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ネイビーブルーのスカイトライアルRZは、もう随分長いこと洗車していなかった。濃紺のエア・カーはただでさえ汚れが目立つ。うっすらと土ぼこりを被った愛車の姿は、まるで自分の姿みたいだった。泣きそうな顔が、ふと覗いたバックミラーからこちらを見返していた。
(……テレサ…)
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
島は、愛車のA.I.に目的地までのルートを記憶させながら、ぼんやりと考えた……
真田さんは、島さんよりもずっと頭が良くていらして……
彼女が言ったという言葉を思い出す。
(……テレサのIQは、…確かに真田さんのそれに匹敵する)
そうすると、自分は彼女と真田さんと3人並んだら、一番バカだということである。オレの知能指数なんて、160がいいところだろう…
IQ200オーバーのアルティメットカップルか。…はは、宇宙最強だな……
(でも、君への想いだけは……誰にも負けない、と思ってた……)
なのに。
真田さんに、恋敵としてエントリーされてしまうなんて。まさかの想定外だ。真田さんは、自分にとっても大事な人である。テレサと、真田さん。…どちらもかけがえのない存在。だとしたら、消えるべきは… 俺だよな……
エア・カーのエンジンをスタートさせ、ドライビングA.I.をカーナビにコネクトする。ハンドルにかかる左手に目を落とした……彼女とお揃いの、結婚指輪。
永遠の恋を、愛情を誓っていても。
俺は…あの人には……勝てないのか………
ネイビー・ブルーのスカイトライアルはメガロポリス・シティセントラルから次第に遠ざかって行った。薄曇りの空に、冬の海。空と海とを隔てるものなど何も見えない煙る水平線を……真横に見納め。
エア・カーは北へ向かう長いトンネルに入って行った。
* * *
信頼の置ける下級官吏に頼んでテレサを家まで送り届けさせ、真田は代わりに幕ノ内を呼び出した。まさか島が壮大なカン違いの末に失踪するなんて思わなかったし、もちろん捜索願いなんか絶対に出せない……
「…いいか!?ここだけの話にしてくれよ。頼むぞ、幕」
「はいよ」
口だけは堅いから、任しとき。頷きながら、幕ノ内は物珍しそうに長官執務室内を見回す。人払いをした真田が手ずから入れてくれた茶を啜りつつ独り言。こんなこと、絶対他の奴らには言えないもんな。
「お前とテレサと島で三角関係、だなんてな…とてもじゃないが…ぷーーーっっ」
言いかけて、幕ノ内は改めて茶を吹いた。考えたらコレ、やっぱめっちゃ笑える……しかも、勝ち目はないと思い込んだ航海長が自分から退場って、どうよ…
「…幕、よせ」
オレはともかく、島をからかうな。——真田はしかめ面をした。
俺自身は他所の嫁さんと不倫した、なんて噂をいくら流されたところで屁でもない。噂の出所を突き止めて、その主ごと息の根を止めてしまえば済む話だからな(そう言うと、たまに怖がられるが、知ったこっちゃない)。だが、島は存外ナイーブで傷つき易い。ことテレサに関してのトラブルが起きると、可哀想なくらい消耗するんだぞ…
「俺にとっては弟夫婦みたいなもんなんだ。あんまり笑うなよ」
「いや、悪い悪い」
幕ノ内は口と襟元の茶を拭って謝った。「とにかくまず、島をおびき出して捕獲しないと始まらんだろ」
捕獲という言葉はどうかと思うが、と真田も頷く。「問題はその方法なんだ」
幕ノ内はふーむ、と腕組みしてソファに沈み込んだ…
「お前のことだから、まずあいつの行きそうな場所はことごとくマークしてるんだろ。…で、すでに全部、アテが外れてる、と。次に濃厚なのが、意表を突いた行き先だ。これは島を個人的に良く知ってる奴でないと思いつかない。…が、それも全部調査済みだろう」
「…よくわかるな」
「何年お前のダチをやってると思ってる」
あはは、参ったよ。真田は笑いながら頭を掻いた。
「じゃあ、お前のアイデアを聞かせてくれ。何が起きたら島は出て来ると思うんだ、幕?」
「……誘拐」
「誰を」
「そりゃもちろん、嫁さんだろ。誘拐だったら片がつくまで公表されることはないし、余計なヤジウマを引き寄せる心配もない」
「……幕ノ内」
おいおい…確かに島は、テレサの身に何かあったら120%絶対に飛び出して来るだろうが…… 真田の眉間に深い皺が寄る。
「お前な…。俺に、その立役者になれって言うつもりだったのか?……狂言誘拐だって島にバレた時、誰が殴られ役になるんだ、…ハンパないぞ、きっと」
「だーからお前に黒幕をやれって言ってんだろ。…島はお前を殴れない。…違うか?」
「……悪党だな」
「何年お前のダチをやってると思ってる」
「どーいう意味だ」
しかし、最も迅速に、最も内密に島を引っ張り出そうとするならば、これ以上の案は無いような気がした。
「よォし、ほんじゃあひと揺すりして島のダンナをおびき出すとするか」
…よし。
「ともかく、急いでテレサをもう一度呼び出そう」
しかしその頃——。
旧い友人と一緒に執務室に籠って出て来ない長官のために、執務室付きの局員2人がちょっとばかり、わたわたしていた。
局員A「長官はまだなのか」
局員B「はあ、来客中は取り次ぐなと言われております」
局員A「困ったな…」
地球防衛軍と軍警察から、ほぼ同時に科学局へ異例な通達が届いていたのだった。
局員A「……オープン情報らしいが」
局員B「何か事件が起きたわけじゃあないんですよね」
局員A「ああ、警戒警報らしい」
……違法異星人研究機関が、脳波を測定するだけで地球人か異星人かを見分けるデバイスを開発したというんだ。だから、科学局では警戒しろってさ。軍ではここに異星人がいるとでも考えているんだろうか?
局員B「あはは、まあ、真田長官だったら何を(というか誰を・w)隠していても不思議じゃないですよ」
局員A「アハハ…言えてるな。ま、話し合いが終わったら伝えればいいか…」
一方、真田に呼び出されたテレサは、取るものも取り敢えず科学局へ向かった。真田の寄越したハイヤーで、正面のエントランスへ乗り付ける。
真田からは細かな連絡を受けていた。家から科学局へ向かう車中で、テレサはモバイルを片手に、自分のするべきことを繰り返し確認した。
『あなたがこちらへ到着される頃、別のタクシーが正面玄関にお迎えにあがります。私の部下が分かるようにご案内いたしますから、それに乗って、今度は幕ノ内の自宅へ向かって下さい。家にはヤツの奥方がいます。とりあえず上がって、連絡があるまでそこで待っていて下さいますか?』
『…はい。ただ別のタクシーに乗り換えるだけですね?お迎えの人がいらっしゃるのですね?』
『そのとおりですよ』
真田の指示は、とても簡単だった。幕ノ内の自宅で待っていれば、(ちょっと時間はかかるかもしれないが)真田が島を連れて来てくれる、と言うのである。その頃までには、ちゃんと島に分かるよう話をしておきますからね、安心してくださいね。真田はそう言っていた。
ただ、幕ノ内さんの奥さんとは初対面だから、こんな状況で一体何を話せばいいのかしら、とテレサはそればかり気になっていた。
真田の話通り、科学局正面のエントランスには、別の白い車が止まっていた。
(あれかしら)
…と思う間もなく、そのエア・カーから男性が2人、降りて来た。一人が手に小さな箱を持っている。彼はその小箱の天板を食い入るように見つめていたが、目を丸くして恐る恐るテレサの方へ手を差し伸べた……
「…あなたさまは」
男性2人はテレサを見て、次にお互いを見比べ合った……何か、とてつもないラッキーが天から降ってきた、とでも言いたげな笑顔だ。
「……我々は、あなたさまを、お迎えに上がりました!」
一人が叫ぶようにそう言うと、テレサの足元にがばりとひれ伏した。
いやだわ。お迎えにしては、大袈裟ですよ。テレサはにっこり笑い返す。この人たちが、真田さんの部下の方で、幕ノ内さんのお家まで連れて行ってくださるのね。
「ささ、どうぞ…」
一人がそそくさとテレサを促す。もう一人は、まるで今まで自分たちが居た空間を掻き消そうとするように素早く周囲を見回し…テレサの乗った車のドアを外からパタンと閉めた。
そのエア・カーがエントランスから出るのと入れ違いに、メガロポリス交通のタクシーが入って来て停車した。
「…なんだって?」
もう一度言え。
エントランスからの連絡を受け、長官執務室の真田は耳を疑った。テレサを幕ノ内の自宅へ送らせるために階下へ行かせた局員Cからである。
<あの、…ですから、島参謀の奥様ですよね?それが、どこにも居ないんです。長官の指定のタクシーは確かに来てます、さっきから停まってます。でも、ボクももう随分ここで待っているんですが、人っ子一人…>
「…おかしいな」
「ん〜?」
テレサがまだ来ない?渋滞かなんかじゃないか?もうちょっと待ってみようぜ。
幕ノ内は悠長にそう言ったが、真田は何か悪い予感がし、メガロポリス交通へ問い合わせを入れた……
「おい、幕ノ内。拙いことになったぞ」
「…どうした」
真田のただならぬ気配に、幕ノ内も腰を上げた。
「俺のやったハイヤーは、確かに10分前にテレサをエントランスへ送り届けたそうだ。その後、到着したメガロポリス交通の運転手が、エントランスから出て行く白い車を見ている」
「……どういうことだ」
「…テレサは、別の何者かの車に乗って…、当初とは違う目的地へ行った、ということ…では」
……大変だ……!!
これは、狂言誘拐、のはずじゃなかったのか?!
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