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「……やはり、駄目だったか」
その真田の声は苦渋に満ちていた。
次郎は背中でそれを聞き、目を伏せる。
<ブルーノア2220>以下200隻の有人艦隊からの速報を受けるまで不眠不休で稼働していた科学局作戦司令本部。
スクリーンを前にしたスタッフらの中から、「畜生!」という怒号、悲鳴にも似た泣き声が上がる——。
近接してカスケードブラックホールを観測していた無人機動艦隊から、詳細が知らされた。
「矮星スォーレンへの波動砲一斉砲撃は成功。爆破後の、超重力空間の形成までは順調でした。……ですが」
次郎の操作で、科学局の全方位マルチスクリーンに映し出されたのは、恒星が最期を迎える有様に似た超重力空間に差しかかる、巨大なブラックホール。それがにわかに屈折し、揺らいだと見えた——だが、その軌道は変わらず、進路はまっすぐ太陽系を目指したままであった。
「信じ難いことですが、カスケードブラックホールは速度を保ったまま…我々が形成した超重力空間を突破。進路、変わらず……依然、こちらへ向かって来ています…。作戦は、失敗です……」
真田は鼻孔から長い溜め息を吐いた……
(…あの異常天体からは、いかなる反応も無かった。反撃と思われるものも。そして、我々にはこれ以上接近しての観測も不可能…。自然現象にしては酷く不自然だが、これが敵襲だという確たる証拠もない)
<ブルーノア2220>からは、ホーミング波動砲での追撃提案も出されていた。だが、ブラックホールへ向けての波動エネルギー発射など、それが例え束になろうが無意味千万というのは、論ずるまでもない。
地球防衛軍は、急ぎ全艦隊へと帰還命令を下した。
全護衛艦隊は、帰還次第、次なる任務へと就かなくてはならなかった。
——地球を離れてアマールへと旅立つ、移民船団の護衛、である……
「諸君。地球連邦宇宙科学局では、人類存続のため……移民計画を実行に移すことを決定する」
真田の声に、作戦本部全体がしんとした。科学局の決定には、防衛軍、連邦政府ともに同意追従するだろう。
「——我々は、地球を見捨てるのではない。また、地球から逃げるのでもない。地球を…人類を活かすために、しばし、この星を離れるに過ぎない…!」
だが、断固としてそう言いながら……
真田の目に、無念の涙が光っているのを次郎は見逃さなかった。
——地球人類の、アマール星の衛星プラトーへの移民が、決定した。
タイムリミットは、2220年4月。
人類に残された時間は、あと360日あまりであった。
* * *
深宇宙貨物中継基地、<ステーション・ルーア>——。
ごくゆっくりと回転する、骨組みだけの球体。<ルーア>は直径が約5000メートルほどの、小さな球状のコロニーを中心に、外殻へ伸びた支柱と支柱の間をつなぐ無数の滑走路で出来た、いわば辺境のフライング・ジャンクションであった。
誘導ビーコンの青色灯を辿りつつ、滑走路の一つに近海から帰港した貨物船<ゆき>がゆっくりと入って来る……
<お早いお帰りだな<ゆき>!……ん?…例の男前の船長はどこ行った?どっかへ放り出して来たんじゃねえだろうな、大村の旦那?>
港湾管制局のコントローラーがからかうようにそう訊いた。
大村は元々<ゆき>の船長だったが、しばらくの間、きれいな顔を髭に隠した若い男が船長を務めていた。だが、しばらくぶりに見た<ゆき>のブリッジにそいつがいなかったものだから、コントローラーは大村が彼をクビにでもしたのかと、そう思ったのだろう……
『こちらEFCV120478深宇宙貨物船<ゆき>。大村だ。やかましいわ、船長は怪我なさってるんだよ。次期に復帰するからゴチャゴチャ言うな』
<そらすまんこって>
モニタの中の旧知の管制官が、あははぁ、と笑うのに、大村はフンと鼻を鳴らした。
<で?……後ろにくっ付いて飛んでるのは……?>
……おい、なんで軍艦が来てるんだ?
コントローラーが首を傾げる。
<ゆき>の後方約1000メートルに、巨大な艦影が認識できた。識別コードは地球防衛軍日本基地所属…EFDF-JA005スーパーアンドロメダ、艦名<沙羅SARA>。
『……コントロール。後ろはうちの客だが、通常の軍隊さんじゃない。軍の医者が薬を積んで来てるんだ』
<医者〜?>
『極秘任務だそうだ。俺は良く解らん。……直接、彼らとコンタクト取って訊いてみてくれ』…答えてくれるかどうかは知らんがな。
大村の回答に、コントローラーは肩を竦めると了解、と親指を立てた。
<ゆき>の後方から静かに進んで来る<沙羅>。真田志郎が派遣した医官を乗せて、その艦は地球からやって来た……たった一人の、男のために。
*
「大村さーん!」
無数にある貨物船の発着口のひとつへ、上月ユイが迎えに来ていた。
「ユイちゃん……!」
元気よく手を振る白衣姿の彼女に、大村はまごついた……仕事中なのかな、なんだってナース姿でこんなところへ出迎えに?
一緒にタラップを降りた仲間の乗組員たちがニヤニヤと見ているのを、わざと大きな咳をして追い払う。
「ど、どうしたんだ……出迎えてくれるなんて珍しい」
「あら、迷惑…?」
「い、いや……そうじゃないけど」
その、キミの格好が。さ…
波止場にそういうカッコで来ない方がいい、ここは下品な野郎ばかりなんだから。
「うわ、なにその発想。よっぽど大村さんの方がイヤらしい」
そうは言いながら、ユイも苦笑した。ストイックなスタンドカラーのナース服だが、ワンピースの丈は短く、言われてみれば太もも丸出し。……だって仕事中だったんだもの。
「いいからほら、こっちへおいで」
赤い顔でユイを引っ張って待合所に消えて行った大村を、<ゆき>のクルーたちが冷やかしながら見送った。
*
待合所へユイを引っ張って来た大村は、私物を入れたザックをドサリと床に下ろし、コーヒースタンドの店員にコーヒーをふたつ、と手で合図した。
ここのコーヒーは渋くてお世辞にも上手くはないが、とにかく一息つかねば話にならん…
「…お疲れさま」
「何だい、改まって」
「あら何よ、せっかく迎えに来てあげたのに」
「え……まあ、それは、その。……ありがとう、嬉しいよ」
「素直でよろしい」
スタンドからデミタスサイズのカップを受け取ると、2人は幾列もある長いベンチのひとつに腰かけた。
「古代さんはどうだい?」
渋いコーヒーを啜って、ほう、と大村は息を吐いた。
「……そのことなんだけど」
見ればユイはカップに口も付けていない。真顔で前列のベンチの背を見つめ。おもむろに口を開いた……
「…あの人、……『あの古代進』なんでしょう?」
「………」
「どうして『あの人』が、こんなところに」
そうか。さすがに何も言わずとも、一週間も面倒を見ていれば分かってしまうものなんだな。
大村は頭を掻いた。
「……深い事情があってな。君のことだから、もう全部知ってるんじゃないのか」
ユイは無言で頷いた。
噂は噂では済まなかった。数年前から悲しい事件における責任を問われ、世間から糾弾され、行方が分からないままだった「伝説の艦長・古代進」。その汚名は雪がれたにもかかわらず、彼は地球から姿を消した。時を同じくして新たに地球へと魔の手を伸ばしている超自然現象、カスケードブラックホール。地球連邦政府は、つい先日、全地球的規模での「移民」を実行に移すことを発表したのだ。
「……今まで、古代さんの世話をしてくれて、君には本当に感謝している。ありがとう……。今日からは、地球防衛軍と宇宙科学局から派遣されて来た医官が、古代さんの治療を引き継いでくれる」
「民間の私たち医療関係者は、もう…手が出せないということ…?あの人は、何か大きな任務のために……地球へ還るのね」
「……そうだ」
ユイは笑いながら溜め息を吐いた。
「やっぱりそっか。……大村さん、知ってたなら、教えてくれれば良かったのに。あんなヒゲモジャだから、わからなかったわ。…まさかあの人が『伝説の古代進』だったなんてね。……あたし……もうちょっとでスキになるところだった」
「は…?!」
ガタンとベンチが音を立てた。大村がユイの言葉に腰を抜かしたのだ。
ス、スキって……キミが、こ、古代さんをか?!
「うふふふ」
でもね、あの人、旅先のアバンチュールってのにはてんで無縁な人生歩んでるじゃない。奥さん一筋。つまんないったらありゃしなかったわ。
「ユ、ユイちゃん……」
「あはは、冗談よ」
よ、よしてくれよ……心臓に悪い。
大村は顔を赤くしてベンチの背にもたれかかった。
正直な話、ユイが古代に惹かれていたのは本当である。だが、あの地球からの小包の中身を見て、ユイは悟った。調べて行けば、彼が「あの古代進」だということは容易に知れた……彼が惹かれてはならない相手だということも。
「じゃあ、……残念ね。古代さんは<ゆき>の船長も辞めちゃうんでしょう。……大村さんがまた船長に戻るのね?」
地球では移民だの何だのと騒がれているが、この辺境に多数のコスモナイト鉱山がある限り、人類が宇宙のどこへ移住してもこのステーションと貨物航路は新たな地球のために存続するのだろう。ユイたちステーションの居住者には、「人類の地球外移民」はそれほど大きな意味を持たない。自分たちはもともと、ここに苦労して「移民」しているようなものだったからである。
だが、大村は急に肩を落として俯いた……「それがな、ユイちゃん…」
「…?」
「実は、……俺も、<ゆき>を降りることになるんだ」
「どうして?じゃあ、誰が船長を」
……というか、大村さんが<ゆき>を降りてどうするのよ?
「古代さんに、一緒に来てくれと言われている」
「え……ええっ」
一緒に、って。
地球へ……?!
眉間に皺を寄せ、伏し目がちに頷いた大村に、ユイは言葉を失った。
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