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「ほら、あれそうじゃないかな?!大介兄ちゃんの船が降りてくる」
J・F・ケネディ空港に搭乗便が到着しようとするちょうどその頃。遠くハドソン湾方面に巨大輸送艦が降下して来るのを見てから、次郎ははしゃぎっぱなしだった。
「写真は見せてもらっていたけど、…ほんと。ヤマトよりもまた一回りも二回りも大きいわね…」
これだけ離れているにも関わらず、掌サイズのミニチュアのように見えるポセイドンを見て、母小枝子がそう言った。話には聞いていたが、息子の今回乗る船はヤマトよりもずっと大きいのだということを改めて実感する。
「どれ」
父康祐も、小さな縁取りのある窓外を覗き込んだ。長男の大介はこれまで、前人未踏の旅を幾度もこなした宇宙戦艦ヤマトの航海長、そして副長を務めて来た……だが今回は、地球連邦政府特命任務の輸送隊旗艦艦長、また艦隊司令である。まだ30にもならない長男には、荷が勝ちすぎると感じない訳ではない。父親として誇らしくもあるが、それ以上に不安や心配が先に立つのだった。
「…今回は、まだ気が楽だわね。戦いに行くのではないもの…」
まるで要塞のようなポセイドンの威容を目にして、小枝子はそう呟いた。母親の彼女にとっては、息子が任務を如才無くこなすかどうかよりも、無事に帰って来てくれるかどうかが最優先関心事なのだ。
過去に2回、大介は瀕死の重傷を負って帰還している……もうこれ以上、生死の境を彷徨う息子の回復を神に祈りつつ眠れぬ夜を過ごすのは、自分には負担が大き過ぎる、と小枝子は思った。この度は平和的ミッションだと分かってはいても、旅路の距離を聞けばそのあまりの遠さに不安が募る。口元に笑みを浮かべながらも淋し気に溜め息をつく小枝子の肩を、康祐はそっと抱き寄せた。
「母さん…今度も大丈夫さ、大介は」
その二人の様子を次郎は横目で窺った。はしゃいでいた気分が、急にしぼむ。
自分は兄をとても誇りに思うし、もちろんこうして招かれることもとても嬉しいのだけれども、…こんな両親を見てしまうと、素直に喜べなくなってしまう…。
——なにより。
(母さん…父さんも、……。俺がいるじゃないか。息子は大介兄ちゃんだけじゃないんだぞ…)
自分までもが宇宙戦士に志願したら、この父母はどうするだろう。母さんは、自分のこともこんな風に心配してくれるのだろうか。
もちろん、自分が宇宙戦士を目指して訓練学校や軍に入隊したとしても、兄の輝かしい功績を越えることは到底不可能だろう。そんなことは毛頭判っている。だから、次郎は軍人になるつもりはなかった。防衛軍に入れば、「あのヤマトの島大介の弟」というレッテルが常に付いて回る。徹頭徹尾、兄と比較されることになるのだ。敢えてそんな世界に飛び込むほど、自分は馬鹿じゃない——だが、父母に対してだけは、兄と自分とを比較して妬みにも似た思いを抱いてしまうのだった。
偉大すぎる兄への嫉妬と、自分までも父母を心配させるわけにはいかない、という義務感の板挟みになり、次郎はしばし無言で窓外を眺めた。
(……俺は、地球に、…ずっといるから)
——母さん、父さん。
俺は兄ちゃんほど出来は良くないけど、そのかわり…心配だけは、かけないからさ。
それが俺の……、俺にしか出来ないことだから。
次郎はゆっくり降下して行く兄の船を遠目に眺めつつ、少しだけ笑った。
*
ロウワーマンハッタンエリアと唯一地上交通手段でつながるブルックリンブリッジの袂に位置する専用の高級宿泊施設には、ポセイドンクルーの家族が招致されていた。
今回の任務は半年から1年ほどの時間を要すること、また連邦政府の特命を受けての名誉ある任務であること、そしてクルーと家族が出航前に共に過ごす時間的な余裕があることから、出航前の2日間は公式の休暇となっていた。
「……よう、次郎!!」
「大介兄ちゃん!!」
200年前の橋をそっくり復元した、実は近代建築のブルックリンブリッジのコピー……が眼下に一望できる、ホテルのエグゼクティブフロアのロビーで、兄弟は2ヶ月ぶりの再会を果たした。
「父さんと母さんは?」
「今、まだ荷物を片付けてるよ!今日はここに泊まるんだろ?」
「そうだよ。ホテルのベッドかあ、寝心地いいだろうな」
「兄ちゃん艦長室なのに、ベッドは寝心地悪いの?」
「ははは、あくまでも軍艦だからな…」
島は笑いながら、父母のいる部屋へ入った。
「父さん、母さん、お久しぶりです」
「おお、大介…!」
親子水入らずの時間は、島にとって貴重だった。
一年の大半は宇宙勤務で家を空けているので、両親が会う度に少しずつ年老いて行くのも一緒に暮らすより良く分かる。自分がそろそろ結婚でもしてそばに落ち着いてくれたらと彼らが思っていることも承知していた。しかし、宇宙の海に想いを残して地上にとどまるとしたら、それは……地上に暮らすその自分は、自分の抜け殻でしかない。そのことを、両親にどう説明したものか、島はいまだに悩み続けている。
先だって地球へ帰還した折り、インターポールで作った「彼女」の写真も、結局そのままスーツケースの底だ。それを使って両親に込み入った話をする前に、ポセイドンでのガミラス遠征が決まってしまったからだった。
——また旅立つまでに数日か…。お袋、…親父。こんな親不孝者の俺を、許してくれよな……
軍から家族に対する様々な優遇措置だけが、今の自分にできる精一杯の親孝行だ。生身の自分には、照れくさくて親孝行、などといっても具体的にどうしていいのか皆目分からない。……そんな自分の幼稚な思考回路にも、少しばかり苛つく。
「父さん、パーティーの前に藤堂長官が是非お会いしたいって仰ってるんです。かしこまったことは一切抜きで…ということなので、ちょっと休んだら行きましょう」
「ええ?かしこまるなって言ったって、長官だろう……どのスーツに着替えたら良いんだろうね、困ったな」
父はそう言いながらも嬉しそうだ。普段、企業の重鎮として役員を務める康祐も、地球防衛軍本部総司令との対面ともなれば否応無く気が引き締まる。
「大丈夫ですよ、長官も普段着で来られるっておっしゃってましたし」
「いやしかし、そうもいかんよ……」
私服でOKということになっているので、乗組員たちも思い思いの砕けた格好でパーティには参加する予定だった。
「なんだ、俺は兄ちゃんの艦長服姿が見たいなあ」
次郎は鼻を鳴らした。
「それは出航式の時に着ていくよ。それまで楽しみにしてろって」
「ちぇ」
兄が父母と話を始めたので、とっととTシャツとジーンズに着替えていた次郎はフロア散策に出掛けることにした。
「おーい次郎、晩飯にはパーティー会場へ行くからな!6時50分には戻って来いよー?」
「はーーい」後ろから飛んで来た兄の声に、次郎は振り返ることもなくそう応え、部屋を出た。
エグゼクティブフロアの通路や吹き抜けでは、乗組員とその家族がさかんに出入りしたり立ち話をしたりと賑やかだった。
(肝心のポセイドンは、ここから見えないのかな)
次郎はブックリンブリッジの向こう……もとダウンタウンのあった辺りが見えそうな、フロアの一番端までやって来た。廊下の突き当たりには、古風な彫刻の施された真鍮の蝶番も重々しい、大きな扉がある。観音開きにそれを押し開けて外へ出ると、そこには1800年代後半の、古代の帆船の甲板を模した、黒光りするウッドデッキが広がっていた。
「おっ、すっげえ」
そこは、川の水面上に突き出た、船の前甲板をイメージしたバルコニーになっていた。
ガミラス戦役の際、遊星爆弾の着弾が激しかったこの付近一帯は、マンハッタンのみならず対岸も深く抉られ、イーストリバーは元々の川幅の3倍以上に広がってしまった。海、と言った方がいいほど広大な川面に、午後の日射しが眩く反射してキラキラと光る。
左右に広がるマホガニー材の磨き抜かれた床に、白く塗られた腰までの高さの手すり。良く磨かれた真鍮のボルトに通された、白いロープが延々それを伝っている。頭上を見上げると、帆船の三角形の帆を象った、目の醒めるような美しい緑色の日よけ(タープ)が無数に張り出され、盛夏の日差しを和らげていた。
「……いい風!」
室内の人々は、これから催されるパーティの支度に忙しいのに違いない。この気持ちのいいデッキには誰もいないようだった。エリス島がずっと向こうの右手の海上に霞んで見え、その先に、復元された自由の女神像が小さく立っているのがわかる。出し抜けに空気が澄んで来て、風が急に弱まって来た。……夕凪だ。
その時。
次郎は、見渡したデッキの一番向こうに、ターコイズブルーのドレスの人影を見つけた。帆布のエメラルドグリーンと一瞬見まごうような、……空と海の蒼にも溶けこんでしまいそうな………碧。
次郎は思わず手の甲で目をこすった。
女の人だ。……髪は腰まで届くような金髪……
「………テレサ……!?」
次郎は我を忘れて、その人影に走りよった。
青いドレスの女性は物憂げに手すりにもたれかかって、十数メートル下の川面を見ているように見えた。——その寂しそうな横顔は、確かに兄の写真で見たあの人だ……
「……テレサ!!」
「えっ……?」
呼びかけられて、女性が驚いてこちらを振り向く。
鳶色の、まん丸な瞳が次郎を見つめる。
(あっ、えっ……違った……)
——写真の女性、兄の愛したテレサは、緑色の瞳をしていた。次郎はしどろもどろに言い訳する。
「あ、あのっすいません!知り合いに…とても良く似ていたから……。人違いでした、ごめんなさい」
女性はにこっと笑った。
「いえ…べつに」
(似てると思ったけど…そうでもないか…でも)
次郎はまじまじと、少々不躾ともいえる視線を彼女に送る。ターコイズブルーのロングドレスは襟元がスクエアカットになってはいたが、あの写真のテレサと同じような、身体に沿ったスリムラインのワンピースだったし、彼女の髪も赤みがかった奇麗な金髪だ。最初に感じたよりも背が低く、小柄だというのは近くに来て初めて解った。日本人のようで日本人ではないような顔立ち。でも、言葉のイントネーションは日本語だ。
「あの、何か?」
女性が怪訝そうにそう聞いてきたので、次郎は慌てて愛想笑いをする。
「いえ、なんでもないです!すいませんでした!」
次郎はきつねにつままれたような気分でくるりと彼女に背を向けた。
——2・3歩行きかけて、もう一度振り向いて、ふと尋ねてみる。
「あの……、お姉さんはポセイドンクルーの人ですか?」
青と金の彼女はこくりと頷いた。「…?ええ」
なんだか、わけもなく嬉しくなり。
「……俺の兄ちゃんもなんです」
それだけ言うと、だっと今来たデッキを駆け戻った。
(——……変な子)
司花倫は、呆気に取られて走り去る少年を見つめた。歳の頃は14・5だろうか。茶色い癖っ毛に、真っ黒な、小動物みたいな目。
……誰かの家族なんだな。
「……ふう……」
ちょっと長い溜め息をつく。
ほとんどのポセイドンクルーは、これから開かれるパーティに家族と一緒に出るのだろう。……しかし、自分には……招待できる家族はいない。嫌でもこの身の孤独を思い知らされるのが判り切っていたから、彼女はなるべく人の来ない場所を選んで時間を潰そう…と思っていたのだった。一人になりたいのなら、もちろんあてがわれたホテルの自室にこもっていれば済む。だが、こんな高級ホテルのエグゼクティブフロアに宿泊しているのに(もちろん公費で)部屋に閉じこもっているなんて、それはちょっと損だ、……とも思ったのだ。ロビーのあちこちに設えられているウェルカムドリンクも、奇麗なお菓子も、頂かない道理はないし。
夕凪と共に、抜けるようだった青空に茜が差して来る。陽光の赤が残る空にエリス島から花火が一つ、宴の開始を予告するかのように打ち上げられた。次第に暮れて行く川面に、弾けた光の花が咲き…ほろほろと消えてゆく。
——このデッキも、もう少しすれば食後の花火を鑑賞する家族連れでいっぱいになるのだろう。
「……そろそろ、部屋に戻ろうかな」
宴の前のパーティー会場から、オードブルを2皿、くすねて来てあった。上等のシャンパンも1本、キープしてある。……絶対に参加しろ、と言われてはいないからそれでいい。そもそもこういう宴会は、苦手だった。
そういえば。
あの子、私のこと「テレサ」って呼んだ。
テレサって……。大昔の思想家、マザー・テレサ?
……しかし、学校の歴史の教科書に載っていた平和の使徒マザー・テレサは、くしゃくしゃのおばあさんだった、と記憶している……
「なによ、失礼ね」
くすくすと一人笑いをし、司はドレスの裾を翻して室内に戻って行った。
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