RESOLUTION 第8章(10)

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「……で?だからぁ、なんで突然艦内重力が小さくなったわけよ??」
 食堂のテーブルで、小林が木下にそう詰め寄っていた。

 なんでも、車輪止めで固定していなかった小林の愛機は数十センチ横ずれし、ワイヤー一本で繋がれただけの状態で風船よろしく漂ってしまったらしく。そこへ桜井が小惑星を避けるために船体を傾けた。小林のパルサーは結果的に翼を壁に打ち付けて停止したが、おかげで翼端灯がひとつ破損した、どうしてくれんだよ、と言うことらしい……

「俺に当たるなよ〜、文句なら、古代さんに言ってくれ」
 木下の言い分ももっともである。
「これから、無人機動艦の特殊戦闘機動をこの艦でも行えるようにするんだと」
「無人機動艦の?……無茶苦茶だな。<沙羅>は有人艦だぞ!」
 ああ、俺もそう思うよ……、小林の声に木下も肩を竦めた。

 艦内の至る所に追加の固定工事を施して回った木下たち工作班にとっても、寝耳に水、のとばっちりだった。だが、工作班がそれをしなけりゃ、艦内はジューサーミキサーだよ。もうグチャグチャになるだろ。
「特殊機動…って言ったら、高速回頭とか上下回転だろ?……遊園地にあるよな、そういう乗り物……」
 おえ〜、苦手なんだよな、あれ…と中西が呻いた。
「ああ。そう思ってた方がいいな。だから、訓練に入る前に艦内を全部固定する、その確認のために一度7.5まで重力を下げたんだ。私物も何もかも、動かないようにしろって言うのはそういうこった」

 艦内重力が7.5に設定されてから、もう2時間が経っていた。クルーたちは、次第に低重力での動作に慣れて来ている。厨房や給排水担当のクルーたちも、ぶつくさ言いつつも工夫を重ね、艦がいつ急回転しても対応できるよう細かな物までを固定するかホルダーに収めるかしていた。 
 しかしまだこれは「通常と異なる状況下での生活訓練」に近い。これがさらに軍事教練の域に入ると、<沙羅>の限界速度いっぱいでの回転機動や転覆機動が待っている、とそういうわけなのだ。


「…まあ古代さんのやることだったら、仕方ねえけどよ」
 小林が口を尖らせてぶつくさ言った。けど、こんな教練、思いつくのもやってんのも、古代さんと俺たちだけだぜ……
「あの人って、昔、“鬼の古代”って言われてたらしいしな」
「昔の話だろ?もう歳なんだから丸くなってくれりゃいいのに」
 中西が肩をすぼめてそう言ったが、小林はへへへ、とそれを鼻で笑った。お前、もう音ぇ上げてんの?
 注意深く蓋付きの皿からサンドイッチを掴み出し、もぐっと頬張りながら続ける…
「けどよ……、この訓練は、だから何のためなのよ…?俺は、それがわからねえんだな」

 こんな特殊な機動が必要なほどの、どんなエマージェンシーが発生するって言うのさ?
 どこかから、敵が襲って来るとでも?
 

 桜井は自らもサンドイッチに齧りつきながら、訝る僚友たちを見回した。

 真田長官の顔を思い出す……

『あのブラックホールは、自然現象だ。人為的な匂いは欠片もしない。まるで太陽系と地球を狙っているかのような進路を考えると、そう判断できなくなる気持ちは理解できるが、「あれが敵襲である」という証明は…今のところ不可能なのだ——』

(でも、真田長官はそう言いながら……ヤマトを大改造した。俺たちを選び、前代未聞のプロジェクトへ投入した……)


「敵襲を……想定してるのかもしれないぜ、本当に」
 桜井の脳裏を覗いてでもいたかのように、隣で天馬が呟いた。
「敵襲を想定して、有人艦としては異例の機動訓練をするってことだろう。真田長官も言ってたじゃないか。あのブラックホールが敵襲だと言う証明は出来ない、だけど、…敵襲ではないと言う証明も出来ないんだ、って」

 ——古代さんも、同じように考えてるんじゃないのか…?

 その天馬の問いに答えられる者は、今のところ一人もいなかった。


 敵襲。
 彼らの世代は、その言葉に馴染みが薄い。

 最後に未知の異星人からの侵略が行われたのが、西暦2203年、ディンギル戦役でのことである。それももう、今から16年も前のことだった。
 ここにいるクルーたちは、正直な話、宇宙空間での実戦自体を体験したことがなかった。

「まあ、なんだか知らんが、とにかく俺たちは従うしかないさ。全員、自室の整頓は大丈夫か?今のうちに、液体や尖った物は細かく回収して来た方が良いぜ……」
 木下がそう言うのと同時に、小林が再び「あ」と言って立ち上がる。食べかけのラーメンか何かを出しっ放しで忘れていた、といった顔だ。
 桜井も、ふと不安になった……もう一度、自室を見て来よう。この後、急速回頭訓練、なんて始まったらぐちゃぐちゃになりそうな物が、デスクの上にまだありそうだったからだ。

 ……あーあ。


 舌打ちして食堂を後にする。小林と前後して居住区に走った。
 走るとは言っても、動いているベルトウェイの上を大股で飛んで走る要領だ。
(これは筋力維持の運動が欠かせないぞ……)
 やれやれ。

 ところが、突然前を走る小林がエレベーターの手前で壁に手をついて無理矢理立ち止まったので、桜井はその背中に追突しそうになった。重力が小さいので、それこそ急には止まれないのだ。
「やい、危ないじゃないか!!」
「…なあ、あれ、なんだ?」
 小林が指差したのは、居住区の手前のホールから見える、船外後部の漆黒、であった。
「は?」
 何にも見えないじゃんか。なに寝ぼけてるんだよ……。
桜井はチっと舌打ちする。
「…いや、後ろからなんか来るぜ。…船かな…?流星か?」
 言われて再度目を凝らすと、なるほど遥か遠くの漆黒の闇の中に、何かが点滅しているのが見えた。

 ——途端。

<全艦、警戒態勢!本艦の右舷後方1800宇宙キロに、アンノウン発見!総員、至急持ち場に戻れ!>
 郷田のうわずった声が通路に響いた。
「ほらな…なんか来るぜ?」

 そう言っている間に、船外に見えていたその光点がにわかに大きくなり。それが信じ難い早さで接近していることに2人は気付いた。だが……
 光点が点でなくなり、視界いっぱいに広がったかと思ったその刹那。

 ドオオオォォーー………ン………


 激烈な震動と光芒に、桜井も小林も目が眩み…気付くと2人、折り重なってベルトウェイの隅に転がっていた。
「な、なんだ……!?」
 何が起きた…?!
 桜井は小林の下から這い出し、目を瞬いた。通路の赤色非常灯がことごとく点灯している。けたたましく鳴り響くエマージェンシーコール、ベルトウェイはたちまち慌てふためく隊員たちで溢れ返った……
<小林、桜井!どこにいる!?大至急持ち場に戻れっ>
 山崎艦長が艦内放送で騒ぎに負けじとがなり立てていた。


「…状況を報告しろ」
 這々の体で桜井と小林が第一艦橋に戻ると、古代が上条と郷田にそう命じているところだった。
「右舷艦尾に軽度の損傷!火災の発生は認められず!」
(しまった)と桜井は焦る。
 緊急時には戦闘レーダーを担当するべき自分が、よりによって席をはずしていたなんて。

「桜井、戻りましたっ」

 戦闘レーダー席に飛びかかるようにして辿りつき、肩越しに背後を振り返る。操縦席には小林が当然のような顔をして滑り込んだ……あいつ。さっき俺が苦労して設定し直したのに。小林が航法コンソールをいじっているのを目にし、桜井はギリッと歯がみした。
 先に戻っていた木下が、観測結果を読み上げる。

「先ほどの衝撃は、右舷後方のアンノウンから発射されたエネルギー弾と推測されます!」
「敵襲ですかっ?!」
「判らん」
 古代の言葉を聞きながら、クソ、と歯の間から空気を吐き出し、桜井は少し遅れて分析を開始した。
「アンノウンの位置が出ました!……距離、ええと…1250宇宙キロ、方位、NW336、水平角…20」
「遅い」
 古代が低い声で唸る。「光弾の種類は!」
「……わかりません!」
「船籍は判るか!?相手の速度は」

 クソッ……
 桜井は矢継ぎ早に投げかけられる問いにまるで満足に答えられない自分に苛立ち始めた。これでも精一杯やってる、俺は元々軍隊じゃない、民間のパイロットなんだ。…だが、もうそんな言い訳は通用しないことも、重々承知している。

「船籍は不明!艦影……戦艦クラスが5!相対速度は、……約150宇宙ノット、後方4時35分から本艦へ真っ直ぐ向かってきます!」
 山崎が怒鳴った。
「小林、回避準備!」
「了解っ」
「全砲塔、および波動砲発射スタンバイ!」
 郷田の声に応えトリガー(発射装置)をコンソール前面にポップアップさせた上条に、古代が叫んだ。「郷田、上条、待て!まだ撃つな!中西、交信を試みろ!」
「アンノウン、また撃ってきますっ!」
 桜井は、向かって来る艦の前部からまたもや光弾が発射されたのを確認し、どうしようもなく戦慄する。だが、驚くほど落ち着いた声で古代はそれに答えた……

「狼狽えるな、桜井!」

 弾着までまだ間がある。
 小林、回避用意! 第二艦橋、敵艦のフォルムを撮影、分析しろ!中西は交信を続けてくれ。

 小林が「うおぉっ」と唸りながら、さらに艦体を捻った…左右の傾斜は70度近い。

 <沙羅>の艦体の半分ほどもある光芒が数本、右舷すれすれのところをかすめて行った。ビリビリと震動する艦橋キャノピー——
「うあぁぁっ」
 桜井は我知らず呻いてしまう……あんなのが当たったら、きっと死んだことにも気がつかない!
 光弾に続いて、その光芒に照らされた赤い船体が5つ、射るような早さで<沙羅>を追い越して行った。

「中西、相手からの返答はないか!?」
 古代がなおも問い掛ける。出来ることなら、戦闘は避けて話し合いを。彼がそう思っているのが見てとれた。
「応答、ありませんっ」
「第二艦橋、分析は」
<…フォルムによる分析…当該船籍、なし!未知の相手ですっ>

 その報告に、古代は艦長席の山崎を見上げる。
「山崎艦長…!」
 未知の艦隊。しかし、明らかに敵意を感じる行動。ここで反撃するべきか。とすれば、これは一体何を意味するのか……

「…もう2回も攻撃を受けている。威嚇ではなく、交戦の意志があると判断できる。応答も無しだ。…銀河系平和条約に反する行為です。反撃もやむを得んでしょう」
 山崎の声に、古代は苦い顔で頷いた。
「……郷田、第1第2主砲スタンバイ!」
「主砲発射用意!」

「敵艦、反転してきますっ!方位NE18、上下角プラス3度!…相対速度、200宇宙ノット!」
 速度計を睨みつけ、桜井が怒鳴る。「正面から突っ込んで来るぞ!艦影、5隻直列!!」

「速過ぎる…!やつら、ぶつける気かっ…!!」
 上条がターゲットスコープを凝視したまま小さく叫んだ……
 古代がその背中に待ったをかける。「上条、まだだ!もっと引きつけろ。…桜井!」
「はいっ」
「接触までのカウントダウンを取れ!回避後、真後ろから砲撃する。小林、上下に回頭反転出来るか?!」
「じょっ」上下にぃ?!
 思わず振り向きそうになった小林に、古代が怒鳴った。「馬鹿!よそ見するな!出来るか出来ないか、どっちだ!」
「…やりますっ」
「桜井、カウントダウンはどうした!」
「は…はいっ…接触まで…19秒!…18…」

 古代は前方を凝視しつつ、艦内マイクに向かってごく冷静に声を上げた……

「本艦は10秒後に180度上下回転機動に移る。…総員、何かに掴まれ!これは実戦だ。訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない!」
「…9…8…7…6…」
「接触します…っ!!」
「小林、反重力スタビライザー・スイッチオフ、機関、逆噴射出力80%!」

「上下反転、180度!」

  小林が操縦桿を思い切り手前に引いた。

 まったく無重力とは言えない艦内が、ぐるりと高速で上下に回る……
 シートベルトをしていても、その遠心力に吐き気がしそうだ。
「回転停止!姿勢制御っ

「りょうくぁいぃっ」
 食いしばった歯の間から、小林が叫ぶ。<沙羅>の巨体が逆さに反転したまま、ぴたりと停止した……

 その瞬間。

 誰もが艦橋キャノピーの頭上至近距離に、迸る稲妻のように通過する敵艦隊を見た。赤い船体、並んだ銃眼、船…というには歪な、角張ったフォルム。まるで意志など持たないかのように連なって突進するその様は、おどろおどろしくさえあった……

「今だ…主砲発射!」
「第1第2主砲、発射…!」

 直列通過した赤い戦艦5隻の船体中央を、<沙羅>の主砲が背後から追いすがるようにして撃ち抜いた——



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