奇跡  基点(18)

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「大介兄ちゃん!!」
「何だ次郎……どこに行ってたんだ?パーティー会場へ行っちゃうところだぞ」
 ドレスアップした母をエスコートして父が歩いて行くその後について行きながら、ブルーの麻のシャツにライトグレーのスラックスの兄が、廊下を走って来る次郎を呼び止めた。結んでいない胸元のナロータイが、まだだらしなくぶらんとぶら下がっている。
「兄ちゃん、ポセイドンクルーに、テレサにそっくりな女の人がいるの……知ってる?!」次郎はにやにやしながら小声でそう言った。
「は…!?」
 何でお前がその名前を知ってるんだ?
「…おいこら、何を言ってる……」
 尋問しようとした大介を、母が呼んだ。「大介、エレベーターが来ちゃうわよ」
 大介は次郎の首根っこを捕まえると、小声で言った。「……その話は後でゆっくり聞かせてもらうからな。今は黙ってろよ、次郎!」
「へいへい」次郎は笑いながら兄の手をかいくぐり、エレベーターへ向かって逃げ出した。



               *



 ブルックリンブリッジの袂の緑地に開設されたガーデンパーティー会場はおよそ500人を収容できる大宴会場で、すでに立食形式で宴が始まっていた。

 宴のプロローグに相応しい、NY交響楽団の奏でる本格的なクラシック音楽とムードたっぷりの照明、会場全体を彩る豪奢な生花と人々の目を奪う巨大なシャンパンツリー。氷細工のヤマトやポセイドンの72分の1スケールモデル、ニューヨークの一流モデル総動員のバニーガールたち……。地球連邦政府の威信をかけた初の平和的宇宙計画とはいえ、異様なまでに盛り上がる贅を尽くしたこの会場の片隅で、周囲を見回しながら古代進は溜め息をついていた。

「……どうしたの、古代くん」
 シャンパングラスを2つ、持って戻って来た雪は、憂鬱そうな表情の進に優しく声をかけた。
「……ん」
 雪の差し出したグラスを受け取りつつ、古代は曖昧な返事をする。
「なんだかさ、相変わらず異常なはしゃぎ方だな、と思ってさ」
「……そうね」
 過去、宇宙戦艦アンドロメダが竣工した時にも感じた、どこか子ども騙しの過熱感。——これは、例の気違いじみたただのお祭りだ。

 政府の発表を冷静に分析すれば、トライデント計画は過去の主導者たちの失策の尻拭いだとすぐにわかる。スーパーウェッブ上では一部で散々叩かれているTプロジェクトだが、連邦市民全体にはすこぶる評判がいい。それはすべてマスコミによる情報操作の賜物だった。この祝宴、このばか騒ぎもそもそも、勇敢な平和的旅立ちを必要以上に褒めそやし、ドラマティックに仕立て上げることで、かつての主導者たちの無責任な政策——核廃棄物の地中放棄——への追求をかわすことにあるのだ。
 ただ…それが判っていても、真実を洗いざらい説明せずにおきたい相手もいる、と雪は思うのだった。
「……一緒に行けない人たちのため、って思うようにすればいいのよ…。今回は特に、戦いに出るわけじゃないし…」
「そんなの、わからないだろ。大体、ポセイドンだって途中で砲塔を増設したじゃないか。宇宙では何が起こるかわからない。こんな風に浮かれてていいんだろうか…」
「…ふふ、心配性なんだから…」

 浮かれていれば不意をつかれる。古代の勘は以前にも当たった。だが、彼のように、ガルマン星や君主デスラーを直に知る者たちにとって当然残る懸念や不安は、一般市民に対しては伝わらない……いや、伝えることの出来ない事実であった。
 強大なガルマン・ガミラス帝国を友好宇宙国家に迎えた地球は、その庇護のもと、より一層の繁栄を約束されたようなものである。連邦政府自体がそうしたプロパガンダを行い、市井を活性化しているのだから無理もなかった。一般企業が参画して、必要以上に宴を盛り上げているのも、経済効果の一端と思えば済む…だが、今この瞬間にもマンハッタンの地下には、人類を即時滅亡させることも可能な量の、高濃度核放射性廃棄物が集められている、それを忘れていやしないか…?ポセイドンが無事に出航するまでは、地下で作業を進める連邦政府の作業人員も、このブルックリン地区一帯すら、100%安全とは言えないはずだ。
 …そうしたあれこれを憂慮する古代の気持ちは雪にも分からなくはなかった。だが、たとえ一夜の夢であろうとこの平和を疑うことなく過ごさせてやりたい人がいるのも、また確かな事実なのだ。
「あたしの両親も、お祝いしたい、って言ってくれたわ。今回は…パパは病気で来られないけれど、進さんによろしく、って。パーティーくらいには、出たかった、…って」

 雪の父は心臓病を患い入院中で、それを看病する母も今回の旅の見送りにアメリカまで出てくることは出来なかった。雪の両親は、トライデント計画が平和目的であることに安堵し、喜んで娘夫婦を送り出したのだ。そして、今度こそ本当に安全で奇麗になった地球で、孫と一緒に暮らす夢を持っていた……これが異星人との戦闘を確実に伴う、何時帰れるとも分からない旅であったなら、雪はこれほどすんなり両親を後に残して出てくることは出来なかったのかもしれない、と思うのだった。
「……そうか…、ごめん。気がつかなくて」
「いいのよ。そんなことが言いたかったんじゃないの」
 夜空にまたひとつ、花火が上がる。
 それに合わせるかのように会場内の音楽がクラシックからノリのいいアメリカンポップスに変わって行った。
「お祭り騒ぎしておかないと、これが本当に平和のための任務だって事が確認できないのかもしれないじゃない…?いつだって、宇宙へ出るときは…命がけだもの」
 まるで独り言のように呟く雪を、古代は見やった。
 今夜の雪は、ローズ色のマーメイドスタイルのロングドレスだ。首に巻いたスリット糸入りの長いストールがきらきら光りながら背になびき、まるで本物の人魚姫のようだ…と進は思った。
「でも、お祭り騒ぎの後って、もっとずっと寂しいんだって事に……なかなか気付かないのよね…」
「……不安かい?」
 雪は古代を横目で見た。
 そして曖昧に微笑んだが、古代の問いにすぐには答えられなかった。

 確かに、計画当初はポセイドンには砲塔を建設する予定がなかった。だが、デスラーからの返答がなしのつぶてなのはどうしても解せない、先方に何か問題が発生していたら取り返しのつかないことになる、という真田の意見を受けて、急遽ポセイドンにも砲塔が建造されることになったのだ。その経緯を、雪は両親に敢えて伏せていた。
 結局、ポセイドンにはヤマトの主砲と同クラスの砲塔が前後甲板に各2基、小型のレーザー砲が数十基増設された。護衛班はそのまま名を変えることはなかったが、急遽砲撃戦のエキスパートがヤマトでの経験者中心に11名、新たに送り込まれた。
 確かにデスラーからの返答が「まったくない」のは腑に落ちない。そのため、艦隊司令の島も砲塔の増設は黙認せざるを得なかったのだ、と聞いた。

 艦内部には高レベル放射性核廃棄物、外からは外宇宙からの敵……憶測の域を出ないとは言え、もしもそのような事態になったなら、ポセイドンクルーはもちろん、護衛のヤマトもこれまでの戦い以上に苦しい状況に追い込まれる。不安でないわけがなかった。
 もちろん、あと365日で地球が滅亡するとか、そういった切羽詰まった状況ではない——しかし、だからこそ尚のこと……言い知れぬ未知への不安がそこには生まれてくるのだった。

「……大丈夫よ、古代くん」
 黙り込んだ古代に、雪は微笑む。まるで自分に言い聞かせるように…続けた。
「私たちは、もっと困難な旅も乗り越えてきたじゃない」
「……雪……」
 そうだね、と頷き、古代は雪の肩を抱く。
 ヤマトから島がいなくなり、艦隊司令などという自分よりはるか上のポジションに出世してしまったことも、自分が動揺している原因なのかもしれない、と古代は思う。——俺って、案外ちっぽけだったんだな。
 認めたくない思いに、苦笑いする。
 だからというわけではないが、古代は島に餞別として日本から持って来たものがあった。
 ——テレサの音声と画像の記録された、例のメモリチップである。

 先ほどの花火は、祭りの進行の合図だったのに違いない。音楽が変わってしばらくすると、パーティー会場の奥まったところにあるひな壇にスポットライトが当たり、宴の進行役の男が恭しく礼をして進み出た。
「会場にお集りの紳士淑女の皆様、有名シェフの腕によりをかけたオードブルの数々、お楽しみ頂いておりますでしょうか?!今宵は記念すべき人類初の平和的ミッション、トライデントプロジェクトのもとに旅立つ勇者たちの誉あるご家族、ご親族の皆様をお迎えし、私ども主催者一同心より感謝と歓迎の意を表する所存であります!……」
 芝居じみた歓迎の言葉がひとしきり高らかに謳い上げられ、改めてオーケストラが楽しげな曲を奏で始めた。
「……島とか、あの舞台に引っ張り出されるのかな」
 それはちょっと気の毒だなと笑いつつ、古代が呟いた。
「今日は任務と関係ないから、公式の挨拶はなさそうだけど…」
 くすくす笑いながら、雪がそう言ったとたんである。会場の一角がにわかにざわつき、明らかに報道関係者と思われる一団が走って行くのが見えた。
 報道関係者にも出席が認められたパーティーではあったが、ひな壇に引っ張り出されるヤツは可哀想に、と古代は思わずにはいられなかった。だが、自分たちヤマトのクルーも立場は似たようなものかもしれない……迷惑な話である。
「……あ……違うわね、藤堂長官と…晶子さんに……あら、相原くんだわ」
「相原?」
 会場が広いから会いたい人を見逃すかも、といってオペラグラスを2つ、バッグに入れた雪を古代は笑ったが、今となってはその用意の良さに舌を巻く。
 ひな壇に押し出されたのはアロハシャツ姿の藤堂平九郎と、ミニ丈のパールピンクのカクテルドレスを着た、愛らしい相原晶子の姿だった。その二人の後から、およそ似合わない黒いタキシードにウイングカラーのシャツ、白い蝶ネクタイ、といった七五三みたいな出で立ちの相原がギクシャクと壇上に上がって来たので、雪は思わず吹き出した。
「見て見て、古代くん。相原君ったらタキシード着てるわ」
「どれ」
 雪のオペラグラスを覗いた古代は、七五三の相原よりも藤堂のアロハシャツに驚いた。平服でと招待状には書いてあったが、あれはすごい。ウクレレでも持ったらハワイアンミュージシャンだ。
「あは、似合うな、長官」
 この分だと他にも誰かその辺にいるかもしれないと思いつつ、オペラグラスをあちこちに向けてみる。案の定、舞台の近くに南部が居て、さらに派手にカメラのフラッシュを浴びていた。南部はさすがに一目でそれと分かる、洗練された有名ブランドのカジュアルスーツを着ていて、胸ポケットにはバラの花まで差している…まるでお忍びで来たハリウッドセレブが見つかってしまった、みたいな有様だ。
 舞台の上で藤堂が挨拶めいたことを言っているのを聞きつつ、もっと知った顔の連中がいないかと探していた古代の肩を、誰かがポン、と後ろから叩いた。
「古代!」
 振り向いた古代の目に入ったのは、島と、島の家族、そして真田だった。

 

 

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