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美雪の苦悩は、そのまま佐渡酒造の苦悩だった。
彼自身、私財を投じてこのパークに残された動物たちを世話しているが、野生動物の成獣を飼育するために必要な費用は例え一頭でも日々莫大で、はっきり言えば「もうそんなに長くは資金が続かない」のだった。
(……カスケードブラックホールか。…わしも、正直そいつが来る頃までしか、動物たちの面倒を見られんなぁ…)
誰にも言ってはいないが、佐渡は移民船に乗って地球を離れるつもりはなかった。彼の本音を知っているのは、相棒の赤い分析ロボットだけである………
17年をかけて復活させた様々な動物たち。すべての生命が死滅した大地に、青草が生え小さな虫たちを育て、それを補食して小さな動物が、さらに大きな動物が…元通りの食物連鎖を再現するまでに舐めた苦労と、その成功に皆がどれほど歓喜したか……忘れることはできなかった。
この大切な、大地の恵みとも言える自然と、そこにやっと息づいてくれた命だ。たとえ「地球が滅びるから」という理由でも、ここへ彼らを捨て置いて自分たちだけ逃げることなど、とても出来ない。
今回、真田に打診された「生まれ変わるヤマトへ再び艦医として乗り組む」という、確かに栄誉とも言える機会を佐渡が蹴ったのは、それが理由だったのである。
復活させた動物たちを、その最期の日まで世話し続けるのが、わしら万物の霊長たる人間の勤めじゃ。他の誰がやろうとしなくとも、わしはそうすることを選びたい。
それがわしの考える、人類の誇りじゃ。
取材の記者団が炊くストロボの中で、佐渡はそう声高に言ってやろうと考えた。だが…そうするのは、若い者らに余計な心配をさせることと引き換えだ。
(わしが地球に残ると判ったら、美雪を悲しませることになるじゃろうの。それは…不本意じゃ)
言うべき言葉を整理して、深呼吸する。
「ワシが館長の佐渡酒造じゃ。お前ら、いい加減にせんか…!」
* * *
第二次船団の出発予定に合わせ、実験コロニー<エデン>では緊急医療艇6隻が出航準備に奔走していた。
第一次移民船団に随伴し、すでにここから友納章太郎率いる7隻のドクターシップが出発していた。 <ホワイトガード>を初めとするドクターシップは、所属の15隻すべてが順に移民船団に随伴してアマールへ向かうことになっている。第三次船団には最終便の2隻が当てられることになっていた。その2隻を最後に、<エデン>全体が稼働を停止し、閉鎖される。
正直な話、移民計画の本格化決定以降、<ホワイトガード>のチーフパイロットである島大介は、本来なら急いで<エデン>の基地へと戻るべき所だった。
だが、島本人から「申し訳ないが自分抜きでやって欲しい」と連絡を受け、<ホワイトガード>は雷電五郎をチーフパイロットに据えた。
今の島は、妻と娘を置いて一人移民船団に随伴することに積極的ではない。友納もそれについてはすでに何も言わなくなっていた。
医師として、友納と元妻の武藤は、大介の妻テレサの寿命について知りすぎるほど知っている。大介がすべてを放り出して妻と娘のそばに居たいと願うのは、彼らにとっても無理からぬことと思えた。
宇宙戦士として想像を絶する世界を戦って来た大介である。繊細で几帳面な性格とは言え、戦闘に於ける重圧に彼は充分すぎるほど耐えてきた。だが、他の人間には容易に理解しようのない精神的重圧に常に苛まれるであろうこの先の半生を、同じように耐え抜いて行くのは生半可なことではなかろう。
——事情を半分しか知らない雷電や<ホワイトガード>の艇長小林優人も、「島さんは戻らないんですか」とはもう聞かなかった。
彼らにしても、今では、いつまでも容姿の衰えない島大介の伴侶そしていつまでも成長しない彼らの娘と、防衛軍で囁かれて来た<テレザートのテレサが地球に生きている>というトップシークレットとの関係が、薄々判っていたからである………
*
「ん、まぁんま…」
一家で久しぶりの楽しい夕食を済ませたその晩のこと。
たどたどしく何か言いながら、島家の母屋のリビングでみゆきが歩こうとしていた。よいしょ、と立ち上がり、2・3歩足が出るとコロン、と転ぶ。本人はそれがどうにも楽しいらしく、転んでは、きゃあっと笑い、はしゃぐとまた立ち上がるのだった。
「おーおー、危ないぞう……!!」
周りで見ている方はヒヤヒヤし通しである。毛足の長いムートンのセンターラグの上に、大介の父康祐と、次郎が中腰で控え、その危なっかしい動作を笑いながら見守っていた。
みゆきは、生まれてもう3年が経つ。地球人の子どもなら、すでに走り回っている年頃だが、みゆきはようやく先週、つかまり立ちが出来るようになったばかりだ。
みゆきの成長の遅いのは、致し方のないことだった。おそらく、この幼子の寿命も、母テレサと同様、地球人よりずっと長いのだろう。今では小枝子も、父の康祐も、肚を括ってこの孫に接している。
しかし、赤ん坊というものはこの頃が最も愛らしい時期だ。まだ歯の生えていない、あの愛らしい口元がにっこり笑うと、この子の成長の遅いことなど頭から吹っ飛んでしまうのだった……
「ほーら、お父さんのとこにおいで〜」
康祐はなぜか、頑なに自分を「お父さん」と呼ばせようとしている。祖母に当たる妻の小枝子が、自分を「おばあちゃん」と呼んでいるにも拘わらず。大介が「パパ」なんだったら自分が「お父さん」でもいいじゃないか。
「お父さん、往生際悪いわねえ!」
母の言い草に、次郎が笑う。
「俺だっておじちゃん、なのにさ……!」
リビングのセンターラグのところで、ハイハイしているみゆきを囲んでいるのは、小枝子と康祐、次郎だけだった。テレサと大介は、父母にみゆきを任せ、ふたりで別宅の片付けに行っている。移住前に、母屋と同様、屋内の荷造りや整頓をするためだった。
「よ〜しよし、みゆきはおじちゃんの方が好きだもんな〜〜〜」
次郎が、膝に登って来たみゆきを抱き上げる。康祐が、ああ、負けた〜、と唸った。
不思議だな、と次郎も思う……
こうしていると、あと数ヶ月先にこの家も、庭の緑もこの星空も何もかもが、あのブラックホールに飲み込まれてしまうとは、まるで信じられない。
そして、それだけに悔しかった……
この地球ほしを、捨てて行かねばならないことが。
人間として、何も出来なかった自分が——。
*
母屋の隣に建つ、大介とテレサの家。
3年足らずで<エデン>へ移住してしまったが、この家は今でも2人の大切な場所だ。父康祐が手入れを欠かさずにいてくれたテレサの庭には、僅かに咲く薔薇や寒さに強いスイートアリッサムの小さな花々が大人しく揺れている。仄かにライトアップされた小さな噴水がその中央に見えた。
噴水の水音が、<エデン>で暮らした、あの素朴な木造の家の横に流れていた用水路の、小さな水面を彷彿とさせる。母屋からは、次郎が弾いているのか「ノクターン」のゆっくりとした旋律が聴こえてきていた………
この場所も。<エデン>での生活も。
テレサにとっては皆、何一つ忘れることの出来ない大事な思い出だった。
一階を整理していて、家具や食器、照明なども、すべてそのまま残そう、と自然に意見が一致した。テレザリアムを模して装飾された2階の寝室も、同様に。
「何も…無理矢理片付けなくても、いいね」
「……ええ」
今まで気丈に振る舞っていたテレサが、その時初めて口元を抑えて大介に背中を向けた……
この星が…無くなる。
故郷の星を再び失うことを、誰よりも辛く感じるのは、彼女の乗り越えて来た”過去”の所為。
「……ごめんなさい。泣くつもりは、なかったの」
どうしようもないの。星が死ぬ時は、人の力では…止められない。
大切なものが、もぎ取られて行く喪失感。そんなもの、もう二度と味わいたくなかった……。
大介には、それを否定する言葉もない。俺も同じだ。ただ慟哭する彼女を胸に抱いて、その背を撫でてやることしかできなかった。
泣いて、少しでも楽になるのなら。いくらでも泣いていい……
大介の胸に、しばらく顔を押し付けていたテレサが、ようやく顔を上げた。
「島さん……あのね。…お話があるの」
大介の胸から離れ、テレサはウォークイン・クローゼットへ向かう。
「ん…?」
「…怒らないで、聞いて下さる?」
「怒らないよ…」何だい?
だが、彼女がクローゼットから持って来たものを見て、大介は絶句した。
「それは…!」
——地球防衛軍の識別票と、…銃、制服、そして…ガンベルトだった。
「……テレサ」
だが、テレサは笑っていた。
「これがここに、あること……私、ずっと覚えていたのよ」
それに、知っていたわ。……退役したのなら、これを軍に返還するのが…習わしだということも。
「テレサ、それは」
「いいんです」
「そんなつもりじゃ」
識別票や銃、ガンベルト、そして制服。それらをここに置いたままだったのは、軍に戻るつもりだったからなのか。大介は、急いで自問した……単に忘れていた、と。ただそれだけだ、と……俺は言えるのか。
君のそばにいる。離れない。そう言い続けた自分は、自らを半分、騙していたのか。
——いや、そうじゃない。
——不意に雪を思い出す。目の前で、気丈に笑っているテレサに、雪の顔が被って見える……雪の声が、聴こえたような気がした……
誰にだって、命を賭けて守りたいものがあるわ。
私は……彼の名誉と、彼の守ろうとしたものを。
島くん、あなたは……?
ヤマトの艦内服と軍用品とを両手に載せたテレサは、改めてもう一度微笑んだ。
「どうか、怒らないで聴いてください。……私も、何か…したいの。何か、私の出来ることを。私を守って下さっているあなたのために、…それから真田さんや、次郎さん。古代さんや雪さんのために」
だから、考えたの……
みゆきのテレパスを、真田さんの科学局で役に立ててもらえないかしら…って。
「そのためには、あなたがきちんと復帰する必要があるだろうと思ったのよ」
「……テレサ……」
大介は、彼女の腕の上の品々に手を伸ばし、それをおもむろに受け取った。
「あなたには言っていなかったのだけど…、みゆきのテレパスは、私が物理的に受けることができるの。そうすれば、あの子に負担をかけずに例えば…探知した銀河座標を出したり、危険予知をしたりできるのじゃないかしら、って…」
だから、私が一緒に科学局へ行くことが条件なのよ?
「あなたが許して下されば、すぐにでも協力できるわ」
大介は躊躇いがちに、しかし少し嬉しそうに話すテレサを見つめた。
君が……、君とみゆきが一緒に?
…ばかな。
大介は両手に持った品物を、そのまま、……床に落とした。
柔らかい音と鈍い音を交互に立てて、官給品が足元に散らばる。
「島さん」
「……そんなことはいい」
落した官給品の代わりに、大介はテレサを両腕に強く抱きすくめた。
「…最初の頃。もしかしたら、また任務に戻ることもあるかもしれない、って…思ったのは確かだ。だけど…今はもう…、俺は軍に戻るつもりはない」
「島さん…、でも」
「…全部、返還して来よう。余計な心配をさせた。…俺が悪かった」
床に落ちたプラチナコーティングの識別票に、窓から差し込むアクエリアスの青い光が鈍く反射する。
「違うの。……聴いて?」
「もういい」
「……ね、しまさ」
「いいんだ!!」
俺は、君と一緒に居る時間が、一秒でも惜しい。それがどうしてわからない……?
「……あなた…」
自分を抱き竦める腕の強さに、胸の奥がじんと震える。
お前さんは、まだ…島に甘え足りないんじゃよ。
自分をもっと、信じてごらん。愛していると言った島を、信じてごらん。
うんと甘えたなら、言えるじゃろ。
……いってらっしゃい、とな。
テレサは、佐渡が以前に自分に言った言葉を思い出す。
「……島さん……」
今ならもう、言えるのだろう、と思う。どうぞ行ってらっしゃいと。そればかりではなく、自分が彼の任務を支えることが出来るのなら、それほど嬉しいことはない。愛しているわ、と言いかけて、それしか言えないことがもどかしい、と思った。伝えきれない、その一言では…とても。
——2人が互いに唇を重ねようとしたその時。
突然階下で足を踏み外すような大きな物音がした。
「兄貴っ!!」
蒼白な顔で2階へ駆け上って来たのは、次郎だった。そのただならぬ様子に、何事かと思った刹那。次郎の口から出た言葉に、テレサも大介も声を失った——
「……雪さんが…!雪さんの第一次移民船団が、消息を絶った……!!」
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