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真田と雪は、黙ったまま顔を見合わせた。
「……知ってるんですか?この人」
二人の態度に、次郎も声を落す。何だろう?
写真のこの人、何か問題でもあるんだろうか?
「え…ええ」雪も真田も、愛想笑いをして頷いたはいいが、どう答えたものかと迷った。…しかし、今さらとぼけるわけにもいかない。
雪がためらいがちに口を開いた。
「……実は、この人は…もう…亡くなってるのよ」
次郎はきょとんとした。
「だって、この写真は最近撮ったものでしょう?画面に日付が」
この時代に存在する、アナログな紙焼き写真はそのほとんどが有事の際の身元確認のために使用される。アナログの人力しかあてにならない焼け野原や野戦病院では、画像用メモリチップもその再生デバイスも、無用の長物に成り下がるからだ。
写真にはもれなく、目立つ部分に撮影日時が印字される。被写体の人物の見た目年齢や映り込む背景から、それがいつの物であるかと言う情報を特定するために、必要な処置なのだった。
次郎が見せた写真の日付は、島が昇進して火星勤務から一時帰還した直後、今から10日前のものである。見たことのある宇宙艦の格納庫らしき場所を背景に、その女性は美しく微笑んでいた。
「ちょっと見せてもらってもいいかい」
真田が受け取った写真の裏を確かめ、合点がいった、という風に頷いた。
「……これは、センサーフォトだ」
「センサーフォト?」「なんですかそれ?」
雪と次郎が異口同音に尋ねた。
「……前に、開発に関わったことがある。脳の中の、記憶を司る部分に電気信号を流して、過去に行ったことのある場所や会ったことのある人の顔をモンタージュ作成するシステムがあるんだ。主に国際刑事警察機構(ICPO)で犯人のモンタージュ写真を作る時、目撃者に協力してもらって作ることが多いな。だから一般には普及していない……どこで作ったんだろうな、お兄さんは。……それにしても、こんなに…鮮明に」
そう呟きながら真田が見せた切ない眼差しに、雪も思わず目を伏せる…
彼女と島が過ごした時間は、たったの数時間だった。ヤマトの通信機器、またボイスレコーダーには彼女の姿、声が記録されていたが、あの熾烈な戦闘の最中、満身創痍のヤマトの通信状態は劣悪を極め、ブラックボックスの記録にもこれほど鮮明な画像は残っていないはずだった。
真田もその経験上、モンタージュ写真としてのセンサーフォトグラフでこれほど鮮明にディテールが再現されるケースはあまり多くないと認識していた。しかも時間が経てば経つほど人の記憶というものは薄れ、不鮮明になっていくのが常なのだ。
——にもかかわらず。
島の記憶にしか残っていないはずの彼女の姿は、真田や雪が覚えているそれよりはるかに、細部まで美しく再現されていた。
「………死んじゃってるんだ…この人」
次郎がショックを受けたような顔で呟いた。
「最近ですか?ずっと前?いつのことだか知ってますか?兄さんは、いつからこの人のこと……」
次郎だけでなく、雪も真田も少なからず動揺していた。
……それはもう、7年以上前のことだったからだ。
一時は、「いつまでも過去を追っかけていないで、現実を見たらどう?」などと雪も島に笑いながら言えるほど、——いや、彼に向かってそう軽口を叩けるほど、島は吹っ切れたようだと、感じたこともあった。
真田も、火星基地で島が誰かと付き合っている、という噂を幾度か耳にしたことがある。それに、両親と防衛軍の上司が仕組んだお見合いにまんまと連れて行かれた、と島が苦笑していたのは、もう2年も前のことだ。
しかし、次郎が10日前に帰還した兄から奪い取ったという写真には、色褪せることもなく不鮮明にぼやけることもない、あの碧と金の美しい姿が投影されていたのだ——。
雪が溜め息をついて、次郎に言った。
「……次郎君、お兄さんには何も言わない、って約束する?」
次郎が頷くのを確認しつつ、雪は続けた。
「この人が亡くなったのは、もう7年も前なの。公には伏せられているけど、白色彗星から地球を護ってくれた宇宙人がいたことは…お兄さんから聞いて知っているでしょう?……その人よ」
次郎は、改めて写真の女性をまじまじと見つめた。
当時の公式発表では、謀反を起こして地球を離脱したヤマトが、白色彗星帝国の弱点をいわば遊撃隊として突き、艦首波動砲によって敵母艦を殲滅した、ということになっていた。ヤマトと乗組員を謀反人から救世主に祭り上げることで、防衛軍は多数の新たな入隊志願者を得ることに成功し、若い活力を地球復興のために即座に運用することができたのである。
しかし現実には、たった一隻のヤマトでは、例え白色彗星帝国の超巨大母艦に体当たりさせた所で、その完全な撃滅には至らなかっただろう。そもそもヤマト自体無事帰還している。その上、帰還したヤマトを点検した整備兵の幾人かは、“波動砲が使用可能な状態ではなかった”ことをその目で確認しているのだ。では、何が敵母艦を撃滅したのだろうか。公式発表が伝える通り、ヤマトは波動砲を使用したのだろうか…?
…否、月基地や火星基地、また、数多ある周辺衛星の観測で、そこに波動エネルギー以外の別の力が働き、彗星帝国母艦を殲滅したことが確認されていた。
——そこに働いた別の力とは、“反物質エネルギー”であった。
誰が、何のために、反物質エネルギーを意志を持って操作し、彗星帝国を破滅に至らしめたのか。
それは、当時ヤマトから生還した僅かな乗組員だけが知る、隠された事実であった。時を置かず、地球を救った女神の存在は防衛軍の第一級重要機密事項に指定され、真実を探ることは事実上不可能となった。
反物質の力を持った異星の女神がなぜ……地球を救おうと決心してくれたのか。その理由を知っているのは、そしてその決定的な瞬間を見た者は、古代と雪の二人だけであった。
「彼女の名前は、…テレサというの」
「……テレサ」
次郎は繰り返した。
「……この人がいなかったら,ヤマトだけでは地球は救えなかったわ…」
「この人、どうして死んだんですか?…何があったんですか…?」
次郎は写真のテレサに目を落し、そう尋ねた。
雪と真田は、どう答えたものかと逡巡した。真田自身は、すでにその時地球へ向かう救命艇の中にいたので、彼女の最期をその目で見たのは古代を除けば雪だけだ。
……詳しいことは、私たちもよく知らないのだけど、と前置きをして雪は話し出した。
「…テレサは、反物質の力を自由に操れる人だったの。ある種の超能力者ね。瞬間移動もできたし、願っただけで惑星を一つ、破壊することもできたほどよ。彼女は、私たちの身代わりになって一人で彗星帝国と戦ってくれた。…でも、戻ってくることは…なかったわ」
「……この人が、地球とヤマトの味方になって、敵をやっつけてくれた、ってことですか?…どうして?」
——厳密に言えば、彼女は誰の味方もしていない。
テレサは、ただ瀕死の島を助けたかっただけなのだ、と雪は思った。
最初、かたくなに地球に味方して戦うことを拒んでいた彼女が、あの局面で唐突に「ズォーダーとの戦いには私が参ります」と申し出たのは、島を助けたい一心からだとしか思えなかった。島の命を救うには、雪たちにヤマトで地球に連れて帰らせ、手当を受けさせるしかない。テレサには、ヤマト一隻を特攻させたところであの巨大な悪には太刀打ちできないとわかっていたのだ。
「……地球のため、というより、お兄さんを…、命に換えても護りたいって…思ってくれたのだと思うわ。…彼女は…島くんをとても愛していたから…」
目の眩むような爆発の閃光の直後——急激に吸い込まれるような気流の乱れを感じ、古代は後ろ髪を引かれる思いでヤマトを反転させ、その場を逃れた。数分後、通常では考えられないほど急速に気流の乱れが収束したため、大気圏突入のために大型艦の迎えを待っていた救命艇の一隻を呼び戻して島を託し、古代と雪の二人は爆発の起きた宙域をヤマトで調査して回ったのだった。が、そこに見つかったのは溶けた彗星帝国の母艦の残骸と大量の氷の粒だけだった。
「………兄さんを…助けるために死んだ……」
次郎は、バルコニーの反対側で古代と談笑している兄をちらりと見た。
「そうね……強い人だったわ。そのおかげで、私たちも生きることができたのよ」
「我々すべての、命の恩人さ」真田もそう呟いた。
7年も前のことか……。
自分はその頃、幾つだったろう。
次郎は思い返す。
白色彗星が来て、兄が防衛軍の命令を無視して謀反に加わったと両親が話していたのを聞いた夜のこと……、そして翌朝、戦闘衛星の爆発の閃光を、港から次郎も見た。あれは、ヤマトが、——兄ちゃんが動かすヤマトが、地球から旅立って行った証拠なんだ、と幼心に悟ったことを思い出した。
むほんにん、なんて何のことだかも分からなかったが、それからほどなくして大怪我をして戻って来た兄は、いつの間にかテレビ取材などで引っ張りだこのヒーローの座に、再び返り咲いていたのだった。
自分はまだ、あの頃小学2年生だった。
兄があまりしゃべらなくなってしまい、母をとても心配させた時期があったことも朧げながら記憶にあったが、それは大怪我をしたからだと思っていた。
この人とのことが、あったからなんだ——
大介兄ちゃんは、ずっと、一人で…忘れることもできないで、誰にも言えないまま,この人のことを………
「……なんか、俺の知らない兄さんが…また増えた、って感じだな」
次郎とて、もう中学3年生だから、恋愛について何も知らないわけではない。だが…、あの屈託のない兄がそんな風に、好きになった相手を亡くしていたなんて。そしてそれが実際にはどういうことなのか…、次郎には想像もつかない。兄が誰とも結婚しないわけは、この人を、テレサを未だに忘れることができないからだと、そう単純に感じることしかできなかった。
ただ、ほんのちょっとだけ、恨めしい思いが首をもたげる。……兄ちゃん、案外秘密主義だよな。俺にくらいは話してくれてもいいじゃんか。俺だっていつまでも子どもじゃないんだぜ——と。
「そうね、私たちも、…この人とお兄さんのことは…これ以上詳しくは知らないの。でも、二人のおかげで今の地球がある、それだけは確かだわ」
テレサに関することは、ずっと島を間近で見ていた雪でさえ、それ以上のことは未だに何も聞けないままだった。今の地球の繁栄も、…いや、自分を含め目に映るこの世の中の全てが、愛した女性の命と引き換えに生を受けている……その事実すら、島にとっては直視できないことだったのだろう。彼が地球以外の基地に勤務するわけはそこにあったのかもしれない、とさえ思う雪だった。
「なーにやってんですか?3人でコソコソと〜」
唐突に、雪の背後から南部の声がして3人は驚いた。
次郎は慌てて手帳に写真をはさみ、それをバッグに放り込む。
「へへ、内緒ですよ。それより、南部さんが僕のコップにビール入れたから、未成年なのにボク飲んじゃいましたよぅ……?」
「南部君、お兄さんにどやされるわよ!?」雪が苦笑しながらすかさずフォローしたので、南部は慌てて島の方を振り返る。
「なんだー?次郎が何かしでかしたか?」初めて、島がこちらに目を向けて,少し大きな声でそう聞いた。
「なんでもないでーす」と、南部がわざとらしい笑顔でそれに答える。
「次郎君、内緒ね」雪は南部と次郎にウィンクし、小声で付け加えた。「さっきの話もね」
次郎は「うん」と頷いた。
……そして、雪と真田が兄たちの所で別の話を始め、今度は相原と太田がキッチンの冷蔵庫からアイスクリームをどっさり持って来てくれたので、例の写真についてはそれっきりになった。
(……そういえば、兄さんとあの人は,どうやって知り合ったんだろう?なんでそんな超能力のある宇宙人が、兄さんを好きになったんだろう…?)
後から出て来たその疑問の答えは、聞けずじまいだった。
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