奇跡  基点(12)

      <(11



 ブラックタイガーが滑走路に一機、舞い降りてきた。

「……嬢ちゃん!」
 降りてきたのは司だった。志村の機はまだ上空を飛んでいる。
 酷く申し訳なさそうな顔で、司は謝った。
「…ごめんなさい…、ホントにすぐ帰って来るつもりだったんです」
 老人は笑いながら、肩をすぼめた。
「いやいや、驚いた…。志村の坊ちゃんも歯が立たんとはな。まあ、あの人にはいいクスリじゃ」
「あの、…あの、私…、あの人よけてくれると思ったんです。まさかあんなにあっさり撃たれちゃうなんて、思わなくって…。ああ、ごめんなさい…」
 困り果てた顔でしきりに謝る彼女に老人もどう答えていいのかわからず、苦笑いするばかりだ。

「でもね、あの……おじさんが整備したこの子、すっごくよく言うこと聞くわ。おじさんて、すっごい優秀なメカニックでしょ…」
「ほう、そうか。ありがとう。わしはポセイドン、っちゅうプロジェクトの、大型艦の整備班に配属が決まっとるよ。お嬢ちゃんは?」
 それを聞いて司は満面の笑みを浮かべた。
「ほんとに?あたしもなの!うわあ…うれしい、おじさんがいたら整備は万全、だね!!」
「いやしかし、まったく人が悪いぞ、嬢ちゃん。パイロットだったなんて…」
「司です。司 花倫」
「徳永英吉じゃよ」
 二人は、孫と祖父のようににっこり笑いあって握手した。
「……あの、志村さんて人も?」
「志村の坊ちゃんは、護衛班じゃ」
「あっちゃー………」
 護衛班て。じゃあ、あの人…コスモファルコンを駆る艦載機チームじゃん。それこそ、「精鋭」って噂の高い……。
 それを、……へこましちゃったんだ………あたし。
 上空を見上げると、茫然自失したかのように依然、志村機は飛び続けていた。

 「えっと…、志村さんに、ごめんなさいって謝っといてください…」
 司はそう言うと、ヘルメットを徳永に手渡し、ぱっぱっと手を服の腹で拭くと、軽く手を振って走り去ろうとした。
「じょ…いや、司くん、あんたも護衛班所属か?」
「ううん、私は……航海班ですうー…」
 そう言って一瞬だけ振り返ると、司は一目散に通路の奥へと走って行ってしまった。
「航海班?」
 徳永は目を丸くして呟く。
 木星のカリストから来た、噂の元艦載機乗りの一等航海士、というのは………。

 いやはや、まったく。
 大したじゃじゃ馬だわい。

 徳永は、久々に愉快な思いをしたとばかりにはっはっはと高笑いした。

 

                  *


 護衛班の志村の機体の腹に赤い磁力マーカー弾が3発飛び散っているのは、その後にやってきた整備班の連中を通してあっという間にキャンプの若い連中の間に知れ渡った。
 バイクの移動もそこそこに、走って帰った司は朝のシャワールームですでにその噂を耳にしてしまった。
「なんか聞いた?護衛班の男子が朝っぱらからやられたらしいわよ」
「何?誰が?」
「志村さんだって」
「志村って、あのカッコつけてる志村運輸の三男坊?」
「ウッソ?!だってあの人、護衛班のナンバー2じゃ」
「仮想ドッグファイト仕掛けられて、撃墜されたって」
「マジで?!駄目じゃん、うちの護衛班……」
「すごい人が来たわねー。航海士でしょ?どんな人かな、カッコいいかな」
「バーカ、なに色気づいてんのよ〜」

(……どうしよう……あの志村って人、艦載機チームのナンバー2だったんだ……)
 脱衣所で上がる、観測班の女子隊員たちの黄色い嬌声を聞きながら、シャワーブースの中の司は真っ青になっていた。
 訓練用のブラックタイガーを無断借用した件については、徳永がもみ消してくれたらしいが、なに?…この噂は、一体…。
 
 顔合わせでその航海士が私だとわかったら?
 志村さんの、立つ瀬は…?
 男の子を凹ますつもりは全然ないし、そりゃ女で悪いことなんか一つもないけど、だけど……。



 自分が相手よりもいい成績を出すことで、勝手に落ち込み去って行った男性の同僚がすごく多いことが、司の悩みの種だった。
 突っかかって来られるのはまだいい。
 自分より劣るはずだと決めつけてかかって来られるのも、それもまあ、かまわない。
 ……けど。
 負けても、勝手に落ち込まないで欲しいよ……。
 どの男性隊員も、威圧的に向かってくるから司も本気で対抗するのだが、いまだに苦戦したことはあっても負けたことがないのだった。おかげで司には、この年になってもデートのお誘いが来たことがない。

 ここは軍隊だ。周りは男性の方が多いのだから、彼氏だったらよりどりみどり、…などと楽観的に考えていたが、どうも様子が変だった。自分だってごくフツーに恋愛だってしたいし、たまには男の人に頼もしくリードされたい。なのに、おかしなことに男の方が寄って来ない………。
 常に演習やシミュレーションでの成績を見られているせいか、訓練学校に入ってしばらくすると、周囲の男性隊員はほぼ全員、自分を避けているとしか思えなくなってしまった。月基地に配属された頃には、自分は男子に避けられている、とはっきり自覚できてしまった。唯一の例外は、天才と噂の高い坂本茂や揚羽武、加藤四郎と言った古参の強者だけだ。
 ……いや、避けられているというより、敵視されていた、といっても過言ではなかった。当の男子隊員たちからすると司は「負けられない相手」であって「その実力や存在を信じたくない女」だったのだ。

 彼女が上層部や教官にめちゃくちゃ評判が良かったことも、同期の男性隊員から見れば脅威だっただろう。彼らは訓練で常に、「あのチビの女中尉」と比較され「女にできることが、どうしてできないんだ」と叱咤される………。そんなことの繰り返しであれば、話をしたこともない「司中尉」を恋愛対象に選ぶ男なんて、周囲には皆無だとしても致し方ない。
 実際は、例えば腕相撲などの筋力勝負だったら、司は男子隊員たちにはまったく敵わないだろう。
 けれど、戦闘機でのドッグファイトや、ミサイル攻撃での地上目標破壊数を競ったら。または、模擬弾を使っての銃撃戦だったら。もしくは、航路設定のスピードや有効航路算出スピードや適正度を競ったら、……意に添わず
、大抵彼女の方が勝ってしまうのだった。

(……どうしよう……。顔合わせ、バックレちゃおうかな)

 本気でそう思った。
 だが、ふと島の顔が頭をよぎる。
 しょっぱなからいい加減な奴だとは、思われたくなかった。少なくとも、こんなことで、軽蔑されたくない。
 その思いの方が、格段に強かった。
「えーい、いいや。志村さん、ごめん!」

 まだ見ぬ志村雅人に心の中で謝りながら、司は決然とシャワールームを出た。

 


                  *


「何?もめごとか?」
 顔合わせのための式を行う大ホールで自ら名簿の整理をしていた島は、副長カーネル・ジョイスの報告を受けて顔を上げた。
「いえ…、護衛班が自主トレの最中にドッグファイトになったようです。血の気が多くて困りますな、若い連中は…。ただ、その相手がですね…、航海班だったんですよ」
「航海班員が艦載機でドックファイトをやらかしたのか?」

 島自身は、艦載機の操縦は難なくこなすがドッグファイトは随分長いことしていない。訓練学生時代に古代のやんちゃに散々付き合わされ、閉口しているからだ。艦載機シミュレーターでぐるぐる回されるのも、できればご免被りたかった。
「……護衛班相手にバカなことを…」
「それがですね」
 ジョイスは楽しそうに言った。「やり手の志村雅人中尉を、撃墜してしまったらしいんです」
「え?」
「磁力マーカー弾が機体の腹に3発、当たったようで。それにしても、マーカー弾とは、志村運輸もまた今時珍しいものを持っていますな。アンティークですよ……。整備班が今必死で染料を落しているところだそうです」
「なんだって」

 航海班に、そんな奴がいたかな……。志村は艦載機隊の第2分隊、5機を率いる「志村隊」の隊長だ。護衛班長の神崎に次いでナンバー2の実力者であるはずだが。
 磁力マーカー弾の希少性もさることながら、島は航海班にそんな手練れがいたことに興味を引かれた。一瞬、あることに思い当たる。
(まさか、あの子じゃないだろうな?元艦載機パイロットだった…)
「まあ、訓練機を自主トレに使うのは志村がからんでいる限り公費乱用にはあたりません。志村運輸はプロジェクトのスポンサーですしね。ただ、許可なくドッグファイトを始めたのは拙かったです。それに、整備班の仕事が一つ増えたので注意勧告くらいはしておかれたほうがよろしいかと」
 いや、始末書ものだぞ…。眉をひそめ、島はそう思った。「それで、その航海班員ってのは」
ジョイスはくくく、と笑った。
「…司花倫中尉です。隊員の間では、彼女は専らの評判ですよ」
 島は名簿をめくる手を止めた。
(………やっぱり)
 じゃじゃ馬、だと感じたのは間違いではなかったわけか…。
 溜め息をついて眉間を押さえると、島はジョイスに言った。
「調子に乗らないように、言っておく必要がありそうだな」

 男のプライドを潰して楽しんでいるだけであれば、ガツンと言っておかなければなるまい。成績がいいのは、もちろん結構なことだ。女だから男だから、ということに自分はそれほどこだわらない。だが、今回の旅は、競い合う場ではないのだ。
 能力を誇示する必要もない。ましてそのために無駄に隊員同士の敵対心を煽るとしたら放ってはおけない。……それは、男であろうが女であろうが
同じことだ。
 加えて何より、大気圏内でのドッグファイト…というのが島にとって最も気にかかる点だった。通常飛行ではない。危険度の高いアクロバットさながらの戦闘機動は、一歩間違えば簡単に死につながる。彼女の腕が加藤や坂本に匹敵するのだとしても、看過できるものではなかった。


 

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