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「島…!」
応接室は、長官執務室の奥にある。呼ばれていない下士官はここまで入って来られない決まりになっている…
だが。そこにボーゼンと立っていたのは、島だった。
(あちゃー……)
真田は我知らず、小さく呻いた…
「し…島さん」
内緒だよと言われていたから、テレサが「しまった」という風に狼狽える。その表情もさることながら。テレサの肩に乗せられていた真田の手に気付いて、島はさらに固まった。
「…本当だったんだ…」
「あの、島さん…これには、訳が…。ね?真田さん…?」
しどろもどろ。何と言っていいのか分からなくて、テレサは思わず傍らの真田を見上げた。
島の顔面に、薄ら寒そうなタテ線がサァァ…と入る…「…な…なんだ、…ふたりとも水臭いなあ。…それならそうと、言ってくれれば………」
島は、ぼそぼそ言いながら視線を床に落とした。
「あ、…ああ、黙っていて悪かった、実はその。…そのうちキチンと、お前に言わなけりゃと思ってはいたんだ」
バツの悪そうな真田の言い訳に、島が顔を上げ。これ以上ないというくらい…情けない顔になった……
「そう……ですか……。ごめんなさい、…気がつかなくて…」
「い?」
「俺……邪魔ですね…」
「はぁ?」
顔面の、薄ら寒いタテ線の面積が広くなる。島は、くるりと2人に背を向けて崩れるように駆け出した。
「し…島さん?」
「おい、島!…ちょっと待て」
あいつ、なんか誤解してないか?!
(困ったな……)
まさかこういう展開になるとは。
真田とて、何かに悩んだり迷ったりすることはある。その場合の相談相手は、やはり限られる。その一人が島大介、だった。十も年下とはいえ、物事を冷静且つ客観的に判断する島の意見は、時に先輩同輩の誰よりも的確だったからだ。
(……あとは…幕ノ内、か…)
まあ、あいつならテレサの味覚音痴の件を知らない仲ではない。自分の潔白を証明してもらうには、ヤツを引っ張り出すしかないだろう。
だが、それにも少々問題があった……
<それ、ホントか?!>
通信機のモニタの向こうに、好色そうな笑顔満面の幕ノ内。
<バッカだな〜、島のやつ、そんな早トチリだったとは知らなかったぜ!>
イヤ〜おかしくてたまらん!!幕ノ内は笑い崩れる。さしもの航海長も、あの嫁さんにかかるとその辺のヤロウと変わらんな。あのテレサが…お前と(イ〜ッヒッヒ)、浮気って…(ヒーハー…)、ホンキでそう思ってんのか?!あいつ…(ハ〜〜ッハッハッハ…ヒ〜〜)
「…張り倒すぞ…幕」
笑い事じゃない。
真田は半分(やっぱりコイツに相談するんじゃなかった)と思いかけた。だが。テレサに泣かれているのだ。
「面白がってる場合か!テレサが気の毒だろう」
隣の応接室には、動転したテレサがハンカチに顔を埋めていた。彼女はまさか島に「真田と浮気している」と誤解されたなんて思ってはおらず、島が料理を内緒で習っていた自分に怒っているのだと勘違いしているのだった。
<わりいわりい。…でもまあ、テレサに、今までの事情を島にちゃんと説明するように言えば済むことじゃないのか?>
島の勘違いが原因なのだから。…だが。
「簡単に言うけどな、それじゃあ色々とカドが立つんだって」
あの家、嫁姑の距離が近いだろ。俺だって、一応そーいうコトに気を遣ってるんだよ。
<面倒だな>
2人はしばらく考えた。……としばらくして。
そうだ、と思い出したように幕ノ内が呟いた。
<……もうじき2月半ばじゃないか>
「? それがどうした」
<…真田、お前2月14日って何の日だか分かってるか?>
「…………あー」
<テレサに本命チョコを作らせて、島に渡させたらいいじゃないか>
<…なるほど>
まあ、確かに、手作りチョコの講習会だったんだ、とかなんとかいえば、あるいは。
<で、島の目の前で、お前がテレサから義理チョコをもらえば、いやでも丸く収まるよな?>
「なるほどね」
島のやつはなんだかんだ言って単純だから。……誤摩化されてくれるんじゃないか?
* * *
テレサは真田に「大丈夫、島を宥める手はありますから、普段通りにしていてご覧なさい」と言われ、とぼとぼ家に帰って来た。
「……ただいま戻りました…」
新居の三和土には島の靴がある。あの後、彼はまっすぐ家に帰ったんだわ。
慌てて中に入ったが、リビングもキッチンも真っ暗だった。
(…島さん)
二階の寝室へ上がる。「…島さん?」
ベッドの布団がこんもり丸まっていた。返事はない。
そっと近寄って、ベッドサイドに膝をつく。「……島さん」
怒ってるの…?
ああ…私が…あんな事さえしなかったら。
テレサは急に悲しくなって、そのまま俯いた……
「…ごめんなさい、島さん。……私」
思わず、涙ぐんでしまう。あなたのために、と思ってしたことなのだけれど。それでも…あなたは嫌だったのね。洟を啜って、でも、と付け加える。
「……真田さんは悪くないの。…私が一方的にお願いしたことなの…」
島が、ゆっくりと布団の中から顔を出した。「君が…?」
「そうよ。…だから、真田さんを…責めないであげて…」
島の顔が、月明かりの中でなぜか急に悲愴になった。起き上がったが、テレサに半分、背中を向ける。
「…そう。……わかった」
「分かって下さるのね」
ああ良かった。真田さんに迷惑はかけられないもの。…とテレサが胸を撫で下ろしたときである。
「…庇うなんて」
島が、泣きそうな声でそう呟いた。え?とテレサは聞き返す。
「君が、真田さんを庇うなんて…」
「……?だって、悪いのは私で、あの人は悪くないんですもの…」
島の顔が、打ちのめされたような表情になった——
ひ…ひどいよ……テレサ…
「そうか。…それが君の…本心なんだね」
「え?」
まあ、本心?といえばそれは別に間違いではない。テレサはだから、はい、と頷いた。
島が、ものすごく悲しそうな目で自分を見たような気がしたが、彼はすぐにまた布団を被ってしまったから、その後は何も訊けなくなった。
「あの…お夕飯は?」
「いい」
「……お風呂は」
「いいよ。…一人にしてくれないか」
「そ…そうですか…」
仕方なく、ではおやすみなさい…と声を掛けても、島からの返事はなかった。テレサは言い様のない不安に駆られたが、ともかく彼は、今一緒の部屋にいる。
普段通りにしていてごらんなさい。
真田さんはそう言っていた。…あの人の言う通りにしていれば、きっと間違いはないわ。
テレサはそう思い。返事をしない島の気配を隣のベッドに感じながら、その晩はそのままいつも通りに過ごしたのだった。
ところが、である。
「真田さんっっ!!」
翌朝。
真っ青になったテレサが、またもや科学局を訪れた——。
「どうしました」
「島さんが…!!島さんが…!!!」
泣いていて、要領を得ない。しゃくり上げながら、彼女がバッグから取り出したのは、短い手紙。
「…朝、目覚めたら島さんがいなくて……!代わりにこんな手紙が…」
「なになに…?」
『……テレサ、君が誰を選んだとしても、君の幸せが僕の幸せです。しばらく遠くへ行きます…探さないで下さい 大介』
……だあああ?!
「島のやつ、家出しやがった……」
<…ギャーーーーッハッハハーーー!!!>
真田の報告に、爆笑、の幕ノ内である……
「幕……」
笑ってんじゃねえ、と真田。通信モニタの中で笑い転げる幕ノ内は、ブラウンのサングラスを外して手近なタオルで顔を拭き拭き、改めてもう一度ぎゃっははは…
<ど、どこをどう勘違いすると家出になるの!?…島って、そういうキャラだったっけ?!>
「……テレサ絡みだと、あいつは冷静さを欠くんだ。…それは案外昔からだ」
<……たって、一体何年一緒に居るんだよ…あいつら>
ヒーヒー、あーーおかしい!! 引きつけを起こさんばかりの幕ノ内に、苦虫を噛み潰して三杯飲み下したような顔の真田。
「…貴様…。俺の身にもなってみろ。島に行方不明になられたらかなり困るぞ」
あいつが意図的に行方をくらまそうとしたら、簡単に見つけ出せると思うか?
真田にとって、頭の痛いのはそこである。
「探さないでくれ」というだけあって、島は自分が抜けた後数週間分の始末まできっちり段取りしたスケジュールプログラムを残していた。科学局の稼働には、しばらくの間何ら問題は生じない。奴ほど頭の良いヤツに雲隠れされると、その足取りを追跡するのは至難の業だった。
<放っておけば?腹が減ったら帰って来るだろ…>
「……ガキや犬じゃないんだぞ」
<いやガキだろ>
飄々とした幕ノ内の言葉に反論しようとして、そうかと思い直す。探すのが無理なら、出て来たくなるように仕向けるしかない。…じゃあ、どうする?
さすがの幕ノ内も、隣の部屋で白い頬にさめざめと涙をこぼしているテレサを想像し、ちょっとは気の毒にもなったわけである。テンパっている島を納得させるには、真田、お前にも立役者になってもらわんとなあ。
「立役者?」
<だからな………>
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