風邪?それともインフルエンザ……それとも?
テレサが生還して、島と一緒に彼の実家に住んでいる時の話です…
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「へっくしょん」
堪えきれずに2回、3回。
ある日曜日の昼下がり。次郎は思い切りクシャミをした……なーんか、コレは、ヤな感じ。そう言えば、今朝親父もひどい咳をしてたな……寒気がするから、って朝っぱらから部屋に引っ込んでいる。母さんも、ちょっと頭が痛いと言っていた。
(俺も風邪かな……拙いなあ)
普通の風邪くらいで狼狽えることはないのだが、ここには地球の薬が効くかどうかはっきりしない、大事なひとがいるのだ。巷では、またもや季節性流行感冒が席巻しているとの噂も聞く。
感染(うつ)したら、拙いよな。
兄の大介は基地にいて、当分帰らない……まあ、兄貴は感染らなくて済むだろうけど、テレサは、まずいだろ…。
ところが……
そんな病気には縁遠いだろうと思われた大介が、その日の夕方になって急に帰宅したので次郎は焦った。
「……インフルエンザぁ〜?」
「ああ、…なんか基地内で急激に流行しちゃってな…」
無人機動艦隊極東基地は半海底の密閉状態だから、誰もが油断してた。ところが、一人、罹ったのがそうとは知らずにやって来て、あっという間に基地内でアウトブレイク(感染爆発)さ……。外で流行ってるやつと同じものだそうだ。その上、俺も気付かなくて特効薬の処方がちょっと遅れた。……様あない。
地球侵略したきゃ、中枢本部に新型インフルエンザの病原菌撒くだけで済むよな…などと言いながら、大介は額に手を当てた。マスクをした上にマフラーで口元を覆っていて、「こっちへ来んな」という手振り。
あーあ…
せっかく、自分がテレサに風邪を感染さないように気を遣ってたのに。よりによって兄貴がインフルエンザのキャリアかよ。
軍服のまま、荷物もそのままで新居ではなく母屋に兄がやって来たので、変だとは思った。
「……テレサは?」
「あっち(新居)だよ」
「…良かった」
「けど、どうすんだ?彼女、兄貴が帰って来たって分かったら飛んで来るぜ……?」
「うーー……」
仕方ない。今は、シャットアウトだ。「…2日くらいで快くなるはずだが…、俺の場合はここからちょっと重症化する意見込みらしい。熱が下がるまでは、テレサをそばへ来させないでくれよ」
あーりゃりゃ、可哀想に(テレサが)。
明らかに熱でふらついている大介が、やっとのことで2階の元自室(今は客間として明けてある)へ荷物を持って引っ込むのを見送って、次郎は困り果てた。
……ウチ全体がウィルスに侵略されるのは、時間の問題…?
なーんてやっていると。
「……次郎さん、お父様のお加減はいかが…?」と、離れからテレサが母屋へやってきた。小さな茶碗を二つ、盆に載せている。
「……どうしたんですか?」
お母様も具合が良くないみたいですから、お夕飯は私に任せて下さいね、と言いながら三和土を上がろうとする…
「ああ、ええーと…それ、なに?」
小さな盆の上に乗っているのは、彼女がちょっと前に覚えた「茶碗蒸し」。
「あら、それはお父様の…」
次郎さんのは別にあるのよ、というのを無視して、ひょいと小さな蓋付きの容器のひとつを手に取って、覗いてみる。
(堅焼きのプリン……)
……じゃあ、ないみたいだった。ほっ。
「もー、失礼ね…」
ま、それはともかく。
「夕飯か、じゃ、任せた。…ありがと」
テレサはまだ、大介が帰宅したことに気付いていない。上手く説明しなくっちゃ……
「あら?」
しかし、三和土に脱いである誰かさんの靴に、テレサが気付く方が早かった。
*
「あー……」
とりあえずは、もちろん。
彼女の腕を引っ張ったまま、廊下で説明する。
とっても強力な感染力。特効薬を処方されてるから、兄貴は2日くらい経てば快くなる。ただし、今はそばに行かない方がいい。テレサに感染する可能性については分からないけど、万が一感染ったらテレサに効く薬がないから、危険なのだということ。
「…そ…そんなに悪い病気なのですか…?」
「うーん、まあ、罹るとそれなりに辛いね…」
通常はもっと早めに薬を打つらしいけど、なんかそれが出来なかったみたいでね。寒気、吐き気に高熱。頭痛に全身の関節痛、疼痛。まあ、結構酷い目にあうかな…任務どころじゃないだろうね。だから帰って来たんだろうし。
「というわけで、テレサは明後日くらいまでは、兄貴の所に行っちゃ駄目。……いい?」
「えっ…」
そんな……
見る間に、うるっ。
「泣くことないでしょ〜」
「な、泣いてはいません、…でも」
「そんなに酷くは無さそうだから、安心して、って言ってたぜ? まあ、大人なんだし。2日くらい我慢してりゃ」
「そばへ行かなければいいのではありません?」
「……まあ…そう…だけど」
でもキミにそんなことが出来るかな、と次郎がそう思った途端、テレサは盆を次郎に押し付けると慌てて二階へ続く階段を駆け上がった……
「ちょっ、こら!」
待てってば!
*
「…島さん、島さん!」
ドアの向こうに慌てた足音と、その声を聴いて、大介はあーあ、と溜め息を吐いた…会いたくないわけじゃないけど、この状態じゃな…。
「開けますよ」
返事も待たずに、ドアが開く。次郎のやつ、来させないでくれって言ったのに…。
「島さん!!」
「ああ、…ただいま」
大介はベッドから、無理矢理笑顔を見せた。
彼女の後ろで次郎がその片袖を引っ張っている。はい、ここでストップね…
袖を引かれ、テレサはたたらを踏んでドアのところで立ち止まる。「大丈夫なのですか?!」
「ああ、うん」
本当を言うと、大介の方は出来ればちょっと放っておいて欲しい、という状態、だった……やっとこさ着替えて、ベッドへ潜り込んだ所だったから。
荷物や軍服が、無造作に部屋の片隅に置かれたままなのを見て、テレサは大介がいつになく消耗していると察する……ああ、どうしたらいいのかしら……!?
「……大丈夫だからね。ただ、今はちょっと…寝かせてもらえるかな…」
テレサが狼狽えているのは手に取るように分かる。だが、今は寒気と戦うので精一杯……でも熱が上がり切ったらそれも収まるし、そうしたら後は…寝てりゃ治るんだから。
目の周りが熱い。あーもう、目、瞑って縮こまりたい〜…。小動物のように布団を被って丸まってしまいたい…。
大丈夫だよ、心配しないで、と少しでも余裕を見せてやりたかったが、これ以上はちょっと無理……。まさかの感染、悪化するまで頑張っちゃったのは俺のミスだが、まあこれ以上悪くはならないだろう。いや、ならないでくれ…という、希望的観測。
「わかりました…」
目を瞑ってしまった大介を見て、テレサはこれ以上はないと言うほど打ちのめされた顔をしたが、すごすごと床に置かれたトランクや服に手をのばした。「じゃあ…こ…これ、片付けておきますね」
「…うん」
ありがとう。
次郎がトランクを、テレサは服を、それぞれ抱えて部屋の外へ出る。
「あの」
振り返り。「お夕飯は」
しかし、ベッドからはすでに返事はなかった。
「……腹が空いたら、降りて来るさ」大丈夫、大丈夫。
トイレだって自分で行かなくちゃならないんだしね。
そう次郎に言われ、テレサはうなだれて階段を下りた——。
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