******************************************
だが、精一杯急いでも、島がようやく自宅へ帰り着くことが出来たのはもう日付も変わる頃だった。
「待っていなくていいよ、先に寝ていて。ごめんね、夕飯も要らない。多分26時頃になるから…」
基地を出る頃に自宅にかけたビジュアルフォンのモニタに映るテレサは、それでも満面の笑顔だった。
<…はい。わかりました。気を付けてお帰りになってくださいね>
はい、と言っていても、彼女は寝ずに待っていてくれる。健康のためには先に寝ていて欲しいが、きっと起きているんだろうな、と思う…。深夜の帰宅は、余程疲れていない限りそのまま彼女と甘い時間を過ごす口実になる。自然と頬も緩んだ。
(…いけねェ。 だからいつも、中身のある話をしないでうやむやにしちゃうんだよな)
自然にこみ上げる欲求と戦いながら島が帰宅した頃には、時刻は25時を回っていた。
期待通り、新居の灯りは煌々と点いていて、テレサはネグリジェの上に島の大きなカーディガンを羽織った姿で玄関まで自分を迎えに出てくれた。
「…お帰りなさい…!」
かつてテレパスを持っていたからなのか。
日頃接する女性達の誰よりも、彼女は言葉が少ないのだった。満足に操れる語彙が少ないというわけではなく、彼女は感情や気持ちの流れをいわゆる<ボディランゲージ>で伝えることを好む。表情、目線。抱きつく時の腕や指先の力加減。
目は口ほどに物を言う… とは、この人のためにあるような言葉である……
寝ずに待っていた。
あなたに一分でも早く会いたかった。
待っていなくても良いという言葉に逆らいましたが、怒らないでくださいますか?
その大きな碧い瞳がそう言っているので、島は思わず言葉で答えようとしたが思いとどまる。彼女の瞳を覗き込みながら笑い、ぎゅ、と抱きしめた。頬にキスをしながら「眠くないの?」とだけ囁いた。
「はい」
返事もそれだけだった。
だが、テレサは自らも島の背に腕を回して、ギュ、と彼を抱きしめる。それが答えだ。
言葉は万能だと思っていた。
自分がどれほどテレサを愛しているか。言葉がそれを伝える最たる手段だと思っていた。だから、彼女からも同じように言葉で返して欲しい…、我知らず、島はそう思っていた自分に気付く。我ながらいつまでも、なんと短絡であることか。
ただ、自己弁護のために言ってしまうと。
言葉を駆使して気持ちを伝えることは、地球人の女性と付き合う上では必要条件だったのだ。
I Love You、I Need Youと「言う」ことは必須項目。それに対してHow Do I Feelと付け加えることもそうである。それが出来ない男は女性を幸せになど出来ない、とまで思っていたくらいだ。そもそも女性というものはことごとく言葉で愛を語ることを好み、その同じことをこちらにも求める生き物だと、彼自身が半ば脅迫的に信じていた。以心伝心という言葉がこの国にはあるが、それは大抵の場合ただの奇麗ごとで、こと男女の間には言葉無くしては越えられない何か一種の壁があるものだ、と彼は思っている。この星において、大衆演劇という文化が異様に発達しているのがその良い証拠だ。言語表現の複雑さ、伝わりにくさは容易に悲劇を生み出しまた同時に笑いを、感動をも生む。それが、古今東西あらゆるエンターテイメントの根源となっているのだから。
だが、テレサに関して言えば… 言葉はそれほど重要な意味を持たなかった。
2人の身体に流れる互いの血が、同じストリングスを奏でているのかもしれない。
説明の出来ない何かが、彼女の気持ちを島に伝え、島の気持ちをテレサに届けていた。
「なにかお食べに」「腹は減ってない」
ほら。
今また、同じことを思った。
だから、言葉が被ったのだ。
2人は顔を見合わせて笑った。
「もう寝る?」「じゃ2階(うえ)へ」
ほら、また…
堪え切れずに2人、また声を立てて笑う。
だがそのせいで、話さないまま来たこともあった、と気付いた。
「彼女の家族」についての話は、分からないままで良い内容ではなかった。こと、島大介…彼にとっては。
* * *
二つ並んだセミダブルのベッドの一つに、当然のように一緒に横になって後。
「……ねえ、テレサ」
「…はい?」
左胸に乗る彼女の頭を抱くようにして、問い掛けた。
僕に父さんと母さんがいるように、君にもお父さんお母さんがいたんだよね?
「……え…?」
まさかそんなことを訊かれるとは思わなかったのだろう。テレサは半ば閉じていた瞼を見開いた。
「…父さんと母さんにはそれぞれやっぱり両親がいた、だから僕と次郎には、おじいちゃんとおばあちゃんが2人ずついたんだ。もちろん、今はもう…いないけど」
島の祖父母はガミラスが地球を攻撃して来るよりずっと以前に、皆亡くなっていた。いずれも、早過ぎる死。父の康祐、母の小枝子が殊更に家庭、家族の絆を大事にし、息子達にもそうするよう言い含めて育てたのにはそういったわけがある。異星人による地球侵略などという辛い時代を見せずに済んだと、プラスに考えることも出来る…だが、年老いた祖父母にも、できるならあの時代を生き抜いて欲しかった…、と島も思う。
問われたテレサは、しばらく無言だった。
島の左手が、自分の髪を柔らかに撫でている。答えを、待っているのだ。
「……私のお父様、お母様は… 島さんのお父様とお母様よ」
40秒ほどして彼女から得られた答えは、それだった。
答えたくないことだったのかな、とも思う。だが、島は続けた。
「…ありがと。…でもそういうことじゃなくてね」
分かっている。
テレザートは、もはやこの宇宙のどこにも無い。テレサには、故郷も父母の形見も、それを思い出すための墓標もないのだ。だからこそ彼女は、島の父母を自分の父母同然だと思っていると、答えたのである。
ただ…だからといって、本当の生みの親を忘れてしまうのは、あまりにも悲しい…… 島は改めてそう思った。
「……答えたくないことを、訊いちゃった?」
念のため、そう訊いてみる。もしかしたら、父母の記憶は彼女には無いのかもしれない。彼女がたった独りであの碧の宮殿に閉じこもっていたのは、一体どのくらいの期間だったのだろう?
しかし彼女は即座に首を振った。
いいえ。
「でも、どうしてそんなことを…?」
島のパジャマの胸が、息を吸って大きく動く。その胸に頬をつけ、テレサは彼の答えを聞いた。
「…知りたいと思った。君をこの世に送り出してくれた人がいる。その人たちのことを」
きっかけは、相原のボヤきだったんだけどな、とついでにちょっと苦笑。身内、と書いて「面倒」と読む、それだって持たざる者にとっては憧れなのだ…… そう思うからだった。
「でも」と付け加えた。
言いたくないなら、これ以上は訊かない。
テレサはしばらく黙っていたが、消え入りそうな声で呟いた。
「……私は…… お父様、お母様にとって、呪われた子どもだったの」
*******************************************
=3=