眠れぬ夜 <1>

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 初夏の星空が、キラキラ瞬いている。
 シティ・セントラルにほど近いこの家の上空はどちらかというと曇り空が多く、これほど星が瞬くのは珍しい。今夜も暖かだ…… 明日のお天気はどうなんだろう?

 そんなことを考えながら、大介は自宅のエントランスをくぐった。
 随分遅くなっちゃった。…テレサ、待ってるかな…。



(…あれ?)
 毎回、自分が帰宅するとどんなに遅かろうが飛んで出迎えにくるはずのテレサだ。あの嬉しそうな……どこか子犬にも似た笑顔満面の姿を期待してドアを開けたが、その出迎えはなかった。
 玄関ドアの開く音は聞こえているだろうに、出て来る気配もない…
 玄関ポーチも玄関ホールにも、リビングにも灯りは点いたままだ。いるには違いない…のだが。
(母屋かな)
 だが、リビングのカーテンをのけて父母宅の方を見たが、そっちはすでに灯りが消えている…… もう午前1時過ぎだからな。

(じゃ、テレサはどこだろう)
 灯りを付けたままで寝ちゃってるんだろうか?



 溜め息を吐き吐き、スーツケースを部屋の隅に立てかけ上着を脱いで椅子の背に掛ける。…キッチンのコーヒーサーバーにはポットがかかっていて、一人分のコーヒーが温められていた。
(…? たった今までその辺にいた、って感じだけど)
 隠れてるのか?

 頬にちょっとだけ笑みが浮かんだ。可愛いことするな……隠れて脅かそうとでも言うのかな?
「……テレサ?」
 小さく呼んでみる。もちろん、返事はない。
 彼女がそのつもりなら、期待に答えてやろうかと思わなくもないが、こっちとしては実は先に風呂に入りたい気分だった。



 「ふう〜」とコーヒーを半分ほど飲んで落ち着いた所で、マグカップを持ったまま二階に上る… テレサが寝ているとしても、どうせ上だろうし、階下には気配がないから隠れているとしても上だろう。
 寝室の隣にある浴室に直行。ベッドにいるかどうかは、…まあ、後回しだ。焦らしてやろうか、というつもりもなくはない。

(………あれ)
 だが浴室に入って、はた。
 浴槽には適温の湯が程よく張ってある…… やっぱり、ついさっきまでその辺にいたんだな、と思わせる光景。
(……俺が湯船に浸かったら、テレサが裸で風呂に入ってきたりして)
 そんな妄想もまた楽し。……いやいや。
 
 だが、そんな気配もしなかった。

(本当に寝てるのかな…)
 ベッドを確かめて来なかったから分からないが… 俺の帰りを待ちながら、コーヒーと風呂の用意だけしてギリギリまで起きていた、けど寝ちゃった……って感じかな?



 汗をかくまで湯船に浸かるのはやめて、とっとと上がる。

 なんだ、つまらん… 隠れていたりしたら取っ捕まえて可愛がってやろうかと思ったのに。まてよ、…具合悪い、なんて言うんじゃないだろうな。まさか。

 いるはずの人間がそこにいない……、というシチュエーションは、やはり苦手だ。そもそも俺は、予定が狂うのが何より嫌いなんだから。
 ところが脱衣所に上がった時点で下着だのパジャマだのを持ってくるのを忘れた、と思い出す。仕方なくバスタオルを腰に巻き付けただけの姿で寝室に入った。

「……テレサ…?」
 ベッドルームは真っ暗だった。
 間接照明のスイッチを入れると、部屋全体がしっとりした碧い光に満たされる……
 だが、目を落したベッドの上は平らで、掛け布団を触ってみてもテレサがそこにいた、という温度はなかった。

(なんで?)
 少々焦る。いや、かなり焦り始めた。
 なんでいないんだ?
 どこにいるんだ。…冗談はほどほどにしようよ、テレサ……


「テレサ!!」

 急に胸さわぎがする。本気で焦って、呼んだ。
 悪い冗談だ。
 彼女が黙って姿を消す、それは否応なく過去の記憶を掘り返した… もう8年以上も前のことなのに、それが繰り返されると悪戯に思うだけでこれほど動悸がするなんて。

「テレサ……、どこだ」
 冗談じゃないぞ!

 半ば怒りながら、足音を荒立てて探しにかかる。腹を立てていられるうちはまだいい、これが容易に恐れだの絶望だのにすり替わることが分かっているから、大介は気が気じゃなかった。兵隊のくせになんでこんなことがこんなに怖いんだ!!くそ!俺のバカ!
 彼女にではなく、自分に腹が立って来る。
 しばらくすれば、次はきっと泣きそうになるのだ… 
 ああ、くだらないこの思考回路。迷子になった子どもか?!
「…テレサ、出てきてくれ…!テレサ!!」

 なんだよ、どうしていないんだよ…!!


(落ち着け)
 本気で泣きそうになって、はた、と立ち止まった。
 いない、なんてことがあるはずがない。それに、俺のこの声を聴いて隠れていられるほど彼女は意地悪じゃない。じゃ、どういうことだ、考えろ、俺。

 ………寝てる、どこか……ベッドではない場所で。

(そうだ、きっとそうに違いない)
 うっかり寝ちゃったに違いない、ここじゃなく…どこか目につかない場所で。
 ……でも、どこだ…?


 
 その時ようやく、ほんの僅かに開いたウォークイン・クローゼットのドアが大介の目に入った。
「…テレサ…!」
 間口の狭いそのドアを引いて、中を覗き込んだ。と、はたして。

 寝室と同じカーペットの敷かれたクローゼットの床に、踞る華奢な姿。

「テレサ…!!」
 手早く照明を点け、まさか具合でも悪いんじゃないだろうな、どこかぶつけて気を失ってたんじゃなかろうなと、彼女を抱き上げ顔色や脈拍を見た。
「ウ……ウゥン……」
 ナイトウエアの彼女は、明らかに「寝ていました。」…そういう感じだった。
 はああ〜〜〜〜〜〜〜…………。


 人騒がせな。


 
「あ… 島さん……? おかえりなさい…」
 抱き起こされて、テレサは小さく伸びをすると目を開けた。目の前に夫の姿。…なぜか、上半身裸。
「うふふ、……どうしたの…?」
「それはこっちの台詞だよ」…まったく!
 なんだってこんなところで寝てるんだ?!

「あの…」 
 テレサはちょっと狼狽えた。何か、怒っていますか、島さん?
 それには答えず、自分をぐいと抱きしめた大介に微笑んで動作で応える。両腕でその首を抱きしめて。
 …ああ、お帰りなさい…!!

「……何やってたんだ、こんなところで?」
「あ、ええと……これを…」
 よく見れば、テレサの手にはなんと。
 ……クローゼットの上段に箱に入れてしまい込んであったはずの、ヤマトの艦内服があった。前立てに緑色の矢印のついた、例のジャケットである……
「昼間、この中のお掃除をしていて、見つけたの。…つい…懐かしくなってしまって」
「……………」

 確かに、再会した後に俺がこの服を着たことはなかったな。反面、彼女にしてみれば過去、俺はいつもこの服を着ていたから、…懐かしくなったというのも分からなくはない……
「で?……これを引っ張り出して、眺めていたら」
「…はい、なんだか眠くなってしまって…きっとそのまま」
「……」
 そう…

 ……腹を立てたものか。笑えばいいのか。

 あれほど心配した後でなければ、可愛いなと単純に思える状況なのだが。…だがそれほどすぐに、寛大になれるわけもなく。

 なのに、テレサときたらクスッと笑って、あの艦内服を俺に着せかけようとした……
「島さんたら、どうして裸なの?ちょうどいいわ、これを着てみせてくださいません……」

 あん。

 彼女が全部言い切らないうちに、ちょっと荒っぽく抱きしめた。
 こんな狭いクローゼットの床の上で、なぜ、と自分にも問い掛けた……
(これほど君を、必要だと)

 
 ……俺は思ってるのに…!

 



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