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「そう…、今度はあなたが乗るの…。大介がやっと…ヤマトから降りたと思ったのに」
言われるだろうとは思っていた。にしても、母さん。
そんなに打ちひしがれた顔、……しなくたって。
しばらくぶりに帰宅した家の中は、驚くほど整然としていた。移住に備え、父母は家具や高級な調度品——絵や花瓶やサイドボードなどを、あらかた売ってしまっていたからだ。持参できる財産は、各家庭でここまで、と決められているごく限られたものだけだった。
リビングには、母のグランドピアノがぽつんと残っていた。さすがにこれは、母も売り飛ばすのを躊躇したと見える。ブラックホールが来れば跡形も無くなってしまうのは分かっていても、手放すことを思い切れなかったのだろう……。
「母さん、そんなに心配しないでよ。結局、出発は母さんたちと一緒なんだぜ? 乗る船が違うだけじゃないか…」
「でも、100%安全だとは言い切れないでしょう」
「そんなの、飛行機で外国へ行くのだって、車で通勤するのだって同じだろ?」
次郎は笑って母を安心させようとした。
こんな顔をさせるくらいなら、やっぱりよそうか……ヤマトに乗るのは。
一瞬、迷う。
確かに道中万が一戦闘が始まれば、その先頭に立つのはヤマトである。だが、自分は戦闘員ではないし、今回は過去のヤマトの旅ほど長くはない、しかも目的地には一度自らヤマトより小さな船で行っている。総合して考えれば、ずっと安全なはずだ、そもそも、古代さんと一緒なんだし。
「大丈夫だよ。今回は戦闘が予想される旅じゃないんだから…」
しかし、手放しで大船に乗ったつもりにはなれない、それもまた事実だった。
<沙羅>で帰還した古代たちが、道中に遭遇した未知の艦隊。その件が、移民の旅全体に一抹の不安を投げかけている……
謎の艦隊と遭遇し、攻撃を受けた<沙羅>は、撃破した敵艦の残骸の一部を回収して地球に持ち帰っていた。現在、それらは科学局でさらに細かく解体され、徹底分析されているが、今のところ詳細は何も判明していない。
次郎は、<沙羅>で帰還した桜井の報告で、その船体や内部隔壁に刻まれた文字のようなものが、確かにサイラム恒星系言語に非常に良く似ていることを確認した……だが、繰り返し刻まれているその文字『SUS』が一体何を意味するのか、今のところ何の糸口も掴めていないのだ。
だが、アマールの女王ならば、この奇妙な符合が何を意味するのか……知っているに違いない。
あの未知の艦隊は、<沙羅>からの通信を受けていたはずだ。地球の船であることが分かっているのに、彼らが5隻がかりで<沙羅>を襲った理由は何なのか。そして、内部に残された、不気味な液体の正体は…。
——あの謎めいた神秘的な女王から、それについて何かを聞き出せるのは自分しかいない、次郎はそう考えたのだった。
「次郎…」
一方、屈託なく笑う次男に、母の小枝子は笑い返せないでいた。
戦闘が予想されない旅…?
そんな旅が、あるわけがないわ。お兄ちゃんが一体何回、死にかけて帰って来たと思うの?お母さんが忘れるはずないでしょう…
「……大介は、行かないのね?」
小枝子は次郎にそう念を押した。うん、兄貴は別の仕事をする予定になってるんじゃない?…そう言う次男に、また母が不安そうな顔をした。「…お兄ちゃんに、ついて行ってもらうわけにはいかないのね……」
「母さん」
次郎が参ったな!!…としかめ面をした。一体、俺を何歳だと思ってるんだ。
母心、とはいえ。
だんだん苛ついて来る。いや…母さんがこんな事を言うようになったのは、歳を取った証拠なんだろうな。短く思考を巡らせ、却って哀しくなる……。それを悟られないうちに、と話題を変えた——
「ねえ?もうすぐ兄貴たちも帰って来るからさ……今晩は母さんの手料理だろ、俺楽しみにしてたんだぜ。…飯の支度、手伝おうか?」
「……次郎…」
「ヒレ肉、いい奴買ってあっただろ、冷蔵庫に?あれ使うんだろ……俺、切ってやるよ」
……ほらほら、早く。
次郎は母の背中を押して、キッチンへと向かった。
父康祐は、テレサの庭にいる。庭の小さな噴水の前で、長いこと吸わなかった煙草を、ゆっくりとふかしていた。みゆきに、といって、ぬいぐるみやらお人形やらを箱一杯、用意していた。可愛い姿を収めるのだと、三脚をつけたマルチカメラが縁側にスタンバっている……
これがきっと、この家での……地球最後の晩餐。
一家揃って顔を合わせたこの先は、一週間後に控えた移民の旅、そして遥か2万7千光年離れた惑星での新しい生活が待っている。だが、それについては正直、まだ何もイメージできない彼らだった。
この地球が無くなる。
頭では理解できても、それが本当に起きることだとは…皆、どうしても思えないのだった。
* * *
その頃……佐渡フィールドパークではちょっとした騒動が起きていた。
「……おじいちゃん、あれ、どうしたの?」
管理棟の屋上にある飼育室。ここは人工的に誕生させたばかりの動物の仔に日光浴や餌やりをするための部屋である。美雪のお気に入りの仔ライオンが、前足を挫いたというので兄弟たちから離され、ここにあるブースで治療を受けていた。外を眺めている美雪が抱いているのは、だからネコではなく、仔ライオン、なのである……
「ん?…いいんじゃよ、放っておけば」
「……マタ人数ガ増エテイマスネ。アノ人タチ、他ニスルコトナインデショウカ」
アナライザーが呆れたようにそう言った。
管理棟の屋上からは、一般見学棟の方で起きている騒ぎが見える。だが、様子を見に行っていた管理スタッフの村正から「少々目に余りますね」という報告が来たため、佐渡酒造は、自ら応えに出向いたものかどうか、と思案していた。
見学棟の外には、ちょっとした人垣が出来ている。
「シティ・セントラルの動物園、水族館、すべて閉鎖したっていうのに、ここはいつまで操業してるんですかね!?」
「公費の無駄使い、と叩かれてることについてはどう考えてるんですか!?」
一般見学棟の表門に詰めかけているのは、テレビの取材、電子ニューズ・ウィークの記者などだった。
移民に伴い、各都市のいわゆる遊興施設で動植物を扱うところは、ほとんどがすでに閉鎖していた。そればかりではなく…地球各地へ自然環境の修復のために植物や動物の胚を送って来ていた実験コロニー、動植物再生プラントなども、ほぼすべてが稼働を中止していた……かつて、島大介とテレサが居住していた水産省所有の実験コロニー<エデン>も、緊急医療船の発進基地を残してその他の部分はすでに閉鎖されていたのだった。
閉鎖…と言えば小奇麗なイメージがあるが、平たく言えば…植物園なら水や肥料を断つということであり、動物園なら主要動物を移民船に乗せる、乗せられなかったものは何らかの方法で殺処分する、ということである。500本のソメイヨシノが咲き誇る<エデン>のSAKURAプロムナードも、第一次移民船団の「植物」コンテナに積めなかった分の桜の樹は、そのまま暗く凍る宇宙空間に残された——
「佐渡館長、インタビューに答えて下さいよ!」
「顔くらい出せ!!」
「低所得層から見たら、ここの操業は無駄以外の何ものでもないんじゃないですか!事業として、すでに不必要だという声が上がっているのを、どう考えてるんですか!」
拡声器でがなり立てているのか、100メートル以上離れている一般見学棟のゲートあたりからの声が、この管理棟の屋上からもはっきりと聞こえた。
「おじいちゃん、……こわい」
美雪が怯えて佐渡の白衣の裾を掴んだ。
守と美雪は以前、保育園にまで詰めかけた、情け容赦のない報道陣の取材攻勢に晒されたことがある……その記憶が甦ったのか、美雪は泣きそうな顔で呟いた。
「大丈夫じゃ」
佐渡が美雪を宥めていると、背後の屋上出入口から声がした。
「佐渡先生、僕が追い払ってきましょうか?!」
「…あっ…パパ!」
守といっしょに、古代進が屋上へと上がって来た。美雪はライオンの仔を抱きかかえたままぱっと駆け出すと、父親の腕に飛び込む。古代は、地球へ帰還後すぐ、取るものもとりあえず子どもたちの待つ佐渡フィールド・パークへやって来たのだ。
「うんにゃ…。仕方ないわい、わしが行って来よう。アナライザー、一緒に来い」
「先生、大丈夫なの?」
守が心配そうに口を開く。
「彼らの聞きたいことに、答えてやるだけじゃよ」
佐渡は、にっこり笑って守の頭に手を乗せた。
かつて、このパークで行なっていた、莫大な公費を必要とするDNA保存事業やそのDNAから細胞への復元、動物の誕生までの作業は皆すでに中止されていた。 今、このフィールドパークで行なっているのは、今までに誕生させた動物たちの世話だけである。サバンナの動物たちの貴重な胚は、すでに第二次移民船団の「動物」コンテナへと積み込まれた。美雪が抱いている仔ライオンも含め、ここに居るのはすべて、移民計画からこぼれた、いわば連れて行けない動物たちばかりなのだった。
連れて行けない動物たちの世話をするのが、なぜ無駄なんじゃ?
佐渡の持論は、そのひと言に尽きる。
ここの動物たちの飼育費は、ワシの個人財産と、有志の職員たちの無償奉仕でまかなっている。誰にも文句は言わせん。人間たちの勝手で復活させ、要らなくなれば見捨てようとする。それが万物の霊長のすることか!人間として、動物たちに恥ずかしいとは思わんのかね?
幾度か、同じような主旨の話を記者たちにしたことはある。だが、彼らがそれを理解することはなかった。
「……古代。ここで、守と美雪と一緒に、待っていなさい」
お前さんが顔なんか出したら、まーたややこしいことになるからな。
アナライザーと一緒に、階下へ降りて行った佐渡の後ろ姿を3人は不安そうに見送った。
美雪が抱いている子ライオン…ライヤの耳の後ろを彼女がかいてやると、ライオンは猫のように喉を鳴らしている。美雪が呟いた。
「……ねえ、パパ。この子たち、地球に置いて行っちゃうって、本当…?」
「美雪」
古代は答えに詰まる。
古代自身は、ずっと宇宙暮らしだった。大地の息吹や、動物の世話などには無縁の暮らしだ。だから、それをこれほどまでに愛でる娘の気持ちが、いまひとつ理解できない。
ここへ飛んで帰って来て、息子と娘の成長に涙し、その間の出来事もほぼ聞いた……大介とテレサが、まるで実の父母のように2人を可愛がってくれたこと。ヤマトの活躍も、父の進の活躍も、子どもたちは大介からすっかり聞いたという。大介から守が教わっていたサッカーのこと、テレサと一緒に美雪が作ったバースデーケーキのこと。
だが、ヤマトやサッカーなどに興味を持って過ごしていた守とは対照的に、美雪はしばしば佐渡と一緒に飼育エリア行き、動物の世話に没頭していたという。
(……俺自身、昆虫採集は大好きだったが…)
美雪に言わせると、ちょうちょを捕まえて、背中にくぎを打って標本にするなんて、そんな残酷なことはもってのほか、だというのだ。
テレサと島がみゆきを連れて来てからは、もっぱら小さなお母さんのようにみゆきの世話を焼きたがった美雪だが、実はそれも動物の世話の延長に過ぎない、ということは皆が知っていた。
「美雪ちゃんは、動物の気持ちが分かるんですね」
テレサもそう言っていた。
もの言わぬ赤ん坊や動物たちと、気持ちを通わせることの得意な子……
フィールドパークで生まれた、ライオン、チーターといった肉食動物ばかりでなく、管理棟の飼育施設にいる雌牛やヤギ、ヒツジ、ロバやニワトリ、ウサギやモルモット…など、それらすべてに美雪は名前をつけて可愛がり、動物たちの方でも明らかに美雪を慕っているのが分かる。また、通常なら小さな子どもが嫌いなはずの老猫なども、美雪には何の警戒もせずすり寄って行くのだった。
そんなわけだったから、第一次移民船団の出発が明確になり、ここ以外の動植物関連施設が閉鎖されるにあたって流れて来る噂に、美雪は小さな胸を痛めていたのだ。
『移民船に乗れるのは、人間だけ。選ばれた動物以外は、みんな地球に置いて行かれる』
——置いて行かれる動物たちは、互いに食い合ったり物を破壊したりしないように、安楽死処分にされる。
美雪にとっては、母や父が人類の救済という大きな使命を果たしているのはごく当たり前のことで、大人たちの最重要関心事である「移民」に付いては当然何も心配してはいない…… 美雪の目下の心配事は、このフィールドパークで数年を共に過ごした友達が、無事に一緒に船に乗れるかどうかだけなのだ。
古代は溜め息を吐いた。
「……なあ、美雪。もしかしたら、全部の動物たちは連れて行けないのかもしれないよ。お父さんも、ライヤくらいはどうにか出来ないか、真田さんに相談してみよう。でも…」
美雪が「そんな」という目で自分を見上げたので、古代はハッとした。
「……置いて行くなんて、やだよ」
大きな瞳に、見る間に涙が溢れた。美雪に抱かれている仔ライオンが、みゃう、と啼き声を立てる……
まさかパパが、古代進が、そんなことを言うなんて。
美雪の目はそう言っていた。
「パパは、ヤマトでみんなを助けてくれるんでしょ?そのために帰って来たんでしょ?……地球に置いて行ったら、ブラックホールが来て、みんな死んじゃうんだよ?」
「……美雪」
「ライヤだけなんて駄目だよ…パパは、みんな死んじゃうって分かってるのに、置いて行けるの?…みんな、…美雪の友達なんだよ?」
「美雪…」
ヤマトは確かに、今まで何度も人類を窮地から救った…だけどそれは。
美雪が大事に抱えている仔ライオンも、今は赤ん坊だから大人しいが、肉食獣であってペットではない。友達になんか、なり得ない。いくらヤマトだって動物までは……
だが目を潤ませて抗議している幼い娘に、これをどう説明したらわかってもらえるのだろう…?
「……美雪。我が儘言うなよ。しょうがないだろ……人間を移住させるだけでも大変なんだ。動物より、人間の方が大事だろ」
兄の守が、絶句した父親に変わって妹を宥めにかかる。
すると、美雪は一層声を荒げた……
「…人間の方が動物より大事って、誰が決めたの?人間だけが助かればいいの!?……そんなの、変じゃない!!」
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