<(10)
司はコックピットから老人に拝むようなポーズをし、叫んだ。
「ちょっとだけ!絶対すぐ帰るから!」
スクランブル発進の練習は、嫌というほど積んでいる。
老人が泡を食って駆け寄ってくるより先に、機体は格納庫の扉をくぐり抜け、外へ出た………
キャノピーが降り、ロックが閉まる。
その段階で、司は片手でベルトを閉め、同時にヘルメットを顎に固定した。
「こらーーーー!!」
まさか、戦闘機ファンの女の子にブラックタイガーを持って行かれるとは思ってもみなかったのに違いない。老人の慌てぶりはバックミラーで見ていても良くわかった。
「ごめんなさい、ほんとにちょっとだけ!!10分飛んだら戻って来るってば…」
司はメットの交信装置のスイッチを入れ、レーダーを作動させてみた。この独り言に応答してくれる者はいないか。もしくはこの空域に他に動いている機体がいないかどうか。…さらに、それを確かめてくれる者は?
格納庫には、本当にあの老人一人きりだったようだ。そして、レーダーの反応する範囲には動く機体は一機もなかった。
飛べるわ。
大丈夫だったら。壊したりしないし、いい足慣らしになるわよ、この子にとっては。「きゃは……!」
ブラックタイガーのみならず、艦載機はすべてV-TOL垂直離着陸仕様だ。だが、司は簡易ブースターを使って滑走路を短距離走行させ、機体を浮かして急角度で上昇する大気圏外用スクランブル発進の手順を取った。敵襲の最中に発進する際、狙撃される危険を最小限に抑えるため高速で移動しつつ発艦する必要がある。実戦向きの離陸法だが、重力の強い大気圏内では難易度が高いため、地球の訓練学校でこの方法を教えることはない。
ブラックタイガーの噴射口が爆音と共に熱気を吹き出し、機体は軽々と宙に舞った。
はるか下方で、老人が呆気にとられて見上げているのがわかる。
この発進の仕方をするということは、実戦配備の経験を持つ艦載機乗りだということだ。訓練生にはできない芸当だからである……
「うふふ、わかってくれたかな……あのおじいちゃん」
急速に高度を上げて、朝もやの中を上昇する。
キャノピーにキラリと反射する陽の光が、柔らかく目を射る。
——心地よい4Gの加重。
……4Gが心地よい、のだから彼女はまったくタフという他ない。この時代の艦載機は、ジェットスーツの着用がなくてもコックピット内の気圧が自動制御されるため、重力加速度(gravity)はそれほど身体に悪影響を及ぼさない。だが、それでも戦闘機の加速は人体を押しつぶすような苦痛を発生させる。華奢な彼女は体重や筋肉量の多い男性よりも、おそらくGには強いのだろうが、だとしても驚くべき強靭さだと言っていいだろう——
耳にキン、とくるまで高度を上げ、水平に戻す。
「…この子、とっても扱いやすい…」
整備班の老人の腕に感嘆しつつ、司は下を見下ろして旋回半径を目測した。
ぐるっと回って、……んんーー、3回くらい回ったら、急降下して…帰るから。……きゃあああああ…イイ気持ち…っ!!
下では老人が司の機体を見上げ、感心したように頭を振っていた。
「なんてこっちゃい。…あの子が艦載機乗りだったとはな」
「おはよう、じいさん。……あれは誰だい?」
唐突に、老人の背後から声がした。
「ああ、今日も早いね、志村の坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめろって」
志村と呼ばれた男が、爆音の降って来る空を見上げながら格納庫の中から出て来た。すらりとした体躯にまとっているのは、有名スポーツブランドのオリジナルロゴが金文字であしらわれた、見るからに高そうな黒白ツートンカラーのジェットスーツ。色白の顔にまだあどけない表情の残るその青年は、チッと舌打ちし、片目にかかる前髪を後ろへ払った。
……シムラといえば、運輸業の国内最大手企業である。軍需産業の南部重工、揚羽重機に並ぶ財閥だ。
「すまん、あんたのヘルメットをあの嬢ちゃんに貸してしまったんじゃ。…すぐに戻って来ると言っとったが、まさかあんなに腕のいいパイロットとは知らんかった」
「嬢ちゃん?」
志村雅人……ヘルメットのM・Sのイニシャルは、彼だった。
「ちょっとだけ乗ってみたいというから、あんたのヘルメットを見せてやったんじゃ。わしゃあ、てっきりキャンプの店員か、ウエイトレスかと思ったもんでな…」
「…今上を飛んでるのは、女なのか?」
志村は疑惑の眼差しで上空を見た。
「スクランブル発進しおってな、ありゃあいい腕しとるぞ? 何度か実戦にも出とるようじゃ」
「フン……俺様専用の朝練に無断でしゃしゃり出てくるとはな」
「坊ちゃん、あの子はじき戻って来るから、もう少し見とったらどうじゃ」
「面白い。俺も上がるぞ。じいさん、レーダー管制してくれよ」
「こら、そんなわけにはいかん……!」
志村も、老人の制止を意にも止めず、M・Sとイニシャルのついた機体に飛び乗ると始動スイッチを入れた。
女と聞いて、たかをくくって見上げているうちに確かに腕のいいパイロットなのが志村にも分かった。時々、遊ぶように機体をロールさせたり反転させたりしている。ただぐるぐると大きな円を描いて飛ぶ訓練生とはまるで違う。
………気に食わねえな。
トライデントプロジェクトチームには戦闘班がないとは言え、艦載機を操る護衛班は少数だが存在する。彼も、ポセイドンのコスモファルコン第2分隊、5機を預かる志村隊の隊長だ。有事の際は専らヤマトのCF隊に護衛を一任するが、自分たちポセイドン護衛班もヤマトの艦載機隊と同じレベルの戦闘行動くらいは取ることができるのだ。
しかも、自分たちの護衛班に女はいないはずだった。
じゃあなんだ。どこのどいつだ。
ヤマトの戦闘班か?
……いや、ヤマトだろうがどこだろうが、知ったこっちゃねえ。
よその艦載機乗りが、良い度胸じゃねえか……
ジャイロのチェックとともに、20ミリパルスレーザー砲の着色弾装填の有無も確認する。この訓練用ブラックタイガーは、レーザーの代わりに着弾すると電磁波で赤い染料が付着する磁力マーカー模擬弾を装備していた。
「ドッグファイトだ、女」
(可愛がってやるぜ)
志村はにやりと笑うと、ブラックタイガーを垂直離陸させた。
*
一方、司は鼻歌まじりに飛行を楽しんでいた。
「ああ、この感じ!このまま宇宙に出ちゃったら〜、怒られるよねえ〜♪…」ブースター装備を万全にすれば、コスモタイガー2なら大気圏を離脱できる。このブラックタイガーでは無理だけど…ね。
先ほどから何度も繰り返している、機体を右に左にロール(横回転)させてはピタリと水平に止める操作を、また繰り返す。
「うん、ビシ!って決まっていい感じ」
そのまま今度は推力を最大に上げ、機体を垂直に上昇させる……そして一瞬の出力停止。機首を上にしたまま、機体は尻から急速降下する。…テイルスライド、という動きだが、急速上昇中に後ろについた敵機をオーバーシュートするため司が多用していた方法だった。出力停止は0コンマ2秒、すぐにエンジン噴射しなければ地面におカマを掘られる……がブラックタイガーはまるで柔らかいクッションに飛び降りたかのように、反転して機位を立て直す。
「この子、ほんとによく整備されてるわ…」
満足げに一人言ちた司の耳に突然、メットのマイクから声が聞こえた。
<ああああ、じょうちゃん、気をつけとくれ!そんな無茶な機動をさせんでくれ…!!それからな、志村中尉がそっちに向かった、頼むからもう降りてきなさい!!>
「おじいさん?」
志村が鼻息荒く飛び立ったので、仕方がなく管制に入った老人の声だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!あの、私パイロットなの。すぐに戻りますから、許してね…」
<そうじゃない!もうアンタの腕はわかったから、わしゃあ怒っとらん。じゃがな、アンタの被ってるそのメットの持ち主が志村さんと言ってな、毎朝ここで自主トレしておる人なんじゃ。プロジェクトチームの護衛班の人で……>
「志村さん?…」
突如、後方警戒レーダーがけたたましいアラート音と共に作動した。
「なに?!やだ」
反射的に機体を右に捻る。と同時に、何かがキャノピーの左側面すれすれに飛んで行くのが分かった。
(やだ……誰かが撃ってきた……!?)
<お嬢ちゃん、それは実弾じゃない。訓練用の磁力マーカーじゃが、ちっとは衝撃も受けるし着弾すれば真っ赤になる代物じゃ>
「えー、やだ〜〜…なんで?誰が…」
<だから志村中尉だというちょるに!>
司は急激に体内のアドレナリンが上昇するのを感じた。
そっか…
この感じも、覚えてる。
ドッグファイト……しようっていうことね?
「……おじいさん、志村さんが撃ってきたのね!じゃ、あたしもやり返していいってことね?撃っちゃって良いのね?ホントに実弾じゃないわね?」
<何言っとるんじゃ!!悪いこと言わん、早く降りて来なさいっ!!>
老人の頓狂な声と同時に、またもや後方警戒レーダーが赤ランプと共に作動し、けたたましくアラートが鳴った。
「やっだ不覚!!こんな何回も後ろとられるなんてっ」
ちょっとわくわくしてきた。
意外な展開に面食らったが、そもそもドックファイトというのは、訓練でも始まりとおしまいなんぞセッティングされていない。このドキドキ感は堪らない。
垂直に近い右バンク(横転)から機体をストール(失速)させ、急降下する。相手には突然目の前から消えたように見えるはずだ。この高度からならブラックタイガーの自重と速度でも可能な、いわば「木の葉落し」。0コンマ1秒で機首を上げ、反転上昇に移る。
目がチカチカっとしたと同時に見上げると、はるか上空に自分を銃撃してきたもう一機のブラックタイガーが目視できた。機体を捻りながら急上昇し、その機影をガンレンジに捉える——
…やったわね〜〜?!志村さん!
志村と言う男がどれほどの腕の持ち主か。
月基地で撃墜数ナンバー2を誇った腕前を、見せてあげようじゃない。
ちなみにあの時のナンバー1は、坂本先輩だった。……坂本先輩は、今回ヤマトに配属されていて、今頃は月面基地でスタンバっている予定だ。
あっちのレーダーが反応する頃合い。
(……あたしの方が2秒早い)
心の中でカウントし、スティックの射撃ボタンを押す……
機首のガトリングガンから発射の振動が伝わる。…志村機の腹のど真ん中に、真っ赤な弾が下から3発、炸裂した。
「え……どうして!?」
司はポカンとした。
よけてくれると思ったのに。
よけてくれると思ったのにイーーーー……!!!
斜め後方から志村の機体を追い越したとき、キャノピー越しに茫然としているパイロットが見えた。
「なんでこのくらい、よけないのよう!!」
志村の方は、相手のパイロットが大きな口を開けて何事か叫んでいるのを見はしたが、あまりのことに何がなんだかわからない。
——この俺が…。
毎朝自主トレしているこのオレ様が、マーカー弾を…それも腹に3発も食らうなんて……
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