＜（20）

　——ごめんな。ごめんって言わなきゃいけないのは、俺の方なのに……

　大きく溜め息をつき、大介はベッドにどさりと腰かけた。
　バタン、と次郎が閉めて行ったコネクティングルームのドアを、無言で見つめる。俺は、そんなに怖い顔をしていたかな…。
　もう一度、ふう、と溜め息をついた。
　空調は心地よく効いていたが、濡れた頭のせいで身体が少しだけ冷えて来た。備え付けのバスローブがクローゼットの中にあったのを思い出し、渋々腰を上げる。
　ベッドの上に、ぽつんと乗っているリモコンを横目で見下ろした。スクリーンには、停止状態のままブルーの画面だけが映し出されている。
　島は無言で、クローゼットを開けてバスローブを取り出し、袖を通した。

　………あの後……彼女は、テレザートに一人、戻って行った……

『彼女はお前を愛していた。地球のためにお前を返してくれた、その愛にこそ応えるべきじゃないのか』
　あの時、古代はそんなことを言っていたな。

　俺は…彼女の思惑通り、一緒にヤマトへ戻った。君と一緒でなければ帰らない、っていうようなことを、俺は彼女に言ったっけな……まるで、駄々っ子みたいだった。彼女は…俺を宥めるために……、そのためにだけ、一緒に…来てくれたのか？

　…そうは思えなかった。

　あの宮殿で、一緒に行きますと言って彼女が流した涙は、じゃあ、一体何だったんだ…？

　島は、戻ってきてベッドに腰掛け、改めて音声ディスクを再生し始めた。
　相原が傍受した、テレサから彗星帝国へのメッセージが甦る。
　——進撃を中止しなさい、ズオーダー。
　…彼女の凛とした声が響く。
　テレサは彗星帝国に進路を変えるよう要請し、そうしなければそれはテレザートへの侵略行為と見なします、と警告を発していた。

（……こんなことを言いながら、自分の星を……爆破するなんて）
　今、冷静に考えれば、彼女がテレザートを自爆させたのは疑う余地なくヤマト、いや…自分を無事に逃がすためだったと判る。……斎藤や相原が、通信機の件やテレサの非協力的な態度を二度とあげつらわなくなったのが、その証拠だった……だが。自分はあの当時、何を考え、何を感じていた…？　

　…まるで、思い出せなかった。
　握りしめていた掌が冷たく汗ばんでいるのに気付いて一人苦笑し、バスローブの裾で拭う。幾ら考えをまとめようとしても、うまく行かなかった。通信記録は、まるで他人事のように漫然とスクリーン上に時間の流れを再現していった。デスラーからの通信を境に受信状態は酷く乱れ、そこから先は本当に千切れた受信テープを所々つなげたような、聞き取り辛いものになっていった……

　ああ、……あの戦いは……
　本当に、…酷いものだったんだ。
　徳川機関長が亡くなったと、……
　加藤が、山本が、…新米も、…斎藤も…亡くなったのだと、
　病院のベッドで聞かされた時のことを今さらながら、苦々しく思い出す。
　
　……自分だけが命長らえたのは、死んだと思ったはずの彼女のおかげだった。彼女の恋情がどうしても理解できなくて、俺だけを助けたのはなぜだ、どうして機関長や他の奴らも助けてくれなかったんだ、と逆恨みにも似たことを口走り、死ぬほど後悔した日々もあったっけ…。

　音声が途切れ、妨害電波と数種類の放射線が出す甲高いノイズだけが、しばらく続いた。
　最後に、記録の終わりらしきガリガリガリ……という音が２・３秒続いて後……、ふっとすべての音が途切れた。

　……これで…終わりか。

　島は、自分がずっと息を詰めていたことに気がつき、苦笑して全身で大きな溜め息をついた。そして、リモコンの停止ボタンを押すために手を伸ばす…
　——その刹那。

『……島さん………』

　その瞬間、たった一言、……溜め息とも吐息ともとれる懐かしい声が、自分を呼んだ。
　
　島は、目を見開いたまま動けなくなっていた。
　今のは、なんだ？
　
　最期の静寂の中で、テレサの声が自分を、…呼んだ。
　瞬きせずにいたために霞んだ目を一度ぎゅうとつぶり、頭を振ってからもう一度、レビューする。

『……島さん………』

　生還し、事情を聞いた病院のベッドで、古代は驚くべきことを自分に告げた——その時のことが思い浮かぶ…
「…彼女は、生きていたんだ」
　テレザート星と共にあの星域に散ったとばかり思っていた彼女は、生きていた。爆発に傷ついた身体でヤマトをずっと追って来てくれ、そして最後に再びその命と引き換えに…地球を守ってくれたのだ。

　話にはそう聞いていたが、今の今まで信じてはいなかった。

　震える指で古代がくれたもう一方のチップを、プレイヤーのUSBポートに差し込む。小さな立体映像がデザート皿ほどの再生機の上でクルクル回りだし、白いスクリーンに拡大映像を投影し始めた。
　連動スイッチを押すと、音声と画像、２つのメモリがリンクする。
　そこには、見まごうことのないヤマトの第一艦橋から見た宇宙が映っていた。ヤマトの第一艦橋の真下に設えられた艦首カメラが、巨大な火炎を上げて地球へ向け主砲を放つ白色彗星帝国の母艦と、そこへ向かう一筋の淡い光を捕えている。
　島が食い入るように見つめる中で、その光は回頭する敵母艦を捉え、そこで一気に膨張した。緊張するノイズ。耳障りなガリガリという音、そして、静寂。
『……島さん………』　
　音の無い世界で、四散する閃光の中で。はっきりと、テレサが…自分の名を呼んだ。
「う……うあぁ……」
　息を詰めて画面を見つめていた島は、我知らず呻いていた。

　——古代の話は、本当だった。

　あの光は、彼女なんだ……
（テレサは、最期の最期まで、俺を……俺の名を……）
　我知らず、こめかみに拳を押し付け強く頭を抱えた……封印していたはずの思いが堰を切って溢れ出し、暴れるか自分を傷つけるか、どちらかでしかもう収拾がつかないと思った。しかし一方で、こんな風にパニック状態に陥ってしまっている哀れな自分を冷笑的に蔑む、もう一人の自分がいる……
　自分が己の中で分裂して行くのを否応無く感じた。
　俺は、彼女を忘れたと思い込もうとしていた。自分をそう暗示にかけていたんだ。
　テレサはまだ……俺の中に生きていたのに。

　当時、生還したのち、佐渡から聞かされた話を思い出した。
　島の体内を流れる血液に地球外生物のものと見られるDNAが混入しており、それが奇跡的に彼の命を取り留める働きをしていたという事実。
　雪と古代が、テレサ本人の言葉を記憶していた。……テレサ自身が「私の血が島さんの身体に流れている」と話したのだという。二人は後々の影響を考え、佐渡だけにそれを打ち明けた。彼が極秘裏に行った血液検査で、それが事実であることが裏付けられたのだった。

　負ったはずの傷痕の深さや規模の割に、異常に回復が早い…、そのことを佐渡がどう他者に誤摩化したのかは知らない。通常大量に輸血を受けた場合に見られる血液成分の変化や肝機能の異常…といったものも起きなかったので、他の医師たちにはわからなかったのかもしれない。…事実、雪と古代の証言と、テレサのものと見られるDNAの痕跡以外、何一つ島の身体に変化は認められなかったのである。そして、その後の侵略戦争に於いてもその「痕跡」が再び彼の命をこの世につなぎ止めた——

「まあ結局、テレザートの医学の進歩の度合いの問題なんじゃろうな」と佐渡は結論づけた。たった一人で永い時間を生きて来たテレサは、やはりたった一人で自分の健康と命を守らなくてはならなかった。体調不良を起こしても、助けてくれる者は誰もおらず、看病してくれる同居人もいない。彼女がフルオートマティックの医療システムをあの宮殿内に備えていなかったと考える方が理不尽だ。そのシステムには死者蘇生のための技術すら備わっていたかもしれない。そして、異星人である島の身体に補うことのできる無害の輸液を、彼女自身の血液から抽出する技があったとしても、驚くにはあたらない…むしろそれほどの科学力を有していたからこそ、宇宙空間に漂う島を救い、ヤマトを勝利に導くことも出来たのだ。

　雪が言っていた言葉がぼんやりと思い出される。
「テレサさんね……私は、島さんの身体の中で生きることができる、だからもう死ぬことはないって、…言っていたのよ」
　だが、当時の島は思った。
　そんなのは、生きてるって言わない。
　　…テレサ。
　君を、抱きしめることも。
　君の声を聞くことも、その瞳を見つめることも２度と出来ないのに。
　この身体の中に君がいるとは……俺には……とても、思えない、——と。

　こんな地獄を見せるために、彼女は俺の命を救ったのか。…時にはそう思わずにはいられないほど、生き存えたことを後悔する日々もあった。96人もの仲間が死んで行ったあの戦いで、自分一人だけが救われたことが、彼女の愛の表現だったとは……にわかには感じられなかったのだ。それが…。

　——島さん——

　たった一言。
　その声を聞いた途端、島はすべてを理解した。彼女は…俺を、愛してくれていた。
　何度も記録を再生し直す。スクリーンに投影され続ける膨張する光芒と爆煙に、思わず手を伸ばした。

（行かないでくれ…！）

　…これは艦載カメラの映像で、しかも７年も前の、月軌道上近くの出来事で……。そんなことは理屈では分かっていたが、島は思った…出来ることならこの光の中へ、自分も身を投げ出してしまいたい、と。

　記録が終わり、再び画面がブルーバックに変わる。
　深海の底のような暗い室内に、蒼いスクリーンだけが光る……
（……テレサ……）
　後ろざまに思い切りよく倒れた。
　ウォーターマットが、それを静かに受けとめる。

　——古代…。お前は、あの声を……俺に聞かせたかったんだな。

　今になってようやく、古代がこの数年何を思い悩んでディスクを自分に渡しそびれていたのかが判った。
　次郎がいるはずの隣の部屋は、妙に静かだ。さっき思わず嘆いてしまったから、次郎にはもしかしたらそれが聞こえたかもしれない。だが、そんなことはどうでも良かった。なぜなら…。
　古代も次郎も、俺も、……生きているのだ。彼女のように、時の彼方、誰の記憶も届かない彼方へ消えてしまった訳ではないからだ。

（あの時、俺は…君のことを、永遠に忘れない、と誓ったはずじゃなかったのか）

　地球は彼女に救われたとは言え、その事実は公表されないまま時は流れた。この俺が彼女を覚えていなかったら、彼女の存在は…本当になかったことになってしまう………
　…だからといって。
　思い出せば、切なくなる。会いたくて、どうかしてしまいそうになる。…無理矢理、封印する以外にどうすればいい……？

　
　ブルーバックだけが投影されているスクリーンが、唐突に真っ暗になった。気がつけばフットライトも何もない暗闇で、島は身じろぎひとつせず天井を睨みつけていた。

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