奇跡  基点(13)

      <(12



 午前10時。

 キャンプの大ホールには201名の乗組員たちが所属部署ごとに集合して整列していた。
 司は極力目立たないようにと、長い髪は後ろにひっつめ、背中を丸めて鼈甲縁の伊達メガネをかけていた。
 恐る恐る視線をホール内に走らせると、案の定護衛班を中心に、「元艦載機乗りの航海士」が誰なのかと好奇の目が航海班員たちに向けられているようだ。
 
「……何かあったのかな?」
 護衛班の男たちの敵意丸出しの視線に、大越が呟いた。航海班最年長の航法士貝原が大越に耳打ちする。
「今朝うちの班の奴が護衛班のいいトコのボンをへこましたらしいんだよ。聞いてないのか、副班長?」
 呑気な大越は、やれやれ、と頭を振った。
「いやだなあ、うちの班にそういうバカがいるのか……誰だよまったく」
「ふふ、いい気味じゃないか…。誰だか知らんが、筋肉バカどもにはいい薬だぜ」


 司はと言えば、半分泣きそうになっていた。
(わざとじゃないし、悪意なんか全然無かったし…!……大体、先に撃ってきたのはあっちなのよ……?)
 だがすでに噂は、自主トレ中の志村が悪意に満ちた不意打ちをかまされた、みたいなことになっているではないか。
(どうしよう……)
 背が低いので、航海班のパートの最前列に並ばざるを得ない彼女は気もそぞろだった。中央の教卓の左右に並んだ折りたたみイスには、どう考えても艦長、副長、施設長や防衛軍長官などが来るのだろう。各班の班長は単純に出身基地での功績が適用された上で任命されるのだと言う。上からはおそらくそうなるだろう、と聞かされてはいたが、まさか自分が……航海班長だなんて…。


 
(お腹痛くなってきた…)
 逃げ出したい一心からか、急に腹痛が襲って来た。脂汗が出て来て、顔が熱くなる。司は上着を脱いで、小脇に抱え、ふう、と息を吐いた。
(やだ下痢?……違うな、もっと上だ)
 思わず胃のあたりを押さえ、身体をくの字に曲げる。
「あいだだだ……」
 施設員からのアナウンスが流れた。
 ——各員、整列の上待機してください。間もなく地球防衛軍長官がお見えです——
「………たた…た」
 だめだ…マジできた。
 司は情けない顔で、胃のあたりを押さえ込んだ。

「……きみ、大丈夫?」
 斜め後ろにいた男子隊員が司の様子に気付いて声をかけてきた
。両隣の隊員も何事かと司の方を覗き込む。
「あのさ、…医務室、行ってきた方がいいんじゃない?」
 後ろの男性隊員——大越は司にそう言った。
「いえ…。式の間だけでも、います」
 食いしばった歯の間から無理矢理絞り出したからか、司の声はかなり怪しげだった。隣の隊員が、だめだこりゃ、と首を振る。
「医務室行きなよ。艦長には言っておいてやるから」
「い…いいえ、います、いないと……。こ、こういうことは、は、はじめが、肝心だしっ…」
(い…いや、逃げたとか、言われたくないしっ………)
 周囲の隊員たちは顔を見合わせる。
 大越が溜め息をついた。
「島艦長には僕から報告しておきますよ。…そんな顔してちゃあ艦長だってとっとと医務室へ行け、って言うよきっと」

 メガネをかけたひっつめ髪の司は、かなりひどい顔をしていたに違いない。痛みをこらえているので、青筋の立ったこめかみには脂汗が滲み出ている。その上歯を食いしばっていて、その顔はちょっと怖い。
「いえ、ほっといてください」
 強情にそこに居座ろうとする司に、大越は肩をすぼめた。
「島艦長はもともと僕の上司なんです。具合悪いのに無理矢理任務こなせ、っていうタイプじゃないですから、あの人は。僕も君が困らないように言ってあげるから、ひどくならないうちに医務室へ行きましょ」
 ね?と大越に言われ、司の心が揺らいだ。
(艦長の、部下だった人なの?じゃあ、事情、話したら信じてもらえるかな……!?)
「………ハイ……じゃあ…わかりました………」
 一歩踏み出そうとしたが、痛みで膝がガクガクしてきた。
「仕方ないな、僕につかまってください…衛生班呼ぶ?」
「いえ!いいです…目立たないように行きます」
「なんか落ちてるもんでも食ったんじゃないの……?君、名前は?俺は大越学。火星基地から来たんだ…」
 無駄口を叩く大越の口を塞ぎたいと思いつつ、司はおとなしく彼の肘につかまりホールのドアを急ぎ足で出た。

                     *

(……?大越がいないな)
 ざわめきが静まった大ホール。壇上に並んだイスの末席で、島は一望できる範囲の隊員の顔を眺め、ふとそのことに気付いた。
 航海班の比較的手前の方にいるはずの大越の姿がない。
 トライデント計画について、地球連邦大統領補佐官が一席ぶち、その後防衛軍総司令部長官藤堂が挨拶をしている最中だった。このあと、自分が艦長として紹介される予定だったが、最前列向かって左端の、航海班の座席に2つ、空席が見えるのだ。
 施設長の紹介を受けて、島は中央のマイクに進み出た。
「…私が艦長の島です」
 ホールの左右に陣取っているプレス席から、一斉にストロボが光る。

 艦長の任を担うのに、島は自分の年齢が若いことがさほど気にならなくなってきていた。防衛軍内での就任式と、一般プレスに公開された記者会見ではとんでもなく緊張したが、だんだん肚が坐って来た。そもそも、実戦経験では百戦錬磨なのだ。長く艦長不在であったヤマトは、ほぼいつも古代・真田・そして自分の三者による合議制で事が進められていた。現役の頃の歴代艦長や、艦長代理の古代すら下せずに躊躇した指示を、自分が代わって下したことも数えきれないほどある。もちろん、真田や古代がいたからこそ成功した作戦は多いが、自分の采配が彼らのそれに劣ることはない、と島自身自負していた。
 ——そして、この自分だからこそ最も強調できること、しなくてはならないことがあった。

 通り一遍の挨拶の後、島は「最後に」と前置きをし、こう続けた。
「今回の旅で、全員に課したい使命があります。——『生きて、還ること』それが……この作戦の最大のミッションです。もちろん今回は輸送が主な目的ですが、命を賭して行うことに変わりはありません。一人も欠けることなく生きて還ること、それが一人一人の最大の使命です。皆、そのことをよく心に銘じて行動するように。…以上です」
 200名余りが最敬礼する。

 ——艦長として、いかなる状況であれ…、部下に闘って死ねと命じることは、私はしない。

 艦長として任命されてから、島はずっとそのように語ってきた。この、島の決意は奇麗ごとだと皮肉くるプレスもあった。英雄の丘にまつられた、物故者たちへの冒涜だとする記者もいた。公にはされていなかったが、実は乗組員の人選も、結婚や出産を予定していない者、放射能汚染に対する理解を周囲に得られた者だけに限られていることも……つまり言い換えれば「いつ死んでも本望」という覚悟のあるベテランばかりが集められていることも、その所以だった。
 それに対して「生きて還る」よう使命を課した島の、艦長としての決意は並大抵のものではない。だが、多くの乗組員たちやその家族が、彼のその方針に安堵と信頼感を覚えるようになっていたことも、また事実であった。

 



「続いて、各班の班長を任命する」
 藤堂が名前を読み上げて行った。
「ポセイドン副長・カーネル・ジョイス、護衛班班長・ミッドランド・神崎、航海班班長・司花倫」
 カリン?女かよ?…男?カイン、のまちがいじゃね?
 一瞬ホールの一部がざわつく。
 藤堂はコホンと咳払いをしてそれを鎮め、続けた。
「航海班は、本艦ポセイドンが3隻に分離する仕様であるため、操舵手が3名必要となる。本艦の操舵は島艦長が兼任、1番艦操舵責任者は航海班副長・大越学、2番艦操舵責任者は航海班長の司だ。……続いて、通信班班長・鳥出武久、観測班班長・片品信、衛生班班長・グレイス・ハイドフェルト、工作班班長・坂入忍、機関長・渋谷源三、整備班班長・徳永英吉…」
 島は、大越が戻っていないかどうか、と再度ホールを見渡した。式典の最中に最前列に戻ってくるほど大越は空気の読めない男ではないはずだから、きっと隅っこにでもいるのだろう。……何かあったかな…?
 案の定、ホールの入口に近い座席に、大越は戻って来ていた。何か言いたげに島の方をチラチラと見ている。
「……核廃棄物対策班班長・桜井総一郎…以上、各隊員は部署ごとに各ブリーフィングルームへ移動せよ。そこで顔合わせを行う」
 201名の隊員たちは、席を立って移動を始めた。

 第一艦橋勤務のメンバーは、島、藤堂と共にホールに残った。
大越が、大急ぎで駆け寄ってきて、報告する

「艦長、席をはずしていて申し訳ありません! 司中尉を医務室にお連れしていました!」
「え?」
 島ばかりでなく、一同が「え?」と言ったので、大越の方がびっくりする。
「…航海班長が初っぱなからどうしたんだ」
 島は眉間にしわを寄せて大越を問いつめた。
「それが…、その、司…班長は急性胃炎で」
「はあ?」
「…今医務室で休んでるんですよ」
「しょうがないなあ!!一体どういうことだ」

 プンプン怒っている島の後ろで、藤堂がくすりと笑った。
 ——司中尉とは、あの小柄な女性隊員のことだろう。適性と過去の功績を元に各班の長は選出されたが、並み居る男どもを押さえて就いたこのポジションは、彼女にとって相当重荷だったのではあるまいか…?
 孫娘ほどの司の姿を思い出すと、藤堂は怒る気になれないのだった。
「島、…司くんというのはあの子のことだな」
 ぷりぷりしている島に、藤堂が話しかける。
「…はあ、そうです。まあ、痛くて立っていられないほどだというのであれば仕方がないですが。…自己管理がなってませんね。早速注意対象です」
「まあ、大目に見てやったらどうだ。こんなむさ苦しい男ばかりの職場で、航海班の班長だ。胃も痛くなるだろう」
「長官!そんな甘やかす訳にはいきません。男だろうが女だろうが私の船では関係ありません。それに…司はすでに一つ、問題を起こしているんですよ…」
 島は短く溜め息をつく。藤堂は「ほう?」とその詳細を聞きたそうにした。それを聞いた大越が、慌てて手を挙げる。
「なんだ大越」
「艦長、…その、司中尉のことなんですけど…」
「何か知ってるのか?」
「はあ、実は……」


 
 少し前のこと。
 医務室へ連れて行ったのが、実は成績抜群の艦載機乗りでもあった元戦艦アルテミス航海士・司花倫だと知った大越は、その噂と本人との、イメージのギャップに仰天した。

 司が半ベソで語った所によれば……。

 朝のジョギングの最中に、格納庫の練習機を見かけ、嬉しくなってそこに居合わせた整備班の徳永に一機借りてちょっと飛んでみた。するとそこへ志村が上がってきて、いきなり銃撃してきたので思わず反撃したら、『そんなつもりはなかったのに』マーカー弾が当たってしまったのだという。
 大越は、式典の間に整備班の徳永に話を聞き、司の話の裏を取ったのだそうだ。
「…すると、…先に発砲したのは志村なのか?」
「ええ、見ていた徳永整備班長によると、そうらしいです」
 大越は朝から感じている護衛班の連中の挑戦的な視線と、司の困り果てた様子を見ていて、すでにすっかり司のシンパになっていた。
「……わかった。とりあえず、司抜きで顔合わせを行う。司については後で直に聴聞する」
 島は再三溜め息をつくと、全員を席に着かせた。

 

 

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