奇跡  基点(8)

      <(7



 どこをどう走ったのか、気がつくと自分と同じような、カーキ色のザックを持った男の集団が廊下を占拠しているのに出くわした。彼女はその集団の最後尾に辿り着いて、はああ、と息をついた。
 ただし、私服を着ているのも、はっきり女と分かる長い髪を振り乱しているのも、…自分一人だけだったが。
「君、面接?」
 壁際で男たちの交通整理をしていた制服の男が、彼女を捕まえて聞いた。
「あ、ハイ…そうです。木星のカリストから来ました。ちょっと遅れちゃって…」
「カリスト?…カリストっていやぁエリート集団じゃないか。君みたいなのもいるとは驚きだな。さっさと着替えてきたまえ、もう面接は始まってるんだから」
「ハイ…」
(ちぇ、嫌味な奴)
 心の中で舌打ちし、彼女は目についた女子トイレの中に駆け込んだ。
 洗面台で顔をざぶざぶ洗い、濡れた手で髪を後ろに束ねる。ザックの中から防衛軍の制服を出し、あたふたと着替えた。淡いグリーンのタイトスカートに、カリスト基地の所属階級を表す金色のピンバッヂのついた同色の上着。ウエストを上着の上から黒革のベルトできゅっと締め、胸元の白いスカーフを整えた。後ろにまとめた髪は大急ぎでシニヨンに結い、黒い髪止めでビシっと止める。あ、と声を上げて、埃だらけの合成皮革のロングブーツをハンカチで丁寧にこすった。そして、鏡を見ながら、さっきのアホ面の欠片も残さないように入念にチェックする。
……よし。
「あっ…メット…」
 そこで初めて、彼女は白いヘルメットをどこかに置いて来てしまったことに気がついた。多分、<彼>にぶつかってしまった時だ。
「あああああ…そんな………絶望的……」
 彼女は真っ青になった。
 メットには自分の名前がついている。ということは、所属も、希望科も分かってしまったに違いない。もっと悪いことに、もしかしたらこのあとの面接官は、彼かもしれない。
 ごおお…っと凄まじい音を立てて、血の気が引いて行く…。
「……よりによって……あの島大介にぶつかるなんて……」
 司花倫は、トイレの洗面台に両手をついて、ぎゃああ、と嘆いた。
 

 *       *       *


 (あの子…… KALIN・TUKASA……ツカサ・カリン、というのか。日本人なんだ)
 慌ただしく逃げてしまったその姿を思い出して、島は苦笑した。
 ヘルメットを落して行ったので呼び止めようとしたが、一目散に逃げられてしまい、結局それは彼の手元にある。

 ……しかし、驚いた。

 流れるような金色の髪に華奢なブルーの肢体……振り向いてこちらを見た彼女の姿は、一瞬…愛しい面影を彷彿とさせたのだ。
< BASE/CALLISTO——Artemis・NAV(アルテミス航海班)>
 白いヘルメットのネームプレートには、そう刻印してある。
(カリスト基地……ああ、木星の太陽系外周警備艦隊基地か…。アルテミスって、あのアルテミスか…?)


 はた、と島は考えた。
 木星の第3番衛星ガニメデについで規模の大きい第4番衛星カリスト。そこには、主にアンドロメダ級の大型巡洋戦艦の艦隊司令本部として知られる、太陽系外周警備艦隊基地がある。島もコスモナイトの輸送勤務に就いていた頃、このカリスト基地から幾度となく外周警備艦隊が出航して行くのを見た覚えがあった。
 カリスト基地はまた、優秀な航海士が多く所属していることでも知られている。特に海竜、ラグナロク、アルテミスなどの12万tクラスの大型戦艦では、所属する航海班員全員が、若手とは言え一等航海士のライセンスを持っているはずだった。
(アルテミスといえば…。例の演習で目立った動きを見せてくれていたな。…風渡野教官の船だ)

 それは数ヶ月前、太陽系内合同軍事演習実施の折り。島の指揮していた火星の無人機動艦隊が相対した仮想敵軍のうち、遊撃部隊として目覚ましい動きを見せたのが<アルテミス>を代表とする一艦隊であった。女性士官ばかりが乗り組む艦艇だと言うので物珍しさもあったのか、はたまた訓練学校の恩師が艦長を務めるからなのか…その艦の名は島もよく覚えていた。

(まあ、……まさかその時にあいつがアルテミスを操縦していたわけでもあるまい…)

 ほとんどの大型戦艦には複数の操縦士がいる。メイン操舵を担う者であれば最低数年間は同じ艦艇に止まるのが定石だ。司がメインのパイロットであれば、普通に考えればここにはいないはずである…
 今回はカリストやガニメデ出身の若者も数名いたが、彼らはすでに第2艦橋の観測班および機関部に配属されることが決まっている。操舵に直接関わる第一艦橋勤務の一等航海士については、自分と火星基地の大越、その他1名いれば事足りるので、面接人員はそもそも数名しか設定していない。
 あとポジションが空いているのは、切り離し可能の接続艦の操舵手だけだ。  
 昨日面接に来たNATO基地出身の男性隊員は、ワープシミュレーションが体質的にどうしても苦手だと弱音を吐いていたため、結局人選から外した。今日来る人間はその穴埋めだと聞いている。航海班が定員を満たした後、その中から航海班長を決定する手筈になっていた——輸送目的で実施されるこのプロジェクトで、やはり最も重要視され、難航しているのが航海班の人選だった。
 
 ——なんだ、俺?……嬉しいのか?

 流れるような長い金髪、ブルーのコスチューム。数秒しか見ることはできなかったが、可愛らしい顔をしていた。
 島はぶるっと頭を振った。「何考えてんだ、俺は」
 航海班の操舵手の面接に来ているんだから、そっちの能力を見なきゃあしょうがないじゃないか……。
 しかしあの勢いの良い転び方…。跳ねるように逃げ出した姿は、じゃじゃ馬、という言葉がぴったりだったな。

 たおやかで美しかった愛しい面影と、一瞬でも「似ている」と思った自分に苦笑しながら、島は面接室へと足を運んだ。


                   *


「19番、入りたまえ。君が最後だ」
 係官に呼ばれ、司花倫は深呼吸して面接室内に足を踏み入れた。
 
 室内を見渡すと…そこにはそうそうたる顔ぶれが並んでいた。オクタゴン施設総長、宇宙安保理を代表するトライデントプロジェクト首脳団長、地球防衛軍総司令本部長官、そして、元宇宙戦艦ヤマト副長がずらりと並んでデスクにかけている。
(み、見ないふりしよう見ないふり)
「木星カリスト基地所属、司中尉であります」
 司はギクシャクと中央へ歩み出て、さっと敬礼し気をつけの姿勢を取った。目線は思い切って彼らの頭の向こうへ放り投げる。
 手元の書類を見ながら、熟年の司令官たちが一言二言、意見を交わす。
 オクタゴン施設総長が向き直り、司に問いかけた。
「…君は、戦艦アルテミスの航海班に所属しているということだが、第3太陽系外周警備艦隊司令からの推薦状によれば……」
 
 ——おそらく、それぞれから随分沢山の質問を受けたのだろうが、司は何を訊かれたのか、誰に何を答えたのか、さっぱり覚えていられなかった。
 ただ、元ヤマト副長島大介が——当然ながら、このメンバーの中では彼が一番若く、そして最も厳しい顔をしていた——調査票を睨みつつ時折思案顔でこちらを見ているのにだけは、否応無しに気を引かれた。
 彼が、もしかしたら直属の艦長になるのだ。見ない振りも、そうそう続けられるものではなかった。

 唐突に、その島から質問が飛んだ。
「ワープの直後ですが、通常と変わらず活動できますか?」
 大の男でも、ワープ明けにすぐ活動できるタイプの者と、そうでない者がいる。これは体力や筋力とは関係がなく、ほぼ体質の適性によるものである。訓練で克服できる場合もあるが、今回は即戦力が求められているのだ。
「はっ。通常、自分の所属艦隊はワープで移動することはありませんが、訓練で連続ワープシミュレーションを数回繰り返しても、直後の通常勤務に支障はありません」
「そうですか。ワープ適性も良好、と。ありがとう。僕からの質問はそれだけです」
 居並ぶ熟年男性たちが、顔を見合わせてふむふむと頷くのを司は見た。
 ややあって、中央にいる禿頭に立派な髭の男性——地球防衛軍総司令本部長官・藤堂平九郎——が、立ち上がってこう言った。
「司中尉。第一艦橋勤務、2番艦の操舵手に任命する」
 司はその声を朧げに聞きながら、今まで厳しい顔をしていた島が、自分に向ってにっこり笑うのを見た。——その笑顔に、不覚にも釘付けになる——
「司中尉?返答はどうした?」
「えっ、はっ、ハイ!!司中尉、2番艦操舵手の任に就きます!」
「はっはっは、島大佐の顔ばかり見ているな!彼は有名人だし男前だから、無理もないが」プロジェクト首脳団長が、太鼓腹を揺すりながら愉快そうに笑った。司は思わず、顔が耳まで赤くなったのを感じたがどうにもならない。
(なにあのエロジジイ。…そんなんじゃないわよっ…)
「からかわないでください、団長。…司中尉、この後主計補佐官から給与関連の手続きについて話があります。その後、居住区に案内してもらってください」
「…はいっ」
「明日からハードスケジュールになります。ゆっくり休んでください」
 すました顔で島はそう言うと、書類をまとめ始める。
 他の官僚が面接室から退室するまで、司は最敬礼をしたまま固まっていた。
 最後に、島がこちらをチラリと見…。
「……ヘルメット、忘れずに持って行けよ」
 にこっと笑って、司のヘルメットをとん、とマホガニーのデスクに置いた。

(……どっひゃー……)
 返事もできないまま、気まずさに固まる。
 島の姿がドアの外に消えてもしばらく、彼女は最敬礼の姿勢で固まり続けていた。だが、どうやら自分は最終面接に受かったらしい。その事実を噛み締めていると、ゆっくりと頬に笑みが広がった。
(これで…外宇宙へ行ける…)
 
 島大介のファンみたいに思われるのは心外だったが、カリストでは少なくとも、女の航海士でそうでない者の方が圧倒的に少ないことを考えれば。あのエロジジイの言種(いいぐさ)もまあ、仕方がないのかもしれない。面倒くさいから、それはもう考えるのは止めよう。
 ……とにかく嬉しかった。
 感極まって敬礼のポーズのまま挙手している司に、
「君……」
 と主計補佐官が笑いを堪えて話しかけてきた。
「居住区に案内するから、荷物をまとめてついて来なさい。手続きはあっちでするよ」
「へ…?…はっ…はいっ…」

 …笑われた……。(うう、もー!!)しまらないなあ、と思いつつ、司は誰にともなく愛想笑いをしてから、補佐官の後について部屋を出た。

                      *


「新造艦は、ここの地下で作られているって、…本当ですか?」
 司は主計補佐官の後について歩きながらそう問い掛けた。
 天井の低いオクタゴン館内の廊下と壁は、なんだかねずみ穴のようだ。それが階段を上っても廊下を曲がっても、延々と続いていた。
「この施設の地下じゃなくて、併設してる地下ドックで建造中だよ」
「…もう見られるんですか?」
「ああ」
 地下ドックは、別に立ち入り禁止でもないようだった。工作班や放射能対策班はすでにミッションを開始しており、建造中の船の中で訓練をしているのだと言う。
 ちょっと遠回りだけど寄って行こうかと言い、主計補佐官は地下へ向かうエレベーターをくい、と指差した。

 地下5階でエレベーターの扉が開いた途端、いきなり視界が開け、作業中の重機の立てる轟音が耳に刺さった。
「…ヘルメット、持ってるかい。…被った方が良い」
 工事現場用のヘルメットがエレベーター脇に備え付けられていた。補佐官はそれを一つ取って被りながら、司の私物に目を遣ってそう言った。
「……本当に…3隻なんですね」
 メットを被ると騒音はさして問題でなくなるが、そのかわり声が聞こえにくくなる…司は耳元で「え?」という仕草をする補佐官に向かって、同じことをもう一度叫んだ。
『本当に3隻作ってるんですね!!』


 目の前にそびえ立つのは、青銅色の巨大な船の艦首である。エレベーターがあるのはドックの壁の中腹辺りで、幅3メートルほどの廊下の端にある手すりに駆け寄って下をのぞくと、ずっと下の方に床面が見え、そこには作業用のカートが数十台蠢いていた。
 左右を見渡すと、少し形状の違う別の船の艦首と思われるものが、一隻ずつ同じように並んでそびえ立っている。輸送艦隊の新造艦は、通常3隻がドッキングして航行するのだと聞かされていた。
「…史上初、だからね……セパレートするタイプの輸送艦は」
 主計補佐官がニコニコしながらそう言った。その口ぶりは、まるで自分がこの船の設計を担ったんだぞとでも言わんばかりだ。
 確かに、12万t級の輸送艦が3隻ドッキングして航行する、などと言う構想は聞いたことがなかった。輸送艦隊、というのだから、司自身も3隻の船が縦列して航行するのだとばかり思っていたのだ。だが、このオクタゴンへ来てそれが間違いだったと気付いた。

 尋常でない長距離。尋常でない貨物。


 その二つを解決するために、この特殊輸送艦は考案されたのだ。
 艦隊司令の島が、艦長を兼任する。3隻あるはずなのに、艦長が一人って、……なんでだろう?
 その疑問もすぐに解けた。

<ポセイドン>とは、3隻がドッキングした状態の全艦を指すのだった。 
 左右にドッキングする切り離し可能な1番艦・2番艦は、それぞれ<シグマ><ラムダ>とギリシャ文字で呼ばれていた。テストケースにおいて合格基準に達した機体番号がその由来らしいが、だとしたらなぜ1番艦が200を表すシグマなんだろう、ラムダは6なのに。アルファベットにしてもSとLならLの方が先だよねえ。私にもよくわからない…などと言いながら、主計補佐官は左に位置するラムダの方へと歩を進める。
「左右に接続するこの船には、基本的に人が乗り組まないんだ」
「……えっ」 
「無人機動艦だよ、知らないの?」
 いや、それはもちろん…知ってますけど。有名だし。……でも、それを使っているなんて、初めて聞いた。
「艦橋と居住区が一部、有人機仕様にされるらしいけど、それ以外は全部貨物室なんだ」

 

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