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だが、からかわれながらも実は半分、嬉しさを隠しきれない島とは対照的に、テレサの方は正直少し…戸惑っていた。
「結婚すると言ってくれ」
愛している。
——二度と離れないと、約束してくれ。
彼に請われるまま、自分は「はい」と頷いた。
幸せだった。夢なら醒めないで、といまだに思う……
抗いきれない呪われた運命に翻弄されるだけの命だと、今まで自分を諦めて来たのに。この私が、あなたの……大好きなあなたの、伴侶になれるなんて。それはこの上なく喜ばしい事なのに、同時に時々、抑えきれない不安に駆られる。
2人の再会から今までの時間は非常に短く、その中では色々なことが起こり過ぎた……
彼と2人きりで静かに過ごしたいと思っても、常に誰かがそばに居た。決めなくてはならないことが、多過ぎた。学ばなくてはならないことも、次々と出て来る。
本当は、彼と2人きりでもっと話したかった……
私はここにいてもいいのですか。
あなたの伴侶になど、なってもいいのですか…
今まで、何度もその問いを口にした。だから、島が何と答えるか、それはテレサには良く解っていた。だが訊かずにはおれなかった……それほど、この幸せな現実が“不安”だった。
そして……
できることなら自分からも何か、彼にあげたいと思った……
幸せや愛ばかりか…自分は彼から本当に沢山のものを与えてもらっているからだ。
……けれど、そんな時間も機会も、これまでまったくといって良いほどなく。
もう一度、彼がくれた指輪を見つめる。翡翠色の宝石の付いた…かつて母の形見だった、あのリングを模して彼が作ってくれた指輪。でもそれは、今日限りで外し、箱に仕舞わなくてはならないらしい。
「別のリングを、用意してあるから」
彼はそう言った。気に入っているのに、と言うと、彼はさらに照れたように付け足したのだ。「式で君にあげる予定の指輪は、僕のと…お揃いなんだよ」
約束を、交わす。
指輪を交わす事にはそういう意味があるのだと、島は言った。君の手で、僕の指にも同じリングをはめて欲しいんだ。
そうして、その約束を一生守ると言う誓いを、2人で立てるんだ、と。
* * *
ヤマトの第一艦橋がこんなことに使われるなんて、いいんですかね?!などと、それまで冷やかし半分で囃し立てていた徳川太助も、その瞬間にはさすがに黙る。
テレサの顔にかかるベールを上げた島は、躊躇することなく花嫁の唇に口付けた。唇が触れる瞬間、テレサは島が自分に向かって微笑んでいるのに気がついた……
美しい白金の髪が、驚いたように揺れる。見られているのに、と思う間もなく、抱擁と蕩けるようなキスにテレサの瞳は閉じてしまう。額から、首筋を駆け抜け広がる温かな痺れ。抱かれている肩と腕、背中から淡雪が溶けるように力が抜ける……彼のキスは、唇から熱い情を注がれるような感覚で、つい我を忘れてしまうのだ——。
ネタ?おお、ネタにしたけりゃすりゃあいい。
羨ましいだろ、宇宙一の花嫁だからな!
ひょ〜〜〜、と声が上がった。
「長いよ〜、島さん〜」
見てるこっちが照れちゃうよ、ね〜晶子さん?!
キスを終えてふと見ると、相原の腕にぶら下がっている晶子が頬を染めている。見ないようにと無駄な努力をしている奴が、若干名。司祭の代わりにと古い聖典を読んでくれた真田まで、参ったな、と鼻の頭を赤くしていた。……開き直ったな、島の奴。
ヤマト第一艦橋の羅針儀の前で、艦長席を祭壇に見たて、結婚の式が執り行われた。今、2人の左手の薬指には同じ形のリングが光っている。
「お幸せに」
両親や次郎、テレサと島の『事情』を知るヤマトクルーたち全員が、2人を順に祝福し、最後に全員で簡単に乾杯をした……さすがに、披露宴はこの狭い艦橋では無理だというので、南部が口の堅い秘書ら数名の社員と共に手を尽くし、前部甲板にささやかな立食パーティー会場を設えてくれていた。
「…僕たちは、しばらくここにいようか」
狭いエレベーターに順に消えた友人たちを見送り、島は小声でそう言った。
「…下に行かなくても良いのですか?」
「甲板は剥き出しだから、長時間君がいるのはセキュリティ上問題があるだろうって…皆もそれは承知してるからね、いいんだ」
君と2人きりで……少し話をしたい。
彼女の肩を抱いて操縦席へ誘い、そこに座らせる。ここからなら、眼下に披露宴にきてくれた全員が楽しく飲食している姿を見渡せるからだ。
テレサはふと目を落し、掛けている操縦席のアームレストをそっと触った。小さな凹みや傷がいくつもある。よく見るとコンソールパネルのあちこちにも、細かな傷があった。計器やレバーの一つ一つに、この船が戦って来た歴史が刻みつけられているのだった。
そして、改めて振り向けば、そこはかつて一度、自分が島との永遠の別れを決意した場所……。
「……ここは、君にとって…それほど良い思い出のある場所じゃなかったね」
——ごめん。
分かっていたのか、島がそう言った。
だが、テレサはいいえ、と首を振る。
「悲しいお話は…書き換えればいい。この場所から…また始めればいいのです」
操縦席の横に膝をつき、愛情を込めて島はテレサを見上げた。
「…ありがとう。…そう言ってくれると、嬉しいよ。この場所は、僕にとってはふるさとのようなものだから……」
この席に座って、ずっと旅をしてきた。
ここで、君と会って…君と別れた。君の命をもらって、生き延びたのもこの場所だ。
この操縦桿を、ずっと握って来た。この舵を握ることが、生きている証みたいなものだった。
計器盤は、ヤマトの言葉を僕に伝えてくれる。スイッチやパネルやランプ一つ一つが、ヤマトの脈打つ鼓動、囁き、嘆き、歌、そして誇りだった。
「君に出会うまで、ヤマトが僕の…恋人みたいなものだったんだ」
「……恋人」
おうむ返しに呟いたテレサににっこり頷くと、島は立ち上がって操縦桿に手をかけた。
「僕は、四六時中、コイツのことを考えていたよ。どうしたら、コイツの機嫌が良くなるか。どうやったら、気持ちよく答えてくれるか。そればかり、考えていた…とっても大事な、女房だった」
そう、君に出会うまではね……。
「でも、今は違う」
今は。
君が…恋人で、妻で、この世で一番、大事な存在なんだよ……。
* * *
前部甲板の本当に前の方からは、第一艦橋内が見える…だが、下から第一艦橋にいる人間が見えるのは、戦闘指揮席や操縦席など、最前面にいる者が立ち上がって乗り出している場合だけだ。
「………やってくれるね」
相原がこっそり斜め上を指差してそう言った。太田が見上げて、困ったように頬を染める。
巨大な三連装主砲の砲身の向こう、第一艦橋の僅かに見えるキャノピーの中。白いドレスが操縦席辺りで揺れている。肘まである白い手袋をはめた華奢な腕が、艦長服の新郎の赤い襟首に回されているのがわかる……
「……これを俺にどうしろというんだ…」
2人の後ろでは、生花のブーケを持った真田が呟いていた。
第一艦橋から島とテレサを残してエレベーターで降りる時、思い出したようにテレサが駆け寄って来て、「これを」と“真田に”投げて寄越したのである。
ブーケトス、それを直前に雪から教わったのはいい。だが、なんでまた、俺に。
「ガンバッテクダサイ、真田サン」
アナライザーの生真面目な声に、雪と古代が声を立てて笑った。
ヤマトに実質初めて足を踏み入れた島の両親、そして次郎が、満面の笑顔で皆に挨拶して回っていた。感動のあまり無口になってしまう父の、涙を堪える仕草が息子に瓜二つで、山崎、徳川が思わずもらい泣きしている。佐渡は早くも一升瓶を抱えて上機嫌である……
「島さんてば、あれだけ嫌がってたくせに。どうですかねあれ…開き直っちゃって。…艦長室で一泊、の覚悟は決まったのかな?」
南部が腰に手を当てて第一砲塔の向こうを見上げ。目を細めて笑う。
視線の先には前部甲板から小さく見える第一艦橋の、左から2番目の窓。白いドレスと黒の艦長服が、ぴったり寄り添う姿がまだ、見えていた……。
式の間も、皆が祝福の言葉をかけてくれていた間も、テレサは今にも泣きそうだった。いつ泣くかな、と島は半ば当然のように覚悟していたのだが、彼女は今までどうにか持ちこたえている。それがついに。
腕の中の彼女の瞳から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれた。
……奇麗な涙だ。
すみません、泣いてばかりで。
再び、予想通りの事を彼女が言ったので、島は笑った。
「悲しい涙じゃなければ…いいさ」
「…こんなに良くして頂いているのに、私は…皆さんになにも…お返しできなくて…」
「君はきっとそう言うんじゃないかな、と思ってたよ…」
でも……テレサ。
「……君は何かすごく大事な事を忘れていないか?」
「え?」
頬にこぼれた涙を、白い手袋の指先で拭いながら、テレサが目を上げる。
「……どれほど頑張っても返しきれないほどのものを、君は僕らにくれたじゃないか。僕らが君に返せるものは、本当に少ない、…例えばこんな風に言うことくらいしか……」
ありがとう。
この言葉だけでは、ほんの少ししか伝わらないけれど。
「みんな、そう思っているんだよ」
——テレサが思わず顔を両手で覆って、咽んだ。
雪がしてくれた薄い化粧。落ちたとしたって、君の美しさは褪せたりしない。……それでも美人が台無しになっちゃうぞ、と島はあらためて彼女の身体を抱き寄せる。
「僕のところへ…帰って来てくれて、ありがとう。…地球を救ってくれて、……僕らに未来をくれて、…本当に」
言いながら、自身の目にも涙が溢れて来たが、島はそれを拭わなかった。腕の中のテレサはもうぐしゃぐしゃに泣いていて、それが可愛くて思わず泣き笑いになる。
「…涙が乾いたら、下へ行こう…」
眼下に集まっている仲間の姿を見下ろして、そう島は呟く。はい、とテレサも頷いた。
次郎と…相原、南部、徳川の4人が、何か言いながらこちらへ向かって両手を大きく振っている。
アナライザーが、まるで子どものいたずらみたいに、ボディから強いサーチライトの光をチカチカとこちらへ飛ばしていた。
みんなが、こちらを見上げ、最高の笑顔で笑っていた——。
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