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なにか事情があるのだと察した武藤医師が「ここなら邪魔は入らないから」と明けてくれた消毒室。
そんな必要ありません、と突っぱねて逃げようとした上月ユイは、武藤に怖い顔をされてやむなくそこへやって来た……
(……上月さんあなた、身元引受人の証書、出していませんね?乗船を認めたのは軽率だったかしら?大村さんなら身元引受人として申し分ないでしょう、どういう事情か知らないけど、彼が話をしたがってるんだからきちんとしていらっしゃい!)
「……ユイちゃん」
上官権限で看護師の彼女を呼び付ける…という、実に無粋な方法しか取れない自分に、大村は心底嫌気が差している。しかも、逃げ場のないこんな狭いシャワールームのような消毒室で。
……俺は一体彼女に何を問い正そうっていうんだ……。
「……絆創膏でしょ」
目の前のユイが、ポケットから絆創膏を取りだし、はい、と大村に向かって突き出した。
それには手を出さず、大村はユイの顔をじっと見つめた……ユイは顔を上げようとしない。
「どうして君がここに居るんだ」
どうして俺は、優しい言葉一つかけられないんだろう。
そう自分にうんざりしつつ、筋を通さなくてはならないと焦るもう一人の自分が、勝手に喋ってしまう——
「……答えなさい」
ああ、また。
これだから、オヤジは、って言われるんだ。上から目線、偉そうな言い草。なのに…肝心なことは何も言えないときた……
態度を改めよう、と咳払いをする。「…いや、その。どうして<沙羅>に乗ってるんだい?病院は辞めて来たのか…?家はどうしたんだ。急にいなくなったら、心配する人がいるんじゃないのか?」
精一杯、優しく問い掛けた。
「……引き継ぎは、ちゃんとしたもの」
「何のために従軍することになったんだ?」
一番訊きたいのはそれだった。俺を、追って来てくれたのか、それとも……
「あ…あたし」
ユイは初めて、上目遣いにちらっと大村の顔を見上げた……その瞳にドキリとする。
「……古代さんが心配で…」
………え
前のめりに、(も、もしや俺を追って来てくれたのかい)と聞きかける寸前だった大村は、一瞬で階段を転げ落ちたような気分になった……古代さん?古代さんが心配で、って言ったのか…?
「古代さんを……」
「………」
ああ、まったく勘違いもいいところだ……
ということは、ユイちゃんは…最後に俺が、<ルーア>の中央病院へ置いて来た手紙は読んでいないんだな。
飾り気のない茶封筒には、はっきりと「君が好きだった」と書いた手紙を入れて来たつもりだった。急な出航だったから、彼女がその手紙を受け取る前に<沙羅>に乗船したとしても不思議ではない。
ははは、考えてみりゃ当たり前だよな。
こんな、古代さんに較べたらはるかにジジむさいオヤジを、彼女みたいな若くて奇麗な子が好いてくれるわけが——
「……そうか」
ふう………と、長い溜め息を吐いた。
消毒室の床は照明を反射する艶やかなステンレス製だった。俯いた自分のいかつい額までがその床に映っているような気がして、大村は顔を上げる。
「……わかった。でもな、古代さんはもう大丈夫だ。地球には…奥さんとお子さんも待っているしな」
付け足したのは、未練。
古代さんには、奥さんがいるんだぞ、子どもも居るんだぞ、君の付け入る隙はないぞ。
……ああ、なんて未練がましいんだ……
そう思ったが、半分は他意のない老婆心である……妻子のある男を好きになっては、君の人生が無駄になる。君のためを思って言うが、古代さんは駄目だ、…とそういうつもりだった。
「……相変わらず、保護者気取りなんだから」
「…あ?」
ユイはぷっ、と吹き出し、ポケットから茶封筒を取り出した。
「……あ」
それは……
「こんな手紙、置いてったくせに」
あたしが古代さんを心配だ、って言ったら、速攻で引き下がっちゃうなんて。
「あたし、古代さんなんか好きじゃないわ。看護師としてあの人の身体は心配だけど、それだけよ」
「……ユイちゃん」
ユイは、真っ赤になった頬をキッと上げた。「……手紙に書いてあったことは、ウソなの?」
自分が書いた手紙の文面を思い出して、首から頬から額や耳にいたるまで、熱くなるのがわかった。お別れだと思ったから。想いのすべてを託したつもりだったのだ……——
——ユイちゃん、俺は君が好きだった。
宇宙へ出れば、2度と逢えなくなるかもしれない。
もしも、再び会うことが出来たなら…君を心から抱きしめたい。
迷惑でなければ、…どうか俺を忘れないでいて欲しい……
「だ……ばっ、だって…あれは…」
古代さんと参加する、前代未聞のプロジェクト。そう思ったから。おそらく二度と逢えないかもしれないと、そう思ったから、思い切って書いたんであって、ま、まさかこんなにすぐに逢えるなんて、その、……!!
「…馬鹿!!」
そう言って、先に手を出したのはユイだった。頬を叩かれるかと思ったら。
背伸びしても、自分の肩の辺りまでにしかならない背丈の彼女が、飛びつくようにして首にしっかり抱きついてきた。「……ユイちゃん…!!」
君を、心から抱きしめたい。
その気持ちは偽りではなかった…図々しいと、そうまだ心のどこかで思いながら。…そっと彼女の背に手を回す。
「い…いいのかい…?」
こんな俺なんかで…?
「うるさい、馬鹿なこと聞かないでよ…」
「ば…馬鹿って」
大村の肩の辺りに顔を押し付けた彼女の声は、涙声だった。
狭い消毒室は、気恥ずかしいくらい明るい照明で隅々まで照らされていた。浅葱色の壁のタイルも奇麗に磨かれているから、抱き合う自分たちの姿がその一つ一つに映り込んでいる……
(本当に?)
そう聞きたかったが、また馬鹿、と言われるだろうと思い。
大村は、目を瞑ってユイの身体をぎゅっと抱きしめた——。
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(13)