RESOLUTION 第8章(4)

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 むくつけき貨物船乗りが集う<一杯飲み屋>の奥手にある、小さなジム。

 ……とはいっても、ジムとは名ばかりで、不揃いのバーベルやら旧式の筋力トレーニングマシンが置かれているだけの空間である。ジムなのか、娯楽場なのか区別がつきにくいことには、片隅には玉突き台とダーツの的まであるからだった。その隣には、ちょっとした射撃場もある。

 今夜の客は、専らそっちの射撃場を覗きに来ている連中だった。

「……1500コスモユーロ賭けるぜ」
「俺は1800」
「俺はあいつが外す方に2000だ」

 射撃場は強化クリスタル製の防音窓に仕切られていて、玉突き台のあたりからも射撃の練習をしている様子を観ることが出来る。
 この2・3日、この連中にはまたとない娯楽が出来た。あるヒゲモジャの男の射撃の腕を、賭け事のダシにして儲けること、である……

「撃つぞ……!」
 シンとする。
 
 ヒゲの男が使っているコスモガンは、旧式の“スカルドラグーン”。もう10年以上も前に、防衛軍が第一種Aランクシューター専用に採用していた、「重くて扱いが難しい典型的な」銃である。現在普及している、誰が使ってもそこそこの命中率を上げる軽量タイプのバーニングコルトll、ではなかった。しかもヒゲの男は、驚いたことに普通ならツーハンド(両手持ち)で撃つべき重量級スカルドラグーンをワンハンドで(つまり片手で)撃っていた。また、こちらから見る限りでは、彼の利き手がどちらなのかすらわからなかった……その男の、射撃の精度もリカバリーの速度も左右同程度であることに、男たちは驚きを隠せない。

「ほらみろ、言っただろ」
「……くそ〜、嘘だろ。あのクソ重い旧式で、なんであんなに当たるんだ、アイツ」
「昔、軍にいたらしいぜ。怪我してここに流れて来たって話だ。ドックに防衛軍が来てるだろ、一隻、でかいの。…あれに乗るってんで、このところここで“鍛え直してる”んだってよ」
「ふうん…」どうでもいいけど、すげえな…

 ヒゲの男は、賭け事のダシにされているとは露知らず、さらにコスモガンの連射に入る。ホログラムのレーザーを使ったシミュレーターモードにシフト。アマチュア用のシミュレーションマシーンだから、それほどハードなプログラムは搭載されていない。だが、軍採用のそれと同様、見えない相手がランダムに撃ち返して来る………無論、程度としては遊びの範疇ではあった。だが、装着したセンサー付きのスーツには、相手からの弾丸を受ければその部位、また弾着の強さに応じてダメージスコアが出るようになっている。
 
「…まだ賭けるか?」
「お…おう」
 じゃ、俺は…ダメージ5以内、に1000。
 ……俺は……1500、ダメージ3以内に1500だ。
「ノーダメージ、に2000」
「それは無いんじゃないか?」いくらアマチュアのシミュレーターでも、相手の弾丸一発も喰らわない、なんて事は。軍のシミュレーターに較べりゃ生温いだろうけど。…だが、一説によると民間娯楽用のシミュの方が難しい、って噂もあるぜ?

 だが、彼がノーダメージでこのステージを切り抜ける、に2000コスモユーロ賭けた男が、結局一番儲けてしまうはめになり。男たちはただただ驚愕の眼差しをそのヒゲの男に向けることになったのである——。



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「……随分熱心に練習していらしたようですな、……古代さん」
 ぐっしょり汗に濡れたランニングを無造作に脱ぎ捨てていると、背後から声がかかった。
「ああ、大村さん」

 いやあ、くたくたですよ…、あれっぽっちで情けない。

 古代はそう言いながら額や首筋に流れる汗を、もう一度タオルでごしっと拭いた。トレーニングジムの粗末な更衣室。古代が掛けている安物の合成レザーの長椅子も、ところどころ破れて中綿が飛び出している。
 大村は古代の隣にどっかと腰掛け、バッグから何やら取り出した……

「<沙羅>の出発までに、あと2日しか無いそうです。……で、これをあの船の艦長から預かってきました」
「……何ですか?」
 バスタオルを肩に引っかけ、シャワー室に向かおうとした古代に大村が手渡したのは、分厚い書類。
「……スーパーアンドロメダ<沙羅>、設計図……および」…操作マニュアルです。
「古代さんが地球を出てこられて以降に、就航したらしいですな、あの型のアンドロメダは」
「つまり、…最新型、というわけですね。……乗る前に、
艦を知っておけ、と?」
 汗をタオルで拭いながら、パラパラと書類をめくる。…厚みはちょっとした辞書ほどもあるだろうか…… 
「……わかりました」
 ふうと溜め息。
 でもちょっと待っててくれますか?シャワー、使ってしまいますから……
 古代はにこっと笑うと、マニュアルを大村の手に返し、さっさと小さなシャワー室へと入って行った。


「……私も一通り見ただけですが、…この新型はなかなか手強いですな」
 シャワー室からなかなか出て来ない古代を待ちきれない、とでもいうように、大村は声を大きくして話し始めた。

 水音はさっきから止んでいる。しかし、古代は薄い仕切りの向こうからまだ出て来ない……辞書のような分厚いマニュアルを繰りながら、大村は眉根を寄せた。この設計図とマニュアルに、2日で全部目を通せと…?

「設計理念から大幅に変更されていますよ……2200年の初期型とは雲泥の差です。……2205年に竣工した改良型は初期型と大差なかった。ですがこれは…。若い者は順応性が高いから、どうとでもなるでしょうが、我々には…」
「大村さん」
 シャワー室の手前にあるはずの洗面台の辺りから、古代の声がした。
「…は?」
「大丈夫ですよ。どんなに理念が変わろうと新しい物に変わろうと、機械は人の使う物です」
「…え?」
 設計図を見もせず古代がそう言ったので、大村は目を瞬いて顔を上げる。
「…こっ…古代さん…!!」
「あのままじゃ人相が悪過ぎますからね…」

 照れくさそうにシャワー室から出て来た古代の顔からは、あのもっさりした髭は奇麗に消えていた。
「…ヒゲ、剃っておられたんですか!」
「おかしいですか?」
「いえ。……5歳は若返りましたよ」
「あはは…」
 大村は、声を上げて笑ったその顔を、しげしげと眺める。

 ……この顔。
 左頬の傷痕がまだ少し目立つが……

 古代進。伝説の艦ヤマトの艦長として名の知られた、これがあの彼の顔だった。 


 

 ラフな木綿のスウェットスーツに着替えた古代は、ロッカーからショルダーバッグを取り出し、タオルやら脱いだ服やらを無造作に突っ込むと肩に背負った。
「あっちで何か飲みませんか」
「あ、はあ…」

 大村は、焦る様子など微塵も見せず、すたすたと前を歩いて行く古代進に少々不安を覚えた。あの新型巡洋艦のマニュアルの厚み、そしてそんなものを見る時間すらも無いこの状況で。なんでそんなに落ち着いていられるんだろう…
 だが、ハッ…と思い出した。
 <ゆき>で彼を交え、最初の航海に出た時のことである……

 新入りの航海士として搭乗した、この自分より8つも若い男は、ろくにマニュアルなどの下調べもせず貨物船<ゆき>の内部を一通り見回っただけで、あの船の重力アンカーの位置、発射角限界値、発射速度や反動衝撃数値などを「理解した」。 
 そして、誰もがパニック状態に陥った一瞬に、迫り来る巨大宇宙塵塊をアンカーの直撃で破壊したのだった——しかも。乗組員のうち「その発射の方法を古代に教えた者は誰もいなかった」にもかかわらず……。

 どんなに理念が変わろうと、機械は人の使うもの。

 ——だから、マニュアルなどに頼らずとも、動かせます……そう言った古代の態度は、自信にみなぎっている風にも見えなかった。なのに、彼が自分の進むべき道に何も不安を感じていないように見えるのは、なぜなのだろう……?

 
「うわあ、なんだこりゃ」
 バーのカウンターで冷たいレモンティーを注文し、それをぐいっと一息に飲み干して。古代はそう声を上げた……改めて分厚いマニュアルを手に、である。
「……こんなのを、2日で読めっていうんですか」
 無茶だよそんなの……
 肩をすくめ、マニュアルをパタンと閉じた古代に、大村は我知らずほっとする。
「……そう思いますか、古代さんも?」
「当たり前ですよ、こんなの…」
 ふざけてもらっちゃ困ります。
 そう言うと、古代はさっと腰を上げた。「……見に行きませんか、<沙羅>を」
「は?!」
「直接見に行っちゃいましょう。こんな設計図見てたって、埒があかない」
「し、しかし…」

 伝説のヤマト艦長・古代進、堂々の凱旋。

 大村自身もそうだったが、多分…<沙羅>の艦長も医官の武藤も、おそらくそういう心積もりでいるはずだ。なのに、ぶらりとその格好で行くんですか?!
 大村の呆れ返った視線に気付いて、古代は自分の格好を見下ろした……ただのスウェットスーツである。
「あはは」
 まあ、これじゃあ拙いでしょうから——。

 そう言って、大村のコンドミニアムまで戻った彼が、私物入れの奥から取り出したのは。

 ——幾分くたびれてはいたが、白地に赤い矢印のついたセラミックファイバー皮革製の、……ヤマト戦闘班の艦内服、であった。


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