RESOLUTION 第8章(1)

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 ニンジン一本と、リンゴが一個。それに、ハチミツ大さじ3……
(ハチミツも果物も野菜も、急に供給量が減ったわね。……やっぱり、あのニュースが影響してるのかしら…)

 大村耕作のコンドミニアムのキッチンで、例によってニンジン色の野菜ジュースを作りながら、上月ユイは考え事をしていた。

 地球からのニュースを伝えるスーパーウェッブ上で問題となっている移動性ブラックホール。
 この辺境にはコスモナイト鉱山が多いため、地球では余程のことがない限り、この宙域の軍嘱託の企業や民間企業、貨物船運営会社やその従業員らに「地球への撤退」を勧めることはない。ところが、この数日間流れているニュースは、直接鉱山に関わらない非作業員の地球への帰還をしきりに勧めるものだった。そのせいで、日用品の供給までが混乱し、滞っているのらしい……。
 かつてあったような、大規模な地球への異星人の攻撃が始まった場合でも、この辺境からのコスモナイトの供給が途絶えれば、その方が戦況に取っては不利である。……そもそも、そのような事態が発生したのなら、先ず地球防衛軍が大挙してやって来るはずだ。この場所を、戦闘のためのライフラインとして守るのが彼らの目的だからだ。しかし、そんな気配もないのである。

 大体、移動して来るブラックホールなんて、聞いたこともないし理論的におかしい……

 ユイもまだ、そう思っていた。
 彼女の目下の関心事は、そんなわけの分からない宇宙現象ではなく、目の前の患者だけだった。


 ——さて、その髭面の患者は、ユイの言いつけを守って、大人しくベッドに寝ていた。三度の食事をきちんと食べ、処方薬もちゃんと飲み、朝は規則正しく起きて、人工太陽の光の下で短時間だが柔軟運動をする。ユイは一日おきに来て、彼の洗濯物を持って帰り、洗ってここへまた持って来る…ついでに、二日分の食事を作って行ってやるのだった。

 改めて冷静に付き合えば、古代進は極めて礼儀正しく、細やかな男だった。

 ユイに遠慮しているわけでもなく依存しもしない。しかし愛想は良く、気持ちのいい挨拶を欠かさず、小さなことにも礼を言うのを忘れなかった。そんな古代の態度を見るに付け、ユイは思った。

(この人、……なんだか他の人とちょっと違う…)

 訪問看護をしていると、次第につけ上がる患者は多い。ユイも幾度セクハラに遭ったかしれない。中には、訪問看護師を家政婦と勘違いする輩もいて、「ありがとう」なんて言ってもらえないことも多いのだ。
 だが、古代進はそういう連中とは違った。

 自分のためにユイの持って来る食材が重いのではないか。洗濯物を任せてしまって、申し訳ない。自分で使った食器は自分で片付けるから、そのままにしておいて欲しい。
 正直、そんな気配りを患者からしてもらえるのは、初めてだった。

 だが、そんな模範的な患者にも関わらず…<ゆき>の事故で負った彼の傷は、それほど快復してはいないようだ。

(うちの病院で処方できるのは、治療薬というより…悪化をとどめるだけのものだものね)

 古代の場合は、この傷が元で既往症を再発したのだと推測できた。
 過去によほど激しい戦闘でも体験して来たのだろうか。……もしかしたら、彼は軍人だったのかもしれない。

 ……まあ、彼の過去はともあれ。
 ユイは、次第に古代の世話を焼くことを、楽しい、と思い始めていた。




「古代さん」
 出来上がったジュースと、錠剤をトレイに載せ、ユイは古代の寝室のドアをノックする。
 返事がない。
「……?入りますよ」


 明るい部屋の中で、古代進はベッドの上に座っていた。
 サイドテーブルの上に、きれいになった食事のトレイが置いてある。
「……どうしました?」
「あ…ああ、上月さん」
 ユイが入って来たのにハッと気付いて、古代は会釈した。ご馳走さまでした、美味しかった…ありがとうございます。
 彼が柄にもなくぼけっとしていた理由が、ユイにもすぐ理解できた。
「それ、昨日届いたものですか?」
「……ええ」
 古代の膝の上に、30センチ四方程度の平べったい箱が乗っている。古代はその包みを開け、中に入っていた手紙を読んでいたのだった。

 ……地球からの小包だった。

「…ご家族から…?」
「……ええ」

 ふうん。
 ユイは自分の中に、僅かながら嫉妬にも似た感情が湧き上がるのを感じる。自分には、家族というものはいない。父母も兄弟も親戚も、みんな…2200年頃に死んでしまったから。

「……ご家族、いらしたんだ。…いいなあ。…私にはだーれもいないから」
 古代はああ、と笑いながら顔を上げ、困ったように答えた。
「…僕も、ガミラス戦役で最後の肉親を失いました。言ってみれば天涯孤独だった…」
 ユイは戸惑う。
「だった、って……。じゃ、…そのご家族って」
「新しい家族、っていうんですか…?妻と子どもたち、ですよ」
「つま…」

 古代が照れくさそうに膝の上の包みを開けるのを、ユイは黙って見ていた。
 妻。…と、子ども、たち………
 そ、そうよね……。だってこの人。
 ……指輪、してるもん。

 箱の中に入っていたのは、可愛らしいフォトフレームに入った、家族4人の写真だった。
 
 古代の左手の薬指にリングがあることは、最初から知っている。だが、大村耕作だって指輪をしている……死んだ妻への未練がある男は、あれをいつまでも外せないでいるのだ。
 この古代進も、もれなくそういう男の一人かと、ユイは……ずっと勝手に思っていた。

「上月さんだって、これから、じゃないですか。まだ若いんだし、奇麗だし。…モテるんじゃないですか?結構」
 愛想笑いをしながら、古代はそう言い、目を上げた。
「……上月さん?」
 ユイは、いつになく複雑な表情をしている。どうしたんだろう?
「……そう、かな。ありがとう」
 ニコッとすると、野菜ジュースのトレイを食事のトレイの代わりにサイドテーブルの上に置き。ユイはさっと立ち上がった。
「さあて、じゃあ…明日の分のご飯を作ったら、私は帰りますから」
「上月さん?」

 食事のトレイを持って、さっさと寝室を出ようとした上月に、古代が慌てて声をかけた。「…あの、食器はそのままでいいですから。いつも、すみません」
「……はい」
 ユイは頷いたが、振り返らなかった。


(どうしちゃったのかな、上月さん…?)
 だが古代は、急にまた無愛想になった上月に、特に驚きもしなかった。女性一人で男の家に訪問看護をしている事自体、精神的に厳しいこともあるだろう。無愛想なくらいが仕事柄ちょうどいいに違いない……さもなければ、患者の中にはセクハラまがいのことをする輩も居るだろうから。


 第一。
 上月さんは大村さんの大事な人だからな……。

(熱のせいにしろ、彼女をうっかり雪と間違えて抱きしめちゃっただなんて。大村さんにはとてもじゃないが、言えないよ……)
 無骨な大村が、柄にもなく頬を染めて「あの看護師さんは信用の置ける人ですから」とユイを推した時のことを古代は思い出し、ふふ、と笑った。

 雪から送られて来たフォトフレームを、改めて手に取る。

 ああ、覚えている。これは…リビングに飾ってあった写真だ。
 守が3歳、美雪が1歳。こぼれそうな笑顔の雪と、少しはにかんだ顔の自分。
 まだ何事もなく、ただ幸せだったあの頃……。

「雪…」
 守、美雪。

 ドアの向こう、キッチンで、食器のぶつかり合う小さな音がする。マイクロウェーブのブーン、という音……シンクの水音。
 その音に、思い出す……
 古代の脳裏に、鮮やかに甦る、……在りし日の、
我が家の光景。


 進さん、もうすぐご飯よ……子どもたちの手を洗ってくれる?
 ああいいよ。ほら、2人ともおいで。
 パパぁ、だっこお。
 みゅきも、だっこぉ…
 だっこじゃないよ〜、ほら歩きなさいって…   あははは…



「……………」
 フォトフレームの写真が、ぼやけて見える。いつの間にか、フレームを強く握りしめていた。シリコングラスのカバーに、ポタリと涙が落ちる。

 ごめん。みんな。
 お父さん……いつまでも帰れなくて。
 …ごめん…… 

 膝の上の、雪の手紙はとても……短かった。
 その行間に秘められている雪の思いが、進には痛いほど良く解った。


 

 進さん。海は…どうですか?
 宇宙は海。
 貨物船が、俺の船。前に、そんなことを、言っていましたね。
 どうか焦らず、身体を治して下さい。
 私も子どもたちも、元気です。
 たくさんの仲間が、私たちを助けてくれています。だからどうか
 安心して下さいね。
                            雪


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