奇跡  基点(14)

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 さて一方、医務室の司花倫は、情けない顔で簡易ベッドに横になっていた。


「さっきの錠剤で、とりあえずは楽になると思いますけど…。まだ痛みます?」
「あ、はい…ちょっと収まって来たかな…」
 医師でもある衛生班班長のグレイス・ハイドフェルトが、顔合わせもそこそこに飛んできて、手当てを買って出てくれていた。
「航海班長さん? あなたが私の医務室の患者さん第一号よ」グレイスは苦笑してそう言った。

 彼女はNATO基地出身の、30代のポーランド人医師である。ポセイドンでは基本的に日本語か英語を使うことが義務付けられているので、もちろん彼女もとても流暢な日本語を操るが、早口になると時々母国語訛りが混じってしまう。
 医師は肩までのブロンドの髪をばっさりおかっぱに切り揃え、前髪は中央から左右に分けていた。まるで日本人形のようなヘア・スタイルだ。だが、顔立ちも、すらりとしたプロポーションも明らかに北欧人なので、そのやぼったい髪型が逆にスタイリッシュに見える。
「……すみません……ハイドフェルト先生、お世話になります…」
 情けない顔で簡易ベッドに横たわる司は、これまた情けない声でそう言った。
「どういたしまして。でも、さっき航海班の男の人に話していたことは、本当なの?」
 大越に、志村との一件を説明していた時、そばでグレイスも目を丸くして聞いていたのだ。
「…志村さんのことですか…?はあ、…あの人に恥をかかせるつもりは本当になかったんです。だって、会ったこともないし話をしたこともないんですよ…?どうしてそんな人を、私が陥れたりする必要があります…?…それに、撃ってきたのだって、あっちが先だし……」
 今頃志村が護衛班の顔合わせの中でどんな様子をしているか、と考えただけでまた胃がキリキリと痛くなった。
「…艦の上はいまだに『男の職場』だから」グレイスはふふふ、と笑った。「自分の方が、絶対上だと思ってかかってくるのよね。男の子って幼稚だから」
 司はきょとんとして医師を見た。
「……女が優秀だと僻んだり凹んだりする男なんて、相手にしなきゃいいのよ」
「……先生」
 グレイスが赤石とまったく同じことを言ったので、司はさらに目を丸くする。
「気をつけて見ていてごらんなさいよ。女に負けた、なんて微塵も思わない男がきっといるわ。肩を並べて対等に、好敵手になれるひとが…必ずいるわよ」
「……本当に…?」そんな人、いるのかなあ?
 思わず訊いてみる。
 グレイスはイタズラっぽく笑うと言った。
「うちのボス…、音無医務長は、そういう男よ」
「医務長」
 ケンゾー・R・音無はポセイドンの代表医師である。グレイスと同じようなブロンドの長髪が一見まるで医師らしくないが、司も検診の時に彼を見かけていた。
「私はほとんどの外科手術の執刀指揮が取れるの。内科や歯科、眼科の免許も持っているわ。だから、女だ、って言うだけで僻みっぽい男の同僚はみんな、意地悪してきたり非協力的だったりするけど、音無先生は違うわね」
 どう、違うのか。
 それは司にはわからなかったが、グレイスが彼を尊敬しているのは手に取るように分かる。
「私と音無先生で、ほとんどの科目をカバーできるの。でも、音無先生は私に外科と内科は全面的に任せてくれる。自分の不得意分野にまで手は出さないし、私の仕事を高く評価してくれる。反対に、脳外科と形成外科は音無先生の領分。私は手を出さない…私たちはお互いを補いあう信頼できるパートナー、と言えるわ」
 グレイスはにこっと笑うと司の額を人差し指でちょんと突ついた。
「男子に遠慮ばっかりしてると、実力が出せなくてあなたがそのうち駄目になっちゃうわよ?」
 司は、胃のあたりを押さえてグレイスの顔を見つめた。


 そうだ。こんなことでお腹痛くなってて、どうすんのよ…。
 自己管理がなってない証拠だ。
 ガバと起き上がる司に、グレイスは呆れて更に笑う。
「あはは、分かり易い性格ね!けど、もうしょうがないんだから、後でキチンと弁明すればいいのよ、言い訳、じゃなくね」 
「どっちにしても、いい加減戻らなくっちゃ。……先生、ありがとうございました…!」
 司は上着の袖に腕を通しながら、礼を言った。

 …この先生には、ちょっぴり勇気をもらったかな。艦医とウマが合う、合わない…は結構重要だ。
 司はくすりと笑って、もう一度だけ胃のあたりをぐるっと撫でさすり、ベッドから立ち上がる。
「戻る?」
「はい!」
「……じゃ、Good luck!」
 グレイスがバチン、とウィンクしてみせた。
「ハイ、頑張ります!」
 ブーツを手早く履き直し、グレイスに手を振り。
 司は後ろを気にしつつ、飛び出すように医務室のオートドアを出た。 

 …その途端。

 ドシン!!

「うわっ」またしても、出会い頭に誰かとぶつかったのだ。
「いったあい…」
 司は、その誰かの胸元に思いっきり鼻っ柱をぶつけてしまい、勢いよく跳ね返ってしりもちをついた。痛さに顔を押さえて踞る。
「島艦長!」
 たたみかけるようにグレイスの声が後ろから飛んできて、司はそのまま一瞬頭がまっ白になってしまった。
 まさか。
 ——艦長と、一体何回ぶつかればあたしって……気が済むわけ……?



「お前、ちゃんと前見て歩けないのか?」
 今度はもろに顔からぶつかって来られ、おまけにまたもやひっくり返ってしまった司を抱え起こしながら、島は呆れかえっていた。
(こんなにおっちょこちょいで、どうして現場であんな好成績が出せるんだ?冷静な判断力、ってのはどうなってるんだ…、こいつの場合?)
「か、かんちょう」
 抱え起こした司の鼻の頭が赤くなっているのを見て、島は思わずぶーっと吹き出してしまった。
「い、いや、すまん、…大丈夫か?」
 もちろん本気で心配してはいるのだが、笑いを堪えきれない。司は、といえばまったく面目丸つぶれである。
 またもや笑われた。あんまりといえばあんまりだ。
「…らいじょうぶれす……」
「おい、鼻血…」
「…はれ」つつー、と鼻から流れ出る感触。そこまで強打したー……?
「念のため、ちょっと診ましょうか?」グレイスがそばまで来て、二人にそう言った。
「お願いするよ。うちの大事な航海班長だからね」
 実を言えば島は今の今まで、司を捕まえたら説教をかましてやろうと決めていた。だが、その決心もいまやぐだぐだである。
 涙目になっている司を連れて、グレイスは医務室に戻り、結局そこで島と三つ巴での尋問になってしまったのだった。

 

                      *



「鼻の骨は折れてはいないようね」
「俺のあばらが折れたかもしれんと思ったくらいだ」
 鼻の穴には脱脂綿、その上からアイスパックを顔面中央に当てている司は、島が度々笑いをかみ殺しているのに気がつき、かなり滅入っていた。
 島と自分とでは、おそらく20センチは身長差があるだろう。体格から言っても勢いよくぶつかったら吹っ飛んでしまうのは、自分の方だ。ダメージを受けたのはこっちなんだから、そんなに笑わなくたっていいではないか。
 …にしても、出会い頭に人とぶつかるなんて、それはこっちの不注意だ。「廊下は走らず前を見て歩きましょう」……小学生以下だ、あたし…。
「……かんちょう、なんろもぶつかっちゃってすびばせん……」
「あなた、前にも艦長とぶつかってるの?」
 グレイスが呆れてそう言った。


 ……やぶへび。


 隣のスツールに腰かけている島が、再びかなり頑張って笑いを堪えているのがわかってしまい、司は穴があったら入りたい…と真剣に思った。
「……あの、かおあわヘは、終わっひゃったんれすか…?」
 島は司の問いに頷き、自分が医務室にやって来たわけを話す。
「大越からちょっと聞いたが…。今朝、護衛班の志村とドッグファイトになったというのは、本当なんだな?その件で、お前に訊いておかなくちゃならないことがある」

 ——うわああ、それか……。

 司はいよいよ情けない顔になったが、ちらっとグレイスを見ると、彼女は微笑みながらこちらを見て、深く頷いていた。
「ドッグファイトを始めたのは、お前か?それとも、志村の方か?」
「変な噂が立ってまふけど、……先に銃撃してきたのは、志村さんの方れす。信じてくだはい…。私も撃ち返しましたけど、もうてっきり志村さんはそんなのよけてくれると思ったんです。それがたまたま、当たっちゃったらけで…」
「たまたま…?その時の状況を話してみろ」
「ええっと、……整備班の徳永さんと通信していたら急に後ろから志村さんが撃ってきて…」
「……その第一撃はよけた…?」
「はい…」
 島は護衛班の志村という男の腕前もデータとして得ていた。志村が背後から予告無しに急襲したとすれば、それをよける司もかなりの勘をもっている、と言わざるを得ない…
「…で?」
「で、その後、急降下して下から志村さんを狙って…。れも、撃ち漏らした相手が降下したら、オーバーシュートしてくるのが普通じゃらいですか。それに、レーダーレンジらって同じらけしかないんですよ?…私らって、志村さんに恥をかかせるつもりはまったくなかったんです」
 現場を見ていた徳永からは、司がブラックタイガーでテイルスライドやバレルロールといった高度な機動を行っているのを見たと言う証言も得ていた。志村が、完全に相手を見くびっていたのだとしても…司の腕前が志村を上回っていたと仮定しなければ、エースパイロットが部外者に撃墜されたことの説明は、到底つかないだろう。
「あなたは…航海班所属、と言ったわね?だとしたら、護衛班のナンバー2を撃墜した、っていうならそれは、すごいことなんじゃないの?」
 至極まっとうな意見である。グレイスにそう言われ、司はほんの少し表情を明るくした。だが、島は難しい顔をしたままだ。


 グレイス医師の言うことも理解できないわけではなかった。この女中尉の腕がいいのは認めよう。だが、初めて操縦する重さ数十トンのブラックタイガーで、しかも大気圏内でそれを行う事自体、自殺行為にも等しい。それだけで、島を苦々しい気持ちにさせるには充分だった。
「……司。いずれにせよ、許可なく飛ばした機体での危険行為…それをしたことは認めるな?そのことについては始末書を提出したまえ」眉間に皺を寄せ、厳しく言い渡す。
「…はい。申し訳ありません…」
「大気圏内でのドッグファイトは地上配備が万全の場合のみ許可される…解っているだろう」
 地上、もしくは周囲に、万一の事故に備えたレスキュー隊や救急隊がスタンバっているのが、訓練中のドッグファイトの条件だった。売られたケンカを買っただけ、などと言う理由で始めていいものではない……明らかに軽率の誹りは免れなかった。
「これから長い旅になる。ことに緊急時は当然護衛班とチームワークを組んで動かねばならない。お前が以後、艦載機に乗ることはまずあり得ないが、今回の一件で護衛班と航海班の間に確執が生まれてしまった。志村と握手しろ、とまでは言わんが、艦内での行動には充分注意することだ」
「はい…」
「…今度の航海は、あくまでも輸送が目的だ。お前や志村は職掌柄どうしても戦闘を意識する傾向にあるのは分かる…だが」
 言いながら、島は頭を振った。
 ……艦長が任務に就いてたあのヤマトだって、戦艦…じゃないですか。
 司は寸でのところでそう口に出しそうになる。…艦長だって戦闘機動のプロのはず。なのにどうしてそんなこと…
「今立ち向かうべき敵は、戦闘技術でどうにかなる相手じゃないんだ。その意味は、分かるな…?」
「………」
 グレイスも無言でこちらを見ていた。そうだった。
 ポセイドンは、見えない敵をその胎内に入れて運ぶのだ。ほんの僅かな気の緩みが、命取りとなる。もはや過去のものとはいえ、かつて地上を席巻した放射能の脅威は、忘れろと言われてもそうそう忘れられるものではない——
「我々は、誰一人として欠けることなく目的地に到達し、そして還る。くれぐれも軽はずみな行動がもとで、死んだり怪我をしたり…しないようにしてくれ」
 島の穏やかな瞳に、圧倒される。
「………はい、艦長」
 怒鳴られるより、何倍も効いた。艦載機での特殊機動は確かに…一歩間違えば大惨事となる。腕にいくら覚えがあろうと、自分は無謀だった。
 
 死んだり、怪我をしたり、しないでくれ。
 
 これが「死にに行け」と命じる立場の人間の吐く台詞だろうか。
 軍隊において、人間は部品だ。…そんなこと、入隊した時からみんな当然覚悟している。艦長命令で死地に赴くことは当然の行為だと、司も今まで思って来た。
(……なのに)
 戸惑う。これまで、一度も上の人間からこんな言葉をかけられたことはなかったからだ。不覚にも胸がジンとした。
「…私からも、お願いするわ」微笑みながら、グレイスが相槌を打つ。「飛び出して行って、手足をなくして来る人たちの面倒を見るのは…私たちですからね。自分の身体も命も、大事にして頂戴」
「…はい…」
 神妙な顔つきで黙り込む司を微笑ましく思いつつ、グレイスは続ける。
「さて、艦長?治療は終わりましたし、尋問はその程度でいかがでしょう?もうそろそろ、中尉を連れてお戻りください」 
 島もああ、と頷いて立ち上がる。


 今回の航海で、島は自分の下に就く二人の航海士に、自分ならではのワープ技術及び大型巡洋艦の無人管制航法を確実に叩き込むつもりでいた。もとより、彼らは新人ではない……従容としてそれまでのスタイルを捨て自分に倣ってくれるとは思っていなかった。大越は完全に自分のシンパだからあまり問題は無いが、問題はこの司中尉だ。優秀な成績と、驚くばかりの実績……女だからと侮ることはそも、出来ない。
 報告されている新生ガルマン・ガミラスまでの距離は、地球から約82万光年、往復164万光年……航路を徹底的に吟味して連続ワープを連日繰り返しても裕に3ヶ月はかかる、と島は踏んでいる。しかし、自分を補う優秀な頭脳と技量があれば、さらに時間を短縮できるのではないだろうか。
 この優秀な女性航海士がどこまで自分の思惑を理解し、協力してくれるか——航海の成功はそれにかかっているといってもいい。


「じゃあ行こうか、航海班長。第一艦橋のメンバーを待たせているんだ」
「…は」

 ああ、やっぱり。(問題起こしたってことで、クビにしてくんないかな…)と一瞬思う…。航海班班長、この…あたしが。
 そして、第一艦橋のメンバー………
 ……赤石さん以外、どんな人がいるのかもわからない…しかも第一印象お先真っ暗だし……。
 島について医務室を出たはいいが、司は落ち着いた胃がまたぐにゃりと鈍く痛むような気がした。
 

 

 

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