛軍は壊滅の危機に瀕し、地球は遊星爆弾の攻撃に晒され変わり果てた姿となっていた。
 2199年。和也はゆきかぜ型宇宙駆逐艦<きりしま>の航海長として出撃し、冥王星付近で艦艇ごと行方不明になったのだった。




「はぁーあ」
 息苦しさを感じて、空調の吹き出し口を見上げる。エアコンはもちろんちゃんと利いているが、深呼吸してもどうも清々しくない。このエグゼクティブフロアはホテルの15階にあったから、はめ殺しの窓は開けたくても開けられなかった。風に当たりたかったら、昨日みたいにデッキを模した宴会場の外のバルコニーに出なくてはならないのだ。

 ——めんどくさいな… 

 しかし、5分後には結局エレベータ—に乗っていた司だった。一張羅のポリエステルのドレスは、昨日も着たのでちょっと汗臭いかな、と思わなくもなかったが、フレグランスの類いならすれ違うどの人もみんなつけている。紛れてしまえば分かるまい。そう開き直っている自分に、思わず苦笑した。空腹ではなかったが、喉がとても渇いている。しかしルームサービス自体に慣れていない彼女は、自室に人を呼びつけるという行為そのものに抵抗があったので、だったら運動を兼ねて出歩くのも手だと考えたのだ。

「うわ」
 パーティーホールは笑いさざめく人・人・人……とてもではないが、ここで立食、というのは我慢できなかった。
 目についた、サンドウィッチとチキンの乗った皿をまるごとさっとかすめ、通りすがりのボーイからシャンパンだかリンゴジュースだか確かめもせずにグラスを1つ受け取ってその場で飲み干し(幸いなことにリンゴジュースだった)もう一杯、別のボーイから同じものを受け取る。
「あああ、ヤダヤダ…」
 司は急ぎ足で昨日、夕涼みに出ていたバルコニーの端に向かった。


 島も、連日のパーティーにはうんざりしていた。こんな予算があるのなら、とっとと出発させて欲しい。本気でそう思い、途中で何度も捕まったプロジェクトのスポンサー関係者や政府の広報関係者にも知らず知らず、不機嫌そうな顔をしてしまっていたらしい。
「……兄ちゃん、そんな無愛想でいいの?」
 脇で見ていた次郎が、ちょっとハラハラしながら…その一方、少しだけ愉快に思いつつ兄にそう言った。
「えっ?」
「見るからに嫌そうな顔してるよ」
「…そ、そうか?」
 あはは、と笑って次郎は会場の外へ兄を誘った。昨日、あのドレスの女の人はここのバルコニーの一番端っこにいた。まるで、やっぱり人ごみは苦手、と言わんばかりだった。……もしかしたら、今日も会えるかもしれない。…兄ちゃんがテレサを忘れられないとしても、似た人がいたら、ちょっとは慰められるのかもしれないぞ……
「兄ちゃん、ここからの眺めがすごくいいんだよ」
 俺ってお節介だな、と自嘲しつつ、次郎は観音開きの大きなドアを押し開け、バルコニーへ出る。

 潮風が、ふわっと吹き抜けた。

 広いバルコニーの右端では、管弦楽四重奏の生演奏が行われていた。デッキチェアのまま、飲みものをボーイに注文して演奏を楽しみつつ、ゆったりくつろげるという趣向のようだったが、そのスペースの反対側は照明が少なく、並べられたデッキチェアや小さなテーブルセットにカップルが数組座って話しているだけだった。
「いい風だな。…明日は…晴れるぞ」
 雲一つなく星も瞬かない漆黒の夜空に時折大輪の花火が上がる。島は月を探して、それに傘がかかっていないのを確認し、満足そうに独り言ちた。

 次郎は、バルコニーの隅をじっと見つめる。
 ——いた!!

「兄ちゃん、あの人」
「ん?」
 次郎が指差した20メートルほど先のバルコニー左手奥に、ブルーのドレスの女性がいた。月明かりにスレンダーな肢体と腰まで届く金髪がぼうっと浮かびあがる。言われなくても、懐かしい人がそこに甦って来たような錯覚に囚われた……
 島は面食らって次郎を見下ろした。
「へへへ…あの人、昨日もあそこにいたんだよ。ポセイドンの乗組員だって言ってた。兄ちゃん、気がつかなかったの?今まで」
「な……なんのことだ」
 そう言って動揺を隠そうとしたが、実のところあんなクルーがいたことなど、確かに今の今まで知らなかった。一体何班の誰なのか、てんで見当がつかない。
「行ってみよ」次郎はすたすたそちらへ向かって歩き出す。
「おい、ま…待てよ」

 潮風に当たりながら、手すりにゆったりともたれているその女性の後ろ姿は、動悸がするほどテレサに良く似ていた。

 

 

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