奇跡  基点(10)


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 その元ヤマト副長・島大介は、航海班員のリストを眺めながら自室のデスクで考え事をしていた。

(……あの子……月面基地の飛行隊から航法科に転向してるのか)

 飛行科の艦載機乗り。しかも、成績自体はかなり上位だ。それがどうしてわざわざ大型艦の操舵手に転向したんだ?何か余程の理由があったのだろうか。
 司は訓練学校では飛行科を修了し、トップクラスの成績で月基地のブラックタイガー隊に配属されていた。しかし、さしたる理由もなく1年で防衛大に舞い戻り、今度は航法科に編入し直している。月面基地の城ヶ崎司令がよく手放したもんだ…とふと思う。
(加藤や坂本の後輩だったかな……?)
 第3太陽系外周艦隊司令からの推薦状と、報告書類を順にめくって行くと、末尾に参考書類として艦載機隊における幾つかの記録が添付されているのに改めて気がついた。
(……これは…すごいな)
 期間は短いが、月面基地のブラックタイガー隊の演習での撃墜数は基地内で1、2を争う記録を残している。飛行時間数と演習参加回数やターゲット撃墜数などを比較して見る限り、艦載機乗りとしての彼女のキャパシティは島の想像を超えていた。カリスト基地での軍事演習でも、航法科だというのに艦載機隊のメンバーとして参加している回があった。
 航法の成績についても評価が高く、アルテミスの操縦士の一人として太陽系外周警備のため過去3航海従事している。島が幾度かコスモナイトの輸送中に外周艦隊に出会った時、あの大型艦を動かしていたのが司であったとしても不思議ではない。
 加えて上からも指摘されていたことだが、通常の体力測定でも司は群を抜いていた——軍人なんか辞めて、オリンピックの選手にでもなればいいのに、と思うほどだ。飛行科から他の科へ移動する理由としては、体調不良や負傷などが多いが、司の場合は明らかにそうではない。カリストでの体力測定の結果を見ればそれは一目瞭然だった。

(古代の女版みたいだな、こりゃあ…。加藤や坂本だったら噂くらいは知っていそうだ。この子は、いっそヤマトに配属になれば良かったのに。役に立ったろうな)
 さすがに波動砲の発射ライセンスは持っていないようだったが、ライセンスを取ってみろと言われればなんなくこなしそうだ。
(……先にこの調査票を見せられていたら、一体どんな筋肉女が出て来るやら、って思っただろうぜ)

 あの華奢で小柄な身体のどこに、これだけのバイタリティが隠されているのだろう。
 島はそう思い、一人ふふ、と笑った。
 藤堂長官や首脳団長を数分で納得させたのは、この調査票の詳細事項だった。本人を見る限りでは、記録とのギャップがありすぎる。それで親父どもも最初は戸惑ったのだろう。


 さて、コイツをどう使うか、……だな。
「……楽しみだ」
 そう独り言ち、島は書類をブリーフケースにしまった。


 




 翌午前4:00。

 赤石マイアは、自室のオートドアがかすかに閉まる音を聞いたと思って目を覚ました。
「……まだ4時じゃない…」
 腕時計をちらと見て、溜め息を吐く。耳を澄まして、カーテンの向こうで寝ているはずの司の寝息を確認しようとした。
「………?」
 ——まさか、彼女もう起きているのかしら?

 起き上がり、そっとカーテンをのけてみる。
「………」
 司のベッドはすでに空だった。
(こんな早くに、何をしに……?)
 赤石自身も時々早朝や深夜に射撃の練習をしに行くことはあるので、そういう類いの自主トレかしら…と考え、またベッドに横になった。
(昨日来たばかりだって言うのに、元気ねえ……彼女)

               *

 一日の始めに、これをしないと落ち着かない。
 ——誰にでも、そういうことが一つはあるものだ。

 司の場合、朝起き抜けのジョギングはどうしてもやらないと落ち着かないことの一つだった。これから先は再び、閉鎖された艦内での生活になるが、それまではこの地球の清々しい朝の大気の中で走れると思うとそれを一日でも無駄にしたくなかったのである。

 トライデント=プロジェクトキャンプの居住区は、オクタゴンの八角形の建物に隣接している別の建物だった。ふたつの建築物の間には建造中のポセイドンの地下ドックがある。厳密に言えば、上空から見るとその3つの施設は各々デルタ型の頂点に位置しているのだった。さらにオクタゴンの外には飛行場があり、そこから連絡艇が離着陸している。
 居住区内部は窓のない宇宙船と同じように作られており、居住施設を外から見ると一面コンクリートで塗り固められた複雑な立方体のようだ。


 明け方の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、建物の外側にぐるりと設けられたコンコースを駆け抜ける。
 しばらく走って行くと、連絡用飛行艇の発着所に出た。オクタゴンの方まで来たのだと解ったが、ぐるっと走っていればそのうち全体を一周することになるのだ。司はそのまま走り続けようと思ったが、はた、と思い出した。昨日乗ってきたエアバイク。自分はそれを、このターミナルに停めてきたのだが、そういえばどっかにきちんと移動させなくちゃならないのだろうな。ターミナルに一ヶ月放っておくわけには行くまい。
 本当は昨日、連絡艇で他の連中と一緒に来れば良かったのだ。司は内心舌打ちした。しかもそのおかげで、艦長とあんな無様な出会い方をしちゃったわけで。おっちょこちょいだと思われた、と思うと悔しくて仕方がない……どうせ、実質自分はおっちょこちょい、なんだろうけど。
「ちぇっ」司は改めて不服そうにそう舌打ちした。


 
 彼女はきょろきょろと辺りを見回したが、早朝のターミナルには当然ながら人っ子一人いない。その隅に、昨日慌てて停めたままのエアバイクを見つけ。
 …駐輪場、ってどこだろ?誰に聞いたら良いのかも解らないけど、こんな朝早かったら、しょうがないか…。
 ぶつぶつ言いながら、ポケットに入れっぱなしだったバイクのキーを出した。
 とりあえずバイクを移動させようとした彼女の目に、ターミナルの奥にある通路が見えた。室内灯がついている。誰か居るのだ。

「すいませーん…誰かいますかあー…?」
 その建物の入口にバイクを停め、通路を覗き込んで声をかける。通路に「カァー……かあー…かあー……」と語尾が反響して、妙なこだまになって奥へ流れて行った。
 ——それは、隣の格納庫に続く通路だった。

                *

「……わあ!」
 好奇心からつい格納庫に入り込んだ司の目に入ったのは、煌々と照らされた室内灯に反射する、黄色と黒のペイントも鮮やかな99式宇宙艦上戦闘機、 ——ブラックタイガーの機体だった。
 ブラックタイガーは、現在実戦配備はされていない。ヤマトがイスカンダルへ向かった頃には第一線配備だったこの機種はすでに退役しており、現在はコスモタイガー2(一式)の後継機コスモファルコン/八式宇宙艦上戦闘機(旧日本軍の零<Zero>式戦闘機のライバル機と言われた隼<Falcon>式がその名称の由来といわれている)が実戦配備されている。だが司にとってブラックタイガーは飛行科時代の愛用機であったから、この再会に彼女が嬉声を上げたのは無理からぬことだった。

 そこには、ブラックタイガーが10機……いや、ざっと数えただけでも15機はあったろうか。
「……どうして…?うわあ……なっつかしい……」
「誰だ…!」
 突然、奥の方から声がした。
 司はぎょっとしたが、室内灯がついているのだから当然誰かがいても不思議ではない。逃げようかどうしようか一瞬迷う。でも、ここは正直に無断で入り込んだことを詫び、もう少し車エビちゃん、もとい虎ちゃんたちを見ていたい、と思った。
 司は慌てて叫び返す……
「すみませーん!!キャンプで働いてる者です!外にバイクを停めてたんですけど、停めるとこわかんなくて!ここ、灯りがついてたんで、誰か居るのかと思って…」
 ブラックタイガーの機体の下から現れたのは、黒い器械油に汚れた、作業服姿の老人だった。
「こんな朝早くからなんでバイクだ?今来たところなのかね」
「え?いえ…。おじさんこそ、なにしてんの?こんな朝早く?」
 聞いてしまったが、すぐに解った。このおじいさん、整備士だわ。
「わしゃあこいつらの整備士じゃからな。今日も午前中から訓練に使うんだ。整備班の連中は8時にならんと来ないが、わしにとっちゃこいつらは特別だから」
「…コスモファルコンじゃないんですね」
「お嬢ちゃんは物知りじゃね。ファルコンは実戦配備型だから、マンハッタンで調整後に船に積まれる…ここにはこないんだよ。こいつらはまったくの訓練用じゃ」
「ああ、そうか…。でも、私はファルコンよりこっちの方が好きだなあ。だってずっとかっこいいもん」
「なんじゃ、嬢ちゃんは戦闘機が好きなのか?女の子なのに、変わっとるな…ほっほっほ…」
 老人は、ひじについた油を腰に下げたボロボロのタオルでくるっと拭い、しわくちゃの顔で笑った。女の子なのに、の一言が余計だわ、そう思いつつ司も愛想笑いをする。
「あの、これ…、動くんですか?」
 老人は、たった今まで整備をしていた…といった風情だ。訓練用。これから、この子たちは…飛ぶ。そう言っていた。
 世間話をしながらも…急に胸がドキドキしてきた。
 腕時計をちらと見る。まだ5時半だ。
 顔合わせのための式は午前10時からのはずだった。

(——乗りたい!!!ちょっとでいいから……乗りたいっっ!!!)

「もちろんじゃ、すぐに使えるようにしておくのがわしらの仕事じゃからな」
「これ、トライデントプロジェクトのキャンプで使うんですよね?」
「おお、そうじゃ。護衛班の訓練用じゃよ」
 ……だったら、あたしがちょこっと飛んでも、……いいよね?メンバーなんだし……
「おじさん、あの、あの」
「なんじゃ?」
「ちょこっとだけ、虎ちゃんに、乗ってみても良い……かな……?」
 老人はきょとんとした。
「虎ちゃん?ああ、ははは…。そんなに好きなのかね?…まあ、じゃあいいじゃろう。そのかわり、あんまりあちこちいじっちゃだめだよ……」
 ほっほっほ、と老人は笑った。

 よおしそれじゃあいいものを貸してやろう…、とブツブツ言いながら、彼は一番端に停めてある機体の下からヘルメットを一つ取って来ると司に手渡す。
「ほら、これがヘルメットじゃよ。重いから落さないようにな」
 司はすごく嬉しくなった。航法科に転向してから、ブラックタイガーの座席に座るのは実に5年ぶりだ。メットの中を見ると、M・Sというイニシャルがついているのが読めた。心持ち自分には大きかったが、はしゃぎながら被ってみる。ジェット燃料の臭いに混じって、高そうな整髪料の香りと、かすかな汗の匂いがした。
「お嬢ちゃんは、キャンプの従業員さんかね?泊まりで働いてるのかい」
 はしゃいでいる司を見て、老人も嬉しそうにそう訊いた。
 司はどう答えたものか迷ったが、従業員……といえば言えないこともないので「えへへ」と笑って誤摩化す。

 老人が、さて、と言いながら外に通じる格納庫の大きな扉を開けた。
「そろそろ日も高くなってきたな」
 司がジョギングしていた頃は、まだ日は昇ったばかりで外はぼんやり明るいだけだったが、今はもうすっかり陽が昇り、気持ちの良い朝もやが立ち上っている。
 老人は、格納庫の外に向かってうーーん、と伸びをした。
 
 司は、扉に一番近い機体に足をかけてするするっと座席に登った。その前に、車輪止めをさりげなく外すのも忘れてはいない。
「お嬢ちゃん…身軽だね。いいかい、そこいらのスイッチに勝手に触るんじゃないよ…」
 しかし、彼女の耳にはすでにその言葉は入らなかった。


 ——身体が、勝手に動く。
 手順ははっきり覚えている。
 始動スイッチ・オン。
 NUB-1型エンジンが静かに回転を始める……老人の言う通り、いつでも訓練のために飛び立てるようになっているのだ。

 エンジン内圧力正常、大気圏内飛行ジャイロ自動セット・オン。
 機体が低いエンジン音を立て始めたのに気付き、老人が血相を変えた。


「こら、お嬢ちゃん……!!何しとるんじゃ!」

 

 

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