「まかせてください」=1=

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 久しぶりに極東基地へ顔を出した相原がなかなか帰ろうとしないので、これは何かあったかな…… と島は思い始めたところだった。
 

 ここは、トーキョー・メガロポリス・シティ・ベイの湾内に位置する、半海底のコントロールベースである。
 月と地球の中間点<ラグランジュ>に位置する150隻、そして月軌道上にある恒久軌道基地から操作するさらに150隻、合わせて300隻の無人戦艦を指揮する司令塔、いわば地球の最終防衛ライン—— それがここ、地球防衛軍無人機動艦隊・極東基地だ。
 基地司令は藤堂平九郎、副司令は元第一次特殊輸送艦隊司令・島大介。ところが現実には、基地司令の藤堂平九郎は防衛軍長官を兼任しており、専ら防衛軍総司令本部にいる。当地の司令官とは名ばかりだ。実質全権を握っているのは、副司令の島大介なのだった。

 さて…というわけで、藤堂平九郎は今、この基地にはいなかった。

 相原義一がその日、無人艦隊をコントロールする「ハイパータキオン変調波」の通信スピード調整のため、と称して基地にやってきてから、かれこれ4、5時間。とっくに機器の調整なんぞは終わっているはずなのに、彼は島の副司令官室に入り浸りで、帰ろうとする素振りも見せない。

「なあ相原… 俺、そろそろ家に帰ろうと思ってるんだが」
「はい? ああ、…そうですね…」
 勝手に帰れば?とでも言いたげな、気の無い返事。



 だが寝泊まりしているスタッフが基地から出るためには、これから23項目にも上る身体検査のチェックリストをクリアしなくてはならない。副司令だとて例外ではない…そのために裕に3時間ほどはかかる。相原に付き合っていたら、またもや夕飯には間に合わないだろう。……月に一度の休暇だって言うのに。

 相原は外部訪問者の電子タグを胸に付けていて、入れる区画も限られているから彼の退出にはそんな手間は要らないが、副司令だろうがなんだろうが、機密を扱うこの基地の出入りにはかなり面倒な手順を踏まねばならないのだった。

 島は小さく溜め息を吐いた。

 相原は依然、気乗りしない返事をしただけで島のデスクの向かいにある応接用ソファに沈み込み、まったりと茶を飲んでいる。カップの中身は相原の注文で、ジャスミンティー、だった。
 相原が帰ったら取りかかろうと思っていた基地退出用の検査項目のチェックリストを揃えながら、島は訊いた。

「……何か家に帰りたくないわけでもあるのか?もうお前の仕事は済んだだろう」
 第一、お前みたいなトップがここへ来なくたって、下っ端を寄越しても良かったんだぞ…?
 相原はフゥ〜〜、と長い溜め息を吐いて言った…
「……帰りたくない、かあ。……そうかもしれないです。ボク」
 別姓で晶子さんと結婚したけれど。今になって、藤堂の家から僕の『姓を変えてくれ』って言われてましてね…。


 ついでにちょっと言ってみた、とでも言いたげな軽い口調。
 だが予想外に重いそのカミングアウトに、島も固まった。

 

 義一はもともと相原の家の養子だった。育ての父親はガミラス戦役の際地球でヤマトを待つ間、食料の買い出しに出掛けた先で暴動に巻き込まれ、義一の帰りを待たずに亡くなった。
 残された母親を気遣って、藤堂晶子とは夫婦別姓の事実婚を採択した彼は、今も相原を名乗っている。だが、防衛軍長官補佐を務めるうち、藤堂平九郎から相原の名を捨てて藤堂を名乗るよう求められている、というのである。
 

「…ま、そんなわけで家に帰るの、つい伸ばし伸ばしにしてたんです、すいません。…面倒ですよねえ、親戚付き合いって。…島さんちは同居だけど、何にもトラブルってないんですか?」
「……ああ、まあ…な」
「そうかあ…」
 いいなぁ、そっか、テレサは宇宙人ですもんね! こう言っちゃあ失礼だけど、故郷ももうないし…ってことは里帰りも必要ないしうるさい親戚も舅も小姑もいないわけだし。あーあ。羨ましいなあ…。
「…………」

 島には、何とも答えようが無かった。
 テレサの両親がいない、というのは良いことなのだろうか、それとも悪い事なのだろうか。

「第一、島さんはアッチのお父さんに頭下げに行く必要、なかったでしょ」
「頭下げに…」
「そう。お嬢さんをボクにください、必ず幸せにします、って。大体言いに行くじゃないですか。ボクもそういやぁ、殴られる覚悟で行ったっけなあ…」
 

 晶子は藤堂平九郎の長男の一人娘である。家柄も学歴も何もかも、もしも相原がヤマトの第一艦橋勤務でなければ到底釣り合わず、結婚にまでこぎ着けることもあり得なかった、と相原自身が言った。
「…おじいさま…いや、長官が後押ししてくれたから、ボクは晶子さんと結婚できたようなもんなんです」
 だから、その平九郎から別姓をやめて藤堂を名乗れ、つまり正式に改めて入り婿になってくれと頼まれれば首を縦に振らないわけには行かないのだが、育ての母の気持ちを思うと相原の名を捨てられない。…そう言うことだった。

 当たり前だが、男女が結婚するとしたら、それは当事者だけの問題ではない。だがそれは、地球人の、地球においての理であって、しかもことに日本自治州ではいまだにそんな風潮である、というだけの話で…… 

 島はそう思いかけ、だが急に気になった。

 テレサは自分の過去のことを何も語ろうとしない。家族のこと、結婚という習わしについても……俺は、キミの星(故郷)ではどうだったんだい、と訊ねることさえしてこなかった。むしろ彼女が一方的に我々に合わせ、また求められる通りに自分の認識を変えようと、一人努力している。しかも…自分はそれに何の疑問も持たずに来てしまった。
 ——自分は、彼女の両親についてさえ、いまだに何も……知らないじゃないか。


 身を翻して、退出用の検査室へリストを電送した。
「……じゃあ相原は好きなだけここに居てもいいよ。俺は帰る」
「へ?」
 どうしたんですか、島さん?



 お嬢さんを、僕に下さい。
 あなた方の大事な人を、どうか僕にまかせてください…

 そう言えば、その台詞を。
 俺は…言っていなかった。




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