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その晩。
結局。みんなして風邪っぴきという状態なため、一家団欒、の夕飯にはならなかった島家であるが、ともかくテレサの新作【茶碗蒸し】の評判はことのほか良かった。しかし。父康祐に「美味しかったよ」と褒められても、小枝子に「上出来だわ」とお墨付きをもらっても、テレサの顔は晴れなかった。
正直、次郎からしてみれば今回の茶碗蒸しも「まあまあ」でしかなかったのだが、それにしても彼女にしては上手な方だったから、これを(イレギュラーにしろ、帰宅した)兄貴に、食べて欲しいだろうというのは想像がつく。
「……腹が減ったら自分で降りて来るよ。だから今は放っておきなよ」
大体、熱が高いと食べ物の味って微妙だろ。兄貴には、また作ってやればいいじゃん……
「そうじゃありません…」
茶碗蒸しのことじゃないんです。
テレサは、大介を心底心配しているのだった。
「大丈夫だって、たかがインフルエンザなんだから」
「……でも…」
「それより、テレサに感染る方が問題だよ」
* * *
島さんが帰って来てるのに。
ここで、一人で眠らなくてはいけないなんて………
今夜はテレサはあっちでおやすみなさいね、と小枝子にも言い渡され。テレサは一人、新居の2階の寝室へ戻って来ていた。
ベッドから立って、窓の外を見る。
母屋のつま側に立つ新居の寝室の窓からは、ちょっと身を乗り出さないとあっちの2階の部屋の明かりが灯いているかどうかはわからない……
次郎の部屋からは、明かりが漏れている。けれど、隣の彼の部屋は…真っ暗。テレサが見ているうちに、次郎の部屋の明かりも消えた。
「…………」
午前1時。
眠った方が、良いに決まっている。
インフルエンザ。さっき、ウエッブで調べたかぎりでは、発症してから48時間以内に特効薬を処方すれば半日で収まるものだと出ていた。……なのに、島さんの様子はもっと悪そうだった……
48時間を過ぎてから特効薬を処方した場合は、ある程度の悪化が見込まれる、そうも書いてあった。
「……島さん」
いやよ……
あなたにもしものことがあったら、私………!!
*
ふと目が覚めた。幸い、頭痛は消えていたが、まだ嫌な寒気が残っている……参ったなあ、これからまだ熱が上がるんだろうか…。
(……今何時だろう…)
さっき、泣きそうなテレサの顔を見てしまったせいか、夢の中にも彼女が出て来て「大丈夫ですか?!」と何度も言われた。大丈夫、大丈夫。笑ってそう答えるが、テレサは涙を目にいっぱい溜めていた…。
(…まったく、心配性なんだから…)
布団から右腕を出して、腕時計を見る。……午前1時か。
水もそれほど欲しくなかったし、だからトイレにも行こうと言う気にならなかった。覚悟を決めて、また眠ろう、と身体の向きを変える。……再び眠りに落ちた大介は、背後でドアの開く音には気付かなかった。
(………島さん…)
いやだわ、なんだか泥棒みたい。
でも、心配で心配で、死にそうだったんだもの……
そう自分に言い訳しながら、テレサは大介のベッドにそっと近寄り枕元に膝をついた。
吐息が短く、荒い。
熱が…高い、って言っていたわ……
身震いした。思い出したのは、もう随分昔のことだったが……
テレザリアムで救助したこの人が、大量に失血していた時のこと、である。
失血が多いと、体温が上がる。僅かな血液で心臓が全身に酸素を送ろうとオーバーワークするためである。だが、今の彼の場合は違った……——病原菌、ウィルスのせいだ。
頭では分かっていたが、テレサは胸の動悸を抑え切れなくなっていた。特効薬は、処方されているはず。後は、これが収まるまで、じっと待つしかないのでしょうね。分かってる。分かってるんだけど……。
「……島さん……」
——感染ったら拙いからね。この病気を引き起こすウィルスは、君の身体にもきっと影響を及ぼすだろうし、その上…君のための薬は無いんだから。
そうは言われていても。抑えきれなかった。
* * *
大介は、また…夢を見ていた。
夢だ、と自分で分かっている、そんな夢だ。
(あれ……ここは)
碧い壁、碧い床。天井には、つぶつぶの発光体が寄り集まったような、不思議な球体がぶら下がっていて、そこから柔らかな光が落ちてきている……ここ、来たことがある…見覚えがあるぞ。
——テレザリアム………?
あはは、夢にしても良く出来てるな……俺の記憶力、流石、すごい。
そんな風に自画自賛しながらも、夢であれ、こんなにはっきりとあの宮殿の内部を思い出したのなら、とっくり観察して行こうか…などとも思う大介だった。
(……おや)
しかし自分は、夢の中でまでベッドに寝ているようだ。身体は、どういうわけか動かない……
(……ここがテレザリアムなら、彼女は…どこだろう…?)
どうにか動かせたのは、左手の指先だけだった。
「………!!」
思ったよりすぐそばで、誰かがハッと息を飲む気配が感じられた。
「……島さん!?」
……テレサ。
彼女は、この枕元にいたらしい。ああ、良かった、そばに居たのか。そう言おうとしたが、やはりどういうわけか声も出ないのである…
(おかしいな。…俺、どうしたんだろう…)
仕方なく、左手の指先を動かしてみる。
「……島さん!!島さん、気がついたのですか!?」
テレサが上から覗き込んでいた。ああ…良かった!!と泣き崩れるのを見て、大袈裟だなあ、と笑ってしまう。
「……泣き虫だなぁ…」
彼女が自分の左手をとって、涙の流れる頬に押し付けているのが分かった。
……涙が、熱いよ。…テレサ。
「島さん……、島さん…!!」
そんなに泣かなくても、俺は大丈夫なのに。
「……心配するな。もうちょっと…したら、良くなるから」
自分ではちゃんとそう言っているつもりだったが、口から出た言葉は掠れていて、かなり不明瞭だ。なんだ、どうしたんだろ、俺……?
ま、これは夢だからな。色々と理不尽で当たり前、だよな。
彼女も、ずっと以前に見た…あの青く光る長いドレスを着ていた。じゃあ、自分はヤマトの艦内服かな、なんて思いながら左手の袖口を見れば、やっぱりそうだ。緑色の…航海班の制服。しかも、夢の中でまで、彼女が具合の悪い自分をこんなに心配してくれている。そう思ったら、くすぐったくもあり、思い切り嬉しくもあった。感動?そうだな、そういう感じかな。君はそんなに俺のことが好きなのか。俺も、大好きだ。何の照れもなく言える、と思った。
……今となっては迷いも戸惑いも、何もないのだから。
「……ありがとう。テレサ。…大好きだよ」
左手に縋り付くようにして頬擦りしていたテレサが、驚愕の眼差しで顔を上げたのを見て、大介はまた笑う。
「……なに、どうしたんだよ…」
そんなに驚かなくてもいいじゃないか。
しかもあろうことか、それを聴いた彼女はさらに、大きなあの目を潤ませて、こちらを見つめたまま、泣き出したのだ。
「……島さん……!!」
「ま…た…泣く」
なんで泣くんだよ…
哀しいことなんか、もう何もないだろう…?
君は…俺の、大事な奥さんで……地球一の…パートナーじゃないか。
俺は君を愛してるよ。心から愛してる。二度と離れないって約束したし、本当にいつも一緒だろ… 同じ家に住んで、一緒にご飯食べて…一緒に寝てるだろ……。仕事中は、そりゃあ仕方ないけどさ……
半分、独り言。
夢の中の、独り言。
だが…ふと目を開けて再び目の前の、涙に濡れたテレサの顔を見て、大介はちょっと驚いた。
自分の呟きを聴いていたテレサが、驚愕を通り越して呆然としているのに気がついたからだ。
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