奇跡  基点(9)

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 私が操舵を任されたのは、この…無人艦なのだ、と司は改めて顔を上げる。聳え立つ船体は見る限りアルテミスやラグナロクと変わらず、その内部には有人艦と変わらない人の営みが息づくはずだった。が。
「責任重大だよ、君」
 補佐官は、ぽかんとラムダを見上げる司に苦笑した。「君はこれを本艦から操縦するわけだけど、この中に積まれる貨物こそが今回の計画の中心なんだから…」
 貨物。
 そうだった。
 カリスト基地司令だけでなく、アルテミスの風渡野(ふっとの)艦長からも、耳にタコが出来るほど聞かされていたのだ。

 輸送勤務だからといって、ナメたらいかんぞ。
 人類を即時3回は滅亡させられるほど毒性の高い放射性廃棄物を何万tも運ぶのだ。お前が向かうのは、新たな戦いなんだ、と。

「シグマとラムダが切り離し可能になっている理由は聞いたかい?」
 主計補佐官の質問に、ええ、まあ、と頷く。…というか、今まで切り離し可能艦、と聞いてはいても、その目的も理由も特に考えようとはしなかったのだが…。

 しかし大事な貨物を本船から切り離す理由は、ひとつしかない。乗組員を放射能から守るためだ。そのために、本船のポセイドンからこの無人艦をコントロールする技術が必要になる。
「木星カリストのエリート航海士なんだって、君?でも、一から無人管制を習得しなくちゃならない訳だ。あと1ヶ月しかないが、君なら出来るだろうって判断された訳だよねえ……」
 補佐官がそういって、司を改めてまじまじと眺める。この女子大生みたいなお嬢さんが、ねえ……?
(チェ……)
 またもや投げられた無遠慮な視線に、司はうんざりした。ええ、ええ、すいませんね。どーせあたしはパイロットどころか、宇宙戦士っぽくすらありませんよーだ。
「こっちだ。…ラムダは左舷にドッキングするから、左舷にだけ可変翼が付いてるんだよ…」
 補佐官が得意げにそう説明するのを聞きながら、司はその後について廊下を歩いて行った。



               *


 
 ポセイドンの乗組員は、男性隊員7割に女性隊員が3割だ。女性隊員の多くは生活班、通信班に分かれていたが全員が同じフロアである。
 司も女性隊員のフロアに案内された。
 給与についての手続きを一通り終えた饒舌な補佐官と別れて後、女子フロアの管理官に、ここがあなたの部屋よ、と言われてようやく足を踏み入れたのはアルテミスの船室とそれほど変わらない二人部屋である。室内は、これから乗り組むポセイドンのものとまったく同じ間取りになっているとのことだった。

 同室の女性は、「赤石マイア」と名乗った。
 司と同じ、第一艦橋勤務の観測班員である。
「……よろしく。私は第一艦橋のレーダーオペレーターを勤める予定です」
 そう言って、赤石は軽く頭を下げた。純白に近いプラチナブロンドのショートヘアが、知的な顔立ちをさらにクールに引き立てている。
(わ……、美人なお姉さん!私より…ちょっと年上かな)
 司は思わず目を見張る。
「赤石さんて、どこの出身?…私もおよそ日本人顔してないけど、日本出身なんです」正確には司の場合、親の国籍なんざ判らないが、育った養護施設は日本にあった、というだけのことである。
 赤石は数秒躊躇したが、会釈して答えた。「…ロシア自治州です。祖父母と父が、ロシア人なの。ずっとロシアで育ったわ。母が日本人です」
「へええ、じゃあ、地球勤務だったんですか」
「若い頃、日本艦隊にいたことがあるわ。…あなたこそ、紅一点で航海班だと聞きましたけど……すごいわね」
「えっ?すごくなんかないですよお」事実、自分の居たカリストでは、女性の一等航海士は珍しくはなかった。航海士ばかりでなく艦載機チームや戦闘班、機関部や工作班にも女性隊員が多かった前職の戦艦アルテミスは、別名「アマゾネス」なんて呼ばれていたくらいだ。

 ふふふふ、と赤石は笑った。
「木星基地から精鋭が来た、って専らの噂だけど、……あなただったのね。ナメられないように気をつけたほうがいいわよ。ここの護衛班の飛行隊員たちが、一体どんな奴なんだって噂していたから…」
「精鋭?」…そう言われるのは嬉しいけどなんだかちょっと恥ずかしい。でも。「噂って……?」
「あなたの経歴が珍しいでしょう。元は艦載機に乗ってたんですって?それを蹴って航法科に転向したのが気に食わない、って…さっきまで一緒だった戦闘機チームの人が言ってたわ」

 司は溜め息をついて天を仰ぐ。
 ちょっとげんなりした。
 ここへ来ても、また…それか。誰かに快く思われていない、その事実に不安になる。僅かに、動悸がした。

「なんで初めて会った人まで、そんなこと知ってんのかなあ…」
 お前はえらくやっかまれているのだから、くだらない噂を流す人間はいくらでもいる。そんなものにかまうな、と、カリストの基地司令やアルテミスの風渡野艦長には口やかましく言われて来た。けれど、そういうのを冷静に無視できるほど、あたし、人間、できてない。大体、他人の経歴なんてどうだっていいじゃない。艦載機乗りから他の職種へ移った人だって、掃いて捨てるほどいるのに。

「でも…身体悪くして乗れなくなった、ていうのとはわけが違うでしょ、あなたの場合。明らかにエースパイロットクラスだったのに突然転向して、次はストレートに大型戦艦の操舵手でしょ…やっかまれて当然……とは思わない?」赤石はちょっとあきれ顔で苦笑している。
「それは…!」
 違う。
 転向したのには、憤懣やるかたない『ある理由』があったのだ。思い出すのも2度とご免だが、確かに自分はかつて一度、月面基地で評判になるほどの女艦載機乗り「だった」。
 憤然と言い開きをしようとしたが、直後に黙り込んでしまった司を見て、赤石は思案顔になった。

「……何か、訳あり…なのね」
 じゃ、訊かないわ。
「……このプロジェクトに参加してる人は、皆そこそこの実戦経験がある人ばかりだから。言いたくない過去があっても、それは聞きっこなし、よね」
 赤石はそう言って、うふふと笑う。
 さばさばしたその物言いに、司は内心ほっとした。
「それよりね……彼らはあなたが男性だと思ってるみたい。女性だと分かったら、彼ら、どうするかしら」
「赤石さん…面白がってません…?」
「いいえ?優秀なのにも悩みがあるんだな、って思っただけ」
 赤石はそう言ってクスッと笑った。

 よく言うよ、と司は小さく溜め息を吐く。ここに居る、って言うことは、この人だって基地司令の推薦を受けて参加したエリート……、って事じゃないか。

「面倒くさいなあ……」
 司は、自分のベッドの端に腰かけ、どさりと寝転がる…あーあ、また、マイナスからのスタートか。カリスト基地でもそうだった……等身大の自分はこんなに自信がなくてちっぽけで不安なのに、達成して来たレコードだけを見て男どもは挑戦的になるのだ。
「…どうして男って、女に負けたくない、って思うのかな。私は別に勝った負けたなんて、そんなのどうでもいいのに……」

 情けない顔でそう言う司に、赤石はまたふふふ、と笑った。
 彼女も、女性としては数少ないエリートの一人だったから、同じような経験は何度もしているようだった。男女分け隔てなく行われる軍事演習の中で、予想以上に女子隊員の成績が良い場合は事実いくらでもある。しかし、それに我慢のならない男も中にはいて、まったく大人げない態度で挑んでくることがあるのだった。
「…自分より弱そうな相手をいつも探してる自尊心の低い人って、どこにでもいるわよ。女だと、絶対自分よりは劣る、と思うんでしょうね。…そんな人たち、相手にしなければいいのよ」
 赤石はそう言ったが、司は笑えなかった。

 自尊心かあ…。そんなもの、私にだってない…。

 いつでも無我夢中で、そうしていたら相手を負かしてた、…そんな程度なのだ。それでも、その「無我夢中」のせいで自分は男の人から「可愛げがない」と言われて十数年。「精鋭」と言われても、「可愛くない」んじゃなあ…、と内心、悩まないでもない。

 そして、ふと考えた……
(島大介、あの人もやっぱり……女は女らしく引っ込んでろ、っていうタイプの男の人なのかしら…)
 だとしたら、がっかりだ。もちろん、カリストにいた熱狂的島大介ファンたちとは違い、自分は公平に彼を観察することが出来るという自信はあった。
 自分の調査票を見ていた島が、満足そうに納得していたのを思い出す。あの顔は、こちらの器ではなくて中身に、満足していたのだと思えないことは無い。だが、ともかく彼は艦長だ……どんなポリシーの持ち主であれ、こちらは選り好みできる立場ではない。
 ま、問題は、一緒に勤務する職場の男の子たちだな。

「第一艦橋勤務のメンバーはどんな人たちなんだろ?赤石さん、もう会いました?」
 司の問いに、赤石は頭を振った。
「明日から始まる訓練で、初顔合わせがあるみたいよ」
「ふうん……」
「私は、第一艦橋では女一人だと思っていたから、あなたがいてくれて嬉しいわ」
「女2人かあ。…えへへ。私、ちょっとガサツで申し訳ないんですけど……どうぞよろしく」
「こちらこそ」

 赤石の私物を見る限り、彼女は自分とは多分、正反対の趣味の持ち主なのに違いない、と司は思った。
 ベッドの上に掛かっている掛け布団の上にはすでにアースカラーのパッチワークキルトが広げてあったし、私物を入れるザックも、司や他の男性隊員たちのように汚れの目立たない色の防水布でできたものではなく、光るサテン生地の小洒落たデザインだった。
 壁に収納できるタイプの小さなデスクの上には、使い込まれた革のケースに入ったコスモガンが乗っていたが、それだけが唯一、彼女が宇宙戦士だということを思い出させる品だった。しかも…差し出された彼女の指先は、目立たない色のネイルカラーで奇麗に光っている。赤石と握手をしながら、自分の指に目を落す。

 ……きったない手。傷だらけだし…男みたい………


 ちょっと恥ずかしくなった。
(……ま、いいや。お洒落したって誰が見てるわけでもないんだし…) 
 内心、そう言い訳する。

「ねえ、司さん?」
 赤石が思い出したように言った。
「その髪の毛、長いままだと艦内規則に違反するわよ?面接の時はどうしていたの?」
 あ、これか…。
 それは司も分かっていた。アルテミスの艦内でも違反だったのだが、束ねて結ってある限り文句は言われない。
「後ろに結っていれば、何も言われませんから」
「……何か、思い入れでもあるの?」
 赤石に問われて、司は笑った。「……はい。願掛けて伸ばしてるんです」
「あら今時古風ね…」
 これは、おまじない。会いたい人に、会えるように。


 ——二度と会えない、と言われた人にも会えるように。


 そのために自分で勝手に作ったおまじないだった。島を艦長にいただくポセイドンの第一艦橋勤務が叶った自分は、例のヤマトクルー後援会の連中にしてみれば(カリストの女性航海士は大半が島大介の、そして月面基地の艦載機隊の女どもは大半が加藤四郎の崇拝者で、それにはほとほとうんざりさせられたものだ)このポジションにつけるのならばそれがさしずめ悲願成就、ってところなんだろうけれど。


 もっと偉大な航海士だって世の中にはいるのよ。
 元ヤマトクルーだからって、神様じゃない。…あたしが会いたいのは、「島大介」なんかじゃないんだから…。

 

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