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アイランド型のキッチンで。最後の一枚の皿を拭きながら、島が言った。
「これで終わりだよ。古代のやつ、しょうがねえなあ…」
古代は,リビングで次郎といっしょにセンターラグの上に座り込み、こちらに背中を向けてテレビを見ながら笑っている。島はエア・カーを運転して来ていたので昼間にビールを飲んだだけだったが、古代の方はお気に入りのバーボンを1本開けてしまったから、当然今はふらふらで、片付けの役には立ちそうもない。だから、バーベキューコンロやガーデンチェアも、結局全部島と雪とで片付けたのだった。
バーベキューの昼食のあと、午後一杯みんなでそれぞれの勤務地の話や昔の話、懐かしいホログラムなどを引っ張り出して来ては話に熱中した。夕食には南部がご自慢のNUMBグループ系列のグルメショップからケータリングサービスを注文し、バーベキューで疲れた胃にも優しい美食で再度盛り上がった。
夜も遅くなってからしばらくして、南部と相原、太田がほろ酔い加減で賑やかに帰って行き、真田もつい今しがた、雪が呼んだタクシーに乗って、メトロの駅に向かったところだった。
「ありがとう、島くん。そうねえ、普段は二人だけでしょ? 使うお皿もそれほど多くはないから…、後片付けは大体私がやってるわね」
「古代に家事ロボット買うように言っといてやろうか」
「いいわよぉ。こんなの、大したことないんだから」
「今からそんなに甘やかしてると、子どもができた時に厄介だぞ」
雪は目を丸くして苦笑した。
「あら、島くんてば。……いい旦那さまになれそうね」
「古代じゃなくて、俺にしとけば良かったのに。残念だったな?」
島があははっと笑ったので,雪もつられて思わず笑う。「ほんっと、失敗したかも!」
…でも、…子ども、かあ…
雪は軽く溜め息をついた。進の勤務状況を考えると、子どもを持つなんて、まったく現実的ではなかった。「…あたしはそろそろ、って考えてるんだけど…ね」
雪は相変わらず防衛軍本部で長官秘書を務めている。古代が長期間の航海に出掛けていても、逐次その安否を確認したり連絡を取ったりすることが可能なポジションを離れたくなかったからだ。
多産を奨励する現政府の政策を反映し、妊娠した女性には出産と育児を最優先できるよう便宜が図られる。充分な出産・育児手当てが支給されるため、退役しても不利にはならない。また軍籍に入っていれば子育てが一段落した後にも再び有利なポジションに復帰することが約束されている…故に、妊娠・出産を躊躇う理由などどこにもなかった。ただ…、秒単位のスピードを要求される第一線の現場では、1年間離れただけでもそのブランクは大きい。現実には、女性士官たちは余程の理由がない限り、出産後に復帰することはなかった。
島には、雪が考えていることの半分くらいしか分からなかったが、宇宙戦士として地球と宇宙を行ったり来たりする古代(それもまだまだ血の気の多い命知らず)の妻として、雪の抱えるジレンマやら女性特有の悩みやらを何となく察する。
「……あいつは考えてないのかな」島は重ねた皿を注意深く食器棚に仕舞いながら言う。
「え?」
「子どもだよ」
雪は苦笑して溜め息を付く。…「そういう年齢」だとは、古代君だって分かってるのよね…多分。
「あんまり年とってからだと、きついぞ」
島が至極自然にそんなことを言ったので、雪は再び目を丸くして彼の横顔を見つめる。皿を拭き終わったタオルをかける場所を探す彼に、それを受け取ろうと手を差し出した。
「ほら、俺んち…俺と次郎、かなり年が離れてるだろ。お袋は次郎を生む前後、ずっと病院に入院していたんだよ。生まれてからがもっと大変だった。予想以上に体力がいるんだぞ、子ども育てるっていうのは。おかげで俺は、訓練学校の寮に入るまで、ずいぶんあいつの世話をさせられたもんだ。…なんだよ、笑うなよ」
中学生の島が赤ちゃんの次郎をおぶったりおむつを替えたりしている様を想像して、雪は思わず微笑んでいたのだ。
「そういえばね…、古代君のお兄さんが、似たようなことを言ってらしたわ」
「守さんが?」
雪は頷いた。古代守と進も、十以上年の離れた兄弟だった。ああ、そうか、と島も苦笑する。
「今年でもう28だろ、俺たち。あいつに…あとでよく言っといてやるよ」
「い…、いいわよ、そんなの」
雪は笑いながら慌てて首を振ったが、こんな時には島が古代の親友で、本当に良かったと心から思うのだった。そろそろ子どもが欲しいんだから、もうちょっとちゃんと考えてよ…なんて、自分から進に言えるわけはなかったが、親友の島からせっつかれれば、彼だって少しは真面目に向き合ってくれそうだ。
客観的に考えれば、島は「旦那様」の条件としてはかなりイイ線を行っているだろう。そもそもがまめだし、家事もなんなくこなすし、小さい子どもの世話までできると来ている…。この人のパートナーは、「お母さん役」を求められるようなことなどないのだろうな……。
雪は思案顔でテーブルの上に畳んだタオルをさらにくるりと巻いた。
「…島くんのお嫁さんになる人は、しあわせねえ……」
「なんだよ急に」雪がしみじみそう呟いたので、島は思わず吹き出す。
島としても、雪がくよくよ悩んでいるのを見ているのは忍びなかった。古代と雪が、親友とそのパートナーとして、二人共に幸せでいてくれなくては自分も心中穏やかではいられない。雪は「いいわよ、そんなの」と言っていたが、後で古代にはこってり説教をくれてやる、と島は思った。
「さて、食後に一杯どう?」
食器の片付けを終え、ティータオルで手を拭きながら、雪はキッチンの隅にあるコーヒーサーバーにカップをセットした。
「インスタントで悪いけど」「いや、その方が間違いない」
「もうっ!!またそんなこと言うんだから!」
「あっはっは…」
軽口を叩く島を見ていて、雪はちょっとほっとする。
次郎から見せられた写真の件は気になったけれど、今の島を見ている限り、テレサとの想い出が彼を過去に縛り付けているような感じはしない。キッチンテーブルについてコーヒーを飲みながら、雪は島に聞いた。
「島くんは、地球に戻って来ないの?これからも火星勤務?」
テーブルの向かいに腰掛けて同じようにコーヒーをすすっていた島はちょっと考えてから答える。
「うーん……考え中かな…。火星の無人艦隊が成功したもんだから、天王星から順に無人艦隊の基地を6つ、建設することになるらしいんだ。けど結局投入されるのは半分が新卒だから、あちこちの基地から教えに来い、って言われてる。そりゃあ太陽系に無人艦隊基地が沢山あれば、それだけでもかなり心強いだろうけど……正直なとこ、学生に教えるのはあんまり得意じゃないから、どうしようかと思ってさ」
島はそういえばあんまり教師向きではなかった。
根気強く、解るまで教える、というのが苦手で、すぐ「なんで解らないんだ」とキレてしまうらしい。
「ふうん、なんだか意外ね。島くんは教官タイプだと思ってたんだけど」
「一度教えても解らん奴は、航法に向いてないんだよ。そもそも航法ってのはセンスだからな。成績さえ良きゃいいってもんじゃないんだ」
「あら、厳しい。座学の先生は、案外古代くんの方が向いてるのかもしれないわね」
戦闘機乗りの演習ではまず座学を教えるが、単座の戦闘機に乗っているわりに、古代は教官としては演習そのものよりも、座学の講師としての評判の方がいい。彼は「鬼」だの何だのと言われてはいるが、案外面倒見がいいのだ。
「まあ、どこへ行くにしろ、9月からの話だから、しばらくは火星にいようと思ってるよ」
「そう」
雪は、次郎が寂しがるだろうなと思ったが、それは口に出さずにおいた。そのかわり、…気になっていることを一つ、問いかけてみる。
「ねえ…、島くんは、……今誰とも付き合ってないの?」
島はきょとんとした。
「なんで……?」
「次郎君が心配してたんだもん。何で兄さんは結婚しないんだろうって」
ちょっとカマをかけてみる。——どうしてテレサの写真を、……そう、今さら?
「……面倒くさいんだよ」
「あら。あたしたちには子どもがどうとか、って言ってたくせに」
島はまいったな、という顔で頭を掻いた。「火星でちょっと付き合った子がいたんだけど、あっさり振られちゃってさ……、仕事とあたしとどっちが大事なの、って言われて」
「あら…それは随分、物わかりの悪い子に当たっちゃったわね」
そんなセリフ、雪だって口が裂けても言えない。そもそも仕事とあたし、なんてものを比較しろと言う感覚が間違いだ。
「…そう思うだろ?…それに、女の子のご機嫌を取ってるより、無人管制(しごと)の方が面白いしな」
「まさか、ストレートにそう言っちゃったんじゃないでしょうね!?」
「あたり」
思い当たる節もあって、雪はくすくすと笑った。
「いやだ〜…!ふふふ、でも島くんらしいかも」
「なんだよそれ? ちぇっ、次郎も余計なこと言いやがるな。あとでとっちめてやる…」
そうか…。このところは、島くんは誰とも付き合っていないのね。
彼の周りには比較的常に女性の姿があった。ヤマトの初代メインクルーだというだけで話題性は高いし、無人機動艦隊に関する島の功績はあまりにも有名だった。もちろん交際の申し出を断る理由もない独身の彼は、雪の知る限り過去数人と付き合ったり別れたり、を繰り返していたように思う。…ただ、いつもそれは長続きはしなかったが。
「さて、明日俺は長官の所に呼ばれてるから、そろそろ失礼するよ。古代は休みかい?」
「ええ、明日はお休み。私は出勤なんだけど」
「うわ、大丈夫か?」
「大丈夫よ、進さんはどうせお昼まで起きないだろうから放っておくわ」
雪は苦笑する。島が急に話を変えたのは、女性の話題をさりげなくかわそうとしているのだと、思えないでもなかった。
リビングから、次郎が呼ぶ声がした。
「雪さーん,古代さん寝ちゃいましたよ……お、重いよ〜…!」
真っ赤な顔で次郎に寄りかかり、古代はくーくー寝息を立てている。
「あらあらもう……ごめんなさいね…! 次郎君」
雪は慌てて立ち上がり、リビングに向かった。島も苦笑しながら後に続く。気持ち良さそうに眠っている古代を3人掛かりで抱え上げた。
「……まったくこいつは…。まあ、正体無くなるまで飲めるってのも羨ましいよな…」島は過去の戦闘で肝臓を損傷しているので、人工臓器を使用している。人工肝臓では思うようにアルコールを摂取することができないのだが、時たまそれを不都合だと感じることもあるのだった。
「雪、ベッドはどこ?」古代の上半身を肩に担ぎ上げ、島は雪に訊ねた。「こいつを、寝かせたら、帰るからさ」
「ああ、こっち、こっちよ」
正体のない古代を3人がかりで寝室に運び、ひとしきり笑いあってから島と次郎は家路についた。
島の車が角を曲がって見えなくなると、玄関先で見送っていた雪は家に入ってほっと溜め息をついた。
寝室をのぞくと、キングサイズのベッドに進が大の字になって幸せそうに眠っている。
雪はベッドの進の傍らに静かに腰かけると、ベッドサイドにある、進の書斎代わりの小さなデスクの引き出しをそっと開けた。中身のあまり入っていない引き出しの奥に、小さなケースが2つ。
それは、——テレサの最期を記録したヤマトの艦首カメラの映像、そしてブラックボックスに残されたボイスデータの入ったメモリチップだった。
第一艦橋で語られたテレサの言葉は彼ら二人しか聞いていないが、彼女がヤマトを出て敵艦に向かい、眩い光の中でヤマトを振り返り微笑む姿と……その後に煌めく異常な閃光、そして音のない巨大な爆発が、艦載カメラからの記録映像として捉えられ、荒い画面にくっきりと残っていた。
戦いの直後、帰還したヤマト内部の臨検では必ずこれが押収される。そう予測した真田が、負傷を押して退院し、ブラックボックスデータを秘密裏にコピーした。古代から事の顛末を聞き、島のために何を置いても保存しておいてやりたいと考えたからである。防衛軍公式発表は予想通り「ヤマトの勝利」を伝えていた。古代も防衛会議でテレサについての証言を拒否したという……であれば、彼女の件は間違いなく揉み消される。
彼女の記憶を…消してはならない、と真田は感じたのだった。真田が入手したコピーは、島が無人艦隊業務に明け暮れていた間に相原の手によってクリーニングされ、オリジナルデータよりも鮮明に甦ったはずだった。
2つあるメモリチップのうち、片方はボイスデータである。その記録は、ヤマトが初めてテレサからの通信を傍受したところから始まり、彼女と島とのやり取りを含め、その最期に彼女の声でかすかに島の名が呼ばれた後ぷっつりと途切れる所で終わっていた。
彼女が断末魔に島の名を呼んでいると最初に気付いたのは、データのノイズをクリアにする作業を担った相原だった。真田からメモリチップを託され、不承不承(そんなプライベートな記録、僕見るのも聞くのも嫌ですよ、と相原は最初渋っていたのだ)クリーニングを行っていた相原は、その切ない事実に衝撃を受けた。結局、出来上がった保存データを、真田も相原も直に島に手渡すことができず、最終的にそれは古代の手元に回ってきた…だが古代とて、そう簡単にそれを島に渡すこともできないまま。
ヤマトの第一艦橋から録画していた通信画像は、そんなこんなで結局、今に至るまで古代の私物の中にしまい込まれていたのだった。
島が完全にテレサについては吹っ切れているのなら、それを渡すのもやぶさかではない。そう思った雪は何度か、メモリチップを島くんに渡しましょうよ、と古代に言ったことがあったが、古代はなかなか首を縦に振らなかった。今、雪はその古代の判断がずっと正しかったことを思い知らされる。次郎から見せられたあのテレサの写真には、島のいまだ断ち切れぬ悲しい恋がくっきりと刻まれていたからだ。
「……吹っ切れていなかったのは、進さんだけじゃなかったのね…」
これを古代が、島に笑って渡せるようになるのは一体いつのことだろう。島が、笑顔で受け取れるのは、……一体いつになるのだろう…?
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